スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )… 西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 佐伯豊南高時代は安藤信二(当時・青野姓)とバッテリーを組み、3年次の夏に4番打者として大分県大会で決勝に進出するが、エース・川崎憲次郎擁する津久見高に敗れ準優勝に終わった。自身は、3割4分6厘の好打率をマークした。 1988年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに外野手として入団。打力を活かすための転向であったが、後に再び捕手に戻る。 しかし、一軍出場が無いまま1994年限りで現役を引退した。引退後は福岡県に転居し、野球塾を運営。2023年末には地元で安藤、川崎とともに少年野球の指導にあたった。
安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、… 安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。現役時代は安藤 真児(読み同じ)の登録名も使用した。 佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎(津久見高)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。 1992年の日本シリーズには代打で出場。1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが、一軍では主に代打での起用が目立った。
盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、… 盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、日本の漫画家。大分県佐伯市出身。
竹内 力(たけうち りき、1964年〈昭和39年〉1月4日 … 竹内 力(たけうち りき、1964年〈昭和39年〉1月4日 - )は、日本の俳優・タレント・歌手・映画プロデューサー・YouTuber。RIKIプロジェクト所属。大分県佐伯市出身。本名の読みは「たけうち ちから」。愛称は「力さん」、「力ちゃん」。 父は家具職人だった。大分県立佐伯豊南高等学校卒業。高校時代はサッカー部に所属。 高校卒業後、高校の恩師の勧めで、大阪に出て三和銀行淡路支店(現・三菱UFJ銀行淡路支店)に勤務する銀行員となった。銀行員時代に習得した札勘定の技術が彼の代表作『難波金融伝・ミナミの帝王』で大いに役立ったと語っている。髪型は高校時代からリーゼントをしており、銀行員時代も社風を無視してリーゼントで通した。
宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元長距離走・マラソン選手、陸上競技指導者で、現在は宮崎県延岡市紺屋町で気功健康塾を経営している。大分県臼杵市出身。血液型はAB型。モントリオール、モスクワ、ロサンゼルスのオリンピック3大会で男子マラソン日本代表となる。一卵性双生児の弟の宗猛とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。 猛とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり猛とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。親の薦めで猛とともに大分県立佐伯豊南高等学校に進学、下宿生活を送る。
宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 猛(そう たけし、1953年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手・指導者である。現役時代の専門は長距離走・マラソンであった。一卵性双生児の兄宗茂、瀬古利彦とともに1980年代前半日本男子マラソンのビッグ3として、マラソン界をリードした。旭化成陸上部に所属し、引退後も指導者として2025年3月まで活動した(現在は顧問)。また、2012年11月から2016年10月まで公益財団法人日本陸上競技連盟中長距離・マラソン部長を務めた。 大分県臼杵市出身。茂とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり、茂とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。
塩月 勝義(しおつき かつよし、1952年8月14日 - 2… 塩月 勝義(しおつき かつよし、1952年8月14日 - 2000年9月11日)は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 佐伯豊南高校では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが津久見高に敗退。1970年ドラフト会議で西鉄ライオンズから8位指名を受けるが拒否し、協和醱酵工業へ入社。 1974年ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。オーバースローからのスライダー、シュートを武器にオープン戦などでは好投したが公式戦では活躍できなかった。 イースタン・リーグでは1976年6月にノーヒットノーランを達成、1977年に最多勝を獲得するなど活躍したが、一軍での登板は通算9試合に終わった。
伊達 治一郎(だて じいちろう、1952年1月6日 - 20… 伊達 治一郎(だて じいちろう、1952年1月6日 - 2018年2月20日)は、日本のレスリング選手。大分県佐伯市出身。1976年モントリオールオリンピックレスリング男子74kg級金メダリスト。 統合により母校を引き継ぐ大分県立佐伯豊南高等学校の正門横庭園には伊達治一郎の記念碑が宗兄弟の記念碑「栄光の軌跡」とともに設置されている。
広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999… 広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999年9月9日)は、大分県佐伯市勝尾出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 佐伯豊南高を卒業し、1965年に東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは一部昇格はならず、二部リーグ2位が最高成績であった。二部リーグ通算打率.303、4本塁打を記録。 1968年のドラフト2位でロッテオリオンズに入団。 1969年には山崎裕之が二塁手に回った後を受けてレギュラー遊撃手となる。9月16日の阪急戦(東京)で宮本幸信から初ソロ本塁打を放ち、この時の試合は、2回表に岡村浩二の適時打で先制され、3回表にはウインディの適時打で追加点を許した。その裏に広瀬のソロ本塁打で追い上げたが、4回表さらに2点を追加され阪急ペースの試合になったが、6回裏には有藤通世のソロ本塁打が飛び出し、次打者池辺巌が安打で出塁したがここで雷雨が激しくなってコールドゲームとなり、2-4で首位阪急に敗れた。
西嶋 泰義(にしじま やすよし、1946年(昭和21年)9月… 西嶋 泰義(にしじま やすよし、1946年(昭和21年)9月6日 - )は、日本の政治家。元大分県佐伯市長(3期)、元佐伯市議会議員(5期)。