山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 -… 山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた。 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。
西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は… 西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。
平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和… 平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 小学校2年生のときに野球を始める。中学校では粉河シニアに所属した。帝京五高に入学後、投手へ転向。2年夏に愛媛大会決勝に進出。2回戦の対新居浜東高戦ではノーヒットノーランを記録。準々決勝の今治西高戦では延長10回1失点完投勝利。決勝は左太もも肉離れもあり[要出典]、済美高に大敗を喫した。 3年夏は2回戦の対北条高戦で13奪三振を記録するなど力投した。準々決勝で秋山拓巳を擁する西条高と対戦し、被安打12、7四球、8失点で敗退した。 2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから4位指名を受ける。
坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は… 坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は、和歌山県那賀郡打田町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は… 益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は… 小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は、和歌山県那賀郡那賀町(現紀の川市)出身の高校野球指導者。智辯学園高等学校(奈良県五條市)・硬式野球部監督。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
薮上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は… 薮上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山… 土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山県那賀郡池田村(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手。 1956年に那賀高校から大阪タイガースに入団。当時は貴重な左腕で1958年に20試合に登板し2勝を挙げた。しかし、その後は精彩を欠き1962年高井良一男と共に、飯尾為男・福塚勝哉との2対2の交換トレードで毎日大映オリオンズに移籍。移籍後の登板はほとんどなく、1963年に退団した。
伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1… 伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1996年7月26日)は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(捕手)。 粉河中学を卒業後、1940年にライオン軍(1941年から朝日軍)へ入団。新人ながら正捕手・広田修三の控えとして49試合に捕手として出場し、1941年・1942年は正捕手を務めた。42年暮れに応召。戦後の1946年に旧朝日軍の選手が独立してゴールドスターを立ち上げる中、伊勢川は旧朝日軍の流れを汲むパシフィックに参加する。ここでも引き続き正捕手を務め、1946年は打率.230(リーグ37位)ながら、主砲の森下重好(54打点)に次ぐ51打点を挙げ、1947年は打率.257(リーグ19位)を記録している。