井手上 漠(いでがみ ばく、2003年〈平成15年〉1月20… 井手上 漠(いでがみ ばく、2003年〈平成15年〉1月20日 - )は、日本のタレント、ジェンダーレスモデル、メイクアップアーティスト。島根県隠岐郡海士町出身。ディスカバリー・ネクスト所属。 2003年(平成15年)1月20日、男性として出生。母によれば昔は男の子であったが、幼少期に出席した結婚式で花嫁のウェディングドレス姿に一目惚れして以来、女の子らしいものに興味を示すようになる。自身ではそれが自然体であったが、自身と周囲の見解との間にギャップがあることに気づき、思い悩み、葛藤したこともある。しかし、家族は井手上の個性を否定や拒絶することなく、常に尊重したことが力となっていたという。 海士町立海士中学校3年に在学中、自分が自分らしくあるためにはどのように心を保ち振る舞えばよいのか思慮した経験を元に、作文『カラフル』を書き綴った。
大江 和彦(おおえ かずひこ、1959年〈昭和34年〉 - … 大江 和彦(おおえ かずひこ、1959年〈昭和34年〉 - )は、日本の政治家、元地方公務員。島根県隠岐郡海士町長(3期)。 島根県隠岐郡海士町生まれ、同町育ち。島根県立隠岐島前高等学校を卒業後、大阪の専門学校で建築を学ぶ。本土の工務店に勤務し、民間企業での経験を積んだ後に島へ帰郷。 1985年(昭和60年)、海士町役場に入庁。地産地商課長や産業創出課長などを歴任した。産業創出課長時代には、前町長・山内道雄の強力なリーダーシップのもとで島の新産業創出を主導。CAS(セル・アライブ・システム)急速冷凍技術を導入した「いわがき春香」の養殖・販路開拓、加工なまこの海外輸出支援、「隠岐牛」のブランド化などを次々と成功させ、全国的な注目を集めた。
ながい のりあき(本名:長井 紀昭、1953年7月1日 - … ながい のりあき(本名:長井 紀昭、1953年7月1日 - )は、日本の漫画家。島根県隠岐郡海士町出身。血液型はO型。主に小学館の児童向け雑誌などで執筆。 代表作は、『月刊コロコロコミック』などに連載されたサッカー漫画『がんばれ!キッカーズ』、ウェブコミックにもなった『男たちの好日』など。 子供の頃は『週刊少年ジャンプ』を読み、ちばあきお、ちばてつやが好きだった。法政大学合格を機に上京。漫画研究会に入ったのがきっかけで漫画を描き始めるも、卒業後は会社に就職。3年勤めた会社を辞め、漫画家の道を本格的に志すようになる。 何度も出版社に持込を続け、『少年ジャンプ』にてギャグ漫画でデビューも後が続かず、1980年、27歳の時に『月刊コロコロコミック』にて『GOGOゴロー』で第2回藤子不二雄賞佳作を受賞。
宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 198… 宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 1982年7月8日)は、島根県隠岐郡海士町出身の作詞家。放送劇やコント、随筆、シナリオ等も執筆。 1913年、隠岐諸島で生まれる。父は小学校長。島根師範学校(現在の島根大学)に入学するが肺結核を病み中退。完治した後、島根県立商船水産学校(現在の島根県立隠岐水産高等学校)製造科に編入学した。商船水産学校在学中に取材のために隠岐を訪れた西條八十を父が案内したことから交流が生まれ、西條が主宰する詩謡雑誌「蝋人形」に投稿するようになる。1932年、玉造温泉の新民謡公募に応募した「玉造小唄」が一等入選し、本格的に作詞家としての活動を開始。商船水産学校を1933年3月に卒業した後は、兵庫県庁に勤めた。
中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 19… 中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 1982年11月7日)は、昭和時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)初代会長。全日本海員組合組合長。 島根県海士郡海士村(現隠岐郡海士町)生まれ。1918年布施小学校高等科中退。1920年大阪に出て町工場で働いた後、1921年万世丸水夫見習を皮切りに海員生活に入る。1928年社会民衆党に入党。1933年日本海員組合に加盟。1934年日本海員組合革正同盟に加わり、1935年新日本海員組合結成に参加、大阪支部長。1945年8月海員組合創立準備会の設立を経て、同年10月全日本海員組合結成に参加。1946年8月から9月の人員整理反対闘争で主流派(右派)と中央闘争委員会派(左派)が対立し、右派の一員として実力で左派を排除。
伴 東(ばん あずま、1887年(明治20年)4月14日 -… 伴 東(ばん あずま、1887年(明治20年)4月14日 - 没年不明)は、日本の内務官僚。関東州官僚。 島根県海士郡海士村(現在の隠岐郡海士町)出身。大阪府立農学校獣医学科を経て、1910年(明治43年)に盛岡高等農林学校獣医学科を卒業した。のち法科に転じ法政大学に学んで1916年(大正5年)に高等文官試験に合格した。警視庁警視、愛知県額田郡長、同知多郡長、長崎県商工課長、同水産課長、同農林課長、福井県学務部長、岩手県警察部長、滋賀県警察部長、愛知県警察部長、大分県内務部長、関東局旅順民政署長を歴任した。 退官後、興中公司嘱託、天津電業公司総務科長、大連機械製作株式会社支配人・総務部長を経て、東亜生果株式会社社長を務めた。
渡辺 新太郎(渡邊、渡邉(本姓)、わたなべ しんたろう、18… 渡辺 新太郎(渡邊、渡邉(本姓)、わたなべ しんたろう、1854年6月20日(安政元年5月25日 - 1929年(昭和4年)10月13日)は、明治から昭和初期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、島根県海士郡海士村長。号・春坡。 隠岐国海士郡海士村(島根県海士郡海士村、海士町を経て現隠岐郡海士町)で、渡辺弥三郎の長男として生れた。1874年(明治7年)崎小学校長に就任。1975年(明治8年)から1976年(明治9年)まで大阪に遊学し、藤沢南岳塾で漢学・漢詩を、広貫塾で数理を学んだ。 1879年(明治12年)崎郵便局長となる。1882年(明治15年)小型蒸気船玉津丸を隠岐航路に投入し、1895年(明治28年)隠岐汽船が設立され初代社長に就任。