入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は… 入山 海斗(いりやま かいと、2000年5月26日 - )は、大阪府守口市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 守口市立八雲東小学校3年生から野球を始める。 守口市立第一中学校時代は守口シニアで外野手としてプレーしていた。 和歌山県立日高高等学校中津分校に進学すると、投手へと転向。主に中継ぎを務め、県大会準優勝を果たした。台湾遠征にも参加し、この時は143km/hのストレートを投げ、注目された。 その後、宮城県にある東北福祉大学へと進学。リーグ戦登板は1年生の時に1試合投げたのみであったが、ストレート、ポテンシャルといった部分をスカウト陣に評価される。 2022年10月20日に開催された同年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズより育成ドラフト3位で指名を受けた。
塩見 貴洋(しおみ たかひろ、1988年9月6日 - )は、… 塩見 貴洋(しおみ たかひろ、1988年9月6日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校時代に守口市佐太スポーツ少年団に所属して野球を始め、中学時代は守口シニアでプレー。当時は身長160cm足らずで主に外野手としてプレーしていた。 4歳上の兄が進学していた愛媛県の帝京第五高等学校へ進み、投手に転向。高校3年間で身長がおよそ20cm伸び、同時に球速も上がり県下屈指の左腕として注目された。3年夏には県ベスト8に入り、1回戦に13者連続含む打者16人から14個の三振を奪い、5回参考記録ながらノーヒットノーランを記録。 八戸大学(現:八戸学院大学)では「みちのくのドクターK」と呼ばれた。
木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、… 木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小中学生時代は守口リトル、守口シニアに所属した。 柏原高では3年夏の大阪府大会でベスト8まで進出した。近畿大学に進学。大学時代は、1学年上に西岡剛、同学年に山内嘉弘(元オリックス)と小松領平(元プリンスホテル)が主戦投手であったため、控え投手として過ごす。2年秋の明治神宮大会では2試合ともに救援で登板した。当時の松田博明監督の評価は「下半身が全く使えず、カーブばかり投げる投手」という手厳しいものであった。 大学卒業後は日本生命に入社。ここで投球フォームの修正と徹底的な下半身強化に着手。
永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 20… 永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 2003年4月1日)は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。 1970年の「黒い霧事件」にて八百長をしていたと証言し、池永正明らと共に永久追放処分とされた。 1942年元日に大阪府守口市で生まれる。大阪工業大学高等学校から電電近畿に入社し、1961年の都市対抗野球大阪大会に出場すると日本新薬戦でノーヒットノーランを達成した。1962年の第33回都市対抗野球大会1回戦(対日本ビール戦)に先発し、この試合では大会史上最長記録となる延長22回まで試合が進む。延長22回裏に一死から太田誠(のちに駒澤大学監督)にサヨナラ本塁打を被弾して敗戦投手となったが、この試合を完投した永易が投じた270球は2022年現在でも都市対抗野球の最多投球記録である。