スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
垣内 麻里亜(かきうち まりあ、1995年1月7日 - )は… 垣内 麻里亜(かきうち まりあ、1995年1月7日 - )は、静岡第一テレビ(SDT)の社員。元アナウンサー。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校在学中の2011年にミスマガジン2011の候補者15名に選出される。一方2012年にはNHK杯全国高校放送コンテスト宮崎県予選のアナウンス部門で1位になった。 早稲田大学在学時にテレビ朝日アスクに通いアナウンサーを目指す。併せて『News Access』や『AbemaNews』に学生キャスターとして出演。 2017年、SDTに入社。同期のアナウンサーは臼井佑奈・鳥越佳那でいずれも1月生まれである。 臼井とは2020年にアナウンサー就活経験を伝える動画を企画した。
首藤 真吾(しゅとう しんご、1982年12月13日 - )… 首藤 真吾(しゅとう しんご、1982年12月13日 - )は、テレビ宮崎の元アナウンサー。現在ジャパネットのイベントプロデューサー。 宮崎県都城市(旧:北諸県郡高城町)出身。 都城市立四家中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒、九州工業大学、同大学院修了。 以降、PR装飾方法は、日本ゴルフツアー機構ダンロップフェニックストーナメント、日本女子プロゴルフ協会リコーカップ開催時にも引き継がれている。
戸田 賢良(とだ たかよし、1979年12月8日 - )は宮… 戸田 賢良(とだ たかよし、1979年12月8日 - )は宮崎県都城市出身の元プロサッカー選手。 妻ヶ丘中学校・都城泉ヶ丘高校時代は兄の戸田光洋と共に地元では天才兄弟で有名であった。 学生時代は兄を凌ぐほどの実力だったが、大学以降伸び悩み、J2の湘南ベルマーレに入団。入団後2004年までは本来のFWや攻撃的なMFで度々出場していたが、次第に出番が少なくなり2005年には高さと体をかわれDFに転身。2006年オフに戦力外となり、トライアウトを経てJFLのガイナーレ鳥取に移籍した。 ガイナーレでは2007年シーズン当初はDFとしてプレーをしたが、決定力不足というチーム事情からFWに戻ってプレーをしていた。
戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は、宮… 戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は、宮崎県都城市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。 現役時代のポジション登録はフォワード(FW)だったが、ミッドフィールダー(MF、サイドハーフ)や、ディフェンダー(DF、サイドバック)も務めた。 元サッカー選手の戸田賢良は実弟。 体育教師で 高校サッカー指導者でもあった 父の影響でサッカーを始める。都城泉ヶ丘高校在学中には、進学校で無名の同校サッカー部を県内有数の強豪へと押し上げ 宮崎県選抜として2年連続で国体に出場。父のように将来指導者になることを考えて、1996年に筑波大学へ進学。4年時(1999年)には関東大学リーグで優勝、得点王、ベストイレブン、MVPの4冠に輝いた。
宮村 眞也(みやむら しんや、1976年10月29日 - )… 宮村 眞也(みやむら しんや、1976年10月29日 - )は、日本の元ラグビー選手。 1995年、都城泉ヶ丘高校卒業後、関東学院大学に入る。 1999年、関東学院大学卒業後、NEC(現・NECグリーンロケッツ東葛)に加入。 2007年、現役を引退した。 2013年、2014年、明治学院大学ラグビー部 FWコーチ 2016年、2017年、青山学院大学ラグビー部 FWコーチ 2019年、2020年、クリーンファイターズ山梨 FWコーチ
西浦達吉(にしうら たつきち、1976年2月20日 - )は… 西浦達吉(にしうら たつきち、1976年2月20日 - )は、日本の元ラグビー選手。 都城泉ヶ丘高校、福岡大学、安川電機、バーンサイドクラブを経て、2002年、コカ・コーラレッドスパークスに加入。 2004年、カーディフで行われた対ウェールズ戦で日本代表初キャップを獲得する。 2007年、ラグビーワールドカップ2007の日本代表に選ばれる。なお同大会では3試合で先発出場した。 2015年1月にトップリーグ通算100試合出場を達成し、同年3月8日に行われたトップリーグオールスターで現役を引退した。
鶴宏史(つる ひろふみ、1975年 - )は日本の社会福祉学… 鶴宏史(つる ひろふみ、1975年 - )は日本の社会福祉学・保育学研究者。専門は障害児保育。帝塚山大学現代生活学部専任講師などを経て、武庫川女子大学文学部准教授。宮崎県出身。
東川 真紀(ひがしかわ まき、1973年7月23日 - )は… 東川 真紀(ひがしかわ まき、1973年7月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー[要出典]。宮崎県出身。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、大分県立芸術文化短期大学、作陽音楽大学を卒業後に都城ケーブルテレビ、宮崎シティFMでキャスターを務める。
井ノ上 正盛(いのうえ まさもり、1973年5月11日 - … 井ノ上 正盛(いのうえ まさもり、1973年5月11日 - 2003年11月29日)は、日本の外交官。イラク日本人外交官射殺事件で殉職した。位階勲等は従七位旭日双光章。熊本大学法学部卒業。学位は学士(法学)。 小学生時代から少林寺流空手道錬心舘に親しむ。熊本大学法学部法律学科に入学し、在学中に、外務省専門職員採用試験に合格。大学卒業後、1996年に外務省へ入省し、中近東アフリカ局中近東第一課を皮切りに在シリア大使館(含 語学研修)、在チュニジア大使館、在ヨルダン大使館兼イラク大使館員歴任後、在イラク大使館三等書記官となる。 三等書記官として赴任したイラクにおいて、2003年11月29日、奥克彦参事官(殉職により大使へ特進)とともにイラク戦争後の復興支援活動などの職務を遂行のため、同大使館現地職員ジョルジース・スライマーン・ズーラの運転する車に乗車しティクリート近郊を軽防弾車で移動していたところ、何者かの銃撃を受けて殉職(イラク日本人外交官射殺事件)した。
池田 宜永(いけだ たかひさ、1971年〈昭和46年〉4月7… 池田 宜永(いけだ たかひさ、1971年〈昭和46年〉4月7日 - )は、日本の政治家、元財務官僚。宮崎県都城市長(4期)。 宮崎県都城市出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1994年(平成6年)3月、九州大学経済学部経済学科卒業。同年4月、大蔵省に入省(大臣官房調査企画課)。1999年(平成11年)3月、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年7月、主税局調査課内国調査係長。2007年(平成19年)4月、宮崎県都城市の副市長に就任。2010年(平成22年)7月、財務省主計局主査(農林水産係)。2012年(平成24年)6月、財務省を退職。 2012年(平成24年)11月18日執行の都城市長選挙に、民主党と公明党の推薦を受けて無所属で出馬。
長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日… 長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、参議院外交防衛委員長、財務大臣政務官、都城市長等を歴任。父は元参議院議員の長峯基。 宮崎県都城市出身。都城市立妻ヶ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学時代は雄弁会に所属し、幹事長を務めていた。1995年(平成7年)から父の長峯基参議院議員の秘書、JC宮崎ブロック事務局長を務める。 1997年(平成9年)6月、宮崎県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。1999年(平成11年)4月、2期目の当選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。
馬渡 松子(まわたり まつこ、1967年12月17日 - )… 馬渡 松子(まわたり まつこ、1967年12月17日 - )は日本の歌手。宮崎県北諸県郡三股町出身。結婚をしていたが現在は離婚。
永山 智行(ながやま ともゆき、1967年 - )は宮崎県出… 永山 智行(ながやま ともゆき、1967年 - )は宮崎県出身の演出家、劇作家。都城市を本拠地とする劇団こふく劇場代表。元(公財)宮崎県立芸術劇場演劇ディレクター。 1967年、宮崎県都城市に生まれる。東京学芸大学に進学後、「演劇鑑賞」の授業の受講生による自主上演会にて演劇活動を開始。大学卒業後は就職せずに帰郷、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校演劇部出身者を中心に、1990年に劇団クロスピアを旗揚げする。1997年に劇団こふく劇場に改名。 1995年、『空の月、胸の石-それでもきみといつまでも』が日本劇作家協会新人戯曲賞最終選考にノミネートされる。翌1996年にも『北へ帰る』が2年連続で日本劇作家協会新人戯曲賞の最終選考に残る。
東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年… 東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年〉9月16日 - )は、日本の政治家、コメンテーター、タレント、作家。1980年代から1990年代にかけてビートたけしの一番弟子およびたけし軍団の一員としてそのまんま東名義でお笑いタレントとして活動。 2006年に政治家に転身し、2007年から2011年まで宮崎県知事(公選第17代)、2012年から2013年まで日本維新の会の衆議院議員(1期)を歴任した。 宮崎県都城市出身。都城市立東小学校、都城市立妻ケ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、専修大学経済学部経済学科卒業。 専修大学卒業後の1980年、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て(初回出演が水曜日だったため、火曜レギュラーだったたけしと会うには4日勝ち抜かなければならなかった)、1981年1月に付き人となる。
平原 四郎(ひらばる しろう、1950年(昭和25年)2月1… 平原 四郎(ひらばる しろう、1950年(昭和25年)2月11日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校を経て、福岡大学経済学部卒。筑紫野市議会議員、筑紫野商工センター顧問などを歴任する。1995年、筑紫野市長選挙に立候補したが落選。2003年、現職の田中範隆を破って筑紫野市長に初当選。2007年に再選。市長を2期務める。2011年の選挙で元福岡県議会議員の藤田陽三に敗れた。落選後は福岡大学客員教授を務めた。
岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - … 岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - 2019年1月31日)は、日本のジャーナリスト、元『噂の眞相』編集長・発行人。 鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)生まれ。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校(県をまたいで越境入学した)では野球部に所属。法政大学社会学部入学後、学生運動の闘士となり、大学3年のとき構造改革左派のプロレタリア学生同盟に参加。1970年に卒業後、70年安保を境に学生運動から脱落。同法学部に学士入学し、在学中は高田馬場で土方のアルバイトを経験。1972年卒業。 赤石憲彦率いる東京アドエージに入社し、以後2年半、業界紙の編集に携わる。1975年に退社し、新島史と共同で『マスコミ評論』を創刊、編集長となる。
山田 孝雄(やまだ たかお、1946年3月7日 - )は日本… 山田 孝雄(やまだ たかお、1946年3月7日 - )は日本の作詞家。宮崎県・三股町出身。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒、工学院大学電子工学科中退。 星野哲郎に師事。1972年、牧村三枝子「恋人形」で作詩家デビュー。1973年、『昭和枯れすすき』がTBSの人気ドラマ「時間ですよ」の挿入歌として話題となり、ミリオンセラーを記録。1982年、女優で歌手の松原愛と結婚。 日本音楽著作権協会理事、日本作詩家協会常務理事 2018年、12月より筆名を「波たかし」として新しい境地の作風を模索しながら、活動する。 JRAの元調教師・橋口弘次郎と親交があったこともあり、10曲以上の競馬に関連する楽曲の作詞を手がけている。
橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 -… 橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は、日本の元調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた。宮崎県北諸県郡三股町出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。 大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。1982年に厩舎開業。当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。 JRA騎手であった橋口満朗は実弟、JRA調教師の橋口慎介は長男。
南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は… 南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は、日本の経営者。日東紡社長。日本紡績協会会長。宮崎県都城市出身。
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 … 中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作詞家、作曲家。 主に演歌、歌謡曲を中心に作詞、作曲を行っていた。 宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作詞家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。 クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。 また、別名義に水沢圭吾・なかやま和郎・山下孝一郎がある。 テレビのワイドショーのコメンテーター(TBSテレビ『3時にあいましょう』『スーパーワイド』など)としても活躍する一方で、1989年から日本作詩家協会の常務理事を務めていたが、1999年に癌であることを公表した。
小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - … 小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - )は、日本の実業家。総合メディカル創業者。元総合メディカル代表取締役社長、現相談役(2020年10月現在)。 東京都葛飾区亀有生まれ。東京大空襲後、鹿児島県に疎開し、日本の降伏後、宮崎県都城市に転居した。1959年宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1961年三共(現第一三共)に入社した。その後1971年に入社した日医リースを経て、1978年総合メディカル設立、専務取締役就任。 1980年同社代表取締役専務。1990年同社代表取締役社長。2004年同社代表取締役会長。2012年同社取締役相談役。2017年同社相談役。 2002年社団法人九州・山口経済連合会(現一般社団法人九州経済連合会)評議員(現審議員)(~2006年) 2004年日本保険薬局協会(現一般社団法人日本保険薬局協会)設立時に総務委員長 2004年社団法人日本経済団体連合会(現一般社団法人日本経済団体連合会)評議員(現審議員)(~2013年) 2007年在福宮崎県人会会長 2009年福岡ベンチャークラブ会長 2009年在福岡スペイン国名誉領事館名誉領事(~2017年) 2011-2012年度国際ロータリー第2700地区ガバナー 2012年ピエトロ創業者村田邦彦、ふくや川原正孝、古賀マネージメント総研古賀光雄らと福岡市創業者応援ファンドを設立
桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )… 桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )は、日本の政治家。元宮崎県北諸県郡三股町長(3期)。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)三股町役場に奉職。議会事務局長・企画開発課長・総務課長・財政課長・収入役など歴任。1998年(平成10年)より2010年(平成22年)まで三股町長を3期務めたほか、2010年4月から2012年3月まで都城圏域地場産業振興センター副理事長も務めた。 3期目となった2006年(平成18年)の町長選挙では、公約として町長専用公用車を売却するとして当選後に実現した一方で、対立候補を応援した建設業者を町発注工事の指名競争入札から外したことを認めたり、選挙前に元後援会幹部へ現金を渡したことが2009年(平成21年)に明らかになると議会に自身の給与を減額する条例改正案を提案するなど、耳目を集める人物であった。
黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 20… 黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、日本の映画監督。代表作に『竜馬暗殺』『祭りの準備』『TOMORROW 明日』などがある。 母親の実家・三重県松阪市生まれ。兵庫県神戸市、宮崎県飯野町(現えびの市)を経て、5歳のときに父の仕事先満州に家族と渡り、少年時代は満州で育つ。1942年日本に戻り、中学から祖父母の住む宮崎県えびの市で育った。宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。高校時代の恩師の勧めで同志社大学法学部に進学。卒業後、岩波映画製作所へ入社。1958年の『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。
岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月… 岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月30日 - 2024年(令和6年)1月18日)は、日本の政治家。(旧)都城市の元市長。 宮崎県立都城商業学校(現宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)卒業。1948年、都城市役所に奉職。市長公室長・人事課長・農業委員会事務局長・水道局長・建設部長などを歴任。1977年4月都城市助役に就任。1984年12月、都城市長に初当選。その後2004年12月まで市長職を5期20年務める。都城北諸合併協議会の会長を務め、2006年に市町村合併により発足した(新)都城市の発足に大きく貢献した。 2004年12月、6期目を目指した都城市長選で35歳で元宮崎県議会議員の長峯誠に敗れる。
堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 -… 堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 - 2010年3月31日)は、日本の政治家。郵政大臣(第62代)、農林水産大臣(第13代)、衆議院議員(8期)、宮崎県都城市長(2期)等を歴任。
山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月… 山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現在の曽於市末吉町深川)出身。位階・勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民等多数。 衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(第31代)、自由民主党政務調査会長(第23代)、通商産業大臣(第41代)などを歴任した。 税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは名前の「貞則」を音読みした「テイソク」と呼ばれた。 旧制宮崎県立都城中学校(現在の宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。
広瀬 巌(ひろせ いわお、1915年12月15日 - 198… 広瀬 巌(ひろせ いわお、1915年12月15日 - 1982年10月11日)は、日本の柔道家(講道館九段)。 身長170cmに満たない小柄な体格ながら、戦前の明治神宮競技大会、昭和天覧試合、日本選士権大会、全日本東西対抗大会、戦後の全日本選手権大会等の主要大会で永く活躍。後に大阪府警察の柔道師範として後進の指導に当たり、今日の府警柔道の礎を築いた。 宮崎県出身。身長150cm・体重70kgの小躯ながら支釣込足や巴投、肩車の名手として名を馳せた尾崎伊助8段に柔道の手ほどきを受け、旧制都城中学校(のちの県立都城泉ヶ丘高校)を経て武徳会武道専門学校に進学すると、磯貝一や田畑昇太郎ら範士、阿部謙四郎等の先輩に学び、終生の得意技となる払腰・釣込腰・一本背負投等に磨きをかけた。
坂元 親男(さかもと ちかお、1911年2月2日 - 199… 坂元 親男(さかもと ちかお、1911年2月2日 - 1998年4月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 宮崎県北諸県郡高崎町(現都城市)出身。旧制宮崎県立都城中学校(現:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校・附属中学校)を経て、1932年、京都高等蚕糸学校(現:京都工芸繊維大学)卒業。宮崎県議会議員を5期務めた後、1969年の衆院選に自由民主党公認で出馬し初当選。1972年の衆院選で落選。1976年の参議院議員補選に宮崎県選挙区から無所属で出馬し当選。その後自民党に復党。参議院当選3回。自民党では番町政策研究所(三木武夫→河本敏夫派)に所属。1988年12月から翌年の6月まで竹下改造内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官を務めた。
石神 啓吾(いしがみ けいご、1907年(明治40年)8月3… 石神 啓吾(いしがみ けいご、1907年(明治40年)8月31日‐ 2001年(平成13年)8月21日) は、昭和期の政治家。衆議院議員(1期)、宮崎県東諸県郡高岡町長。 宮崎県東諸県郡高岡村(高岡町を経て現宮崎市)で、教育者・石神徳蔵の息子として生まれた。旧制宮崎県立都城中学校を経て、第七高等学校造士館で学んだ。 宮崎県会議員に選出され、同参事会員も務めた。 戦後、1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から日本社会党所属で立候補して落選。1947(昭和22年)4月の第23回総選挙で旧宮崎県第2区から立候補して当選し、衆議院議員に1期在任した。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に立候補したが落選した。
中瀬 泝(なかせ のぼる、1896年(明治29年)3月6日 … 中瀬 泝(なかせ のぼる、1896年(明治29年)3月6日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。宮崎県椎葉村出身。 旧制宮崎県立都城中学校より海軍兵学校第45期入校。席次は入校時100名中7番、卒業時89名中9番。 中瀬はロシア革命の結果誕生したソ連に脅威を抱いた日本海軍が、ソ連専門家として育成した最初の人物である。2度目のソ連駐在直前には軍令部第3部第7課勤務となるが、第7課はソ連関係の諜報を担当する部署である。 太平洋戦争開戦時は、全海軍士官の人事を掌握する海軍省人事局第一課長を務めている。航空戦艦「伊勢」艦長在任中は、囮部隊である小沢艦隊の一員としてレイテ沖海戦に参戦した。
吉薗 周蔵(よしぞの しゅうぞう、1894年〈明治27年〉5… 吉薗 周蔵(よしぞの しゅうぞう、1894年〈明治27年〉5月12日 - 1964年〈昭和39年〉10月)は、日本の諜報員。元帥陸軍大臣上原勇作個人付き陸軍特務を務めた人物。 「吉薗周蔵手記」という、陸軍特務時期の活動内容を記した手記を残している。これを元にした落合莞爾の研究に対し、偽史研究者の原田実は手記そのものが公開されていないという問題点を指摘した。 1894年(明治27年)5月12日、宮崎県西諸縣郡小林村(現在の宮崎県小林市)生まれ。父は吉薗林次郎、母はキクノ。吉薗家は山林を持ち、米作やたばこ等の商品作物栽培の他に薩摩節生産なども行なっている富農であった。 周蔵は算数、数学、物理の能力に長けており、数学は独学で知識を深めていた。
井上 知治(いのうえ ともはる、1886年(明治19年)7月… 井上 知治(いのうえ ともはる、1886年(明治19年)7月9日 - 1962年(昭和37年)9月19日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。国務大臣。 鹿児島県頴娃郡郡村(揖宿郡頴娃村、頴娃町を経て現南九州市)に生まれる。旧制宮崎県立都城中学校(現:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、第七高等学校造士館を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鈴木商店社員、読売新聞記者を経て、1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会所属で鹿児島県第1区から立候補し初当選。以後通算当選7回。政友会では床次竹二郎派、中島知久平派に所属した。 戦後は日本進歩党、民主党、同志クラブ、民主自由党、自由党、自由民主党と渡り歩き、1946年(昭和21年)第22回総選挙では進歩党公認で、翌1947年(昭和22年)第23回総選挙では民主党公認で、1949年(昭和24年)第24回総選挙では民自党公認で当選している。
今村 裕志(いまむら ひろし)は、産業技術総合研究所、ナノス… 今村 裕志(いまむら ひろし)は、産業技術総合研究所、ナノスピントロニクス研究センターに所属する、日本の物理学者である。