松井 直吉(まつい なおきち、1857年8月14日(安政4年… 松井 直吉(まつい なおきち、1857年8月14日(安政4年6月25日) - 1911年(明治44年)2月1日)は明治時代の日本の化学者。理学博士。 第三高等中学校(京都大学の前身の一つ)教頭、文部省専門学務局長、東京化学会(日本化学会の前身の一つ)会長、東京帝国大学(東京大学の前身)農科大学長・総長を歴任した。 以上のことから文展審査員となっている。 弟は国文学者の和田万吉。 また、松井は8男8女の計16子をもうけているが、8男で山上家の養子となった山上八郎は、日本の甲冑についての研究で知られている。
河村 勝次郎(かわむら かつじろう。1857年1月30日(安… 河村 勝次郎(かわむら かつじろう。1857年1月30日(安政4年1月5日) - 1933年(昭和8年)1月10日)は、横浜、静岡を拠点として明治から昭和にかけて活躍した日本の茶商。 勝次郎は安政4年(1857年)岐阜県(美濃国)安八郡藤江村(現大垣市)において、父河村源四郎、母コウの三男として生まれた。戸主は源四郎の兄河村仁三郎であり、また族籍は士族であったと子孫に伝わる。仁三郎一家の明治19年式戸籍が滅失しているため、仁三郎の両親、兄弟、子孫の情報が得られないが、これは昭和20年(1945年)7月29日の大垣空襲による消失ではなかったかと推察される。 仁三郎は大垣藩医江馬活堂の隣人(安八郡藤江村)で「本舗調合所」を営業、活堂から「健胃湯」処方の教示を受け、明治13年(1880年)1月14日内務省免許を得て製造販売を始め、江馬家へと納入していた。
大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉… 大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉永5年5月7日) - 1911年)は、明治時代の大相撲力士。本名:沼波銀之助。 現在の岐阜県大垣市出身。京都相撲から高砂の門下となり1879年5月に序ノ口。1885年の新聞記事では阿武松和介門弟となっている。その後高砂部屋所属となった。 1884年5月には幕下に昇進したが幕下中位で10年一進一退だった。1891年5月最高位の幕下15枚目。1896年頃からは三段目が定位置となっている。 1893年頃からは3日ほど出場し残り2日を休場しており、若者頭を兼務していたようである。1905年頃からは常に三段目中位から下位に位置しており、若者頭を兼務しているためと思われる(同時期ののちに若者頭となった若梅も同様に三段目中位から下位に記されている)。
高木 貞正(たかぎ さだまさ、1851年(嘉永4年10月) … 高木 貞正(たかぎ さだまさ、1851年(嘉永4年10月) - 1920年(大正9年)3月29日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。衆議院議員。 美濃国上石津郡、のちの岐阜県上石津郡多良村(養老郡多良村、上石津村、上石津町を経て現大垣市)出身。 学区取締を経て、1879年(明治12年)多芸・上石津郡長に就任する。ほか、濃飛農工銀行、大垣貯蓄銀行、大垣共立銀行各監査役を歴任した。 1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
納屋 才兵衛(なや さいべえ、1847年4月9日〈弘化4年2… 納屋 才兵衛(なや さいべえ、1847年4月9日〈弘化4年2月24日〉 - 1933年〈昭和8年〉6月10日)は、日本の写真家。正岡子規最後の肖像写真を撮影したことで知られる。本名は美算。 飯沼慾斎の義弟長矩の七男として、岐阜県大垣市に生まれる。6歳の時「納屋才」の屋号で魚市を営む中島家の養子となり、11歳で家業を継いだ。 三重県桑名市で最初の写真館「笛橋堂」を開業し、明治期東海写真界の発展に寄与した。上京した後は、根岸に名を「春光堂」と改めて写真館を開業した。
鳥居 断三(斷三、とりい だんぞう、天保9年〈1838年〉 … 鳥居 断三(斷三、とりい だんぞう、天保9年〈1838年〉 - 1911年〈明治44年〉1月27日)は、幕末の大垣藩士。明治時代の官吏。判事。弁護士。三河県知事。柏崎県参事。大審院判事、東京始審裁判所長、東京重罪裁判所長。本姓は平氏、名は重雄。諱は朝道。号は圭陰。 美濃大垣藩士の子として大垣城辰之口内清水馬場北詰の家に生まれる。幼名は鉄五郎。嘉永4年11月、病気の兄元次郎の養子となった。嘉永6年12月に使番役に出仕、安政6年11月に留守居役江戸定府を申し付けられた。文久2年正月、奏者番となり、慶応3年3月に用人と留守居の兼務となった。戊辰戦争では1868年(慶応4年1月)大垣藩軍事副総裁助役、のち同藩軍事奉行として東山道先鋒軍に従い、各地を転戦した。
坂井 千春(さかい ちはる、9月27日 - )は、日本の演歌… 坂井 千春(さかい ちはる、9月27日 - )は、日本の演歌歌手。岐阜県大垣市出身。 幼少期より日本各地のカラオケ大会に出場し、数々の成績を残す。作曲家である曽根幸明の門下生としてレッスンを受けた後に歌手デビューした。 幼少時代に両親と別居し、祖母に育てられる1996年に青森県第4回「リンゴ追分コンクール」で優勝。 1997年に岐阜放送 藤圭子「千年のかがり火」大会優勝。 1998年に日本テレビ『ルックルックこんにちは』女ののど自慢高校生大会 A賞受賞。 2000年に作曲家・曽根幸明の門下生となる。 2003年に日本クラウンより、「未練船」「東京セレナーデ」を夢香 ちはる名義でインディーズ発売。
小山 水城(こやま みずき)は日本のシンガーソングライター。… 小山 水城(こやま みずき)は日本のシンガーソングライター。 イタリア人と結婚し、現在は結婚後の名前であるディサロ水城(伊: Disaro' Mizuki)名義で活動している。 2児の母で、長男はプロサッカー選手のディサロ燦シルヴァーノ。 岐阜県大垣市生まれ。岐阜県立大垣北高等学校卒業。上智大学文学部中退。 幼少より音楽教師であった父の影響でピアノや歌に触れ、クラシック・演歌・ポップス等の手ほどきを受けて育つ。又スポーツにも才能を発揮し陸上競技(遠投)岐阜県大会で優勝[要出典]。その後、小中高時代に両親の離婚再婚などの家庭環境を経、上京。上智大学に入学。 上智大学ジャズ研・早稲田大学理工学部swing・東京学芸大学ジャズ研でジャズピアノとヴォ―カルを始める。
細川 茂樹 は、日本の俳優・タレント。過去の所属事務所はアオ… 細川 茂樹 は、日本の俳優・タレント。過去の所属事務所はアオイコーポレーション→ウィズ・ケイワン→サムデイで現在はフリー。岐阜県大垣市出身。公立はこだて未来大学特別招聘教授。
久保田 弘信(くぼた ひろのぶ)は、岐阜県大垣市出身の写真家… 久保田 弘信(くぼた ひろのぶ)は、岐阜県大垣市出身の写真家。日本写真家協会会員。 岐阜県立大垣東高等学校を卒業後、大学で物理学を学ぶが、写真スタジオでアルバイトをしたことをきっかけにカメラマンとなる。 1998年からアフガニスタンを取材。バイク雑誌、車雑誌を発行する平和出版から、アフガニスタンとイラクの写真集を出版。 虹有社からアフガニスタンの写真集を出版。 2003年3月のイラク戦争では日本のテレビ局に戦火の様子をバグダードから連日レポートした。この時の取材をまとめた「空爆の下で」も同じく平和出版から出版。 各地でイラク、アフガニスタン、シリア、イエメンの講演活動をしている。
石田 恭一郎(いしだ きょういちろう)は、日本の実業家。株式… 石田 恭一郎(いしだ きょういちろう)は、日本の実業家。株式会社竜製作所代表取締役(4代目)。 岐阜県大垣市出身。母方の祖父は大垣藩300石の士族であり、祖母は矢道村(現:大垣市矢道町)の庄屋であった。 1992年、日本大学生物資源科学部森林資源学科を卒業。在学中の1987年に、小田急六野駅(現在の日大前駅)で、ホームから転落した男性を救助したとして、当時の日本大学新聞で取り上げられた。また、1990年から1年間、カリフォルニア州立大学イーストベイ校へ留学。当時は湾岸戦争時の最中ということもあり、日本大学での専攻とは異なるメディア学を専攻した。 大学卒業後、前田建設工業株式会社へ入社。中国支店、本店営業部、関西支店で勤務を経て、退社。
小原 適(おはら ただし)は、幕末の日本の武士(大垣藩士)、… 小原 適(おはら ただし)は、幕末の日本の武士(大垣藩士)、明治時代の政治家。位階勲等及び爵位は正五位勲四等男爵。 「適」は「迪」と書かれる場合もある。 天保13年(1842年)2月26日、大垣藩の執政である上田能重の長男として生まれ、父の実兄である藩老の小原鉄心の婿養子となる。慶応3年(1867年)幕命により藩兵を率いて大坂に上り、翌慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いで新政府軍と戦う。戦後、官軍に抗した罪により禁固されるも、新政府軍に参加した大垣藩の戊辰戦争の功績によりその罪を許された。明治2年(1869年)公議人に選ばれる。同年大垣藩少参事。明治3年(1870年)和歌山県権参事。明治4年(1871年)欧州に留学。