小林 史明(こばやし ふみあき、1983年〈昭和58年〉4月… 小林 史明(こばやし ふみあき、1983年〈昭和58年〉4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党経済産業部会長。 環境副大臣(第2次石破内閣)、デジタル副大臣兼内閣府副大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、内閣府大臣補佐官(菅義偉内閣)、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、自由民主党デジタル社会推進本部事務総長、同行政改革推進本部規制改革チーム座長、同情報調査局長、同広報戦略局長、同青年局長(第50代)を歴任した。 祖父は、参議院議員、福山商工会議所会頭を歴任した小林政夫。 後に日東製網代表取締役となる父・小林嗣宜が同社の高岡工場長を務めていた時期に、富山県高岡市にて三人兄弟の末っ子として生まれる。
塩村 文夏(しおむら あやか、1978年〈昭和53年〉7月6… 塩村 文夏(しおむら あやか、1978年〈昭和53年〉7月6日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(2期)。政治家としての議会登録名は塩村あやか。 放送作家、エッセイスト、タレント、元グラビアアイドル、元自動車評論家。元東京都議会議員(1期)。オフィス・トゥー・ワンに所属してペンネームとして眞野 夏帆(まの かほ)を用いた。 広島県福山市出身で、父親は産業廃棄物処理会社を経営して随意契約で市の汚土収集運搬を請け負った。1991年に福山市立光小学校、1994年に福山市立鷹取中学校、1997年に就実高等学校、1999年に共立女子短期大学それぞれを卒業した。中央大学法学部通信教育課程在学。
小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年… 小林 孝一郎(こばやし こういちろう、1977年〈昭和52年〉8月8日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の参議院議員(1期)。元岡山県議会議員(3期)。 広島県福山市出身。広島大学附属福山高等学校、岡山大学医学部医学科卒業後、同大学病院等で内科医として勤務。 2011年の岡山県議会議員選挙で岡山市南区選挙区から自由民主党推薦で立候補し、初当選。以後3期務める。 2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に自民党の比例中国ブロックから立候補したが、落選。 2024年8月、自民党岡山県連が翌年夏の第27回参議院議員通常選挙岡山県選挙区に向けて実施した公募に応募する意向を示した。同年11月24日、県連は小林を擁立する方針を決めた。
宮口 治子(みやぐち はるこ、1976年〈昭和51年〉3月5… 宮口 治子(みやぐち はるこ、1976年〈昭和51年〉3月5日 - )は、日本の政治家、元フリーアナウンサー、元参議院議員(1期)。政治団体「結集ひろしま」副代表、ヘルプマーク・ヘルプカード普及啓発活動団体「ハートエイド」代表。本名は福田 治子(ふくだ はるこ)。 広島県福山市生まれ。福山暁の星女子中学校・高等学校、大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業。2000年4月、瀬戸内海放送の関連会社キャストKSBパートナーズに入社。キャスター・レポーター、エフエムふくやまパーソナリティを歴任した。 2021年2月5日、広島県選出の河井案里参議院議員の当選無効が確定(河井夫妻選挙違反事件)。2月18日、自民党広島県連の宮澤洋一会長は党本部で二階俊博幹事長と会談し、再選挙に向けて、元経済産業省官僚の西田英範を公認するよう申請した。
和田 隆志(和田 隆志、わだ たかし、1963年7月18日 … 和田 隆志(和田 隆志、わだ たかし、1963年7月18日 - )は、日本の政治家、財務官僚。 衆議院議員(3期)、内閣府大臣政務官(菅直人改造内閣)を務めた。 広島県沼隈郡沼隈町(現:福山市)生まれ。広島大学附属福山中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、大蔵省(現:財務省)に入省。証券局総務課調査室配属。入省時の直属の上司(係長)は片山さつき(元地方創生担当大臣)。通商産業省機械情報産業局電子政策課総括係長、熊本国税局都城税務署長、在タイ日本大使館書記官、大蔵政務次官秘書官、財務副大臣秘書官、理財局計画官補佐、金融庁総務企画局総務課長補佐等を歴任し、2003年に退官。 同年の第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で広島7区から出馬。
山田 敏雅(やまだ としまさ、昭和24年(1949年)9月8… 山田 敏雅(やまだ としまさ、昭和24年(1949年)9月8日 ‐ )は、日本の政治家、実業家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。 広島県福山市出身。京都大学工学部卒業、東京大学工学部大学院修了後、通産省入省。 2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に民主党から立候補し、広島7区では自民党の宮澤洋一に敗れ落選したものの、比例中国ブロックで復活し、初当選した。 2003年、7月27日告示・8月3日投票の広島県福山市長選挙に立候補し、衆議院議員を失職。立候補に際し、民主党を離党した。しかし、三好章市長(2004年辞職直後に逝去)に敗れ、落選。同年の第43回衆議院議員総選挙にも無所属で立候補したが落選した。
岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 20… 岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 2006年3月5日)は、日本の政治家。広島県福山市出身。民社党衆議院議員。 昭和15年(1940年)満州国撫順工業学校土木科を卒業し、戦後中日本重工業に入社。昭和26年(1951年)三原市議会議員に当選。5期務める。昭和46年(1971年)広島県議会議員に当選。2期を務めた後、昭和54年(1979年)旧広島3区から衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数4回。平成2年(1990年)第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。 平成5年(1993年)勲二等瑞宝章を受章。平成18年(2006年)3月5日喉頭癌のため死去。83歳だった。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12… 武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。日本新党副代表。1998年勲三等旭日中綬章を受章。 広島県福山市生まれ。福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部卒業後、鐘紡に入社。同社農林部に所属し、満洲において農業事業に取り組んでいるとき、職業軍人・石原莞爾と知り合う。これは、武田の従兄に当たる池本喜三夫が石原のブレインであったことも大きいという。 終戦を迎え、石原は生まれ故郷である山形県・鶴岡に戻り、遊佐の鳥海山麓に自給自足の農村共同体である「西山農場」を創設し、理想郷づくりをはじめる。石原が目指した「小さな満洲」建設には、武田や石原の一番弟子で、武田の良きパートナーであった曹寧柱をはじめ全国から「東亜連盟」の理想に共鳴するものが参加。
渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9… 渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉6月6日)は、日本の実業家・政治家・慈善家。広島県福山市出身。福山市市議会議員。福山通運、ベッセルを創業し、しぶや美術館、福山通運渋谷長寿健康財団、財団法人渋谷育英会を創設した。1956年に紺綬褒章受章、以後、延べ15回受章。 広島県芦品郡有磨村下有地山村(現在の福山市芦田町下有地)に5人兄弟(2男3女)の男(4番目)として、かつて庄屋を務めた旧家に生まれる。父・新太郎は土建業を営み、比較的裕福な家であった。芦田川の治水事業を多く手がけ、地区の中心的な名家であったが、1919年(大正8年)7月に備後地方を襲った未曾有の大水害によって、手がけていた芦田川堤防工事、県道の補修工事、城山 の砂防工事のすべてが跡形も無く崩壊し、大損害をこうむった。
大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)… 大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)10月17日 - 1957年(昭和32年)6月14日)は、大正から昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員(2期)。号・呉山楼。 広島県沼隈郡赤坂村(現福山市)で、大宮亀吉の長男として生まれる。1921年(大正10年)5月、名古屋新聞東京支局に入社し、その後明治大学で学んだ。 1925年(大正14年)名古屋新聞東京支局長に就任し、新聞広告の分野でその才能を発揮した。その後、名古屋本社に転じ専務理事に就任した。戦時下に入り新聞統制が強化されて日本新聞連盟が成立し名古屋新聞から大宮が派遣され、新聞用紙の供給減に対処するため共販制を考案してその実現に尽力した。
神原 勝太郎(かんばら かつたろう、1884年〈明治17年〉… 神原 勝太郎(かんばら かつたろう、1884年〈明治17年〉8月 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。常石グループの創始者。神原汽船、常石造船創業者。 広島県沼隈郡千年村字常石(現・福山市沼隈町常石)出身。神原嘉平次の三男。1903年、帆船を3隻購入し石炭輸送を開始する。海運事業を展開するうち、勝太郎は「船の製造や修理を自前でできるようになればコストダウンができる」と考え、常石の地で造船事業を開始した。 1908年、分家する。瀬戸内海運送社長、同専務、村会議員、学務委員をつとめた。 傾いた家運を挽回しようと努力を怠らなかった。村内屈指の資産家として数十万の富を得て、名門の誉を高くした。高額所得者である。
井上 利八(いのうえ りはち、1866年12月9日(慶應2年… 井上 利八(いのうえ りはち、1866年12月9日(慶應2年11月3日) - 1935年(昭和10年)3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 備後国沼隈郡水呑村(広島県沼隈郡水呑町を経て現福山市)出身。鉄道院技手、広島県会議員、同議長となる。鉄道工事請負業に従事、鞆軽便鉄道(株)専務取締役となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において広島4区から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、次の1928年の第16回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1935年死去。
石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)… 石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)1月 - 昭和2年(1927年)10月14日)は、明治時代の政治家。 広島県議会初代議長。広島県福山中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)初代校長。福山初の小学校である深津啓蒙所(現福山市立深津小学校)設立に尽力した。深津村庄屋で義倉財団創設に関係する石井武右衛門の玄孫にあたる。四女が石井スエ(大原寿恵子)で孫が大原総一郎。 備後国深津郡深津村(現広島県福山市東深津町)で庄屋の家に生まれる。 慶応元年(1865年)閏5月、家督相続し深津村庄屋を拝命する。同年6月備後福山藩御用達となり 、明治2年(1869年)福山藩下議員として公議所に出仕する。