吉川 赳(よしかわ たける、1982年〈昭和57年〉4月7日… 吉川 赳(よしかわ たける、1982年〈昭和57年〉4月7日 - )は、日本の政治家、飲食店オーナー。 衆議院議員(3期)、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官を務めた。 静岡県富士宮市出身(現住所は富士市松岡)。2008年3月、大東文化大学法学部卒業。2016年3月、日本大学大学院国際関係研究科国際関係研究専攻博士前期課程修了。宮澤洋一衆議院議員や岩井茂樹参議院議員の秘書を務める。また実父が設立した医療法人社団静寿会職員、クリエイティブ常務取締役を務める。 2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に静岡5区から立候補。小選挙区では民主党政調会長の細野豪志に敗れたが、比例東海ブロックで復活し初当選した。
大島 令子(おおしま れいこ、1952年5月14日 - )は… 大島 令子(おおしま れいこ、1952年5月14日 - )は、日本の政治家。愛知県長久手市議会議員(3期)。長久手町議会議員(2期)、衆議院議員(1期)を歴任した。 静岡県富士宮市生まれ。静岡県立富士宮東高等学校を経て静岡女子大学を卒業。その後、高麗大学校大学院にて学んだ。 愛媛県松山市にて書店の経営や生活協同組合の運営に携わった。その後、愛知県名古屋市にて会社員として働いていたが、1991年の長久手町議会議員選挙に出馬し、初当選した。1995年の選挙で再選され、連続2期務めた。 1999年の愛知県議会議員選挙に愛知郡選挙区から無所属(民主党・社民党推薦)で立候補するも落選。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に社会民主党から立候補。
小室 直義(こむろ なおよし、1948年〈昭和23年〉5月1… 小室 直義(こむろ なおよし、1948年〈昭和23年〉5月13日 - )は、日本の政治家。元静岡県富士宮市長(2期)。 富士宮市生まれ。成城大学経済学部を卒業した。卒業後の1971年(昭和46年)に富士宮市役所に入る。1990年(平成2年)に市役所を退職した。1991年(平成3年)、富士宮市議会議員選挙に無所属で立候補し、トップ当選を果たした。2期務める。1999年(平成11年)、富士宮市長選挙に立候補するも現職の渡辺紀に敗れる。 2003年(平成15年)の市長選に立候補して、新人4人での争いを制して初当選を果たした。 ※当日有権者数:96,167人 最終投票率:72.21%(前回比:-pts) 4月27日に就任した。
須藤 秀忠(すどう ひでただ、1947年〈昭和22年〉2月1… 須藤 秀忠(すどう ひでただ、1947年〈昭和22年〉2月10日 - )は、日本の政治家。静岡県富士宮市長(4期)。元静岡県議会議員(3期)。元富士宮市議会議員(5期)。 静岡県富士宮市宝町出身。富士宮市立貴船小学校、富士宮市立富士宮第三中学校を卒業。沼津市の東芝機械に就職。夜間、静岡県立沼津工業高等学校に通い、同校機械科を卒業。帰郷し、家業の古物商に従事。夜間、静岡大学法経短期大学に通い、同大学を卒業。 1979年(昭和54年)12月、富士宮市議会議員に就任。計5回当選。 1992年(平成4年)7月から1994年3月まで市議会の第38代議長を務める。 1999年(平成11年)4月、静岡県議会議員に就任。
前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2… 前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。社会民主党国会対策委員長などを務めた。 富士宮市出身。静岡県立富士高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業し、日本社会党書記局に就職。 その後、党総務部長などを務め、1986年に勝間田清一の後継として第38回衆議院議員総選挙に旧静岡2区から立候補し初当選。以後4期連続当選。副書記長などを歴任。社会民主党への改組後も党に残り、党総務部長に就任。1998年には国会対策委員長に就任する。 4期目の当選は、小選挙区比例代表並立制の導入となったため、静岡県第5区からの立候補となったが落選し、重複立候補していた比例東海ブロックでの復活当選となった。
長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、190… 長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、1901年〈明治34年〉11月25日 - 1984年〈昭和59年〉9月8日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、参議院議員。 現在の静岡県富士宮市出身。長島化学製品所を経営し、清水栄寿座、長島商事、横浜瓦斯化学工業の各社長、日本海獣化学工業代表取締役、清水商工会議所議員などを務めた。 1946年(昭和21年)5月、静岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同月18日に就任し研究会に所属した。翌1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在籍した。同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙において、静岡地方区から無所属で立候補したが落選した。
清 寛(きよし かん / せい ゆたか、1887年〈明治20… 清 寛(きよし かん / せい ゆたか、1887年〈明治20年〉3月13日 - 1966年〈昭和41年〉9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。 静岡県富士郡青木村(富丘村青木を経て現富士宮市)で、清重太郎、ゆう夫妻の息子として生まれた。名古屋市会議員、大蔵省委員、名古屋製紙、中央紙業、紙業新聞、中外商事、太陽製紙、帝国製紙各(株)取締役社長や重役、岐阜新聞、岐阜製紙、平湯温泉土地、濃飛印刷各(株)社長となる。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。以来連続4回当選する。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選する。
池谷 繁太郎(いけたに しげたろう、1853年(嘉永6年6月… 池谷 繁太郎(いけたに しげたろう、1853年(嘉永6年6月) - 1908年(明治41年)3月3日)は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。諱は茂時、号は岳雲。 池谷七郎平の長男として駿河国富士郡大宮東町(静岡県富士郡大宮町を経て現富士宮市)に生まれる。幕末、韮山の江川塾に入り漢籍、砲術を学んだ。1872年(明治5年)副戸長となり、学区取締、医務取締、地租改正調、第二大区長、町村連合会議長を経て、1876年(明治9年)静岡県民会議員となり、1880年(明治13年)静岡県会議員に当選した。国会開設請願運動の建白総代に名を連ね、1881年(明治14年)の静岡県改進党の結成に加わり、翌年結成された岳南自由党にも参加した。
小松 快造(こまつ かいぞう)は、日本の政治家。静岡県富士宮… 小松 快造(こまつ かいぞう)は、日本の政治家。静岡県富士宮市議会議長。 政党・政治団体には所属していないが、議会内の最大会派、富岳会に所属している。常任委員会には、環境厚生委員会に所属している。 再生可能エネルギーとして、捉え方の最優先課題として捉えていきたい。 ※地域循環共生圏各地域が美しい自然景観等の地域資源を最大限活用しながら、自立・分散型の社会を形成しつつ、地域の特性に応じて資源を補完し支え合うことにより、地域の活力が最大限発揮されるという考え方。 市民と市の協力と参画が、少子高齢化問題や地域活性化の解決に必要であると考えている。 常任委員会の中で、市の課題を洗い出し、深く議論をすることが大切。