狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )… 狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 佐伯市立明治小学校2年生のときに『佐伯スラッガーズ』で野球を始め、佐伯市立昭和中学校では軟式野球部に所属。3年春は県大会で優勝し、九州大会ベスト4。中学までは投手も兼任していたが、主に遊撃手であった。 佐伯鶴城高校へ進学すると、投手に専念し、1年夏の大分大会では背番号12でベンチ入り。1年秋は背番号1を付けたが、県大会では明豊との準決勝に敗れ、高田との3位決定戦にも敗れ、県4位であった。エースとして臨んだ2年夏の大分大会は鶴崎工業との3回戦で敗退。2年秋は背番号10を付け、県大会ではまたも明豊との準決勝に敗れたが、杵築との3位決定戦には勝利し、県3位であった。
古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )… 古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれる。佐伯市立上野小学校3年生の時に野球を始め、佐伯市立昭和中学校在学時は硬式野球のクラブチームである佐伯マリンボーイズに所属していた。 大分県立佐伯鶴城高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年夏は背番号20ながら4番を務めた試合もあり、同年秋から4番に定着した。3年夏の大分県大会、大分国際情報との初戦(2回戦)では9球団、25人のスカウトが視察に訪れた中で本塁打を含む3安打の活躍で勝利に貢献した。同大会ではベスト4まで勝ち上がったが、準決勝で大分舞鶴に逆転サヨナラ負けを喫した。
佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大… 佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校4年時に「佐伯リトルヤンキース」で軟式野球を始めると、佐伯市立鶴谷中学校時代には「大分南リトルシニア」でプレー。九州大会でベスト4を経験した。 大分高等学校への進学後は、1年生の秋にエースの座を確保すると、2年生の秋から「4番・投手」として投打にわたって活躍。明豊高校と対戦した3年夏の選手権大分大会決勝では、延長10回を投げて5失点ながら、打者として4打数3安打を記録。チームを春夏通じて初めての全国大会出場へ導いた。全国大会では日本文理高校との1回戦に「4番・投手」として先発したが、8回を投げて13安打で5失点。
日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大… 日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 大分県佐伯市立色宮小学校では5年生から色宮少年野球クラブで投手として野球を始めた。佐伯市立米水津中学校時代は軟式野球部に所属した。 日本文理大附高では1年の秋からベンチ入りを果たし、2年秋の県南リーグではノーヒットノーランを記録した。 2008年(3年春)は34年ぶりに大分県大会で優勝したが、九州大会では初戦敗退。大分大会では初戦の2回戦で大分高校に初回の3安打で2失点したものの2回以降無安打13奪三振の投球を見せて最速144km/hも記録した。チームは次の3回戦で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。
川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - … 川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。妻は堀恵子。
西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )… 西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 佐伯豊南高時代は安藤信二(当時・青野姓)とバッテリーを組み、3年次の夏に4番打者として大分県大会で決勝に進出するが、エース・川崎憲次郎擁する津久見高に敗れ準優勝に終わった。自身は、3割4分6厘の好打率をマークした。 1988年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに外野手として入団。打力を活かすための転向であったが、後に再び捕手に戻る。 しかし、一軍出場が無いまま1994年限りで現役を引退した。引退後は福岡県に転居し、野球塾を運営。2023年末には地元で安藤、川崎とともに少年野球の指導にあたった。
安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、… 安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。現役時代は安藤 真児(読み同じ)の登録名も使用した。 佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎(津久見高)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。 1992年の日本シリーズには代打で出場。1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが、一軍では主に代打での起用が目立った。
野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は… 野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は、大分県佐伯市出身の元アマチュア野球選手(投手)、野球指導者。広島で監督を務めた野村謙二郎の弟。 佐伯鶴城高校では、1986年の夏の甲子園に出場し、エースとして活躍し、チームはベスト8に進んだ。高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは2度のリーグ優勝を経験した。 大学卒業後は、社会人野球の日本石油に入団し、都市対抗野球で2度の優勝を経験した。 その後は日本石油と駒澤大学でコーチを務め、2013年から2018年までに環太平洋大学の監督を務めた。2018年からは大学日本代表のコーチを務めている。その後は父親の介護のために退任し、地元へ戻っていたが2022年より監督に復帰した。
野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - … 野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球評論家。
大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - … 大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は… 阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳… 河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳)は、大分県出身のプロ野球選手。 佐伯鶴城高校から、1955年に読売ジャイアンツへ入団。4年目の1958年に一軍公式戦初出場を果たすと、翌1959年に76試合に出場、5月30日の対中日ドラゴンズ戦で代打満塁本塁打を放つが、シーズンでは打率.160、1本塁打に留まる。その後も外野の控えとして1960年に68試合、1961年に20試合に出場するが、両年とも打率1割台に終わり、1961年限りで現役引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。