横峯 良郎(よこみね よしろう、1960年(昭和35年)3月… 横峯 良郎(よこみね よしろう、1960年(昭和35年)3月15日 - )は、日本の実業家、ゴルフキャディー、ラジオパーソナリティ、政治家。プロゴルファーの横峯瑠依(長女)、横峯さくら(三女)の父。通称「横峯パパ」「さくらパパ」(「瑠依パパ」と呼ばれることもある)。参議院議員を1期務めた。 鹿児島県鹿屋市出身。 鹿児島県立串良商業高等学校卒業後は大阪のスーパーマーケットに就職。鮮魚部門で働くも退職し、鹿児島に帰郷。20歳の時に、大阪にいた頃から交際していた3歳年上の女性と結婚。3児をもうける。 兄の経営する保育園勤務などを経て、弁当屋のチェーン店に勤め独立。弁当屋を始め、10店舗まで拡大する。 プライベートゴルフ場を造成、この際に数千万の借金を抱えたが横峯姉妹の賞金から返済している。
網屋 信介(あみや しんすけ、1957年10月3日 - )は… 網屋 信介(あみや しんすけ、1957年10月3日 - )は、日本の政治家、実業家。元アジア開発キャピタル代表取締役社長、元衆議院議員、元メリルリンチ日本証券取締副会長兼投資銀行本部会長、財務大臣政務官(野田第3次改造内閣)、政府税制調査会事務局長などを務めた。 鹿児島県鹿屋市生まれ。鹿児島県立鹿屋高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1981年、山一證券に入社。1985年山一インターナショナル(ロンドン)に出向後、1986年にモルガン・スタンレー・インターナショナル・リミテッド(現モルガン・スタンレー証券)に入社後、1992年エス・ジーウォーバーグ証券(現UBS 証券)に転職。 1993年、鹿屋市長選挙に無所属で出馬したが、元鹿屋市助役の浅井隼人に敗れ、落選。
中西 茂(なかにし しげる、1953年〈昭和28年〉5月1日… 中西 茂(なかにし しげる、1953年〈昭和28年〉5月1日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(3期)。 鹿児島県鹿屋市出身。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、九州大学経済学部卒業。同年4月、鹿児島県庁へ入庁。2011年(平成23年)4月、同庁の農政部長に就任。 2013年(平成25年)8月9日、翌年の鹿屋市長選挙への立候補を視野に入れ、鹿児島県庁を退職。 2014年(平成26年)1月19日に行われた鹿屋市長選挙に無所属で出馬。自由民主党の推薦を受けた現職の嶋田芳博市長との一騎討ちを制し初当選した。2月5日、市長就任。選挙の結果は以下のとおり。
嶋田 芳博(しまだ よしひろ、1948年(昭和23年)8月1… 嶋田 芳博(しまだ よしひろ、1948年(昭和23年)8月1日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(1期)。 鹿児島県鹿屋市出身。1964年鹿屋市立鹿屋中学校卒業、1967年鹿児島県立鹿屋高等学校卒業、1971年水産大学校卒業。鹿屋青年会議所理事長、鹿屋ロータリークラブ会長などを歴任し、2010年の鹿屋市長選挙に立候補し、当選する。2014年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元鹿児島県職員の中西茂に敗れた。
森山 裕(もりやま ひろし、1945年4月8日 - )は、日… 森山 裕(もりやま ひろし、1945年4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、自由民主党鹿児島県連会長。名前の正しい表記は「しめす偏に谷」。
有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2… 有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2016年5月13日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 鹿児島県鹿屋市出身。鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。鹿屋市議会議員、鹿児島県議会議員を経て、1990年の総選挙で鹿児島3区から初当選。定数2で二階堂進・山中貞則という自民党の大物二人を相手にしたが、山中を28票差で破っての当選であった。1993年の総選挙で落選。衆議院議員1期。 落選後の1994年、鹿屋市長浅井隼人の死去による鹿屋市長選挙に無所属で立候補したが、元助役の山下栄に敗れて落選した。
土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 20… 土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 2004年11月2日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事を歴任。 鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市串良町)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)、第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)を経て、1949年3月 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月 総理庁に入庁。1952年 大分県民生労働部社会課長、1956年 経済企画庁調整局財政金融課専門調査員。1958年より地方自治庁へ転じる。自治省行政局選挙部長、国土庁地方振興局長、自治省税務局長、同省財政局長などを経て、1982年7月 自治事務次官に就任。自治官僚には珍しく行財政両面を経験した。
平田 禎(ひらた てい / ただし、1870年11月8日(明… 平田 禎(ひらた てい / ただし、1870年11月8日(明治3年10月15日)- 1945年(昭和20年)9月30日)は、明治から昭和初期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 大隅国肝属郡、のちの鹿児島県肝属郡鹿屋村(鹿屋町を経て現鹿屋市)で、大地主・平田五郎左衛門(のち五郎に改名)の息子として生まれる。普通学、和漢学を修め、1894年(明治27年)慶應義塾を卒業した。農業を営む。 父と和田井手の改築、和田新田の耕地整理事業の推進に尽力した。肝属郡会議員、同議長を務め、1911年(明治44年)鹿児島県会議員に選出された。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で鹿児島県郡部から立憲政友会所属で出馬して初当選。
東 一左右(ひがし いつそう、1845年2月18日(弘化2年… 東 一左右(ひがし いつそう、1845年2月18日(弘化2年1月12日) - 1914年(大正3年)11月22日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 鹿児島県出身。肝属郡高隈郷(後の高隈村、鹿屋市に編入)生まれ。薩摩藩校造士館で学ぶ。戸長、高隈村長、肝属郡会議員、同参事会員、鹿児島県会議員、同参事会員、所得税調査委員、鹿児島県教育会諮問委員、同授産学校常議員、高隈村農会長となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1914年に死去した。