楠田 大蔵(くすだ だいぞう、1975年〈昭和50年〉4月2… 楠田 大蔵(くすだ だいぞう、1975年〈昭和50年〉4月20日 - )は、日本の政治家。元福岡県太宰府市長(2期)。衆議院議員(3期)、防衛大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)を務めた。 父は筑紫野市長などを務めた楠田幹人。 福岡県筑紫野市生まれ。久留米大学附設中学校・高等学校卒業後、2年間の浪人生活を経て、東京大学に入学。2000年、東京大学法学部を卒業し、住友銀行に入行。退職後に国家公務員試験Ⅰ種に合格し、27歳で羽田孜元首相の秘書に転じた。 2003年の第43回衆議院議員総選挙に福岡5区から民主党公認で立候補。自由民主党の原田義昭に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。
山内 康一(やまうち こういち、1973年8月25日 - )… 山内 康一(やまうち こういち、1973年8月25日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、みんなの党国会対策委員長(初代)、旧立憲民主党国会対策委員長代理、同政務調査会長代理などを歴任した。高祖父は立憲政友会所属で元衆議院議員山内範造。叔父は太宰府市長を務めた佐藤善郎。 福岡県筑紫野市生まれ。福岡県立筑紫丘高等学校卒業後、国際基督教大学教養学部国際関係学科に進学。卒業後、国際協力事業団(JICA、現国際協力機構)に就職。インドネシア、フィリピン等のアジア諸国への技術協力プロジェクトや専門家派遣業務に携わる。国際協力事業団の他、ピースウィンズ・ジャパン(NGO)等の複数のNGOでの勤務を経て、インドネシア、東ティモール、アフガニスタン、インド等で難民や地震・洪水の被災者のための緊急人道援助活動や、学校建設・農村開発等の開発支援活動に従事した。
鬼木 誠(おにき まこと、1963年12月7日 - )は、日… 鬼木 誠(おにき まこと、1963年12月7日 - )は、日本の政治家、労働運動家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。自治労の組織内候補で、党内グループ「サンクチュアリ」に所属している。 福岡県筑紫野市生まれ。1982年福岡県立筑紫高等学校を卒業し福岡県庁入庁。1989年より福岡県職員労働組合青年部長へ就任した。その後、同県筑紫支部長・県職労本部執行委員(労安部長)・県職労本部書記長・県職労本部執行委員長を経て、2014年より全日本自治団体労働組合(自治労)中央本部組織対策局長となり、同総合公共民間局長、同本部書記長を務めた。2021年、立憲民主党参議院比例第15総支部長に就任。 2022年7月の第26回参議院議員通常選挙に比例区から立憲民主党公認で立候補し、初当選した。
平井 一三(ひらい かずみ、1954年4月3日 - )は、日… 平井 一三(ひらい かずみ、1954年4月3日 - )は、日本の政治家。福岡県筑紫野市長(1期)。元福岡県議会議員(3期)、元筑紫野市議会議員(1期)。 福岡県筑紫野市出身。福岡大学大濠高等学校を経て、九州工業大学工学部開発土木工学科卒。建設会社やコンサルタント会社に勤務した後、家業の有限会社徳光興産に入り、代表取締役に就任する。 2007年筑紫野市議会議員に当選。2011年福岡県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。3期務める。 2023年1月22日の筑紫野市長選挙では自由民主党筑紫野市支部の推薦を受け出馬。自民党福岡県連は現職の藤田陽三を推薦したため分裂選挙となった。12年振りの選挙戦となり初当選。
藤田 陽三(ふじた ようぞう、1942年〈昭和17年〉2月2… 藤田 陽三(ふじた ようぞう、1942年〈昭和17年〉2月20日 - 2023年〈令和5年〉8月1日)は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(3期)、元福岡県議会議員(5期)、元筑紫野市議会議員(2期)。 福岡県筑紫野市出身。山口村立山口小学校(現・筑紫野市立山口小学校)、筑紫野町立二日市中学校(現・筑紫野市立二日市中学校)、福岡県立修猷館高等学校夜間卒業。父の遺志を継ぎ、左官業に従事。 1974年(昭和49年)、第12回全国左官技能競技大会優勝。 1987年(昭和62年)5月から筑紫野市議会議員を2期務め、1991年(平成3年)11月から福岡県議会議員を5期務めた。 2011年(平成23年)1月30日に行われた筑紫野市長選挙に出馬し、初当選した。
船越 平八郎(ふなこし へいはちろう、1905年(明治38年… 船越 平八郎(ふなこし へいはちろう、1905年(明治38年)3月4日 - 没年不明)は、昭和時代の政治家。福岡県筑紫野市長。 福岡県筑紫野市出身。 1922年(大正11年)福岡県立朝倉中学校卒業。 1937年(昭和12年)山口村議会議員当選。1942年(昭和17年)、1947年(昭和22年)の連続三選する。 1949年(昭和24年)山口村長選当選、山口村村長となり、1953年(昭和28年)まで村長を務める。 1955年(昭和30年)筑紫野町議会議員当選。1959年(昭和34年)、1963年(昭和38年)の連続三選する。 1967年(昭和42年)筑紫野町長選にて当選、筑紫野町長となる。 1972年(昭和47年)4月1日の市制施行にあたり、初代筑紫野市長となる。
山内 範造(やまうち はんぞう、1865年5月6日(慶応元年… 山内 範造(やまうち はんぞう、1865年5月6日(慶応元年4月12日)- 1945年(昭和20年)3月17日)は、明治から昭和前期の農業経営者、銀行家、政治家。衆議院議員、福岡県筑紫郡筑紫村長。曾孫は元衆議院議員山内康一。 筑前国御笠郡、のちの福岡県筑紫郡筑紫村(筑紫野町を経て現筑紫野市)で、山内伊七郎、タヨの長男として生まれる。漢学を修めた。1894年(明治27年)3月に家督を相続し農業を営む。筑紫郡農会特別議員、福岡県農会特別議員、同評議員、帝国農会議員、同評議員、地方森林会議員などを務めた。 1897年(明治30年)筑紫村長に就任。1904年(明治37年)筑紫郡会議員となり同参事会員も務めた。