谷 浩一郎(たに こういちろう、1981年〈昭和56年〉10… 谷 浩一郎(たに こういちろう、1981年〈昭和56年〉10月24日 - )は、日本の政治家、オペラ歌手。参政党所属の衆議院議員(1期)。 大阪府東大阪市出身。大阪府立夕陽丘高等学校普通科を経て、大阪音楽大学大学院オペラ研究室を修了。関西歌劇団の公演「愛の妙薬」でデビューした後、暫くしてドイツに渡りマンハイム音楽大学を卒業。 オペラ歌手として舞台に立つほか、同志社女子大学嘱託講師、関西歌劇団理事、4つの合唱団の主宰などを務めた。 2022年春ごろに知人から参政党の神谷宗幣の演説の動画を受け取り、新型コロナワクチン批判や歴史認識などの主張に共鳴。豊中市在住であることから、2023年4月の豊中市議会議員選挙に参政党公認で立候補したが、公認候補者3人で共倒れの形になり落選。
森原 紀代子(もりはら きよこ、1980年〈昭和55年〉7月… 森原 紀代子(もりはら きよこ、1980年〈昭和55年〉7月23日 - )は、日本の政治家、総務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 大阪府東大阪市生まれ。四天王寺高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。シカゴ大学ハリス公共政策大学院修了。 修了後の2008年、総務省入省。総務省情報通信国際戦略局情報通信政策課、総務省情報流通行政局情報通信政策課を経て、2019年から国土交通省自動車局自動車情報課課長補佐に出向。 2021年総務省情報流通行政局郵政行政部企画課課長補佐。同年総務副大臣(中西祐介)秘書官、総務省大臣官房秘書課課長補佐。 2022年総務省情報流通行政局総務課課長補佐。同年退官し、スタートアップ企業に入社し、政策コンサルタントとして政策提言を実施し、太田直樹(内閣総理大臣(高市早苗)参与)のリサーチアシスタントとなる。
西野 修平(にしの しゅうへい、1972年12月25日 - … 西野 修平(にしの しゅうへい、1972年12月25日 - )は、日本の政治家。大阪府河内長野市長(1期)。元大阪府議会議員(6期)。 大阪府東大阪市出身。関西大学商学部卒業後、富士通株式会社に入社。 1998年、富士通を退社。翌1999年の大阪府議会議員選挙に河内長野市選挙区から立候補するが、惜敗。衆議院議員秘書を経て、2003年の府議選で初当選し、以後6期連続当選。 自由民主党に所属していたが、2010年3月に自民府議団を離れ、大阪維新の会に参加。 2017年10月、第48回衆議院議員総選挙大阪13区において日本維新の会の公認候補を支援せず、実兄の西野弘一元衆議院議員(無所属)を支援する意向を示し、兄を応援することが反党行為に繋がるとして、日本維新の会と大阪維新の会の両方を離党した。
琵琶 博之(びわ ひろゆき、1972年(昭和47年)- )は… 琵琶 博之(びわ ひろゆき、1972年(昭和47年)- )は元蘭越町議会議員。無所属。大阪府東大阪市出身。 太成高等学校、同志社大学法学部法律学科卒業。日本電信電話株式会社を退職後、ネットビジネス会社経営を経て2010年に北海道蘭越町に移住。新婚旅行で訪れたスイスの風景に憧れ、ニセコ・ヒラフが最も近いと感じたことによる。2011年4月に蘭越町議会議員選挙に立候補。移住半年、選挙活動は主にネットで行い選挙費用は約2000円という破格のものであったが、定数10人に対し10人しか立候補者がいなかったために初当選。現職町議会議員のまま大阪維新の会の維新政治塾に通い、2013年に北海道維新の会を設立する。
宗清 皇一(むねきよ こういち、1970年〈昭和45年〉8月… 宗清 皇一(むねきよ こういち、1970年〈昭和45年〉8月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。 復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官(菅義偉内閣)、大阪府議会議員(2期)、自由民主党大阪府支部連合会会長などを歴任。 1970年8月9日、大阪府東大阪市出身。大阪府立花園高等学校を経て、龍谷大学文学部文学科英文学専攻卒業。卒論テーマはアーサー・ミラーの『セールスマンの死』。学士(文学)の学位を取得。民間企業勤務を経て塩川正十郎(自由民主党代議士)事務所入り、塩川正十郎が第1次小泉純一郎政権で財務大臣に就任した際には公設秘書に起用されている。
松嶋 晃(まつしま あきら、1965年10月2日 - )は日… 松嶋 晃(まつしま あきら、1965年10月2日 - )は日本の政治家、部落解放運動家。前東大阪市市議会議員、部落解放同盟執行委員。まつしま晃とも表記する。 大阪府東大阪市長瀬町に生まれ育つ。1995年、東大阪市議会議員選挙で初当選し4期務める。2002年9月、第38代東大阪市議会副議長に就任。 部落解放同盟大阪府連合会蛇草支部特別執行委員、東大阪食肉連合会顧問、東大阪市人権長瀬地域協議会相談役。 タレントの松嶋尚美は従妹。
徳安 淳子(とくやす じゅんこ、1962年1月15日 - )… 徳安 淳子(とくやす じゅんこ、1962年1月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、兵庫県議会議員(5期)を務めた。 大阪府東大阪市出身。樟蔭高等学校、関西外国語短期大学卒業。日本生産性本部勤務を経て、室井邦彦参議院議員の公設秘書を務める。 2010年、兵庫県議会議員補欠選挙(尼崎市選挙区)で初当選し、以後5期務める。民主党に所属していたが、2014年1月に(旧)日本維新の会に移籍した。 2023年5月に行われた県議会の正副議長選では、前月の県議選での維新の躍進を受け、副議長に選出された。同議会では半世紀以上にわたり自民党が正副議長ポストを独占しており、非自民の副議長は1965年以来58年ぶり。
長尾 淳三(ながお じゅんぞう、1952年〈昭和27年〉3月… 長尾 淳三(ながお じゅんぞう、1952年〈昭和27年〉3月15日 - )は、日本の政治家。大阪府東大阪市市長(第10・12代)で、政令指定都市や中核市で初の日本共産党員市長。共産党市議の父の地盤を世襲した「共産党のエリート」で東大阪市議会議員(5期)など務めた。 東大阪市出身、大阪府立八尾高等学校卒業。静岡大学を卒業後、共産党系大阪民主新報の記者となる。 1979年(昭和54年)日本共産党の東大阪市議3期12年を務めた父、長尾一郎の後継として、9月23日に執行の東大阪市議選に日本共産党公認で立候補し、得票率1.73%(得票数3,756)22位で初当選(議員定数56)。以後5期18年間、同党市議団幹事長なども務めた。
大倉 三郎(おおくら さぶろう、1897年〈明治30年〉11… 大倉 三郎(おおくら さぶろう、1897年〈明治30年〉11月16日 - 1982年〈昭和57年〉10月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 大阪府中河内郡布施町(現東大阪市)出身。旧制八尾中学中退。布施町議を務める。1935年(昭和10年)9月25日に大阪府会議員に当選して1939年(昭和14年)9月24日に退任した。そのほか布施市議となる。また、1937年(昭和12年)6月11日から1938年(昭和13年)8月1日までと、1939年(昭和14年)12月12日から1942年(昭和17年)6月15日まで初代及び第3代同市会議長を務めた。同年の第21回衆議院議員総選挙で大阪5区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
岩崎 幸治郎(いわさき こうじろう、1874年(明治7年)4… 岩崎 幸治郎(いわさき こうじろう、1874年(明治7年)4月6日 - 1946年(昭和21年)1月9日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 大阪府河内郡、のちの中河内郡英田村(河内市を経て現東大阪市)に岩崎九郎平の四男として生まれる。1898年(明治31年)、弁護士試験に合格。1900年(明治33年)よりドイツに留学して、1904年(明治37年)にライプツィヒ大学を卒業し、法学博士の称号を得た。帰国後、弁護士のほか、関西大学講師も務めた。1908年(明治41年)に横浜地方裁判所判事に任命され、東京控訴院判事を経て、1911年(明治44年)には元田肇拓殖局総裁の秘書官に就任したが、翌年に官を辞した。
岩崎 安治郎(いわさき やすじろう、1855年1月24日(安… 岩崎 安治郎(いわさき やすじろう、1855年1月24日(安政2年12月17日)- 1919年(大正8年)4月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 河内国河内郡、のちの大阪府中河内郡大戸村(石切町、枚岡市を経て現東大阪市)出身。農業を営む。大戸村会議員、中河内郡会議員、同議長、大阪府会議員、中河内郡教育会副会長となる。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において大阪府郡部から中央倶楽部公認で立候補してトップ当選した。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1919年に死去した。
西野 弘一(にしの こういち)は、日本の政治家。大阪維新の会… 西野 弘一(にしの こういち)は、日本の政治家。大阪維新の会所属の大阪府議会議員(通算6期)。衆議院議員(1期)、次世代の党幹事長代理などを務めた。大阪府東大阪市出身。 大阪府東大阪市生まれ。東大阪市立岩田西小学校、清風中学校・高等学校を経て、中央大学法学部卒業。 衆議院議員秘書を経て、2006年(平成18年)8月の大阪府議会議員補欠選挙(東大阪市選挙区)に初出馬で当選。 当選後、自由民主党大阪府議会議員団に所属していたが、2010年3月24日、橋下徹大阪府知事の主張する大阪空港(伊丹空港)の廃港について、橋下知事を支持する別会派「自由民主党・維新の会」(後の大阪維新の会)の決議案に賛成した。さらに「大阪府と大阪市の再編構想(後の大阪都構想)」にも賛同しており、弟の西野修平府議とともに自民党府議団から離団し、自民党籍を残したまま新グループ「ひとつの大阪」を結成。