山内 俊夫(やまうち としお、1946年(昭和21年)12月… 山内 俊夫(やまうち としお、1946年(昭和21年)12月17日 - )は、日本の実業家、元政治家。香川県丸亀市出身。 参議院議員(2期)、文部科学副大臣(福田康夫改造内閣、麻生内閣)、香川県議会議員(2期)などを務めた。 1965年香川県立丸亀高等学校卒業、1969年早稲田大学教育学部教育学科卒業。セーラー広告勤務を経て、家業の株式会社山内不動産を承継し代表取締役社長。このほか瀬戸大橋タワー副社長等を歴任した。 1972年 丸亀青年会議所入会。その後青年会議所四国地区協議会会長、香川県社会教育委員などを歴任。 1991年 香川県議会議員に初当選、1995年に再選。 1998年 第18回参議院議員通常選挙(香川県選挙区)に自民党公認、公明党推薦で初当選。
真鍋 圭作(まなべ けいさく、1931年8月17日 - 20… 真鍋 圭作(まなべ けいさく、1931年8月17日 - 2004年2月14日)は、日本の経営者。キリンビール社長、会長を務めた。香川県丸亀市出身。 1955年に東京大学法学部を卒業し、同年にキリンビールに入社した。1983年に神戸工場長に就任し、1987年4月に取締役、1988年9月に常務、1990年3月に専務を経て、1992年3月に社長に就任し、1996年3月から1999年3月までに会長を務めた。社長在任時には、アメリカのアンハイザー・ブッシュ社との包括提携を結ぶなど国際化を推進した。 2004年2月14日肺炎のために死去。72歳没。
原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18… 原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18日 - 1945年〈昭和20年〉4月11日)は、日本の実業家、政治家、香川県の大地主。衆議院議員(当選1回)。族籍は香川県平民。 香川県綾歌郡富熊村(現・丸亀市綾歌町富熊)出身。素封家・原岡勇次郎の長男。農業を営む。香川県会議員、同参事会員、富熊村農業会長、宇多津塩田社長となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において香川県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員は1期務め、1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1934年に私財を投じて富熊小学校に大講堂を建築して寄贈した。1945年4月11日に死去した。
加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(… 加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(明治元年8月23日)- 1926年(大正15年)2月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国那珂郡丸亀城下(香川県那珂郡丸亀町、仲多度郡丸亀町を経て現丸亀市)で、丸亀藩士・加治重国の二男として生まれる。郷校で学び、1883年(明治16年)に上京して法律学を研究した。 自由民権運動に加わり、1890年(明治23年)愛国公党に入党。その後大同団結運動に参加し、国民自由党に入党してその勢力の拡張に尽力した。 1897年(明治30年)頃から実業界に入り、鹿島鉄道発起人、皇国生命保険会社顧問に就任。1906年(明治39年)東京通信社に入社し、その後社長を務めた。
宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6… 宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6年9月7日)- 1906年(明治39年)11月17日)は、明治期の地主、農業経営家、実業家、政治家。衆議院議員、初代香川県鵜足郡坂本村長。 讃岐国鵜足郡川原村(香川県鵜足郡坂本村、綾歌郡坂本村、飯山町を経て現:丸亀市飯山町川原)で生まれる。漢学、数学を修めた。明治2年5月(1869年6-7月)鵜足郡川原真時両村庄屋役に、明治4年10月(1871年11-12月)鵜足郡大庄屋役に任じられた。 実業界では、寒川郡志度村製糖会社取締役、高松砂糖会社取締役、宇足津塩田会社取締役、讃岐紡績会社取締役、讃岐鉄道会社監査役、香川県農工銀行取締役などを務めた。
遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4… 遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4年3月15日)- 1907年(明治40年)11月8日)は、明治期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長、丸亀市会議長。 讃岐国那珂郡、のちの香川県丸亀市で、里正の家に生まれる。経史を修めた。 1873年(明治6年)香川県六大区一小区副小区長兼学務取締に就任。自由民権運動に加わった。1879年(明治12年)愛媛県会議員に選出された。1882年(明治15年)代言人(弁護士)となる。同年、自由党大会で警官と衝突して投獄された。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員も務めた。1894年(明治27年)4月、香川県会議長に就任し1895年(明治28年)10月まで在任した。
井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘… 井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘化2年3月20日)- 1905年(明治38年)8月22日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国鵜足郡上法軍寺村(香川県鵜足郡法勲寺村、綾歌郡法勲寺村、飯山町を経て現丸亀市飯山町上法軍寺)で生まれる。阿野郡西庄村(坂出町を経て現坂出市西庄町)で成長した。漢学を修めた。その後、高松城下に移り、幕末には高松藩御用掛として砂糖生産販売に従事した。 明治維新後、自由民権運動に加わる。純民社、高松立志社を創立。1875年(明治8年)以降、塩業界の結束と改善に尽力した。農商工高等会議議員、十州塩業組合東讃支部長、高松商法会議所副会長などを歴任した。