大野 敬太郎(おおの けいたろう、1968年〈昭和43年〉1… 大野 敬太郎(おおの けいたろう、1968年〈昭和43年〉11月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党総務会副会長。 内閣府副大臣、防衛大臣政務官、自由民主党政務調査会副会長、同国会対策副委員長、同副幹事長などを歴任。 父は防衛庁長官、衆議院議員を務めた大野功統。母方の祖父は労働大臣、衆議院議員を務めた加藤常太郎。父方の祖父は香川県副知事を務めた大野乾。 香川県丸亀市出身(本籍地は観音寺市豊浜町)。坂出市立中央小学校、香川大学教育学部附属坂出中学校、香川県立丸亀高等学校を経て、1991年、東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部機械工学科卒業。1993年、同大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了、富士通入社、宇宙開発推進室配属。
磯﨑 仁彦(いそざき よしひこ、1957年〈昭和32年〉9月… 磯﨑 仁彦(いそざき よしひこ、1957年〈昭和32年〉9月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、自由民主党参議院国会対策委員長。 内閣官房副長官、参議院環境委員長、内閣府副大臣兼経済産業副大臣、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、自由民主党副幹事長などを歴任。有用微生物利活用推進議員連盟、自民党たばこ議員連盟などに所属。 香川県丸亀市出身。丸亀市立西幼稚園、坂出市立川津幼稚園、坂出市立川津小学校、丸亀市立城西小学校、丸亀市立西中学校、香川県立丸亀高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月、東京大学法学部卒業。同年4月、全日本空輸に入社。大阪や本社で27年間勤務、2010年3月、CSR推進リスクマネジメント部長を最後に退社。
磯﨑 仁彦(いそざき よしひこ、1957年9月8日 - )は… 磯﨑 仁彦(いそざき よしひこ、1957年9月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自民党環境部会長。
梶 正治(かじ まさはる、1953年(昭和28年)1月21日… 梶 正治(かじ まさはる、1953年(昭和28年)1月21日 - )は、日本の政治家。香川県丸亀市長(2期)。元香川県議会議員(4期)。 香川県丸亀市出身。下関市立名池小学校、高松市立勝賀中学校、香川県立高松高等学校、神戸大学経済学部卒業。1975年(昭和50年)4月、香川県庁に入庁。医務課、県立病院勤務のさながら自治労運動に参加。1990年(平成2年)、香川県庁を退職。衆議院議員の加藤繁秋の公設秘書となる。 1995年(平成7年)4月、香川県議会議員選挙に出馬するも、落選。1996年(平成8年)、行政書士試験に合格し開業。1998年(平成9年)8月30日執行の香川県議会議員補欠選挙に出馬するも、落選。
山内 俊夫(やまうち としお、1946年(昭和21年)12月… 山内 俊夫(やまうち としお、1946年(昭和21年)12月17日 - )は、日本の実業家、元政治家。香川県丸亀市出身。 参議院議員(2期)、文部科学副大臣(福田康夫改造内閣、麻生内閣)、香川県議会議員(2期)などを務めた。 1965年香川県立丸亀高等学校卒業、1969年早稲田大学教育学部教育学科卒業。セーラー広告勤務を経て、家業の株式会社山内不動産を承継し代表取締役社長。このほか瀬戸大橋タワー副社長等を歴任した。 1972年 丸亀青年会議所入会。その後青年会議所四国地区協議会会長、香川県社会教育委員などを歴任。 1991年 香川県議会議員に初当選、1995年に再選。 1998年 第18回参議院議員通常選挙(香川県選挙区)に自民党公認、公明党推薦で初当選。
金子 正則(かねこ まさのり、1907年〈明治40年〉3月2… 金子 正則(かねこ まさのり、1907年〈明治40年〉3月29日 - 1996年〈平成8年〉10月21日)は、日本の政治家、判事。6期24年の間、香川県知事を務めた。位階は従三位。 1907年(明治40年)3月29日、香川県丸亀市に生まれる。香川県立丸亀中学校、第六高等学校を経て、1929年(昭和4年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業、司法官試補となる。1931年(昭和6年)に大阪地方裁判所および大阪区裁判所の判事に就き(兼任、以下同)、翌1932年に旭川地方裁判所および旭川区裁判所の判事に転任。その後、1935年に札幌地方裁判所および札幌区裁判所、1936年(昭和11年)に長野地方裁判所および長野区裁判所、1937年(昭和12年)に東京地方裁判所および東京区裁判所の判事を歴任している。
原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18… 原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18日 - 1945年〈昭和20年〉4月11日)は、日本の実業家、政治家、香川県の大地主。衆議院議員(当選1回)。族籍は香川県平民。 香川県綾歌郡富熊村(現・丸亀市綾歌町富熊)出身。素封家・原岡勇次郎の長男。農業を営む。香川県会議員、同参事会員、富熊村農業会長、宇多津塩田社長となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において香川県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員は1期務め、1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1934年に私財を投じて富熊小学校に大講堂を建築して寄贈した。1945年4月11日に死去した。
加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(… 加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(明治元年8月23日)- 1926年(大正15年)2月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国那珂郡丸亀城下(香川県那珂郡丸亀町、仲多度郡丸亀町を経て現丸亀市)で、丸亀藩士・加治重国の二男として生まれる。郷校で学び、1883年(明治16年)に上京して法律学を研究した。 自由民権運動に加わり、1890年(明治23年)愛国公党に入党。その後大同団結運動に参加し、国民自由党に入党してその勢力の拡張に尽力した。 1897年(明治30年)頃から実業界に入り、鹿島鉄道発起人、皇国生命保険会社顧問に就任。1906年(明治39年)東京通信社に入社し、その後社長を務めた。
三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日(1860… 三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日(1860年1月8日) - 昭和17年(1942年)11月19日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、土木技術者、陸軍軍人(工兵中尉)。 香川県丸亀市出身。1878年(明治11年)、大阪府師範学校を卒業し、小学校訓導となった。その後、陸軍士官学校(旧5期)に入学し、1884年(明治17年)に卒業。工兵中尉として熊本鎮台工兵大隊副官を務めた。免官後、藤田伝三郎・大倉喜八郎が共同出資する日本土木会社(のち大倉組)社員となり、東京湾砲台建設、紀淡海峡砲台建設、東京湾の浚渫と月島埋め立てなどを手掛けた。1897年(明治30年)、内務省官吏となり、岡山県技師に任じられた。
宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6… 宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6年9月7日)- 1906年(明治39年)11月17日)は、明治期の地主、農業経営家、実業家、政治家。衆議院議員、初代香川県鵜足郡坂本村長。 讃岐国鵜足郡川原村(香川県鵜足郡坂本村、綾歌郡坂本村、飯山町を経て現:丸亀市飯山町川原)で生まれる。漢学、数学を修めた。明治2年5月(1869年6-7月)鵜足郡川原真時両村庄屋役に、明治4年10月(1871年11-12月)鵜足郡大庄屋役に任じられた。 実業界では、寒川郡志度村製糖会社取締役、高松砂糖会社取締役、宇足津塩田会社取締役、讃岐紡績会社取締役、讃岐鉄道会社監査役、香川県農工銀行取締役などを務めた。
遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4… 遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4年3月15日)- 1907年(明治40年)11月8日)は、明治期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長、丸亀市会議長。 讃岐国那珂郡、のちの香川県丸亀市で、里正の家に生まれる。経史を修めた。 1873年(明治6年)香川県六大区一小区副小区長兼学務取締に就任。自由民権運動に加わった。1879年(明治12年)愛媛県会議員に選出された。1882年(明治15年)代言人(弁護士)となる。同年、自由党大会で警官と衝突して投獄された。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員も務めた。1894年(明治27年)4月、香川県会議長に就任し1895年(明治28年)10月まで在任した。
豊田 元良(とよだ もとよし、1850年(嘉永3年) - 1… 豊田 元良(とよだ もとよし、1850年(嘉永3年) - 1915年(大正4年)5月17日)は、日本の政治家。香川県丸亀市初代市長。香川県会議員。旧姓は高畑。名は元良。号は柳南又萍舟。 讃岐・丸亀の高畑家に生まれ、後琴平の豊田家を嗣ぐ。尾池松湾に学んで詩書を得意とした。大いに吏才があり、始め戸長、県会議員となり、次いで仲多度郡長、三豊郡長を歴任し、最後に市制実施第1期の丸亀市長となったが、まもなく辞めて公共事業に尽力した。 世間の人たちは豊田のことを否定的に「大言壮語の卸問屋」、「絶大突飛の空想家」とみなしていた。細心綿密の人ではなかった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘… 井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘化2年3月20日)- 1905年(明治38年)8月22日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国鵜足郡上法軍寺村(香川県鵜足郡法勲寺村、綾歌郡法勲寺村、飯山町を経て現丸亀市飯山町上法軍寺)で生まれる。阿野郡西庄村(坂出町を経て現坂出市西庄町)で成長した。漢学を修めた。その後、高松城下に移り、幕末には高松藩御用掛として砂糖生産販売に従事した。 明治維新後、自由民権運動に加わる。純民社、高松立志社を創立。1875年(明治8年)以降、塩業界の結束と改善に尽力した。農商工高等会議議員、十州塩業組合東讃支部長、高松商法会議所副会長などを歴任した。