西 純矢(にし じゅんや、2001年9月13日 - )は、広… 西 純矢(にし じゅんや、2001年9月13日 - )は、広島県廿日市市出身のプロ野球選手(投手→外野手・育成選手)。右投右打。阪神タイガース所属。 広島市立鈴が峰小学校2年時に「鈴が峰レッズ」に入団し野球を始め、廿日市市立阿品台中学時代は「ヤングひろしま」に所属。3年時には「NOMOジャパン」に選出された。 創志学園高校では1年春からベンチ入りし、2年春からエース。2年夏の岡山大会では準決勝の倉敷商戦で引地秀一郎との投げ合いを完封で制すなどの活躍で、チームを甲子園大会出場へ導いた。甲子園では、川原陸擁する創成館との初戦で16奪三振の完封勝利を挙げ注目を集めるも2回戦で敗退。3年時は、春夏ともに甲子園大会出場はならなかった一方でU-18代表に選出され、投手としてチーム最多の4試合・13回1/3の登板で防御率1.35の成績を残した。
中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )… 中村 奨成(なかむら しょうせい、1999年6月6日 - )は、広島県廿日市市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 3歳の時に両親が離婚してからは、広島東洋カープの熱狂的なファンである実母の下で育った。 小学校1年時から、少年野球クラブの「大野友星」で軟式野球をスタート。3年時から捕手に転向すると、フルスイングでフライを打つという指導方針の下で、5年時から俊足と長打で頭角を現した。廿日市市立大野東中学校時代には、軟式野球のチームの「大野シニアベースボールクラブ」のメンバーとして、3年時に広島県大会で準々決勝進出を経験した。 地元の広陵高校へ進学してからは、1年春の広島県大会で、背番号「20」ながら正捕手の座を確保。
柳瀬 明宏(やなせ あきひろ、1983年7月8日 - )は、… 柳瀬 明宏(やなせ あきひろ、1983年7月8日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(投手)。妻はタレントの坂井汐梨。 兵庫県西宮市生まれ。小学1年生時にみどりクラブに入団して軟式野球を始める。3年生時に父親の転勤で神奈川県横浜市のすみれが丘小学校に転校し、山田バッファローズに入団するも5年生時に再び転勤により広島県廿日市市の四季が丘小学校に転校し、宮内少年野球クラブに入団した。いずれのチームでも投手と内野手を務めた。中学に上がる際に廿日市シニアが誕生し、3年生時にはキャプテンに指名された。廿日市市立四季が丘中学校時代は軟式野球の廿日市シニアに所属。 如水館高校では当初は投手兼三塁手だったが、2年生の新チームになってから監督の抜擢により捕手に転向。
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、… 稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者、スポーツキャスター、コーチ。 1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手をやっていた。後にプロでチームメイトになる3学年上の二岡智宏が骨折しても尚、監督に叱られながらブルペンで投げ続ける姿に衝撃を受け、広陵高校に入学を決意する。入学後は遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で瀬戸内高校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。
小林 宏(こばやし ひろし、1970年11月30日 - )は… 小林 宏(こばやし ひろし、1970年11月30日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ、野球解説者。現在はオリックス・バファローズ二軍育成チーフコーチを務める。 佐伯郡廿日市町(現:廿日市市)立宮内小学校4年の時、少年野球「廿日市ジュニア」で野球を始めた。廿日市町立七尾中学校、崇徳高校、広島経済大学を経て、1992年のNPBドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから1位指名を受けて入団。 少年野球時代は捕手、高校時代は軟式野球部に所属し大学でも3年生までは遊撃手だった。3年秋の明治神宮大会では初戦で慶応義塾大学を相手に2番手として登板後は一塁手に入ったが若松幸司にノーヒットノーランを喫して敗れた。
中井 哲之(なかい てつゆき、1962年7月6日 - )は広… 中井 哲之(なかい てつゆき、1962年7月6日 - )は広島県廿日市市出身の元アマチュア野球選手、元高校野球指導者。広陵高等学校参与、社会科教諭。 学校法人広陵学園理事や広陵高校副校長、同校硬式野球部監督を歴任した。 広陵高校3年の1980年、第52回選抜高等学校野球大会に1番遊撃手として、第62回全国高等学校野球選手権大会は1番三塁手として出場。この年広陵は、ロッキングモーションのアンダースローで話題を呼んだ渡辺一博と原伸次(元広島)のバッテリーで優勝候補の一角に挙げられたが、春は準決勝で中西清起らの高知商業に、夏は準々決勝で藤本博史らのいた天理高校に敗れた。中井も園川一美(九州学院)ら全試合で好投手とあたったため、6試合でヒット5本と振るわなかったが、ノーサインで盗塁を許された俊足で効果的な盗塁を何度か決めた。
佃 正樹(つくだ まさき、1955年4月26日 - 2007… 佃 正樹(つくだ まさき、1955年4月26日 - 2007年8月13日)は、広島県出身の野球選手(投手)。
簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、… 簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。現在はプロゴルファー(ティーチングプロ)として活動している。 攻・走・守すべてに長けたオールラウンダーとして知られ、1983年にはトリプルスリーを達成している。 大竹高校では1969年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが呉港高校に敗退、甲子園には届かなかった。高校卒業後の進路として、大東文化大学からも勧誘の話が来ていたが、「給料がもらえて、尚且つ野球も出来る」として社会人野球に進む方を選び、卒業後の1970年に三菱重工三原へ入社し、都市対抗野球大会には補強選手としての出場を含め4度出場した。
大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は… 大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は日本の元プロ野球選手(内野手)。
広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月2… 広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月27日 - 2025年〈令和7年〉11月2日)は、日本のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督、野球解説者。 南海ホークスがパ・リーグの盟主として君臨した1950年代後半-1960年代に「鷹の爪」とも呼ばれたリードオフマン。愛称は「チョロ」。 通算盗塁数・通算盗塁成功率では歴代2位、シーズン626打数は歴代1位の記録を保持している。パ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。 1961年から1965年にかけて5年連続で盗塁王になったほか、1964年には同時に首位打者のタイトルも獲得している。 広島県佐伯郡大野村(現・廿日市市)で、大工の父・千代治と母・マツ子の間に、7人兄弟の6番目に生まれた。
灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月1… 灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月17日 - 昭和62年(1987年)11月27日)は、昭和初期に中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。