西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )… 西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )は、日本の実業家、政治家。高知県安芸市長(1期)。 安芸市出身。上智大学法学部国際関係法学科卒業。1997年4月、株式会社富士通金融システムズ入社、2002年12月、日本アイ・ビー・エム株式会社入社、2006年1月、安芸市において新規就農、2017年8月、はぐみ農園社長。 2022年に安芸市議会議員に当選。1期務めた後、2025年8月の安芸市長選挙で無投票で初当選した。 2025年9月、安芸市長就任。
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023… 樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023年9月15日)は日本の政治家、元町田市議会議員(1期)。障害者運動の社会活動家、著作家である。 1951年、高知県安芸市生まれ。1歳半で脊椎カリエスを罹患し、中学時代は寝たきり状態の中で施設での生活を体験する。安芸高校の商業科を卒業。このころ、後のパートナーである近藤秀夫に出会う。 1972年、近藤と結婚した。埼玉県へ移り、近藤と生活しつつ高千穂商科大学で会計学を専攻する。卒業後は東京都町田市で障害者の訪問介護事業に携わる。 1984年、ダスキンの「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生としてアメリカにわたる。カリフォルニア州バークレーの自立生活センターで身体障害者や知的障害者の当事者運動を学ぶ。
胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)… 胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)9月20日 - 1947年(昭和22年)3月22日)は、日本の大正・昭和期の政治家、実業家、自由民権運動家。農林審議会議員、米穀統制調査会委員、大日本国粋会幹事長、藤原製材会社社長。 明治9年(1876年)9月20日、旅館業を営む胎中弥平の次男として、高知県安芸郡安芸町(現安芸市)に生れる。母は芳子。 この明治9年(1876年)9月は、折しも明治天皇が国憲草案起創の詔勅を元老院へ御下賜された時にあたり、楠右衛門はことあるごとにそれを深く認識するようになり、晩年「憲政碑」の建立へもその思いがつながっている。 明治23年(1890年)、上京し、神奈川県愛甲郡厚木町(現・厚木市)に居を定めた。
富田 幸次郎(とみた こうじろう、1872年11月1日〈明治… 富田 幸次郎(とみた こうじろう、1872年11月1日〈明治5年10月1日〉- 1938年〈昭和13年〉3月23日)は日本の新聞人、政治家、第32代衆議院議長、双川と号した。 1872年(明治5年)、高知県安芸郡川北村(現:安芸市)に生まれた。川北小学校を出て芸陽学舎卒業。安芸地方の教員になる。 1887年(明治20年)代末頃土陽新聞記者になり日露戦争の従軍記者に選ばれたが土陽新聞の内紛(中央派vs郡部派の争い)により退社。 1904年(明治37年)9月同志、岡本方俊、野中楠吉、杉駸三郎、藤戸達吾らと高知新聞を興し、その主筆となった。対向紙土陽新聞と筆を競いつつ次第に声望ほ高めた。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙に故郷の高知県から立候補して初当選。
五藤 正形(ごとう まさかた、1866年9月9日(慶応2年8… 五藤 正形(ごとう まさかた、1866年9月9日(慶応2年8月1日)- 1936年(昭和11年)12月17日)は、明治・大正期の政治家。貴族院多額納税者議員。土陽美術会高知支部長。土佐図書倶楽部(土佐史談会の前身)創設者。板垣伯銅像記念碑建設同志会監事。勲四等・士族。安芸五藤家10代目当主。 慶応2年8月1日(1866年9月9日)、土佐藩家老(5000石)・五藤正身(内蔵助)の長男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。母・利喜子(福留錠之助長女)は正身の側室であったため、正形は高知城下ではなく、父の所領の土居(※土佐藩における幕府へ無届けの城)で育つ。 父の正室・加賀野井多賀子(桐間成卓(主鈴)女)に、子が生まれなかったことから、明治2年(1869年)3月、土佐藩家老(執政)の父の招きにより、生母・利喜子と共に高知城下へ移る。
中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9… 中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9月20日) - 1944年(昭和19年)1月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家。高知県高岡郡須崎町長、高知市長。高知県会議員。 五藤家の旧臣・中島作次の次男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。1883年(明治16年)高知県師範学校中等科を卒業後、安芸郡大井・井ノ口、土佐郡潮江などの訓導を経て、幡多郡視学。その後、県属となり、1908年(明治41年)香美郡長、1912年(大正元年)吾川郡長、1914年(大正3年)高岡郡長を経て、1917年(大正6年)12月、高知市長に就任。1921年(大正10年)12月まで務める。 満期辞任後は、1922年(大正11年)高知県教育会長を15年務め、さらに同年、高知信用組合を設立し、組合長に就任した。