大椿 裕子(おおつばき ゆうこ、1973年〈昭和48年〉8月… 大椿 裕子(おおつばき ゆうこ、1973年〈昭和48年〉8月14日 - )は、日本の政治家、労働運動家。 参議院議員(1期)、社会民主党副党首、大阪教育合同労働組合執行委員長を歴任。既婚者であり、配偶者はバルセロナ出身のカタルーニャ人。 岡山県高梁市生まれ。岡山県立高梁高等学校、四国学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、四国で非正規雇用を掛け持ちしながら暮らす。この間、社会福祉士と保育士の資格を取得。 2002年にフィリピン・ネグロス島で遊学。姉が住んでいた神戸市に移り、2004年からNPO法人被災地障害者センターで務める。 2006年、関西学院大学に上限4年の有期雇用で障害学生支援コーディネーターとして就職する。
近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月… 近藤 隆則(こんどう たかのり、1959年(昭和34年)2月1日 - )は、日本の政治家。元岡山県高梁市長(4期)。 岡山県高梁市出身。岡山県立高梁高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月、岡山大学工学部卒業。同年4月、高梁市役所に採用される。1996年(平成8年)4月、総務部総務課財政係長に就任。2008年(平成20年)4月、産業経済部商工観光課長に就任。同年9月、退職。 同年9月28日に行われた高梁市長選挙に出馬し初当選。10月24日に市長就任。現在4期目。 2014年(平成26年)9月28日、スピード違反で検挙される。当時高梁市は秋の交通安全県民運動のさなかであった(9月21日-30日開催)。
立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日… 立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日 - 2013年〈平成25年〉7月30日)は、日本の政治家。岡山県高梁市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 岡山県高梁市出身。立正大学文学部卒業。高梁市役所に入り、助役などを務める。1996年の市長選挙に立候補し、初当選。2000年の市長選挙は無投票で再選する。2004年高梁市は上房郡有漢町、川上郡成羽町、川上町、備中町と合併し、新たな高梁市が発足した。合併後の市長職務執行者となり、市長選挙には立候補しなかった。2005年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
肥田 次郎(ひだ じろう、1906年(明治39年)9月28日… 肥田 次郎(ひだ じろう、1906年(明治39年)9月28日 - 1974年(昭和49年)5月10日)は、大正から昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。岡山県高梁市出身。 1906年(明治39年)岡山県川上郡成羽町(現:高梁市)で貧しい小作農家に生れる。地元の吹屋小学校を卒業後、八百屋、呉服屋、食堂などで働き大阪市へ移住する。 1921年(大正10年)ころ初めてメーデーに参加。1922年(大正11年)南海鉄道(後の南海電気鉄道)に電気工夫として入社。電気労働組合に加入。独学でアナキズムを学んだ。1923年(大正12年)大阪英語学校初等科で学び、徴兵され陸軍伍長で除隊。南海鉄道技師となる。 戦後、南海電鉄労働組合執行委員長、日本私鉄労働組合関西地方連合会執行委員長、大阪地方交通運輸労働組合協議会議長、大阪府地方労働委員、同あっせん委員などを務めた。
平松 俊太郎(ひらまつ としたろう、1882年(明治15年)… 平松 俊太郎(ひらまつ としたろう、1882年(明治15年)4月29日 - 1967年(昭和42年)7月24日)は、岡山県川上郡備中町(現・高梁市)出身の地方政治家。倉敷市長、津山市長。 1882年、川上郡備中町で生まれる。学校は、岡山県師範学校へ進学した。 1929年から1937年まで、倉敷市長を2期務める。 1943年から1946年まで、津山市長を務めた。戦後、公職追放となった。その後岡山県議会議員を務めた。 1967年7月24日死去。享年85。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
東 良三郎(ひがし / あずま りょうざぶろう、文久3年1月… 東 良三郎(ひがし / あずま りょうざぶろう、文久3年1月18日(1863年3月7日) - 大正5年(1916年)1月24日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党→憲政本党)。弁護士。 備中国川上郡松原村(現在の岡山県高梁市)出身。司法省法学校で法学を学んだ。1888年(明治21年)より松江、東京、大阪の各裁判所で判事を務めた。1893年(明治26年)に官を辞し、大阪で弁護士を開業した。 1894年(明治27年)、第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第6回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
佐藤 兵八(さとう ひょうはち、1844年(弘化元年11月)… 佐藤 兵八(さとう ひょうはち、1844年(弘化元年11月)- 1900年(明治33年)6月22日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 備中国上房郡有漢村(岡山県上房郡有漢町を経て現高梁市有漢町有漢)で、酒造業の家に生まれる。幼少期は綱島某(名不詳)から漢学を学び、その後、進鴻渓に十余年師事し塾頭を務めた。 農業を営み、家業の酒造業に従事し、その後、醤油醸造業にも事業を拡大した。その他、高梁銀行頭取も務めた。公共のために私財を投じ、道路改修、官衙学校の建設、低所得者の救済に尽くした。 1890年(明治23年)岡山県会議員に選出され、学務委員、所得税調査委員、徴兵参事員なども務めた。
渡辺 磊三(わたなべ らいぞう、1841年(天保12年12月… 渡辺 磊三(わたなべ らいぞう、1841年(天保12年12月)- 1912年(明治45年)7月23日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。 備中国川上郡出身。成羽藩の藩校で漢籍を学んだのち郷里の戸長および区長となる。その後、郡長を経て1890年(明治23年)岡山県会議員に当選した。 同年7月の第1回衆議院議員総選挙では岡山県第5区から出馬し当選。第2回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた。