四之宮 和幸(しのみや かずゆき、1964年〈昭和39年〉 … 四之宮 和幸(しのみや かずゆき、1964年〈昭和39年〉 - )は、日本の経営者。JR四国代表取締役社長を務める。 愛媛県西条市出身。1983年(昭和58年)に愛媛県立西条高等学校を卒業し、1989年(平成元年)に京都大学大学院工学研究科(交通土木工学専攻)修了、四国旅客鉄道に入社。京大時代の同じクラスに、熊本県副知事を務めた亀崎直隆がいる。 高架工事、橋梁、トンネル検査等の土木部門に従事し、2001年に徳島ターミナルビル株式会社出向、ホテルや駅ビルの経営を経験した。2002年愛媛企画部長、鉄道事業本部営業部長、取締役財務部長、2020年常務取締役総合企画本部長、2022年代表取締役専務総合企画本部長を歴任。
工藤 治夫(くどう はるお、1939年6月1日 - )は、日… 工藤 治夫(くどう はるお、1939年6月1日 - )は、日本の実業家。サンスター代表取締役会長などを務めた。 愛媛県西条市出身。愛媛県立西条高等学校、大阪市立大学経済学部卒業後、1965年サンスター歯磨(現サンスター)入社。サンスターマーケティング代表取締役社長などを経て、2006年からサンスター取締役副会長を、2007年から同社代表取締役会長を務めるなどし、選択と集中による経営資源の配分を進めるなどした。
平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月2… 平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月26日 - 2006年 <平成18年> 4月8日)は、日本の経営者。工学博士。四国電力社長、会長を歴任。位階は正四位。 愛媛県西条市出身。1941年に京都帝国大学工学部を卒業し、技術士官として、海軍技術研究所での勤務を経て、1947年5月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1968年5月に取締役に就任し、1969年6月に常務、1974年11月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1985年6月に相談役に就任。 1978年5月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年4月8日老衰のために死去。89歳没。
佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日… 佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 - 1989年〈平成元年〉10月5日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。プロ野球・近鉄バファローズのオーナーでもあった。アメリカの大陸横断鉄道の2階建てドームカーを参考にした、世界で初めての2階建電車による特急車のビスタカーの生みの親でもある。位階は正三位。 愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)で、佐伯源三郎の三男として生まれる。丹原小学校、松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)と進むが、父親の方針で京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)へ転校、さらに第三高等学校(旧制・三高)を経て東京帝国大学法学部を卒業した。
渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)… 渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)4月18日 - 1961年(昭和36年)3月14日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県、後の西条市の農家に生まれる。10歳で父が死去し、商店や銅山で働き、17歳の時に一家で九州に移った。 1925年(大正14年)中島炭鉱に入社し採炭作業に従事。1933年(昭和8年)熊ヶ畑炭鉱(山田市)を開鉱。1936年(昭和11年)篠谷炭鉱(二瀬町)を開鉱。その後、伊岐須鉱・後牟田鉱(二瀬町)、赤間鉱(宗像町)、古月鉱(鞍手町)、稲築鉱、水江鉱などを経営し、渡辺鉱業社長、渡辺商事社長となる。1947年(昭和22年)小倉硝子工業を設立し社長に就任。
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11… 高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。 愛媛県西条市出身。高橋岩吉の長男として生まれる。明治40年(1907年)3月、北予中学(現松山北高校)卒業。明治42年(1909年)11月、警視庁巡査となる。 1909年12月、神田警察署勤務となり、深川警察署、三ノ橋警察署、本所相生警察署、早稲田警察署で勤務。大正4年(1915年)2月、警察官練習所を卒業。同年3月、内務省に転じ、内務属として警保局保安課に配属され、さらに同局図書課に異動。同年10月、文官高等試験行政科試験に首席で合格。
近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月… 近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月1日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県桑村郡、後の周桑郡吉岡村(現西条市)で農家・近藤保太郎、フサ夫妻の三男として生まれる。父の事業の失敗で家産が傾き、家族総出で行商などを営む。1897年11月、歩兵第22連隊に入隊し、1898年10月、台湾守備隊に編入され渡台。1900年に除隊となるが、内野辰次郎中隊長の勧めで憲兵隊に志願するも馬術訓練中の事故で骨折し、その後の経過が思わしくないため、同年11月に後備役免除となった。 その後、北海道空知郡滝川村江部乙に移住していた兄・桝太郎の勧めで、1901年、母、妹と共に江部乙に移転。
岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2… 岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2年6月1日) - 1928年(昭和3年)5月7日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 伊予国新居郡大町村(西条町を経て現西条市)で、素封家・岡本文吾の第四子として生まれる。西条育英館を卒業する。1905年(明治38年)家督を相続。1908年(明治41年)大町村会議員に当選。議員を務める傍ら西条水力電気設立に参画し、西条銀行頭取などを務めた。ほか、相続税審査、所得税調査各委員などを務めた。 1918年(大正7年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1… 工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1916年(大正5年)5月2日)は、明治から大正初期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県新居郡神戸村長。旧姓・三並。 伊予国新居郡中野村(愛媛県新居郡中野村、神戸村を経て現西条市)で三並家に生れ、その後、神戸村の工藤淑三の養子となる。漢学を修めた。農業を営む。 自由民権運動に加わり、植松暢美らと政治団体・正志社を結成。大同団結運動では大同派東予倶楽部で活躍した。1883年(明治16年)愛媛県会議員に選出され、1894年(明治27年)3月まで在任し、同常置委員も務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第4区、自由党)で当選し、弥生倶楽部に所属し衆議院議員に1期在任。