宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月1… 宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月12日 - )は、日本の銀行家、実業家。勲等は旭日中綬章。岡山市に本店を置く中国銀行の第9代頭取を務めた。現職としてちゅうぎんフィナンシャルグループ会長を務める。岡山県新見市出身。 1954年(昭和29年)、岡山県新見市高尾に生まれる。1973年(昭和48年)3月、岡山県立新見高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、早稲田大学法学部卒業。 早大卒業後、中国銀行へ入行する。入行後はキャリアを積み、1999年(平成11年)6月、44歳で田ノ口支店長となる。2003年(平成15年)6月に福山支店長。2005年(平成17年)6月、50歳で取締役融資部長となる。
古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月2… 古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月25日 - )は、日本の実業家である。丸善石油(現:コスモ石油)副参与を経て、北海道ツバメ石油社長、札幌小野田レミコン社長を務めた。岡山県新見市出身。 1922年(大正11年)に岡山県阿哲郡石蟹郷村(現:新見市)に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、日本原子力研究所副理事長を務める天野昇、岡山県新見市長になる福田正彦、中世芸能史の研究者で大学教授になる田井庄之助がいた。特に、同級生の田井庄之助は自身の著書『碧い霧』で、高梁時代で一番印象に残った人物として同学年で最も秀才であった古米初男を挙げていた。
宮田 龍介(みやた りゅうすけ、1914年(大正3年)2月2… 宮田 龍介(みやた りゅうすけ、1914年(大正3年)2月2日 - 没年不詳)は、日本の実業家。民間企業に勤務した後、父である宮田重五郎が創業した宮田酒造場を相続し、宮田酒造を設立。その後、社名を三光正宗へ変更し、同社の社長・会長に就任する。1991年に岡山県三木記念賞を受賞。岡山県新見市出身。 1914年(大正3年)、岡山県阿哲郡哲西町矢田(現:新見市哲西町)にある宮田重五郎の長男として出生する。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1931年(昭和6年)同校を卒業し、岡山にある旧制第六高等学校文科乙類へ進学する。1934年(昭和9年)に同校を卒業し、東京帝国大学法学部へ進学する。
槙原 覚(まきはら さとる、1894年(明治27年)3月1日… 槙原 覚(まきはら さとる、1894年(明治27年)3月1日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の実業家。青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長とロンドン支局長を歴任した。財閥解体前の三菱最後の社長であり、再編後の最初の社長となった高垣勝次郎のライバルであった。岡山県新見市出身。 岡山県哲多郡神代村(現:新見市)出身。小作農槙原柳太郎の二男として生まれる。14歳で親戚を頼って上京し下働きなどをしていたが、岩崎弥太郎設立の本郷竜岡町(現・文京区湯島4丁目)の学寮「雛鳳館」の寮生に選ばれたことにより金銭的苦労がなくなり、東京高等商業学校在学中は学業とともにテニスに熱中した。
土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1… 土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1日 - 1968年〈昭和43年〉7月8日)は、明治末から昭和期の獣医師、政治家、実業家。衆議院議員、岡山県新見市長、同市名誉市民。旧姓・佐々木。和牛の改良に心血を注ぎ岡山県の「和牛の父」と称された。 岡山県阿賀郡実村(千屋村、阿哲郡千屋村を経て現新見市千屋実)で、農業・佐々木久太郎の三男として生まれる。1908年(明治41年)岡山県農学校(現岡山県立高松農業高等学校)獣医科を卒業した。1913年(大正2年)阿哲郡美穀村唐松の土屋和吉の養子となる。 阿哲郡吏員、同農業技手、阿哲郡産牛馬組合技師を務め、千屋牛の改良に尽力した。1920年(大正9年)阿哲畜産 (株) が設立されると支配人に就任し、その後、同社長を務めた。