門 博文(かど ひろふみ、1965年〈昭和40年〉8月18日… 門 博文(かど ひろふみ、1965年〈昭和40年〉8月18日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官を歴任。ウナギ料理店「峠のうなぎ 美しま」店主。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立笠田中学校、和歌山県立笠田高等学校、和歌山大学経済学部経営学科を経て、松下興産に入社。2006年からは松下興産が開発したホテル・リゾートの運営会社ロイヤルパインズの社長を務めた。 2011年に自由民主党和歌山県第一選挙区支部長に就任したのち、2012年の第46回衆議院議員総選挙で和歌山1区に自由民主党から出馬。民主党の岸本周平に300票差で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活、初当選した。
川崎 博也(かわさき ひろや、1954年8月4日 - )は、… 川崎 博也(かわさき ひろや、1954年8月4日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼所元代表取締役社長。第31代神戸商工会議所会頭。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立笠田中学校、和歌山県立笠田高等学校を卒業。1980年、京都大学大学院工学研究科修了、神戸製鋼所に入社。2001年IPP本部建設部長、2002年加古川製鉄所設備部長、2007年執行役員、2010年常務執行役員、2012年専務執行役員を経て、2013年代表取締役社長、2016年代表取締役会長兼社長に就任。2018年、検査データ改竄問題に対する責任を取り退任。現在は神戸製鋼所特任顧問。2022年11月より神戸商工会議所第31代会頭に就任。
平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年〈昭和24年〉3月1… 平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年〈昭和24年〉3月19日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 内閣官房長官(第77代)、文部科学大臣(第16代)、衆議院安全保障委員長・国土交通委員長・懲罰委員長、衆議院議員(7期)、民主党国会対策委員長(第17代)、民進党副代表、同国会対策委員長(第4代)、旧国民民主党総務会長(初代)、同幹事長(第2代)、立憲民主党代表代行(筆頭・党務総括、初代)兼選挙対策委員長(初代)、雄志会会長(初代)を歴任した。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立妙寺中学校、和歌山県立笠田高等学校、中央大学理工学部電気工学科卒業。1971年、大学を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に入社。
池田 和歌子(いけだ わかこ、1942年6月19日 - )は… 池田 和歌子(いけだ わかこ、1942年6月19日 - )は、日本の女優、声優。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。出生は大阪市西成区。 和歌山県立伊都高等学校卒業。 高校在学中にNHK大阪放送劇団ORTに入団し、高校卒業後の1961年、浪花千栄子の推薦でNHK大阪演技研究所に入所する。卒業後、同期生と「テアトル・ラディー」を結成し、その後は、大宝芸能、東京俳優生活協同組合、オフィス・ほうせいなどに所属していた。 『華岡青洲の妻』(NTV)では水谷八重子と南田洋子に対する名手弁の指導役も兼ねて役を貰っている。 1974年にアニメ作画監督のアベ正己と結婚。結婚後の1975年、「群六舎プロ」を設立して役員となった。
小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7… 小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7日 - )は、日本の俳優である。本名は、「こばやし としじ」。 身長180cm、血液型はA型。鈍牛倶楽部所属。かつらぎ町観光大使。和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高等学校卒業。 長男に小林健、長女に小林千晴。 父親は洋服の仕立て職人。母親と10歳年上の兄が居た。猛勉強をし、国立の和歌山大学教育学部附属中学校に入り、1時間かけて通学していた。この学校を受験した理由は、当時恋愛に憧れを持っていた小林に友達が「あのな、和歌山大学(学芸学部)附属中学に通う女の子はかわいいらしいで」と耳打ちしたことにより、心底行きたいと思ったからで、通学時も歩きながら勉強していたという。
門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月1… 門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月19日)は、日本の政治家。位階は正五位。旭日中綬章受章。 自由民主党所属。和歌山県議会議員 (10期)、同議長、同副議長を歴任。元衆議院議員・門博文の父。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高校卒業。1975年 和歌山県議会議員選挙で初当選。1986年7月から翌年4月まで県議会副議長。 1989年7月 西本長浩の後任として県議会議長に就任。1990年7月 岸本光造を後任として議長を退任。2003年和歌山県議会議員選挙では伊都郡選挙区 (定数3) でトップ当選。 2007年和歌山県議会議員選挙では同選挙区 (定数2) で無投票当選。
玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年… 玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年9月 - )は、日本の実業家、艶福家。タイやカンボジアで多くの女性を囲い込んでいたことで知られる。 和歌山県かつらぎ町出身。1956年に大阪経済大学を卒業後、和歌山相互銀行に就職。1964年に砂利会社に転職して一時は社長を務めるものの砂利不足で会社が解散、別の砂利会社に転職したものの退職している。 1968年頃からタイに渡るようになる。1973年段階では、永住ビザの申請を試みていた。1972年、チエンマイ県で多数の少女を囲い込んでいることが日本の週刊誌で報道され内外で批難にさらされる。当時のタイでは学生らによる反日運動が激化していたことも問題を複雑化させた。
西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )… 西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月… 山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月7日 - 2003年〈平成15年〉7月7日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、女性史研究家。 本名・フジヱ(旧姓・岡村)。筆名に露木 陽子(著書節、再話・翻訳節参照)。夫は児童文学作家、詩人の山本和夫。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 和歌山県伊都郡笠田村(現・かつらぎ町)生まれ。高等女学校を経て東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業。卒業後は神奈川高等女学校(現・神奈川学園中学校・高等学校)の教諭を務め、のちに結婚退職した。 1977年『細川ガラシャ夫人』で産経児童出版文化賞受賞。 子ども向けの伝記、海外作品の再話・翻訳した著作を多く物するとともに、とりわけ日本史上の女性の生涯の執筆に意を注いだ。
松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 19… 松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 1993年2月10日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。 1904年、和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。1922年和歌山県立和歌山商業学校卒、1925年山口高等商業学校卒業、同年歩兵第8連隊入営、1927年青島学院商業学校教諭、1929年大日本帝国陸軍少尉、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。金融論の井浦仙太郎ゼミ出身で、本科2年時に、論文「戦時戦後におけるわが国為替相場変動の研究」が鳳聚会二等上席に入選し出版される。 大学卒業後は彦根高等商業学校金融論担当助教授就任が一旦決まったが、その後担当が専門外の原価計算及び簿記と変わり、辞任も考えた末以降会計学専攻に転じて高瀬荘太郎に師事し同職を務めた。
天牛新一郎(てんぎゅう しんいちろう、1892年11月25日… 天牛新一郎(てんぎゅう しんいちろう、1892年11月25日 - 1991年6月2日)は、明治時代後期から昭和時代の古書店主。 和歌山県伊都郡見好村(現・かつらぎ町)で生まれる。 1907年(明治40年)、大阪ミナミの二ツ井戸で露店の古本屋を始め、1915年(大正4年)、日本橋南詰東半丁で天牛書店を開店する。その後、古書店としては他に見られない品ぞろえと確かさで近畿在住の文化人の定評を得て、大阪府古書籍協同組合理事などを歴任し、1972年(昭和47年)に大阪産業功労賞、1974年(昭和49年)には大阪文化賞を受賞する。
木下 伊平(きのした いへい、前名・辨一郎、1872年〈明治… 木下 伊平(きのした いへい、前名・辨一郎、1872年〈明治5年〉2月 - 没年不明)は、日本の農民、林業家、資産家、和歌山県多額納税者。族籍は和歌山県平民。 和歌山県伊都郡妙寺町中飯降(現・かつらぎ町)出身。木下伊平の長男。居村小学校卒業、自助私学校卒業。 1904年、家督を相続し前名・辨一郎を改める。祖業を継ぎ農業、林業を営み、県下の多額納税者である。1937年、退隠する。 県下有数の山林業者である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。趣味は茶道、生花。住所は和歌山県伊都郡妙寺町大字中飯降(現・かつらぎ町)、京都市上京区丸太町橋西詰南入。 木下家は和歌山県妙寺町の資産家で、数代以前迄は屋号を「木綿屋」と称し木綿商を営んだが、その後これを廃して植林を営み農業に従事する。
森田 庄兵衛(もりた しょうべえ、1862年11月12日(文… 森田 庄兵衛(もりた しょうべえ、1862年11月12日(文久2年9月21日)- 1924年(大正13年)11月5日)は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国伊都郡丁ノ町村(和歌山県伊都郡妙寺村、妙寺町を経て現かつらぎ町)で、酒造業・森田正治の長男として生まれる。1879年(明治12年)に上京して慶應義塾で学び、1882(明治15年)に帰郷した。父の隠居に伴い1883年(明治16年)4月に家督を相続した。 その後、英語、数学、漢学、修身、習字を教授する伊都郡自助私学校を設立し、夜間部も設け、英語教師に英文学者河島敬蔵を招き、地域の子弟の育成に貢献したが、1887年(明治20年)に閉校した。
望月 右内(もちづき うない、1858年7月2日(安政5年5… 望月 右内(もちづき うない、1858年7月2日(安政5年5月22日)– 1917年(大正6年)1月28日)は、明治・大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 紀伊国伊都郡、のちの和歌山県伊都郡見好村(現かつらぎ町)で、豪農・望月嘉八郎の長男として生まれる。上田釆女の塾で学んだ。 1873年(明治6年)第四大区五小区役場書記に就任。その後、兄井村総代、兄井・三谷・寺尾・平沼田・皮張五カ村戸長、伊都郡書記を歴任。1883年(明治16年)6月、補欠選挙で和歌山県会議員に選出され、1884年(明治17年)寺尾村外十三カ村戸長に就任したため県会議員を退任。1886年(明治19年)補欠選挙で県会議員に再選され、その後1888年(明治21年)、1892年(明治25年)に再選され、1894年(明治27年)3月に辞任するまで在任。