永松 悟(ながまつ さとる、1953年11月24日 - )は… 永松 悟(ながまつ さとる、1953年11月24日 - )は、日本の政治家。大分県杵築市長(4期)。 大分県杵築市出身。大分県立杵築高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、同志社大学法学部卒業。1978年(昭和53年)10月、大分県庁の佐伯福祉事務所に入庁。こども・女性相談支援センター所長、福祉保健部長などを歴任。 2013年(平成25年)3月、大分県庁を退職。同年10月の杵築市長選挙に無投票で初当選した。2017年10月に無投票で再選。2021年10月の市長選挙では選挙戦となったが元市議の衛藤竜一郎を破り3選。2025年10月の市長選挙も選挙戦となり4選。 2020年(令和2年)2月6日、杵築市が財政危機に陥っていることから、2022年度を目標とした緊急財政対策を取りまとめた。
阿部 未喜男(あべ みきお、1919年〈大正8年〉12月2日… 阿部 未喜男(あべ みきお、1919年〈大正8年〉12月2日 - 2005年〈平成17年〉12月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期、日本社会党)を務めた。 大分県速見郡杵築町(現杵築市)出身。熊本逓信講習所卒。 全逓地方本部委員長を経て、1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で旧大分県第2区から日本社会党公認で立候補し初当選。以降、当選7回。 社会党右派グループ「水曜会」の代表を務めた。1992年(平成4年)4月の春の叙勲で勲二等に叙され、旭日重光章を受章する。翌1993年(平成5年)、横光克彦に地盤を譲り、政界から引退する。政界引退後は横光の後援会会長を務めていた。 2005年(平成17年)12月7日、肝炎のため大分県別府市の病院で死去した。
緒方 孝男(おがた たかお、本名・佐藤孝男、1912年(大正… 緒方 孝男(おがた たかお、本名・佐藤孝男、1912年(大正元年)9月7日 - 1988年(昭和63年)11月4日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 大分県速見郡山浦村(山香町を経て現杵築市)で生まれる。1924年(大正13年)山香高等小学校を卒業した。 1934年(昭和9年)日本製鐵八幡製鉄所に工員として就職。戦後、八幡製鉄所労働組合運動に参画し、同労組執行委員、同副組合長、同三代組合長、日鉄労働組合連合会長などを務めたが、1950年(昭和25年)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の追放処分(レッドパージ)を受けた。 1951年(昭和26年)労働組合の支援を受け福岡県議会議員に当選。
本多 嘉一郎(ほんだ かいちろう、1903年(明治36年)8… 本多 嘉一郎(ほんだ かいちろう、1903年(明治36年)8月23日 - 1980年(昭和55年)5月15日)は、日本の映画人、地方政治家。第4代調布市長を1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)までの4期16年にわたり務めた。 1903年(明治36年)、大分県(現在の杵築市)に生まれる。 20代の頃の本多は、東亜キネマ京都撮影所(等持院撮影所)の撮影部に在籍し、1930年(昭和5年)久保義郎監督、岡田静江主演の無声映画『一度はすべての女に』の撮影技師などを務めた。 1931年、東亜キネマの経営不振から同社の業務を代行するために発足した東活映画社に移籍した。京都の映画会社である東活映画社が、1932年(昭和7年)に東京地区に撮影所を新設しようとした際、東京へ調査に派遣したのが本多であった。
八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)… 八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)1月23日 - 1980年(昭和55年)8月29日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、初代大分県旧杵築市長。 大分県速見郡八坂村大字日野(現杵築市)で、大分県会議長を務めた八坂三治の長男として生まれる。早稲田大学政治経済科で学んだが、中国大陸に心惹かれ中退して満州に渡った。1927年(昭和2年)政治家を目ざして帰郷。 1933年(昭和8年)八坂村会議員に選出された。別府自動車社長に就任し、1939年(昭和14年)大分県会議員となる。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、その後、民主党に所属し衆議院議員に1期在任した。
宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、1889年(明治22年)… 宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、1889年(明治22年)5月1日 - 1973年(昭和48年)5月31日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 大分県速見郡八坂村(現杵築市)で、酒造業の家に生まれる。大分県農学校(のち大分県立三重農業高等学校となり閉校)を卒業。 速見郡朝日村(現別府市)の兄が経営していた酒店を引き継ぐ。油屋熊八、梅田凡平らと別府宣伝協会を結成して全国に別府を宣伝した。豊洋水産取締役会長、鬼山地獄社長なども務めた。 1924年(大正13年)別府市会議員に選出され同議長にも就任。1943年(昭和18年)全国市会議長会(現全国市議会議長会)会長に就任。1935年(昭和10年)大分県会議員となり1期在任した。