五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月3… 五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月30日 - )は、日本の政治家。鹿児島県曽於市長(3期)、曽於市議会議員、末吉町議会議員などを歴任した。 鹿児島県曽於市出身。末吉町立光神小学校、末吉町立諏訪中学校卒業。1973年(昭和48年)3月、宮崎県立都城工業高等学校機械科卒業。同年4月、電気設備会社に就職。1976年(昭和51年)9月、空調設備会社に転職。1983年(昭和58年)6月、同社を退社。1984年(昭和59年)1月、有限会社五位塚冷暖房サービスを開業。 1987年(昭和62年)7月、末吉町議会議員に就任。計4回当選。 2005年(平成17年)7月1日、末吉町は財部町、大隅町と合併し、曽於市となり消滅。
児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正1… 児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正10年〉12月1日 - 2005年〈平成17年〉2月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 鹿児島県囎唹郡末吉村(現・曽於市)出身。1942年(昭和17年)、門司鉄道教習所卒。都城駅助役、国鉄労働組合宮崎県支部委員長などを経て、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に宮崎2区で日本社会党より立候補し当選、以後当選8回。 1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で落選した。2005年(平成17年)2月20日、肺炎のため都城市の病院で死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月… 山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現在の曽於市末吉町深川)出身。位階・勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民等多数。 衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(第31代)、自由民主党政務調査会長(第23代)、通商産業大臣(第41代)などを歴任した。 税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは名前の「貞則」を音読みした「テイソク」と呼ばれた。 旧制宮崎県立都城中学校(現在の宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。
中山 嘉兵衛(なかやま かひょうえ、1877年〈明治10年〉… 中山 嘉兵衛(なかやま かひょうえ、1877年〈明治10年〉2月4日 - 1923年〈大正12年〉9月27日)は、明治から大正時代の政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・嘉太郎。 鹿児島県囎唹郡岩川村(現・曽於市)で、豪商・先代中山嘉兵衛の長男として生まれる。1905年(明治38年)1月、家督を相続し嘉兵衛を襲名した。1912年(大正元年)9月、囎唹郡会議員となった。囎唹郡米穀商同業組合長、鹿児島県酒造組合連合会長、岩川村会議員、所得税調査委員などを歴任した。米の生産や品質向上、消防などに尽力した。また、志布志線敷設問題では鉄道院総裁の床次竹二郎を岩川に招くなどした。 1918年(大正7年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1922年(大正11年)9月4日まで在任した。
福島 美之助(ふくしま よしのすけ、1859年2月16日(安… 福島 美之助(ふくしま よしのすけ、1859年2月16日(安政6年1月14日) - 1920年(大正9年)11月23日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 後の鹿児島県曽於郡財部町(現曽於市)出身。鹿児島県農工銀行監査役となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1920年に死去した。