広田 一恭(ひろた かずやす、1958年〈昭和33年〉7月1… 広田 一恭(ひろた かずやす、1958年〈昭和33年〉7月1日 - )は、日本の政治家。鳥取県倉吉市長(2期)。戸籍上の表記は「広」を旧字体にした廣田 一恭だが、公文書では常用漢字の「広」を用いた上記の「広田 一恭」表記を採用している。 鳥取県倉吉市出身。1977年、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1982年、上智大学理工学部卒業。同年、鳥取県天神川流域下水道公社に採用。1986年、鳥取県庁に入庁。2016年、生活環境部長。2017年、県中部総合事務所長。2019年に県庁を退職し、6月に鳥取県環境管理事業センター理事長に就任した。 2021年10月「倉吉市民に恩返しがしたい」と、翌年の倉吉市長選挙出馬を表明し、12月に県環境管理事業センター理事長を退職。
石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8… 石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8月8日 - )は、日本の政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)。 鳥取県倉吉市出身。1968年(昭和43年)3月、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、大阪市立大学法学部卒業。 1979年(昭和54年)10月、鳥取県庁に入庁。2000年(平成12年)8月、境港管理組合事務局長に就任。2009年(平成21年)4月、県営病院事業管理者に就任。 2010年(平成22年)3月28日に行われた倉吉市長選挙に立候補し初当選。2014年(平成26年)の市長選は無投票で再選。2018年(平成30年)、3選。 2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した。
早川 忠篤(はやかわ ただあつ、1907年〈明治40年〉8月… 早川 忠篤(はやかわ ただあつ、1907年〈明治40年〉8月18日 - 1969年〈昭和44年〉4月27日)は、日本の地方政治家。鳥取県倉吉市の初代市長。戦後の地方自治体建設と都市文化形成に尽力し、モダニズム建築による市庁舎建設や将来志向の都市構想を推進したことで知られる。 鳥取県東伯郡上小鴨村(現・倉吉市)出身。1926年(大正15年)倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)卒業。1933年(昭和8年)より倉吉町議会議員を務め、1947年(昭和22年)には鳥取県議会議員に選出。1951年(昭和26年)に倉吉町長に就任し、1953年(昭和28年)10月の市制施行により倉吉市の初代市長に選出された。
山枡 儀重(やまます のりしげ、1889年(明治22年)4月… 山枡 儀重(やまます のりしげ、1889年(明治22年)4月24日 - 1937年(昭和12年)12月25日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、教育者。
門田 定蔵(定藏、かどた さだぞう / ていぞう、1886年… 門田 定蔵(定藏、かどた さだぞう / ていぞう、1886年(明治19年)7月1日 - 1962年(昭和37年)1月12日)は、明治末から昭和期の農民運動家、政治家。参議院議員。 鳥取県久米郡中江村(上北条村、東伯郡上北条村中江を経て現倉吉市)の農家に生まれる。小学校卒業後、農業に従事し作物改良に尽力した。1917年(大正6年)上北条小作組合を設立して農民運動に加わった。1925年(大正14年)上日小作連合会、1927年(昭和2年)東伯小作聯合会を組織して同会長に就任し、地主側との小作料減額の交渉を進めた。1929年(昭和4年)暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の嫌疑により逮捕され、懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受けた。
山口 嘉蔵(嘉藏、やまぐち かぞう、1865年4月9日(慶応… 山口 嘉蔵(嘉藏、やまぐち かぞう、1865年4月9日(慶応元年3月14日)- 1943年(昭和18年)8月4日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・蔵合。 伯耆国久米郡倉吉宿堺町五軒屋(鳥取県久米郡倉吉町、東伯郡倉吉町を経て現倉吉市堺町)で、蔵合家に生まれる。家が貧しく、丁稚として働いていたが、1885年(明治18年)に出奔して大阪に向かった。何も当てがなかったが、偶然に実業家・山口玄洞と出会ってその手代として働いた。その働きが認められ番頭になり、1892年(明治25年)7月、先代・山口玄洞の養子となりその長女ますと結婚して山口に改姓した。 1895年(明治28年)洋織物商を営み成功し、日本毛織監査役、東洋製鋼所取締役社長、大日本窯業取締役、日本機械製造取締役、山陰紡織取締役、倉吉紡績取締役、長門起業炭礦取締役などを務めた。
西谷 金蔵(金藏、にしたに きんぞう、1858年9月24日(… 西谷 金蔵(金藏、にしたに きんぞう、1858年9月24日(安政5年8月18日)- 1933年(昭和8年)12月15日)は、明治から昭和初期の大地主・実業家・政治家。衆議院議員、鳥取県東伯郡北谷村長。幼名・亀吉。「西金」と称され鳥取県政界の指導的存在であった。 伯耆国久米郡、のちの鳥取県久米郡北谷村(東伯郡北谷村を経て現倉吉市)で、大地主、庄屋・西谷萬市の長男として生まれる。1884年(明治17年)1月、家督を相続し金蔵に改名。漢学を修めた。農業を営む。 1879年(明治12年)三徳ほか21ヵ村戸長に就任。北谷村長、北谷村会議員、同議長、東伯郡会議員、同議長、数郡連合会議員、郡会大地主議員、衛生会委員、学務委員、徴兵参事員、所得税調査委員、日本赤十字社委員などを務めた。
桑田 藤十郎(くわだ とうじゅうろう、1852年7月12日(… 桑田 藤十郎(くわだ とうじゅうろう、1852年7月12日(嘉永5年5月25日)- 1905年(明治38年)8月25日)は、幕末から明治時代の素封家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・安之助。 伯耆国久米郡倉吉宿魚町(鳥取県東伯郡倉吉町字魚町を経て現倉吉市魚町)で、先代・桑田藤十郎の子として生まれる。生家の当主は代々藤十郎を通称し、父の死去に伴い15歳で家督を相続し藤十郎を襲名した。 1881年(明治14年)学務委員に就任し、町立成徳小学校校舎の新築に当たり資金を提供した。1882年(明治15年)久米郡会議員に就任し、さらに、鳥取県会議員、所得税調査委員などを務めた。 中等教育機関・山陰義塾の設立に係わった。