浜田 台児(はまだ たいじ、旧字体: 濱田 臺兒、1916年… 浜田 台児(はまだ たいじ、旧字体: 濱田 臺兒、1916年(大正5年)11月15日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、鳥取市出身の日本画家。本名は浜田 健一(はまだ けんいち)。 鳥取県気高郡正条村(現・鳥取市気高町浜村)に生まれる。伊東深水、橋本明治に師事する。1935年(昭和10年)、19歳の時に深水に入門、日展に出品を重ねる。鮮明な色彩による人物・花鳥画を得意とする。1975年(昭和50年)日展文部大臣賞、1980年(昭和55年)日本芸術院賞受賞、1989年(昭和59年)日本芸術院会員。日展顧問。1990年(平成2年)気高町名誉町民。 画集に『浜田台児画集』(邦画会、1961年)がある。
前田 直衞(まえだ なおえ、1915年(大正4年)4月28日… 前田 直衞(まえだ なおえ、1915年(大正4年)4月28日 - 2008年(平成20年)12月23日)は、日本の日本画家。京都の町屋造りの老舗を描いた「京の老舗」シリーズで知られる。
伊谷 賢蔵(いだに けんぞう、明治35年(1902年)2月2… 伊谷 賢蔵(いだに けんぞう、明治35年(1902年)2月23日 - 昭和45年(1970年)3月27日)は、鳥取県鳥取市出身の洋画家、書家。人類学者・霊長類学者の伊谷純一郎は息子。 伊谷平蔵の二男として、鳥取市川端に生まれる。 大正13年(1924年)京都高等工芸(現京都工芸繊維大学)を卒業後、同校研究室と関西美術院で洋画の研究に専念し、そのころ黒田重太郎に師事した。 大正14年(1925年)春陽会、翌年二科展に入選し、以後、昭和18年(1943年)の二科展解散まで出品を続け、その間に二科会員となった。 昭和14年(1939年)に従軍画家として北支戦線に派遣され、翌年から華北交通嘱託として計6回中国を訪問。
井江 耕宗(いえ こうそう、明治23年〈1890年〉 - 昭… 井江 耕宗(いえ こうそう、明治23年〈1890年〉 - 昭和42年〈1967年〉)とは、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。 尾形月耕の門人で本名は宗市。耕宗と号す。鳥取県勝谷村今市(現在の鳥取市鹿野町今市)に井江藤三郎の子として生まれる。明治36年(1903年)、14歳のときに上京し月耕の内弟子となり、美人画や人物画を学んだ。月耕から風景、花木、鳥獣の写生をするよう勧められ、西日本各地を回る。昭和2年(1927年)から昭和5年にかけては朝鮮京城(現ソウル)に滞在し画家としての生活を送った。その後東京に帰ったが、再び朝鮮や中国、九州、鹿野など各地を漫遊しながら絵を描く。昭和30年(1955年)ごろ鹿野町に滞在し、絵筆を振るったのが画家生活の終わりであったといわれる。
菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 … 菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 - 昭和38年(1963年)9月4日)は、日本画家。鳥取県鳥取市出身。本名は藤太郎。号は、初め盛虎、のち静湖、静香。大阪美術会会員。大阪市名誉市民、倉吉市名誉市民。浪速の風俗を愛し「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜、はんなりとした情趣ある浪速風俗画で「最も大阪らしい画家」と呼ばれた。 明治11年(1878年)、鳥取市で菅大治郎(画号・盛南)の長男として生まれる。本名は藤太郎。父は元倉吉藩士の日本画家であり、塩川文麟の門下で岸派を折衷したという。5歳頃まで、父母の郷里・倉吉で過ごす。陶器の絵付を指導する父と共に姫路、ついで赤穂へ転居。明治14年(1881年)、京都へ向かう途中大阪の身内に引き留められ、ここに住むことになる。
河村 芳舟(かわむら ほうしゅう、明治12年(1879年) … 河村 芳舟(かわむら ほうしゅう、明治12年(1879年) - 昭和38年(1963年)は、日本画家。鳥取県邑美郡今町(現・鳥取県鳥取市)出身。 河村鉄二郎の二男として生まれる。名は正吉。 早くから狩野派の画法を学び、のちに東京に出て、狩野派の橋本雅邦の門に入る。兄弟子に川合玉堂がいた。 大正12年(1923年)、鳥取市掛出町の妙円寺本堂の左右それぞれ3枚の襖に半年を費やして墨絵の大作を描いている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。