福島 和毅(ふくしま かずき、2007年4月27日 - )は… 福島 和毅(ふくしま かずき、2007年4月27日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはMF。 神村学園高等学校出身。3年次の2025年、全国高校総体、全国高等学校サッカー選手権大会で優勝に貢献。自身も優秀選手に選出された。 2025年10月28日、アビスパ福岡へ2026年シーズンの内定加入が発表された。 国際ユース大会のU-18日本代表に選出された。
大迫 塁(おおさこ るい、2004年10月13日 - )は、… 大迫 塁(おおさこ るい、2004年10月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。 谷山SSS、FCサウサーレ、神村学園中等部を経て、高校は神村学園の高等部に進学。神村学園では1年生から選手権に出場し、2022年2月に2年生ながらセレッソ大阪に加入が内定した。高校最後の選手権では福田師王とともに活躍したが、ベスト4で大会を去った。セレッソに決めた理由は、中3の国体からセレッソのスカウト担当者がチェックしていたことと、練習参加した時に清武弘嗣がとても上手く、ここでサッカーをしたいと感じたから。 2023年4月5日、ルヴァンカップ・グループステージの京都サンガF.C.戦でプロデビューを飾った。
大里 皇馬(おおさと こうま、2004年7月11日 - )は… 大里 皇馬(おおさと こうま、2004年7月11日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 サガン鳥栖のアカデミー出身。U-18チームに所属していた2022年8月、2種登録選手としてトップチームに登録された。その後、2023年シーズンからの正式昇格が発表された。 2024年、レイラック滋賀FCに育成型期限付き移籍。 2025年、ラインメール青森に育成型期限付き移籍。 2025年12月12日、鳥栖、青森ともに契約満了を発表。
佐藤 璃樹(さとう りき、2003年11月30日 - )は、… 佐藤 璃樹(さとう りき、2003年11月30日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。Jリーグ・FC今治所属。ポジションはMF。 JFAアカデミー熊本宇城の8期生。進学先の神村学園高校では3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。2021年10月12日、2022年シーズンからのFC今治加入内定が発表された。 2025年7月19日、JFLの飛鳥FCへ育成型期限付き移籍。
深港 壮一郎(ふかみなと そういちろう、2000年8月12日… 深港 壮一郎(ふかみなと そういちろう、2000年8月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。Jリーグ・いわきFC所属。 2022年8月に立正大学からFC町田ゼルビアに2023年からの加入と2022年JFA・Jリーグ特別指定選手として選手登録することが発表された。 2023年6月、カマタマーレ讃岐に育成型期限付き移籍。 2025年、ブラウブリッツ秋田に期限付き移籍。 2025年7月22日にブラウブリッツ秋田の契約を解除して、いわきFCへの完全移籍を発表。
福満 隆貴(ふくみつ たかき、1992年2月22日 - )は… 福満 隆貴(ふくみつ たかき、1992年2月22日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のプロサッカー選手。JFL・ヴェルスパ大分所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 中学時代から攻撃的なポジションを務め、2列目からの飛び出しやラストパスを得意とするが、中学時代は試合によってディフェンダー(サイドバック、センターバック)を務めたこともあるほか、出水中央高等学校在籍中の3年間はボランチのポジションだったという。 高校卒業後、専門学校である九州総合スポーツカレッジ(大分県宇佐市)に進み、九州サッカーリーグに参加していた同校のサッカー部でプレー。卒業後の2012年より日本フットボールリーグ(JFL)のHOYO AC ELAN大分(現:ヴェルスパ大分)に加入。
八反田 康平(はったんだ こうへい、1990年1月8日 - … 八反田 康平(はったんだ こうへい、1990年1月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。日本フットボールリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションはミッドフィールダー。 鹿児島中央高校時代にはU-17日本代表としてU-17ワールドカップに出場。筑波大学4年時にはユニバーシアード代表に選出されて優勝を経験。2011年12月、清水エスパルスへの来季加入の内定が発表された。大卒の同期入団に河井陽介がいる。 2014年、出場機会を求めベガルタ仙台へ期限付き移籍する。しかし、リーグ戦での出場は3試合にとどまる。 2015年、清水に復帰。リーグ開幕戦からスタメン入りする。後半戦こそ出場機会を減らすが、キャリアハイとなるリーグ戦15試合に出場した。
谷口 堅三(たにぐち けんぞう、1988年12月22日 - … 谷口 堅三(たにぐち けんぞう、1988年12月22日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 2人の兄の影響で4歳からサッカーを始め、中学からはアミーゴス鹿児島の中心選手として活躍。J1チームからのオファーもあったが、当時J2のサガン鳥栖に入団。 2007年は、4試合無得点という結果だった。 2008年、開幕戦に出場すると、続く第3節にプロ初ゴールを決めたものの、レギュラーの座を確保するには至らず。2010年7月より、当時鹿児島県社会人サッカーリーグのFC KAGOSHIMAへ移籍することとなった。 チームの九州リーグ昇格後、3シーズンで53試合75得点と驚異的な得点力をみせ、3年連続リーグ得点王を獲得、チームのJFL昇格に大きく貢献した。
山田 裕也(やまだ ゆうや、1988年4月12日 - )は、… 山田 裕也(やまだ ゆうや、1988年4月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 アルテ高崎や群馬教員サッカークラブなどでプレーした同表記の選手とは別人。 2007年にれいめい高校卒業後、ヴォルカ鹿児島に入団。当時、ヴォルカ鹿児島のエースだった西眞一と2トップを組むなど、入団一年目から活躍する。2013年には、九州リーグ最優秀選手に選ばれる。所属が鹿児島ユナイテッドFCとなってもコンスタントに活躍を続け、2015年にはチームトップの11得点を挙げる。 2018年1月、現役引退と鹿児島ユナイテッドFCのスクールコーチ就任が発表された。
赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿… 赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ディフェンダー。 鹿児島実業高校時代には2度の全国高等学校サッカー選手権大会に出場。2年時の第83回大会には優勝を経験。キャプテンを務めた3年時の第84回大会には決勝に進出したものの、乾貴士・青木孝太・楠神順平を擁する滋賀県立野洲高校に延長戦の末に敗れ準優勝に終わる。 高校卒業後は鹿屋体育大学に進学。4年時にはキャプテンを務めるなどチームの中心選手として活躍。 大学卒業後の2010年から、ガイナーレ鳥取に入団。前期16節の金沢戦で交代出場によりJFL初出場を果たすと、その1分後に初ゴールを決めチームの勝利に貢献した。
田上 裕(たのうえ ゆたか、1986年1月12日 - )は、… 田上 裕(たのうえ ゆたか、1986年1月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のローカルタレント、YouTuber、元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 FC琉球などを経て、2010年に同年創設されたFC KAGOSHIMAに入団。2010シーズンから2012シーズンまで選手兼監督として活躍する。 2014年にチームがヴォルカ鹿児島と合併、鹿児島ユナイテッドFCとなった後も引き続き在籍し、2019年を以て現役を引退した。 2020年より所属していた鹿児島ユナイテッドFCの応援リーダーとして活躍し、テレビ解説やローカルタレント、YouTuberとして活躍。
中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )… 中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 鹿児島城西高校在学中の2003年に九州プリンスリーグで優勝し、全日本ユース選手権に出場した他、U-18日本代表としてAFCユース選手権2004に出場した。 2004年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団し、新人ながらも3得点をあげる。2年目はユース代表の遠征中に怪我をして更にワールドユースの代表に漏れその直後に全治2ヶ月の重傷を負いシーズンの半分以上を欠場した。3年目の2006年はJ1初スタメンの浦和レッズ戦でJ1初ゴールをあげた。 2004年シーズン途中に柱谷幸一が監督に就任してからは4バックを採用することが多くなり、スタメンでの起用は少なくなり、ボランチにも挑戦した。
佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1984年8月14日 - … 佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1984年8月14日 - )は、三重県出身のプロサッカー選手。レノファ山口FC所属。ポジションはミッドフィルダー(MF)。
村口 良平(むらぐち りょうへい、1984年4月28日 - … 村口 良平(むらぐち りょうへい、1984年4月28日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションは、GK。
徳重 健太(とくしげ けんた、1984年3月9日 - )は、… 徳重 健太(とくしげ けんた、1984年3月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・愛媛FC所属。ポジションはゴールキーパー。 元々は鹿児島実業高校への進学を希望していたが金銭面の問題で両親に説得され国見高校へ進学した。 在学中の先輩に大久保嘉人、松橋章太などが、後輩に平山相太、渡邉大剛などが、同級生には徳永悠平などがそれぞれいる。2年時に高校タイトル3冠を達成し、3年時には主将として全日本ユースと高校選手権を制した。また、その活躍が認められU16代表から各年代の代表に選出されていた。 2002年に浦和レッズに入団したが、都築龍太と山岸範宏の前に在籍3年間で出場機会を得ることができずにいた。
船津 佑也(ふなつ ゆうや、1983年11月22日 - )は… 船津 佑也(ふなつ ゆうや、1983年11月22日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはゴールキーパー。 鹿児島城西高校出身。2年生時には正GKとして同高校初となる全国高等学校サッカー選手権大会出場に貢献。卒業後は高校のチームメイトであった挽地祐哉と共にジュビロ磐田へ入団。 2003年に湘南ベルマーレへレンタル移籍。翌年、完全移籍 するも同年限りで戦力外となる。2005年にロッソ熊本へ移籍するが公式戦開幕前に退団。2006年にニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)に移籍。 2011年はHOYO AC ELAN大分でプレー。2012年01月10日にH大分を退団、現役を引退した。
松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - … 松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー及びディフェンダー。 兄の影響でサッカーを始める。 1999年に鹿児島実業高校に進学。3年時のインターハイ及び選手権では、同期の赤嶺真吾、立石飛鳥、登尾顕徳と共にベスト4入り。同年、明治大学サッカー部のセレクションを受け合格していたが、ガンバ大阪からオファーを受け、高校卒業後の2002年、G大阪に入団。主に右サイドバックとしてルーキーイヤーから多くの試合にベンチ入りし、Jデビューも果たした。 2005年には自己最多の14試合に出場するも、2006年は右WBに加地亮が加入したことなどにより出場機会に恵まれず、公式戦の出場機会確保と気持ちをリセットするために 同年6月から2007年12月までの1年半という長期の期限付き移籍でアルビレックス新潟へ移籍した。
木下 健生(きした たつき、1983年10月13日 - )は… 木下 健生(きした たつき、1983年10月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。JFL・ホンダロックSC所属。
挽地 祐哉(ひきち ゆうや、1983年5月2日 - )は、鹿… 挽地 祐哉(ひきち ゆうや、1983年5月2日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。登録ポジションはMFだが、守備的なポジションならどこでもこなせるユーティリティープレイヤー。本職はボランチだが、徳島では主にDFとしてプレーしていた。 2002年にジュビロ磐田に入団。2004年に湘南ベルマーレ、2005年に徳島ヴォルティスへ移籍。 2010年にJFLの金沢にレンタル移籍していたが、2010年シーズンでの現役引退を発表したが、2014年から徳島県社会人1部リーグのイエローモンキーズでプレーしている。
椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、… 椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 高校時代は、名門鹿児島実業高校で10番を背負い、高校総体などに出場した。その後、大阪ガスに入社し、関西サッカーリーグに所属する同社のサッカー部でアマチュア選手として仕事とサッカーを両立していた。 2001年、Jリーグディビジョン1(J1)・ジェフユナイテッド市原が実施していたアマチュアチームのセレクションに合格するものの、安定した生活を捨てきれず大阪ガスに残留。その後は、大阪ガスサッカー部に在籍しながら市原のキャンプや練習に参加してきた。なお、2002年には国体サッカー成年男子の部で優勝を飾っている。
遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )… 遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はガンバ大阪のコーチを務める。 実兄の遠藤彰弘も元プロサッカー選手。日本代表国際Aマッチ出場数最多記録保持者。2009年アジア年間最優秀選手。2014年JリーグMVP。また、Jリーグではアシストの統計をとっていないため、公式記録ではないが、2018年シーズン終了時点での通算Jリーグ最多アシストを記録している。 鹿児島県鹿児島郡桜島町に三人兄弟の三男として生まれ、6つ年上の長男・拓哉と4つ年上の次男・彰弘に影響され、物心ついた頃から自宅の庭でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップのビデオを見ては、気に入ったプレーを真似していたという。
平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は… 平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は、鹿児島県出身 の元サッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島市立西陵小学校、鹿児島市立西陵中学校を卒業。1993年、鹿児島実業高等学校に入学。1年生時は2学年上の城彰二と2トップを組む。3年時の第74回高校サッカー選手権で優勝(静岡学園高と両校優勝)を果たすと、1996年に鹿島アントラーズへ入団。同期に柳沢敦や池内友彦がいる。1998年にはブラジルのCFZ・ド・リオへ留学を果たし、1999年、当時の代表監督フィリップ・トルシエに見込まれ、シドニーオリンピック予選の代表に選出された。アジア予選ではゴールを量産し、チーム最多の17得点を挙げる活躍を見せ、本戦出場の原動力となった。
遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )… 遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 実弟の遠藤保仁も元プロサッカー選手。横浜在籍時、ガンバとの対戦は兄弟対決として注目されることも多かった。 1994年にJリーグの横浜マリノス(後の横浜F・マリノス)に入団。長きに渡りレギュラーとして活躍した。2004年には中村俊輔の移籍で空いた10番も付けたが、2005年には故障に加え、補強選手や若手の台頭もあって出場機会が激減。7月にヴィッセル神戸へ完全移籍。2008年に契約満了で退団後、5月13日に引退を発表した。
野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )… 野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 小学3年時からサッカーを始めて、鹿児島市立明和中学校を卒業後、鹿児島実業高校へ入学。城彰二、遠藤彰弘らが高校の同級生に当たる。第72回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をあげ、得点王に輝いた。その後九州産業大学へ進学するが1年で中退し、1995年にガンバ大阪へ入団。リーグ戦2試合に出場するも、1997年にケガのためにG大阪を退団。1998年に京セラへ入社した。 2018年6月、京都サンガF.C.のスポーツダイレクターに就任した。
藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は… 藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現 鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 小学校3年生のときに兄の影響でサッカーを始める。1989年に鹿児島実業高へ進学。1990年度の全国高校選手権で準優勝。在学中、鹿児島県選抜として3年連続で国体に出場した。この頃学んだスライディングに頼らずにボールを奪う守備が後々ディフェンダーとして活かされることになった。同期に前園真聖、仁田尾博幸。 1992年に高校を卒業し東京ガスに入社。ジャパンフットボールリーグ所属の同社サッカー部(1999年よりFC東京)に加入した。午前にガスメーターの検針を担当し、午後に練習をこなすという社員選手として活動を続けていたが、1994年からはJリーグ参画に向けて体制作りを進めるチームの方針に沿ってプロ契約を締結。
片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 -… 片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA Proライセンス所持)。現役時代のポジションはディフェンダー。 鹿児島市立錦江台小学校、鹿児島市立和田中学校出身。鹿児島実業高等学校から1990年、マツダSCへ入団。当初はサテライトチームであるマツダSC東洋で鍛えられると、左SBとして頭角を現す。1994年のサンフレッチェ広島のステージ制覇にも貢献した。スチュワート・バクスター体制では不動のレギュラーだったが、1995年に就任したビム・ヤンセン体制では路木龍次に取って代わられるようになり、同年シーズン途中に柏レイソルへの移籍を決断。
小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は… 小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。 鹿児島商業高校では1学年上に池ノ上俊一がいる。東海大学を卒業後、1990年に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部に加入。JSL1部第1節の、ヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューを果たし、この試合で初アシストを記録した。1990-91シーズンにはリーグ戦通算11試合に出場したが、翌1991-92シーズンは4試合の出場に留まった。1992年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶも同年限りで退団。 引退後は郷里の鹿児島に戻り、1993年に創部されたばかりの鹿児島城西高校のサッカー部の監督に就任。
上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿… 上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、元サッカー審判員(元国際審判員)。元日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長。 息子はサッカー選手の上川琢。 鹿児島高専3年修了後中退、東海大学を経てフジタ工業でプレーした。1992年引退後、日本初のプロサッカーリーグ(Jリーグ)のために設置された選手経験者向け審判養成講座の一期生として審判員のキャリアをスタートする。1994年、1級審判員を取得し、1996年にJリーグの主審デビュー。1998年から国際主審登録され、国際Aマッチでも笛を吹いた。2002年からはJFAのスペシャルレフェリー(現:プロフェッショナルレフェリー)(審判活動によって主たる収入を得る審判員)として活動していた。
松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2… 松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2017年8月11日)は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー指導者。鹿児島実業高等学校サッカー部総監督。鹿児島県サッカー協会副理事長、九州サッカー協会常任理事、全日本ユース選手権大会実施委員。 市立甲南中学校時代にサッカーを始める。鹿児島市立鹿児島商業高等学校2年次の1958年に高校選手権に出場したが、2回戦で静岡県立藤枝東高等学校に敗れた。卒業後は一般企業に就職するが、知人の勧めもあり無線通信士を目指す様になった。上級資格試験まであと一歩の時に、鹿児島実業高校の教員に採用。当初は国家試験までの半年間の約束であったが、サッカー部の顧問も同時に引き受け、九州大会予選で優勝したことから本格的にサッカー指導者の道へ進む事になった。