才木 海翔(さいき かいと、2000年6月10日 - )は、… 才木 海翔(さいき かいと、2000年6月10日 - )は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 小学3年生の時に野球を始め、中学校時代は準硬式野球部でプレーした。 北海道栄高等学校では3年生時の全国高等学校野球選手権南北海道大会にベスト4となる。大阪経済大学に進学し、野球部では3年生の春から主戦投手を務めた。 2022年10月20日に行われたNPBドラフト会議では、オリックス・バファローズから育成ドラフト2位指名を受け、支度金350万円、年俸240万円で入団した。背番号は031。 2023年は、ウエスタン・リーグにて10試合に登板し、0勝0敗、防御率6.97を記録。
藤原 恭大(ふじわら きょうた、2000年5月6日 - )は… 藤原 恭大(ふじわら きょうた、2000年5月6日 - )は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 豊中市立原田小学校1年生の時に園和北フレンズで野球を始めた。豊中市立第五中学校時代は枚方ボーイズに所属し、小園海斗と共に全国優勝を経験。大阪桐蔭高等学校に進学すると、3年時には4番打者として甲子園春夏連覇の原動力となった。秋の高校日本代表にも2年連続で選出され、主砲として活躍した。大阪桐蔭時代の1学年上に徳山壮磨、泉口友汰、同級生に根尾昂、柿木蓮、横川凱、山田健太(2023年より日本生命)らがいる。 2018年10月25日に行われた2018年のドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガース、千葉ロッテマリーンズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。
宮本 丈(みやもと たけし、1995年4月3日 - )は、大… 宮本 丈(みやもと たけし、1995年4月3日 - )は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学2年で軟式野球を始めた。中学時代は遊撃手だったが、履正社高校では三塁手に転向し、1年秋からベンチ入りを果たした。2年春は第84回選抜高等学校野球大会で2回戦の愛工大名電高校戦に代打として出場するも、濱田達郎の前に三球三振を喫し、チームも大敗した。3年春も第85回記念選抜高等学校野球大会に出場し、2安打を放ったもののチームは1回戦で惜敗した。高校の2学年先輩には坂本誠志郎がいた。 奈良学園大学進学後は遊撃手に再転向し、1年春からレギュラーとなり、秋のリーグ戦では首位打者とベストナインのタイトルを獲得した。
張本 優大(はりもと まさひろ、1990年10月13日 - … 張本 優大(はりもと まさひろ、1990年10月13日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 豊中市立第十中学校時代は豊中リトルシニアに所属した。 菊華高等学校(愛知県)では2年秋の秋季愛知県大会で 、捕手として全試合に出場したが準決勝で東邦高等学校に敗れた。3年夏の甲子園予選は3回戦で本塁打を放ったが、岡崎商業に敗れた。 佛教大学では1年春から京滋リーグ戦に出場し、2011年・2年春には一塁手としてベストナインを獲得した。関西地区大学選手権では4試合を2点に抑える配球でチームの関西代表選出に貢献した。第42回明治神宮野球大会では5番・捕手として出場したが1回戦で愛知学院大学に完封負けした。
丸毛 謙一(まるも けんいち、1988年8月2日 - )は、… 丸毛 謙一(まるも けんいち、1988年8月2日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
若竹 竜士(わかたけ りゅうじ、1987年10月10日 - … 若竹 竜士(わかたけ りゅうじ、1987年10月10日 - )は、大阪府豊中市出身の野球選手(投手)。
藤岡 好明(ふじおか よしあき、1985年3月12日 - )… 藤岡 好明(ふじおか よしあき、1985年3月12日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投左打。 小学校で軟式野球、豊中第十五中学校では学校の部活で準硬式野球。宮崎日大高校では2年春に二塁手で九州大会優勝。同期に下園辰哉がいて2年秋の県大会決勝では下園が先発し、救援したが瀬間仲ノルベルト(日章学園高)に完投されて敗れた。続く九州大会では初戦で先発するも敗退。JR九州へ入社。樋口龍美や町豪将など、先輩に好投手が多かったため、入社当初は公式戦への登板機会に恵まれなかった。樋口が中日ドラゴンズ、町がオリックス・バファローズへ入団した2005年には、小松聖がエースとなり、公式戦では主に救援で起用。
山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は… 山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
井戸 伸年(いど のぶとし、1976年12月28日 - )は… 井戸 伸年(いど のぶとし、1976年12月28日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(外野手)。
塩屋 大輔(しおや だいすけ、1976年9月6日 - )は、… 塩屋 大輔(しおや だいすけ、1976年9月6日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)。
清水 章夫(しみず あきお、1975年9月9日 - )は、大… 清水 章夫(しみず あきお、1975年9月9日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
田中 由基(たなか よしき、1975年6月17日 - )は、… 田中 由基(たなか よしき、1975年6月17日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)。
元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )… 元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は… 浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球評論家、プロ野球解説者、アマチュア野球選手。 鳥取県に生まれ、大阪府豊中市(小学校時代)及び京都府(中学校時代)で育つ。小学校3年時から野球を始める。国士舘高校では内野手として活躍。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球リーグでは在学中7回の優勝を経験、2年春季リーグで新人賞を獲得している。1990年の大学野球日本選手権は決勝で亜大に敗退し準優勝。同年の第19回日米大学野球選手権大会に大学1年上の小坂勝仁、矢野輝弘らとともに選出される。1991年の大学野球日本選手権は、決勝で関大を延長17回の熱戦の末に降し初優勝を飾る。
米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は… 米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 遊撃手として強肩に定評があり、近鉄および阪神では捕手へのコンバートも検討された。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。 此花学院では遊撃手、1番打者として活躍。1985年、3年生時に夏の甲子園府予選準々決勝に進むが、KKコンビを擁するPL学園に敗れ甲子園出場はならなかった。高校卒業後は日本生命に入社。 1986年から都市対抗に出場、富士重工業との1回戦では本塁打を放って勝利に貢献するが、2回戦で金光興二らがいた三菱重工広島に敗退。 1987年と1988年には松下電器の補強選手として都市対抗に出場している。
渡辺 政仁(わたなべ まさひと、1967年7月14日 - )… 渡辺 政仁(わたなべ まさひと、1967年7月14日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手→外野手)。左投左打。
古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - )… 古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - ) は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、プロ野球監督。 太成高校では2年秋府大会ベスト8、3年夏は府大会ベスト4へ進出したが優勝する春日丘高校に敗れた。卒業後、1982年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。 1985年に一軍初出場を果たし、当時の近鉄捕手陣は10年以上に渡り、主戦であった梨田昌孝・有田修三の「ありなしコンビ」に衰えが見え始めた頃で、年齢が近い山下和彦・光山英和・古久保の3人で次世代の正捕手争いを繰り広げることになる。 1988年、優勝がかかった10月19日のロッテ戦ダブルヘッダー第1試合(川崎)に途中出場するも9回表2死から代打・梨田が起死回生の勝ち越し適時打を放ち、9回裏に梨田がそのままマスクを被ったが、その前の捕手が古久保であった。
奥田 敏輝(おくだ としてる、1949年1月2日 - 200… 奥田 敏輝(おくだ としてる、1949年1月2日 - 2006年9月14日)は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手。 大阪府立桜塚高等学校では2年秋からエース、主将となる。1966年夏の甲子園府予選では6試合完封、58.1イニング連続無失点を記録し、準決勝では大阪学院大高の江夏豊と投げ合い1-0で完封勝ち。しかし決勝は北陽高の橋本和行、園田喜則の継投の前に0-4で完封負け、甲子園出場を逸する。北陽高には中堅手の長崎慶一もいた。 1966年の一次ドラフト5位で阪神タイガースに入団。1968年から一軍で起用され、中継ぎで7試合に登板する。1969年にはウエスタン・リーグで15勝を挙げ、最多勝を獲得。しかし一軍では結果を残せず、1972年をもって退団した。
池島 和彦(いけじま かずひこ、1947年2月9日 - )は… 池島 和彦(いけじま かずひこ、1947年2月9日 - )は、大阪府豊中市出身(南河内郡河南町生まれ)の元プロ野球選手(投手)。 島上高校卒業後の1966年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース・星野仙一の陰に隠れがちであったが、次第に力を付け投手陣の双璧として活躍。実力では星野よりも上と評価されるようになり、4年次の1968年には春季・秋季リーグで3勝ずつ挙げる。 同年のドラフトで読売ジャイアンツから8位で指名されるが、肩の故障もあって拒否し、大学卒業後の1969年に三協精機へ入社。モーター製造三課に勤務する傍ら、明大の先輩である光沢毅監督の指導を受ける。明大時代はオーバースローの本格派右腕であったが、前述の肩の故障でスリークォーター気味の技巧派に転換。
坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 20… 坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 2014年1月28日)は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(外野手)。 1953年浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高等学校)に入学。投手から野手に転向し、2年生の1954年に右翼手として春の選抜に出場する。2回戦でこの大会に優勝した飯田長姫高のエース光沢毅に抑えられ敗退。翌1955年の春の選抜では「4番打者・中堅手」として出場。チームは順調に勝ち上がり、決勝戦で桐生高校と対戦。桐生高校監督の稲川東一郎は坂崎に対して勝負を避ける選択を取る。坂崎は2打席敬遠されたが、第3打席に桐生高エースの今泉喜一郎は勝負し、その打席で2点本塁打を放つ。結局、浪華商は延長11回にサヨナラ勝ちして、18年ぶり2回目の優勝を飾った。
森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり ま… 森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 読売ジャイアンツ(巨人)のV9時代に正捕手を担い、「V9の頭脳」の異名を取った。また引退後、西武ライオンズ監督時代に在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。 兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。 岐阜市立長森中学校出身。野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。