山本 裕三(やまもと ゆうぞう、1982年〈昭和57年〉12… 山本 裕三(やまもと ゆうぞう、1982年〈昭和57年〉12月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 掛川市議会議員(3期)、自由民主党静岡県連青年部長を歴任。 静岡県掛川市出身。掛川市立西中学校、静岡県立掛川西高等学校を経て、立教大学経済学部卒業。中学生時代から政治の道を志し、大学時代には掛川西高卒業の縁で榛葉賀津也参議院議員の事務所でインターンを経験し卒業後はリクルートHRM(現リクルート)に入社。父の死後には、実家の酒販店で働くこととなった。 2013年、掛川市議会議員に当選。以降は市議を3期連続当選。3期目の市議会議員選挙ではトップ当選を果たし2023年から歴代最年少で市議会議長も務めたが、次期衆院選に自由民主党公認で静岡3区から立候補することが決まったため、2024年8月に議長を辞職した。
小山 展弘(こやま のぶひろ、1975年〈昭和50年〉12月… 小山 展弘(こやま のぶひろ、1975年〈昭和50年〉12月26日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 学位は修士(政治学)(早稲田大学・2001年)。 静岡県小笠郡大須賀町(現・掛川市)で生まれた。静岡県立磐田南高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部に進学した。大学卒業後、同大学の大学院に進み政治学研究科の修士課程を修了し、修士の学位を取得した。 大学院修了後は、農林中央金庫に就職した。その後、松下政経塾に入塾し、民主党静岡県第3区総支部の支部長に就いたため、退塾した。 2011年8月に元民主党高知県第3区総支部長の中山知意(現姓:大野、現・横浜市会議員)と結婚したが、後に離婚した。
松井 三郎(まつい さぶろう、1946年〈昭和21年〉10月… 松井 三郎(まつい さぶろう、1946年〈昭和21年〉10月6日 - )は、日本の政治家。 静岡県小笠郡大須賀町助役、静岡県庁生活文化部ワールドカップ推進室室長、静岡県庁総務部防災計画室室長、社団法人静岡県建設産業団体連合会専務理事、静岡県議会議員(2期)、掛川市長(3期)などを歴任した。 1946年10月6日、静岡県小笠郡掛川町(のちの掛川市)にて生まれた。掛川市立第一小学校、掛川市立東中学校を経て、静岡県立掛川西高等学校に進学した。高等学校卒業後は、上京して早稲田大学に進学し、政治経済学部の政治学科にて学んだ。 大学卒業後は、静岡県庁に入庁した。企画調整部の秘書課にて調整主幹を務めたのち、環境文化部の環境企画課にて企画調整主幹を務めた。
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - … 石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家、行政学者(専門は地方自治)。勲等は旭日大綬章。日本大学国際関係学部客員教授。「嘉延」の読みは「よしのぶ」が正式だが、「かえん」と呼ばれることもある。 静岡県知事(第49〜52代)、内閣府中央防災会議委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、全国知事会理事・災害対策委員会委員長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。 日本統治時代の台湾生まれ。両親はいずれも静岡県出身の日本人だが仕事の都合で台湾に滞在しており、石川は生後5年間を台湾で過ごした。1945年の終戦にともない、家族の故郷である静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)に引き揚げた。
大倉 重作(おおくら じゅうさく、1906年〈明治39年〉8… 大倉 重作(おおくら じゅうさく、1906年〈明治39年〉8月4日 - 1982年〈昭和57年〉5月7日)は、日本の政治家。位階は従五位。勲等は勲四等。 静岡県小笠郡千浜村議会議員、静岡県小笠郡千浜村助役、静岡県小笠郡千浜村長、静岡県小笠郡大浜町長、静岡県小笠郡大東町長(初~第3代)などを歴任した。 静岡県出身の政治家であり、静岡県小笠郡にて千浜村の村長を経て、大浜町の町長や大東町の町長を務めた。大東町においては全町農業構造改善事業を提唱し、全国的な注目を集めた。企業誘致や教育機関の整備などを積極的に推し進めたが、町長在任中に死去した。 1906年(明治39年)8月4日、静岡県小笠郡千浜村にて生まれた。
寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦… 寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦明治5年3月1日〉 - 1937年〈昭和12年〉1月22日)は、日本のジャーナリスト、政治家。雅号は斗南(となん)。 合資会社静岡新報社での勤務を経て、株式合資会社静岡新報社主筆、静岡市会議員、静岡県会議員、静岡県会議長(第24代)などを歴任した。 静岡県出身のジャーナリストである。静岡新報社で主筆を務めるなど、地域の論壇で重きをなしていた。その傍らで、静岡市会議員や静岡県会議員など政治家としても活動した。 1872年(旧暦明治5年3月1日)、浜松県城東郡、のちの静岡県小笠郡佐束村に該当する地域で生まれた。 1901年(明治34年)2月1日に静岡新報社に入社した。
角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1… 角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1月〉 - )は、日本の農家、政治家、銀行家。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられているため、角替 九郎平とも表記される。 静岡県小笠郡土方村会議員、静岡県小笠郡土方村長、株式会社内田銀行頭取などを歴任した。 静岡県小笠郡土方村で農業を営んでいたが、政治家に転身し土方村会の議員に就任した。さらに土方村の村長に就任するなど、公職を歴任した。その後、内田銀行の頭取に就任するなど、銀行家としても活動した。 1866年(旧暦慶応2年1月)に角替九郞次の長男として生まれた。静岡県小笠郡土方村で農業を手広く手掛けており、角替家は豪農として知られていた。
岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日〈元治元年… 岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日〈元治元年5月4日〉- 1934年〈昭和9年〉3月23日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の文部官僚、政治家。号は恭堂。 旧制山口高等学校(山口大学の前身の一つ)校長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、文部次官・大臣、東洋大学学長、大日本報徳社社長、産業組合中央会会頭、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。 遠江国佐野郡倉真村(現:掛川市)出身。東京府第一中学では、澤柳政太郎、狩野亨吉、松崎蔵之助、幸田露伴などが同期に当たる。大学予備門を経て、1887年(明治20年)7月、帝国大学文科大学哲学科(のちの東大文学部)卒業、大学院へ。 第二高等中学校教授を経て、1893年(明治26年)に文部省視学官。
波多野 承五郎(はたの しょうごろう、1858年12月29日… 波多野 承五郎(はたの しょうごろう、1858年12月29日(安政5年11月25日) - 1929年(昭和4年)9月16日)は、日本の実業家、政治家。帝国議会衆議院議員を務めた。慶應義塾出身で福澤諭吉の弟子。『時事新報』記者、慶應義塾評議員、三井銀行理事、玉川電気鉄道取締役。 次男は波多野元武(三井物産)で、その妻は瀬下清(三菱銀行会長)の三女克、子(孫)が犬養智子である。長女みねは草間時光(草間時福次男)に、次女花は松井春生に、三女春は富井恒雄(男爵富井政章四男)にそれぞれ嫁いだ。系譜は犬養家の係累を通して正田家や天皇家にもつながっている。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。
笠原 鯥太郞(かさはら むつたろう、1855年〈旧暦安政2年… 笠原 鯥太郞(かさはら むつたろう、1855年〈旧暦安政2年〉 - 1937年〈昭和12年〉)は、日本の政治家。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、笠原 鯥太郎(かさはら むつたろう)とも表記される。 静岡県城東郡来福村戸長、静岡県城東郡千浜村長などを歴任した。 遠江国出身の政治家である。静岡県城東郡においては来福村の戸長を経て、千浜村の村長に就任した。来福村と成行村との合併を推進するとともに、両村の対立の収拾に成功した。また、砂地の開拓を推進し、千浜村に豊かな畑地を齎したことでも知られている。 1855年(旧暦安政2年)、遠江国城東郡来福村にて生まれた。
河井 重藏(かわい じゅうぞう、1854年8月5日(安政元年… 河井 重藏(かわい じゅうぞう、1854年8月5日(安政元年7月12日) - 1925年(大正14年)1月26日)は、日本の政治家。河井 重蔵(かわい じゅうぞう)と表記されることもある。 静岡県会議員(2期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 1854年、遠江国佐野郡上張村にて生まれた。父である河井重高は上張村の庄屋であった。 静岡県会議員選挙に立候補し当選を果たし、2期に渡って務めた。在任中は、静岡県磐田郡佐久間村(のちの浜松市)にて発生した久根鉱山の鉱毒事件の解決に取り組んだ。この頃、足尾銅山にて同じく鉱毒事件の解決に取り組んでいた、政治家の田中正造と知り合う。1897年に足尾銅山を視察に訪れた際には、田中が案内役を買って出ている。
原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年… 原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年〉 - 1901年〈明治34年〉)は、日本の政治家、銀行家、歌人。雅号は寬岡。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、原川 孫九郎(はらがわ まごくろう)と表記されることもある。 静岡県城東郡小貫村戸長、静岡県城東郡佐束村村長(初代)、株式会社佐束銀行専務取締役などを歴任した。 遠江国出身の政治家である。小貫村においては戸長を務め、佐束村においては村長に選任されていた。佐束山への植林に尽力し、豊かな美林を育てた。また、銀行家としての一面も持っており、佐束銀行で取締役を務め、地域経済の振興に努めた。
靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元… 靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元年3月13日〉 - 1907年〈明治40年〉4月18日)は、日本の銀行家、政治家。姓の「靑」は「青」の旧字体であるがJIS X 0208に収録されていないため、新字体で青野 卯吉(あおの うきち)とも表記される。 株式会社土方銀行頭取、静岡県小笠郡土方村長などを歴任した。 遠江国出身の銀行家である。土方銀行で頭取を務め、地域振興に努めた。また、土方村においては村長に選任されていた。村境にある風吹峠が交通の難所となっていたため、これを解消すべく風吹トンネルの開通に尽力した。 1844年4月30日(旧暦弘化元年3月13日)、遠江国城東郡入山瀬村にて生まれた。
岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、天保10年10… 岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、天保10年10月21日(1839年11月26日) - 大正4年(1915年)1月1日)は、日本の農政家、報徳運動家、実業家、政治家、衆議院議員。遠江国報徳社社長、掛川信用金庫(現島田掛川信用金庫)創業者。 二宮尊徳の弟子として報徳思想の普及に尽力し、地域の振興に努めた。 遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)出身。雅号の淡山は、掛川にある粟ヶ岳(淡ヶ岳)にちなんでいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大倉 重信(おおくら しげのぶ)は、日本の政治家。財団法人大… 大倉 重信(おおくら しげのぶ)は、日本の政治家。財団法人大石徳四郎奨学財団理事長。 静岡県掛川市助役(初代)、静岡県掛川市市長職務執行者、静岡県小笠郡大東町長(第9代)、静岡県小笠郡大東町助役(第9代)、静岡県小笠郡大東町議会議長(第11代)などを歴任した。 静岡県小笠郡にて、大倉重作の長男として誕生する。重作は政治家であり、大浜町の町長として城東村との合併を成し遂げ、大東町の町長に就任した人物である。重作の薫陶を受け、重信も政治を志すようになる。 1982年5月7日、父である大倉重作が現職町長のまま死去した。後任の町長には、大東町議会議員だった神谷庄平が選出された。それにともない欠員が生じ、同年6月に大東町議会議員選挙が行われた。