首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - … 首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - )は日本の政治家。大分県議会議員。 以前は大分県を拠点に活動するローカルタレント。大分県竹田市出身。(有)オフィス・ケン代表取締役。ニックネームは「健ちゃん」。「豊後のスーパースター」とも呼ばれていた。 大分県立竹田高等学校卒業後早稲田大学に入学するが中退。中退後はお笑いの勉強に励み、その後大分に帰りイベントの司会などをしていたときにOBSラジオのディレクターにスカウトされ、同局の深夜番組『君のハートにナイトイン』のパーソナリティとして一躍有名になる。以来主にOBSの番組に多く出演し、大分ローカルタレントの第一人者として活躍を続けていた。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日… 阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(3期)。 竹田市出身。1954年(昭和29年)大分県立三重農業高等学校卒業。 竹田市役所に入り、同市助役を経て、1996年(平成8年)竹田市長に当選した。2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市長選挙はいずれも無投票当選だった。 竹田市は2005年(平成17年)に合併し、新しい竹田市が発足したが、合併後の市長選挙には不出馬だった。
本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11… 本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11月26日 - 1991年(平成3年)3月31日)は、昭和期の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 大分県直入郡白丹村(久住町を経て現竹田市)出身。1947年(昭和22年)大分師範学校卒。大分県内で小中学校の教員を務め、1972年(昭和47年)大分県教職員組合委員長となる。教職員の待遇改善、教育問題の解決に努め、日の丸・君が代反対運動などを推進した。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で大分1区から日本社会党公認で立候補して当選。この選挙で大分1区では同じ社会党から村山富市も当選し、2名当選した。翌年の第36回衆議院議員総選挙で落選した(同選挙では村山も落選した)。
黒川 文哲(くろかわ ぶんてつ、嘉永元年11月3日(1848… 黒川 文哲(くろかわ ぶんてつ、嘉永元年11月3日(1848年11月28日) - 1916年(大正5年)11月4日)は、豊後国直入郡竹田(現・大分県竹田市)出身の医師・政治家・実業家。大分の町、郡会議員、県会副議長を務めるとともに、竹田中学校や竹田駅、黒川文庫(現在の竹田市立図書館の前身)の設立に尽力する。 嘉永元年11月(西暦1848年11)、直入郡竹田(現・大分県竹田市)に黒川正章の嫡男として生まれた。黒川家は18世紀前半から続く医家(藩医)であり、文哲は黒川家の9代目に当たる。 岡藩(竹田藩)の藩校である由学館に学び、元治元年(1864年)には外科医の佐久間純徳に師事した。明治元年12月(1869年1月)には医学修行のために上京を命じられ、明治2年4月(1869年)に東京の岡藩御屋敷に入った。
野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保1… 野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保14年10月20日)– 1910年(明治43年)8月1日)は、幕末の岡藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・首藤。幼名・長之助、半之允。 豊後国直入郡竹田町(大分県直入郡竹田町を経て現竹田市)で、岡藩士・野尻雙馬の長男として生まれる。藩校・由学館、経武館で学び、その後、長崎に遊学した。文武に通じ、廃藩置県後は岡県の少属、大属を歴任。その後、大分県庁に出仕し、中属、権大属、大属、兼任判事、大分県属、同警部、大分郡長、直入郡長を歴任した。その後、1886年(明治19年)大蔵省御用掛に転じ、主税官、佐賀県書記官、高知県書記官を務めた。 1901年(明治34年)7月、朝倉親為の死去に伴う第6回衆議院議員総選挙大分県第3区補欠選挙で当選し(首藤邦基名義)、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙で大分県選挙区から出馬して再選され、衆議院議員を通算2期務めた。
朝倉 親為(親爲、あさくら ちかため、1843年7月12日(… 朝倉 親為(親爲、あさくら ちかため、1843年7月12日(天保14年6月15日)– 1901年(明治34年)5月9日)は、幕末の岡藩士、明治期の公吏・政治家・実業家。衆議院議員。 豊後国直入郡下木村(大分県直入郡会々村、豊岡村、竹田町、豊岡村(第二次)を経て現竹田市)で、岡藩士・朝倉親安の長男として生まれる。吟味見習を経て1865年(慶応元年)地方吟味役兼山林奉行となる。1869年(明治2年)岡藩租税司に就任。さらに郡尹補助、郡宰介、神社執事、刑法局管事、副検地司、山林司、少属などを務めた。廃藩置県により岡県が設置され、さらに大分県となり従前の事務取扱に任じられ、1872年(明治5年)大分県十四等出仕となる。