吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )… 吉川 雄大(よしかわ かずき、1996年12月12日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 広陵高等学校では3年春からエースとなり、同学年の太田光とバッテリーを組んで同年夏の第96回全国高等学校野球選手権大会に出場した。三重との1回戦で先発し、一時勝ち越しとなる本塁打を放つなど投打に活躍したが、2点リードの9回裏に同点に追い付かれ、延長11回裏に押し出し四球を与えサヨナラ負けを喫した。 東海大学に進学し、4年間でリーグ戦通算16試合に登板した。 その後JFE西日本に入社。1年目から都市対抗野球大会に登板した。 2021年10月11日に行われたドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、11月16日に契約金2500万円、年俸700万円で仮契約した。
山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、… 山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 府中南小学校4年生の時にソフトボールを始め、投手として府中南ソフトボールクラブに在籍。6年時には、チームを広島県大会の3位に導いた。緑ヶ丘中学校への進学後に、安芸イーグルスで野球をスタート。しかし、1年生夏に小児がん(白血病)と診断された(詳細後述)。 卒業後は広島国際学院高校へ進学。前述の病気のブランクで入学当初は球速90km/h程度だったが、練習や肉体改造に取り組んだ末、3年生夏の選手権広島大会で、背番号10ながら全試合で先発投手に起用。しかし、準々決勝で如水館高校に敗れた。
西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 -… 西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、指導者。右投右打。現在は読売ジャイアンツで三軍投手コーチを務める。 現役時代は読売ジャイアンツに所属。2013年に最多セーブ投手を獲得した。 広島中央シニアで投手に転向し、広陵高校では1年秋からエースとなり、白濱裕太とのバッテリーで4季連続甲子園出場。2年春は2回戦で報徳学園に、同年夏は準々決勝で明徳義塾とそれぞれ優勝チームに敗れたが、2003年春は成瀬善久、涌井秀章擁する横浜高校を破り全国制覇した。同年夏は2回戦で岩国高校に敗れた。甲子園通算9勝。1学年後輩に上本博紀、2学年後輩に藤川俊介がいる。
須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、… 須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、投手。 広陵高校では1965年の夏の甲子園に控え捕手として出場、2回戦で報徳学園に敗退。同年秋季中国大会に同期の清水由則(日本鋼管-日本鋼管福山)、田村忠義両投手とバッテリーを組み出場。準決勝で米子東高に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1966年夏も県予選で敗退。中国地方でナンバーワンの捕手といわれ、その強肩には定評があった。3年生時には打率.280を記録。1年下のチームメートに河井昭司外野手がいる。 1966年第1次ドラフト会議で広島カープから1位指名を受け入団。1年目の1967年には1試合のみであったがマスクを被る。
海蔵寺 弘司(かいぞうじ こうじ、1915年9月20日 - … 海蔵寺 弘司(かいぞうじ こうじ、1915年9月20日 - 生死不明)は、広島県安芸郡府中町出身のプロ野球選手。 広陵中学校では1935年の第12回選抜野球大会にセンターとして出場し、準優勝メンバーとなる。 慶應義塾大学を経て1938年秋に南海軍へ入団。翌年のシーズン終了後に退団。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。