スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
隠岐の富士 和也(おきのふじ かずや、本名:竹谷和也(たけだ… 隠岐の富士 和也(おきのふじ かずや、本名:竹谷和也(たけだに かずや)、1988年1月26日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身の元大相撲力士。現在は世話人。八角部屋所属。最高位は西幕下11枚目(2021年1月場所)。部屋公式プロフィールによると、好物はちゃんこ、趣味は昼寝、ゲーム。 2004年9月、テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」で隠岐古典相撲のアマチュア選手として登場。長瀬智也と対戦し、寄り切りで勝利した。長瀬曰く「16歳には見えなかった」という。 漁師の息子であったが、致命的に船酔いしやすいので幼い頃から家業を継ぐ見込みがなく、八角部屋のマネージャーが勧誘に来たこともあって入門を決意した。
隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - … 隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身で八角部屋所属の元大相撲力士。身長191cm、体重167kg、血液型はO型。島根県立隠岐水産高等学校出身。本名は福岡 歩(ふくおか あゆみ)。愛称はあゆみ。最高位は、西関脇(2015年3月場所・2016年11月場所)。現在は年寄・君ヶ濱。 島根県隠岐郡西郷町(現:隠岐の島町)で生まれる。出身の隠岐島には、神社の改修などの慶事があれば夕方から翌日の昼まで相撲を取り続ける「古典相撲」の風習があり、本人もそれに親しみ4歳から廻しをつけていた。本格的に相撲を始めたのは西郷小学校4年生からで、兄や周囲の友達が始めた影響で中学3年まで近くの相撲クラブに通った。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 198… 宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 1982年7月8日)は、島根県隠岐郡海士町出身の作詞家。放送劇やコント、随筆、シナリオ等も執筆。 1913年、隠岐諸島で生まれる。父は小学校長。島根師範学校(現在の島根大学)に入学するが肺結核を病み中退。完治した後、島根県立商船水産学校(現在の島根県立隠岐水産高等学校)製造科に編入学した。商船水産学校在学中に取材のために隠岐を訪れた西條八十を父が案内したことから交流が生まれ、西條が主宰する詩謡雑誌「蝋人形」に投稿するようになる。1932年、玉造温泉の新民謡公募に応募した「玉造小唄」が一等入選し、本格的に作詞家としての活動を開始。商船水産学校を1933年3月に卒業した後は、兵庫県庁に勤めた。
横地 治男(よこち はるお、1912年3月10日- 2007… 横地 治男(よこち はるお、1912年3月10日- 2007年3月28日)は、日本の実業家、柔道家。島根県隠岐の島町名誉町民。 島根県隠岐郡出身。島根県立隠岐商船水産学校(現・島根県立隠岐水産高等学校)を卒業し陸軍に入隊、少尉で終戦を迎えて満州から復員した。復員後は防錆用の塗料販売業を手掛け、1956年に大日本化学商事(現ダイニッカ)として法人化。リッカーが経営破綻した際には一時期事業管財人を務めている。 実業界での活動の傍ら1975年には東京都世田谷区に柔道の私塾「講道学舎」を創立。オリンピック選手をふくめ、約200名の選手を輩出した。また、全日本柔道連盟顧問も務めた。 2007年3月28日、不整脈のため東京都目黒区の病院で死去、95歳没。
中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月… 中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、日本の哲学者、文学博士、Ph.D.(イェール大学)。日本各地の大学の学長・理事長を歴任した。 1908年、島根県周吉郡西郷町(現・隠岐郡隠岐の島町)に生まれた。島根県立隠岐商船水産学校航海科(現・島根県立隠岐水産高等学校)を卒業後、三等航海士として日本・リバプール間を行き来するが、牧師になろうと決心してして大学に入学する。立教大学文学部哲学科で学び卒業。1938年、東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。エール大学大学院修了。 帰国後、母校の東北帝国大学法文学部助手に着任。1945年、同学部講師に昇進。
島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3… 島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3年12月11日) - 1940年(昭和15年)9月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 佐賀県出身。元佐賀藩士の島内桓二・斐(同藩士の綾部四郎太夫の三女)夫妻の息子として生れる。1893年(明治26年)12月、海軍兵学校(20期)を卒業し、少尉候補生として「吉野」に乗り組み日清戦争に従軍。1895年(明治28年)3月に海軍少尉任官、旅順口根海兵団分隊士となる。 1898年(明治31年)12月、呉水雷団第2水雷敷設隊分隊長に就任し、「平遠」分隊長、呉水雷団水雷艇隊艇長、呉水雷団第2水雷艇隊艇長などを歴任し、海軍大学校で乙種学生として学んだ。