田尾 和俊(たお かずとし、1956年〈昭和31年〉1月20… 田尾 和俊(たお かずとし、1956年〈昭和31年〉1月20日 - )は、日本の元編集者で、実業家、メディア研究者(四国学院大学教授)。ホットカプセルの元社長で、株式会社タウン情報全国ネットワーク取締役副社長。吉本興業所属(マネジメント契約)。 香川県三豊郡詫間町(現:三豊市)出身。 香川県立観音寺第一高等学校を経て、1978年に関西学院大学経済学部を卒業した。同大学時代にスポニチ編集部でアルバイトを経験。同年、高松市に本拠を置く、広告代理店のセーラー広告に入社した。代理店業務の勤務を経て、同社のタウン誌発刊部門として発足したホットカプセルに出向する。 1982年にタウン情報誌の『月刊タウン情報かがわ』初代編集長に就任した。
柳川 邦衛(やながわ くにえ、1933年4月30日 - )は… 柳川 邦衛(やながわ くにえ、1933年4月30日 - )は、日本の実業家。元ガリバーインターナショナル最高顧問。 香川県三豊郡本山村(現 三豊市豊中町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学経済学部卒業。 1958年(昭和33年)東京大学卒業後、伊藤忠商事に入社。10年間、鉄鋼部門に従事する。1969年(昭和44年)ユニオン光学に移り、常務営業部長に就任。1975年(昭和50年)同社社長に昇任。 1998年(平成10年)ガリバーインターナショナル最高顧問に就任。同社、2000年(平成12年)東京証券取引所市場第二部の上場、および2003年(平成15年)同証券取引所市場第一部への指定替えに貢献する。
石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 19… 石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 1989年12月10日)は、日本の官僚、実業家。運輸省資材局長。東洋電機製造社長。 香川県三豊郡比地二村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。 1933年(昭和8年)鉄道省入省。東鉄貨物課長、北京大使館交通課長を務める。1950年(昭和25年)日本国有鉄道(国鉄)門司鉄道管理局長に異動。1953年(昭和28年)3月23日から24日にかけて、門司地方国鉄職員戦没者合同慰霊祭を行った。 1954年(昭和29年)運輸省自動車局長に昇任。同年10月12日の第19回参議院運輸委員会の会議に於いて、嬉野線国鉄バス事故について答弁を行った。
塩田 正太郎(しおた しょうたろう、1879年〈明治12年〉… 塩田 正太郎(しおた しょうたろう、1879年〈明治12年〉6月22日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。香川県三豊郡仁尾町長(初代)。香川県会議員。仁尾塩田(現・仁尾興産)取締役。 香川県三野郡仁尾村(現・三豊市)生まれ。塩田廣太郎の長男。1899年、慶應義塾高等科卒業。1918年、父退隠により家督を相続した。1921年1月から1924年3月まで仁尾村長をつとめた。1924年4月から1925年2月まで仁尾町長をつとめた。 仁尾塩田会社の重役で、三豊紡績会社の重役を兼ねた。また香川県参事会員であった。 1923年頃の社会不安(農民党と地主との対立)について、塩田が出てその間の調停をうまくやり、その手腕は社会から認められた。
浪越 鷹太郎(なみこし たかたろう、1872年〈明治5年〉3… 浪越 鷹太郎(なみこし たかたろう、1872年〈明治5年〉3月5日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、香川県多額納税者。香川県三豊郡仁尾村長。南海舎密工業社長。仁尾塩田専務取締役。讃岐米肥料取締役。 香川県三野郡仁尾村(現・三豊市)、浪越家の長男。1896年、村会議員に当選する。1898年、家督を相続する。農会長としてその創設当初より多年に及び郡農会代議員、評議員等を歴任する。1907年、仁尾村長に就任する。 農業を営み、傍ら会社の重役であった。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。住所は香川県三豊郡仁尾町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2… 田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2年1月22日)- 1922年(大正11年)12月1日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 のちの香川県三野郡桑山村(三豊郡桑山村、豊中村、豊中町を経て、現在の三豊市豊中地区)に生まれる。農業を営む傍ら、桑山村会議員、三豊郡会議員、同参事会員、同副議長、香川県会議員、同参事会員、県農会副会長を歴任する。実業家としては讃岐土管取締役、香川県蚕糸同業組合連合会長を務める。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では香川県郡部から憲政会所属で出馬し当選。1期務めた。
鳥取 柔三郎(とっとり じゅうさぶろう、1859年3月9日〈… 鳥取 柔三郎(とっとり じゅうさぶろう、1859年3月9日〈安政6年2月5日〉 - 没年不明)は、日本の実業家、篤農家。讃岐農工銀行監査役。讃岐土管取締役。族籍は香川県平民。 讃岐国三野郡笠岡村(現・香川県三豊市)出身。鳥取為三郎の二男。1875年、分家した。住所は香川県三豊郡笠田村。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永… 鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永6年4月8日〉 - 1936年〈昭和11年〉3月22日)は、日本の実業家、資産家、篤農家、大地主、香川県多額納税者。合資会社信正社有限責任社員。讃岐農工銀行監査役。族籍は香川県平民。憲仁親王妃久子は曽孫。承子女王、千家典子、守谷絢子は玄孫。 讃岐国三野郡笠岡村(現・香川県三豊市)出身。鳥取為三郎の長男。1886年、家督を相続した。農業を営んだ。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。金持ちであるが驕らず勤倹力行を旨とし家業の発展を図った。公共慈善の事に接すると私財を投じて惜しむ所はなかった。住所は香川県三豊郡笠田村。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 … 先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 忠左衞門、1843年2月27日〈天保14年1月29日〉 - 1925年〈大正14年〉9月23日)は、日本の政治家、実業家、資産家、大地主、香川県多額納税者。衆議院議員(香川県第五区選出、当選1回)。西讃銀行取締役。族籍は香川県平民。 讃岐国三野郡仁尾村(現・香川県三豊市)に生まれた。忠左衛門の長男。早くから家庭の薫陶を受け、また金光寺信元に就いて漢籍を修めた。商業を営んだ。 1874年、三野郡仁尾村学務委員となり、それ以来仁尾村会議員、三野豊田郡地位等級会議員、香川県会議員、仁尾村勧業世話係、仁尾村第六聯合会長、仁尾村家の浦聯合会議員、仁尾尋常小学校建築委員長、仁尾村長等の各公職に就任。