小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日… 小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日 - )は、日本の政治家、実業家。滋賀県近江八幡市長(2期)。総務大臣政務官(第2次小泉内閣)、衆議院議員(2期)等を務めた。 滋賀県近江八幡市生まれ。母は薬屋をしていた。滋賀県立彦根東高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1983年、三菱重工業株式会社に入社。1991年に三井海上火災保険(現三井住友海上火災保険)に入社し、2000年に退職。同年より兄である小西哲衆議院議員の公設第一秘書を務める。 2001年、兄・哲の死去に伴う衆議院滋賀2区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、民主党新人の田島一成を破り、初当選した。当選後、橋本派に所属。
中江 滋樹 (なかえ しげき、1954年(昭和29年)1月3… 中江 滋樹 (なかえ しげき、1954年(昭和29年)1月31日 - 2020年(令和2年)2月20日)は、日本の元証券ジャーナリスト、相場師、実業家、詐欺師。元投資ジャーナル会長。滋賀県近江八幡市出身。 父親が証券会社の社員だった関係で小学生の頃から株を始め、中学生の頃にはすでに株の値動きを示す「チャート」を描いていた。滋賀県立彦根東高等学校時代から名古屋の投資顧問会社「三愛経済研究所」(犬塚芳嗣所長)の会員となり、投資を学ぶ。当時すでに信用取引をやっており、1000万円以上を稼ぎ出した。同級生の証言によると、株式市場の動向を聞くために短波放送のラジオを学校に持ちこみ、授業中もこっそりラジオを聞いて、株価をチェックし、当時は、インターネットや携帯電話のない時代で、休み時間には公衆電話に急いで走って行き、電話で株の売買注文を出していた。
林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実… 林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実業家。奈良生駒高速鉄道代表取締役社長、近畿日本鉄道株式会社専務取締役、土木学会理事。滋賀県近江八幡市出身。 1935年滋賀県近江八幡市生まれ。1953年近江兄弟社高等学校を卒業後、京都大学工学部土木工学科に入学。 1958年、近畿日本鉄道に入社。専務取締役を経て、1998年奈良生駒高速鉄道代表取締役社長に就任し、土木学会理事も務めた。
中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 200… 中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 2005年4月14日)は日本の実業家。ワコール創業メンバーで、同社副社長や、社団法人京都経済同友会代表幹事、京都証券取引所理事長を務めた。 滋賀県近江八幡市出身。八幡商業(現滋賀県立八幡商業高等学校)首席卒業を経て、横浜高等商業学校(現横浜国立大学)卒業、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。 学徒出陣で満州に渡る。シベリア抑留を経て、母校八幡商業で教鞭をとっていたところ、八幡商業の同級生塚本幸一にさそわれ、相学の先生からの託宣もあり、1949年にワコールの前身である和江商事に入社。1963年から1984年まで副社長を務め、同年取締役相談役に退く。
福永 兵蔵(ふくなが ひょうぞう、1904年10月〈明治37… 福永 兵蔵(ふくなが ひょうぞう、1904年10月〈明治37年〉 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の実業家。株式会社フクナガ創業者。リプトンの喫茶店を経営し、日本に紅茶を広めた人物とされ、「京都の紅茶王」として知られる[出典無効]。 滋賀県近江八幡市出身。地元の小学校から商業実習学校に入学。卒業後は五条の瀬戸物屋「萬珠堂」の貿易部で働き始める。 取引先であったイギリスのウォーカー商会からリプトン紅茶の喫茶店経営を薦められ、1930年に「リプトン本社直轄喫茶部 極東支店」(現:サー・トーマス・リプトン ティハウス)をオープン。日本で初めてのロイヤルミルクティーの提供や、ラジオ出演などで京都にリプトンの名を広める。
12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月1… 12代 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1870年7月11日(明治3年6月13日)- 1942年(昭和17年)11月17日)は、明治から昭和時代戦前の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。滋賀県蒲生郡八幡町長。西川甚五郎家山形屋12代、諱・嘉重。 滋賀県蒲生郡八幡町大杉町(現・近江八幡市大杉町)で、西川重威の長男として生まれた。1898年(明治31年)家督を相続した。大阪商業学校を卒業し、その後、東京の欧文正鵠学館(サンマー英学校)で学んだ。漢学は中村栗園、山本太造に師事した。 1902年(明治35年)以降、八幡町長、同町会議員、滋賀県会議員、大日本蚕糸会滋賀支会副会頭、同評議員などを歴任した。
伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1… 伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日)は、近江国出身の明治時代の実業家、第2代住友総理事である。 「別子銅山中興の祖」と言われ、「東の足尾、西の別子」と言われた、住友新居浜精錬所の煙害問題の解決にあたった。植林など環境復元にも心血を注ぎ、企業の社会的責任の先駆者とも言われている。 近江源氏佐々木氏支流伊庭氏の一族である。 1847年(弘化4年)、近江国蒲生郡西宿村(現・滋賀県近江八幡市)に伯太藩代官伊庭正人の長男として、母、北脇田鶴子の実家で生まれ、7歳まで母方の実家で育つ。幼名は耕之助。 八幡町の児島一郎に剣道を、西川吉輔に国学を学んだ。