大松 桂右(だいまつ けいすけ、1970年〈昭和45年〉2月… 大松 桂右(だいまつ けいすけ、1970年〈昭和45年〉2月5日 - )は、日本の政治家。本名は、山本 桂右(やまもと けいすけ)。大阪府八尾市長(2期)、大阪維新の会顧問。八尾市議会議員(4期)、八尾市議会議長(第68代)を務めた。 大阪府八尾市八尾木北生まれ、八尾市立曙川幼稚園、八尾市立曙川小学校、八尾市立曙川南中学校卒業。1985年(昭和60年)4月、八尾市に開校したばかりの私立「金光第一高等学校八尾学舎」(分校)に入学(1987年に独立校の「金光八尾高等学校」となる)。 1995年(平成7年)の統一地方選挙の1週間前、八尾市議会議員を務める父の大松銑太郎(山本銑太郎)が入院。銑太郎の選挙を手伝い、秘書を務める。
濱田 剛史(はまだ たけし、1964年〈昭和39年〉10月3… 濱田 剛史(はまだ たけし、1964年〈昭和39年〉10月30日 - )は、日本の政治家、弁護士、元検察官。大阪府高槻市長(4期)。父は音曲漫才師の暁照雄。 大阪府八尾市で出生。「暁照雄・光雄」(松竹芸能所属の音曲漫才コンビ)の一員として知られた実父(暁照雄)からは、演芸や芸能の世界ではなく、大学へ進学することを幼少期から勧められていたという。 実際には、興國高等学校から大阪経済法科大学の法学部へ進学。大学からの卒業後に、会社員を経て1993年の司法試験に合格した。司法修習を経て、1996年4月に検事に任官。大阪地方検察庁や東京地方検察庁に勤務した。2002年3月の退官を機に、弁護士として大阪弁護士会へ登録。
田中 誠太(たなか せいた、1956年(昭和31年)12月4… 田中 誠太(たなか せいた、1956年(昭和31年)12月4日 - )は、日本の政治家。大阪府八尾市長(3期)、大阪府議会議員(2期)、八尾市議会議員(3期)を務めた。 大阪府八尾市出身。八尾市立龍華小学校、八尾市立龍華中学校、近畿大学附属高等学校卒業。1979年、近畿大学商経学部経営学科卒業。1983年5月、八尾市議会議員選挙に初当選(3期連続、日本社会党)。1999年5月、大阪府議会議員選挙に初当選(2期連続、民主党)。 2007年、民主党を離党し大阪府議会議員を辞職する。同年4月22日、八尾市長選挙に無所属(民主党推薦)で出馬。自民党推薦の現職ら4人を破って初当選した。5月1日、市長就任。
柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月… 柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月10日 - 2007年〈平成19年〉7月6日)は、日本の政治家。大阪府八尾市長(第5代、2期)。大阪府議会議員(4期)、八尾市議会議員(3期)を務めた。 大阪府八尾市出身。明治大学農学部卒業。1961年(昭和36年)日本バルカー工業(現バルカー)に勤務。 1967年4月28日の第6回統一地方選挙で日本社会党から立候補。八尾市安中町を拠点に選挙運動を展開し、28歳で八尾市議会議員に初当選した。 以後、市議3期12年を務め、知名度をもとに1983年4月10日の第10回統一地方選挙で大阪府議会議員に鞍替えし初当選。以後、府議4期16年を務めた。
矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日… 矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日 - )は、日本の政治家、政治評論家。 衆議院議員(9期)、公明党委員長(第4代)、大阪府議会議員(1期)などを歴任した。位階勲章は旭日大綬章。 のちに、創価学会を脱会した。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 大阪府八尾市出身。大阪府立山本高等学校卒業。1953年(昭和28年)、創価学会に入会。当時は京都大学経済学部3回生だった。1955年(昭和30年)3月、同大学卒業。同年4月、大林組に就職。 1963年(昭和38年)の大阪府議会議員選挙に大阪市生野区選挙区から立候補し初当選。 1967年(昭和42年)1月29日に行われた第31回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から公明党公認で立候補し、トップで初当選を果たした。
久保田 鶴松(くぼた つるまつ、1900年10月15日 - … 久保田 鶴松(くぼた つるまつ、1900年10月15日 - 1984年1月12日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(10期)。元衆議院副議長。大阪府中河内郡高安村(現八尾市)出身。 1921年(大正10年)に大正動力供給に入り、大阪労働学校に学んだ後、1926年に日本労働組合総連合結成に参加、執行委員となる。戦後は社会党に入党。 大阪府議会議員(3期)を経て、1947年衆議院議員総選挙に旧大阪4区から日本社会党公認で立候補し初当選。左右分裂時は左派社会党に属した。党代議士会長などを経て、1960年12月7日衆議院副議長に就任したが、1961年6月8日に与党自由民主党から、「農業基本法案や政治的暴力防止法案等といった重要法案の審議にあたって清瀬一郎議長に協力しなかった」という理由で不信任決議案を提出され、賛成207票・反対150票で可決された後、辞任した。
乾 亀松(いぬい かめまつ、1858年3月7日〈安政5年1月… 乾 亀松(いぬい かめまつ、1858年3月7日〈安政5年1月22日〉 - 1925年〈大正14年〉12月23日)は、日本の政治家(衆議院議員、大阪府郡部選出、当選1回、立憲政友会)、篤農家。 河内国高安郡恩智村(大阪府中河内郡南高安村大字恩智、高安村を経て現八尾市)出身。喜一の長男。18歳の時に父が病没し、家督を相続する。 恩智村総代役、同村会議員、高安村会議員、中河内郡会議員、大阪府会議員・同議長、同参事会員、郡部会副議長に挙げられる。また水利築留樋連合会議員、学事委員、地押調査掛、地方森林会議員等となる。 1902年、八尾銀行監査役に就任。1909年、八尾銀行取締役に就任。住所は大阪府中河内郡南高安村大字恩智。