岡林 理恵(おかばやし りえ、1969年4月29日 - )は… 岡林 理恵(おかばやし りえ、1969年4月29日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長165cm、体重64kg、血液型AB型で、東京都中野区出身である。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
みなみ 鈴香(みなみ すずか、1969年4月18日 - )は… みなみ 鈴香(みなみ すずか、1969年4月18日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名は鈴木 美香(すずき みか)。 レスラー引退後に結婚、目黒区武蔵小山で焼肉店を夫婦で経営していたが、2016年年明けに閉店して地元へ戻ったと、みなみと現在も親交がある先輩・ダンプ松本がファンサイト内で語っている。 テーマカラー(紙テープの色)は黄色。 みなみの技は、ドロップキックなどの基本技からパワーボム、ジャーマン・スープレックス、ダイビング・セントーンなどのフィニッシュ・ホールドに至るまで、的確かつ美しく精度が高かった。技の失敗が極めて少なく、地味ではあったが玄人好みするレスリングを貫き通した選手でもあった。
高橋 義生(たかはし よしき、1969年3月13日 - )は… 高橋 義生(たかはし よしき、1969年3月13日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー。千葉県市川市出身。 1984年4月、八千代松陰高校入学、レスリング部に入部。2年後輩に藤田和之がいる。第41回国民体育大会 少年フリースタイル81kg級優勝の実績を残した。1987年4月、スポーツ推薦で日本大学経済学部経済学科に入学、国際大会で入賞 し、保健体育審議会レスリング部主将も務めた。 1991年3月に日本大学経済学部経済学科を卒業すると、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団、リングネームを高橋 義生とした。 1992年2月24日、後楽園ホールでバート・ベイルと対戦し、11分22秒KO負け。
船木 誠勝(ふなき まさかつ、1969年3月13日 - )は… 船木 誠勝(ふなき まさかつ、1969年3月13日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優、YouTuber。本名および旧リングネーム:船木 優治(ふなき まさはる)。青森県弘前市出身。血液型O型。 新日本プロレスから新生UWFとプロフェッショナルレスリング藤原組を経て、完全実力主義を標榜するパンクラスを設立し、自らエースとして第一線で活躍した。2000年のヒクソン・グレイシー戦をもって引退、芸能活動などを経て2007年に復帰。2009年からはプロレスラーとして活動している。2015年から大阪にパーソナルトレーニングジム「Hybrid Fitness」を開設し現地に移住している。YouTuberとしても活動している。
外道(げどう、1969年2月20日 - )は、日本の男性プロ… 外道(げどう、1969年2月20日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:高山 圭司(たかやま けいじ)。東京都武蔵村山市出身。新日本プロレス所属。血液型A型。 デビューから2022年3月まで「兄弟」こと邪道とのタッグチーム(邪道&外道)で活動していた(この間、ユニバーサル・プロレスリング時代にパット・タナカ&ビジャノ3号と『バッドカンパニー』を結成し、一時敵対したことがある)。邪道とのタッグは後記するユニバーサル、FMWの一時期を除き、30年以上に渡りほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長であった。過去の参戦団体を見た場合、邪道と共にその団体を離脱すると活動停止となることが非常に多い。
一宮 章一(いちみや しょういち、1969年2月14日 - … 一宮 章一(いちみや しょういち、1969年2月14日 - )は、日本のプロレスラー。東京都北区出身。DDTプロレスリング前社長。 父は先代・高砂親方(元小結・富士錦)こと一宮章。元横綱朝青龍のマネージャーだった一宮章広は実弟。それが縁でサンデージャポンの朝青龍関連コーナーに頻繁に登場。 立教高校時代は野球をしていた。父・章の影響で学生時代は相撲をしていたが、大相撲へは行かず1997年にWARに入門、7月16日にデビュー。 同団体が1999年に解散後はフリーとしてIWA・JAPANなどに参戦、ゴージャス松野の宿敵としてサンデージャポンに度々出演し知名度を上げる。 2002年からDDTプロレスリングに定着、2003年には社長に就任した。
冨宅 飛駈(ふけ たかく、1969年1月30日 - )は、日… 冨宅 飛駈(ふけ たかく、1969年1月30日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。本名:冨宅 裕介(ふけ ゆうすけ)。
フライングキッド市原(フライングキッドいちはら、1969年1… フライングキッド市原(フライングキッドいちはら、1969年1月25日 - )は、日本のプロレスラー。四国活性化事業四国OHENROエンターテイメントの所属であり、自ら代表も務める。本名は市原 昭仁(いちはら あきひと)。徳島県徳島市出身。身長170cm(公称、実際は156cm)・体重85kg。徳島市内のお好み焼き店の「ムーンサルト」のオーナーであり、ご当地グルメでのまちおこし団体「とくしま豆天玉連」の理事も務める。 FMW1期生として、1990年1月17日、熊本県熊本小国ドームにて、本名の市原昭仁として森重正臣とエキシビション・マッチでデビュー。正式なデビュー戦は、5月12日の青森・十和田市民体育館での尾内淳(現:ウルトラマンロビン)戦。
畠中 浩旭(はたなか ひろあき、1969年1月15日 - )… 畠中 浩旭(はたなか ひろあき、1969年1月15日 - )は、北海道出身のプロレスラー。本名およびデビュー当時のリングネームは畠中 浩(はたなか ひろし)。 大木金太郎に憧れ、レスラーを目指す。全日本プロレスに入団。程なくして、人間関係を理由に退団。 14歳の頃から自己流トレーニングを開始。韓国にいる大木金太郎に直談判を決行するが会うことができず帰国。韓国が駄目ならと、片道切符と1000ドルを握り締めメキシコへ渡ったが、何千人ものルチャドールのいるメキシコでいきなり試合をするのは難しく断念。それからも、レスラーデビューをしようと何度も海外へ渡ろうとした。苦労の末、最終的にプエルトリコに渡り、1990年3月、待望のプロレスデビューを飾ることとなった。
新山 勝利(にいやま かつとし、1969年1月11日 - )… 新山 勝利(にいやま かつとし、1969年1月11日 - )は、日本のプロレスラー。 FMWにて、1990年7月22日にデビュー。シューティング出身という触れ込みで、一時は何人にも増殖した覆面レスラー「ザ・シューター」のひとりとしてのデビューだった。 1992年、ただひとり残った「ザ・シューター」として活躍していたところを、ザ・シークによって試合中にマスクを剥がされる。しかしこの時は大流血のうえ、「どうやら日本でもデビューしたことのない選手」と一部マスコミが書いた以外は、誰もその正体を分からずじまいであった。同年5月24日のFMW有明コロシアム大会より、突如としてペイントレスラー「ザ・グレート・パンク」に転身、ギター破壊のパフォーマンスや、腰を振りながらのジャーマン・スープレックスなどで、没個性からの脱却をアピール。
GAMI(ガミ、1969年1月4日 - )は、日本の実業家、… GAMI(ガミ、1969年1月4日 - )は、日本の実業家、元女子プロレスラー。本名:二上 美紀子(ふたがみ みきこ)。大阪府八尾市出身。身長164cm、体重73kg。血液型B型。アルシオンのライセンスナンバー3。プロレスリングWAVE及びOSAKA女子プロレス運営会社「ZABUN」代表取締役会長。 アルシオン時代にはレディ・メタルと組み、覆面レスラー「ガミ・メタル」としても活動していた。 オリジナル技の数は100を超えると豪語していることや、キャッチフレーズの「無限の技を持つ女」に代表されるように多彩な技を駆使する。女子選手の中では比較的男子プロレスの技をアレンジせずに多く扱えるレスラーでもある。
長谷川 弘美(はせがわ ひろみ、1969年1月3日 - )は… 長谷川 弘美(はせがわ ひろみ、1969年1月3日 - )は、日本の元女子プロレスラー。埼玉県川口市出身。
スカルリーパーA-ji(スカルリーパー・エイジ、1968年1… スカルリーパーA-ji(スカルリーパー・エイジ、1968年11月13日 - )は、日本の覆面レスラー、政治家、プロ雀士。立憲民主党所属の大分市議会議員。 東京都立豊島高等学校中退後、地元大分県で暴走族2代目総長となる。 暴走族2代目総長を引退後、飲食店店員などを経てアパレルメーカー社員として働いていたが退職して幼少からの憧れであったプロレスラーになることを志す。 2003年、大分AMWプロレスに入門。12月24日、大分AMW大分県立荷揚町体育館大会の対ケンドー釜山戦でデビュー。 2004年5月31日、xXXx、バトルシャーク、小松VINNIと共に大分AMWを退団。6月22日、xXXx、シャーク、小松と共にプロレスリングFTOを設立。
長井 満也(ながい みつや、1968年11月10日 - )は… 長井 満也(ながい みつや、1968年11月10日 - )は、日本の男性プロレスラー。北海道砂川市出身。血液型B型。本名:長井 弘和(ながい ひろかず)。 中学卒業後、スーパータイガージムに入門。インストラクターの平直行に従い、1986年にシュートボクシングへ移籍。戦績は7戦5勝2敗だった。後に同団体のエースとなる吉鷹弘とも対戦をした。 1989年、第2次UWFに入門するが、田村潔司とのスパーリング中、首に重傷を負い長期入院、その影響からデビュー出来ず、団体分裂後は高田延彦が率いるUWFインターナショナルへ合流するも離脱。その後、前田日明率いるリングスに入門し、1991年8月1日、ヘルマン・レンティング戦でデビューを果たした。
尾崎 魔弓(おざき まゆみ、1968年10月28日 - )は… 尾崎 魔弓(おざき まゆみ、1968年10月28日 - )は、日本の女性プロレスラー。株式会社オザキック代表取締役社長。 本名:尾崎 まゆみ、埼玉県川口市出身、神奈川県横浜市緑区在住。身長158cm、体重53kg。血液型A型。 出身は北海道だが育ちは埼玉県。全日本女子プロレス入りを目指し、全女が運営するジムで練習生としてトレーニングを積み、全女のオーディションも受けたが不合格。1986年、17歳の時に旗揚げされたジャパン女子プロレスのオーディションを受け、合格して入門に至る。この頃同じく全女のジムに練習生として通っていた仲間には年齢は1つ後輩となる井上貴子がおり、尾崎がジャパン女子のオーディションを受ける際には井上を「一緒に受けない?」と誘ったが、全女にこだわった井上はその誘いを断った(尾崎のプロデビューから2年遅れで井上は全女でデビューを果たす)。
船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )… 船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都葛飾区出身。血液型A型。リングネームはFUNAKI(フナキ)。アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ在住。息子はプロレスラーのジェシー・フナキ 大学卒業後、アニマル浜口トレーニングジムでインストラクターを務めていた。その後、新日本プロレスに入門したが怪我により退団。アニマル浜口トレーニングジムでコーチを務めていた。 1993年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入門。12月5日、プロフェッショナルレスリング藤原組後楽園ホール大会で船木 勝一(ふなき しょういち)として対カール・グレコ戦でデビュー。 1994年10月、新日本プロレスで開催された「SUPER Jr. TAG LEAGUE」に石川雄規とタッグを組んで出場。
THE CRAZY SKB(ザ・クレイジー・エス・ケー・ビー… THE CRAZY SKB(ザ・クレイジー・エス・ケー・ビー、1968年8月23日 - 、以下SKB)は、日本の音楽家兼プロレスラー。本名は非公開。 初期の恐悪狂人団で「クレイジーSAKABA」と名乗っていたこともある。パンクレーベル「殺害塩化ビニール」の社長で通称「バカ社長」と呼ばれ、QP-CRAZY、猛毒、恐悪狂人団、ハイテクノロジー・スーサイド、怪奇!!動物アジテーターなどでボーカル、殺(KILL)ではノイズギタリストを務める。プロレスラーとしての顔も持ち、暗黒プロレス組織666を主宰する。 文章の語尾を「DEATH」(です。)にする表記を広くメディアなどで使い出した最初の人物とされる。弟がおり、自身が京都で結成したバンド「ありぢごく」のボーカルを引き継いだ。
ケンドー・カシン(1968年8月5日 - )は、日本の覆面レ… ケンドー・カシン(1968年8月5日 - )は、日本の覆面レスラー。本名は石澤 常光(いしざわ ときみつ)。 青森県南津軽郡常盤村(2005年3月の市町村合併により現在は藤崎町)出身。実家は青森県内有数の養鶏場「トキワ養鶏」を営んでいる。父は合併時まで同村の村長を務めた石澤善成。4人兄弟の三男。 レスリングの強豪校である光星学院高校(現:八戸学院光星高等学校)に入学。1986年、第41回国民体育大会ではレスリング少年の部フリースタイル70kg級で優勝。1987年、早稲田大学人間科学部入学。 早大入学後、レスリングで早くから活躍し、1987年秋季新人戦で優勝、大学2年で全日本学生選手権3連覇含む学生タイトル2冠、全日本選手権においては1989年から2年連続フリースタイル82kg級で準優勝。
石澤 常光(いしざわ ときみつ、1968年8月5日 - )は… 石澤 常光(いしざわ ときみつ、1968年8月5日 - )は、日本の覆面レスラー。リングネームはケンドー・カシン。
ミスター雁之助(ミスターがんのすけ、1968年6月20日 -… ミスター雁之助(ミスターがんのすけ、1968年6月20日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。本名:本田 雅史(ほんだ まさし)。長崎県長崎市出身。熊本商科大学(現:熊本学園大学)卒業。 大学のプロレス研究会で江崎英治(後のハヤブサ)と出会う。1991年、江崎と共にFMWの入団テストを受けて合格。6月22日に北海道羽幌小学校体育館の市原昭仁戦でデビューを果たす。当初は本名の「本田雅史」をそのままリングネームとして使用し、同年9月に「ミスター雁之助」と改名される。 1995年2月には大仁田厚と組んで、ミスター・ポーゴ、ザ・グラジエーターから世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。江崎に次ぐ次代のエース候補と目された。
ミスター雁之助(ミスターがんのすけ、1968年6月20日 -… ミスター雁之助(ミスターがんのすけ、1968年6月20日 - )は、日本のプロレスラー。本名:本田 雅史(ほんだ まさし)。長崎県長崎市出身。熊本商科大学(現:熊本学園大学)卒業。
鈴木 みのる(すずき みのる、本名・旧リングネーム:鈴木 実… 鈴木 みのる(すずき みのる、本名・旧リングネーム:鈴木 実/読み同じ、1968年6月17日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家、総合格闘家。神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION、サンミュージックプロダクション。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役。血液型B型。 横浜高等学校時代はレスリング部に所属。 ・ 3月、横浜高等学校時代の国体2位 という実績を残して1987年3月に新日本プロレスに入門。 3月、船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。 藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。
永田 裕志(ながた ゆうじ、1968年4月24日 - )は、… 永田 裕志(ながた ゆうじ、1968年4月24日 - )は、日本の男性プロレスラー。千葉県東金市出身。新日本プロレス所属。YouTuber。千葉県立成東高等学校、日本体育大学卒業。血液型AB型。 父は千葉県立高校の校長兼野球部監督を務め、千葉県立成東高校では鈴木孝政、中村勝広らを指導。妹であるネイルアーティストの永田貴子は、アメリカで開催されるネイルトレードショー・WINBAで1999年入賞、2000年優勝の実績を持ち、裕志はもちろん、弟である総合格闘家の永田克彦のコスチュームデザインも行う。克彦は、シドニーオリンピックのレスリングで銀メダリストとなった。新日本プロレスの試合でレスリングルールによる対戦もしている。
小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、… 小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、日本の男性柔道家、元総合格闘家、元プロレスラー、体育学者、YouTuber。東京都杉並区出身。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2013年)。 全日本柔道選手権では7度の優勝(山下泰裕に次ぐ歴代2位)、世界柔道選手権では100超級と無差別級の2階級制覇(1989年)を含む4度の優勝、バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得。現役時代はJRA職員として活躍。長男は柔道家で2018年世界柔道選手権代表の小川雄勢。 私立八王子高等学校の面接試験の際には、体格のよさを後に恩師となる面接官の小野実に見込まれて、入学したら柔道をやってみないかと問われた際に、本当はラグビーに興味を持っていたが、印象を良くするために柔道をやってみたいと答え、無事合格を果たした。
荒谷 望誉(あらや のぶたか、1968年3月7日 - )は、… 荒谷 望誉(あらや のぶたか、1968年3月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の元男性プロレスラー。大相撲時代の四股名及び本名は荒谷 信孝(あらや のぶたか)。選手生活晩年は渕正信、菊タローらと会場を暖める試合を展開し、哀愁を感じさせる貴重な選手だった。 中学校卒業後すぐに大相撲の九重部屋に入門して、1983年3月場所に15歳で初土俵を踏む。序二段まで昇進したが、1985年7月場所限りで廃業してプロレスラーに転向する。1992年にオリエンタルプロレスに入門するが、団体の経営難に伴い離脱した後、レスリング・ユニオン傘下のIWA流山に移籍しエースとして活動するが、こちらも経営難により離脱。
池田 大輔(いけだ だいすけ、1968年2月13日 - )は… 池田 大輔(いけだ だいすけ、1968年2月13日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:池田 大助(いけだ だいすけ)。熊本県牛深市(現:天草市)出身。血液型A型。 プロフェッショナルレスリング藤原組に入門し、1993年12月5日の後楽園ホールにおけるドン荒川戦でデビュー。1995年9月には藤原喜明と組んでFMWに参戦し、世界ブラスナックルタッグ王座を獲得。同年12月に格闘探偵団バトラーツ旗揚げに参加し、独特の「バチバチファイト」で人気を博す。バトラーツでの試合のほか、当時、三沢光晴が社長を務めていた全日本プロレスにも継続参戦、三沢が率いるアンタッチャブルの構成員として、三沢らと共闘していた。
グリズリー岩本(グリズリーいわもと、1968年2月7日 - … グリズリー岩本(グリズリーいわもと、1968年2月7日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名は岩本 久美子(いわもと くみこ)。東京都大田区出身。プロレス入門では1年後輩のバイソン木村は高校時代の部活の1年先輩である。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元… ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元女性プロレスラー、プロレス解説者、タレント、YouTuber。愛称:ブルちゃん、ブル様。本名:青木 恵子(あおき けいこ)、旧姓:中野。東京都出身、埼玉県川口市育ち。血液型B型。 米国のWWF世界女子王座を日本人で初めて獲得。他にWWWA世界シングル王座獲得多数。1990年代、その頂点として君臨した。 引退後は渡米してプロゴルファーに挑戦するも挫折。格闘家との結婚後、東京都中野区で飲食店を経営し、美人ママとして度々メディアに出演した。 東京都北区赤羽出身。家庭の事情から転出が多かった。板橋区成増の小学校に通ったが、4年生時は神奈川県逗子市へ、5年生時に埼玉県川口市へ転出。
ハーレー斉藤( - さいとう、本名:斉藤 さより(さいとう … ハーレー斉藤( - さいとう、本名:斉藤 さより(さいとう さより)、1967年12月21日 - 2016年12月15日)は、日本の元女子プロレスラー。静岡県焼津市出身。身長166cm、体重67kg。LLPW-Xに所属していた。実妹である斉藤恵美も元ジャパン女子プロレス所属のプロレスラーであった。 ジャパン女子プロレスに入団後、1986年8月17日後楽園ホールにてデビュー戦。vsモンスター・リッパー、オーケー・カルホーン(パートナーはナンシー久美)。 デビュー時のリングネームは、ジャパン女子プロレスが旗揚げした時に地球に接近した、ハレー彗星にちなんで『ハレー斉藤』であったが、その後、ダイナマイト・関西との抗争を機に、オートバイメーカーのハーレーダビッドソンのような、迫力あるレスラーを目指すため『ハーレー斉藤』と改名する。
石黒 泰子(いしぐろ やすこ、1967年12月6日 - )は… 石黒 泰子(いしぐろ やすこ、1967年12月6日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都文京区出身。全日本女子プロレス所属。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小原 道由(おはら みちよし、1967年11月15日 - )… 小原 道由(おはら みちよし、1967年11月15日 - )は、日本の元プロレスラー。長野県松本市出身。 国士舘大学在学中にアニマル浜口トレーニングジムに入門。大学卒業と同時に新日本プロレスに入門し、1990年6月の松田納(現エル・サムライ)戦でデビュー。浜口ジム出身第一号プロレスラーとなった。1991年には欧州遠征に出発。1993年には試合中に突如、正規軍から「反選手会同盟(のちの平成維震軍)」入りし、先鋒格のレスラーとして活躍。この時期には師匠アニマル浜口ともシングルで対戦している。平成維震軍解散後は、「犬軍団」として後藤達俊と共闘し、IWGPタッグ王者となった。その後、2000年2月にTEAM 2000軍入り。
プラム麻里子(プラムまりこ、1967年11月1日 - 199… プラム麻里子(プラムまりこ、1967年11月1日 - 1997年8月16日)は、日本の女子プロレスラー。本名は梅田 麻里子(うめだ まりこ)。東京都大田区出身。 日本のプロレス史上、初めて試合中にリング禍で死去したことでも知られる。 長与千種に憧れてプロレスラーを目指し、1986年にジャパン女子プロレスの第一期生として入門。同年8月17日、後楽園ホールのユウ山崎戦でデビュー。入門前から新宿スポーツ会館に通ってサンボの練習をしていたため、デビュー当時からグラウンドレスリングの技術があり、当時の女子選手としては珍しいサブミッションなどの関節技を主体とする独自のファイトスタイルを確立した。 その経歴とファイトスタイルから、「サブミッション・クイーン」「サンボ姫」等の異名をとり、UWA&JWPジュニア王座に2度就くなど人気レスラーだった。
牧村 英雄(まきむら ひでお、1967年9月23日 - 20… 牧村 英雄(まきむら ひでお、1967年9月23日 - 2011年6月29日)は、日本の元プロレスラー。新潟県糸魚川市出身。身長184cm、体重98kg。 幼少時よりプロレスラーにあこがれ、1987年に全日本女子プロレス子会社に入社。リング設営に関することが一通りできるようになった1990年をもって退社。プロレスラーの夢を叶えるために、全日本プロレスへ入門した。 しかし練習中に受け身を失敗して急性硬膜下血腫となり、練習生復帰後もジャイアント馬場から許しがないためにデビュー出来ず、それでもレスラーの夢を叶えるため1995年に新日本プロレスへ入門。過去に急性硬膜下血腫を患ったことを伝えた上の入門だったが、同年すぐに権瓶広光練習生の事故死があったことからデビューが出来ないことを伝えられ退団する。
スペル・デルフィン(Super Delfin、1967年9月… スペル・デルフィン(Super Delfin、1967年9月22日 - )は、日本の男性政治家、覆面レスラー。本名:脇田 洋人(わきた ひろと)。大阪府和泉市出身。血液型A型。妻はタレントの早坂好恵。 ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。 2012年から大阪府和泉市議会議員を務めている。 プロレス入り前にはサンボを経験している。父親は土地家屋調査士で、若い頃、父の測量現場の仕事なども手伝っていた。デビュー戦は、1989年3月19日オランダのアムステルダムのエイデンホールにおける対ブルドッグKT(現:外道)。その後、たけしプロレス軍団、FMWを経て、ユニバーサル・プロレスリングに参加。
コンドル斉藤(コンドルさいとう、本名:斉藤 真知子、1967… コンドル斉藤(コンドルさいとう、本名:斉藤 真知子、1967年8月11日 - )は、日本の元・女子プロレスラー、イラストレーター、実業家。大阪府守口市出身。 極悪同盟のメイクを担当していた経歴を活かし、引退後はイラストレーターとして各媒体で活躍中(全女在籍中時も漫画の連載を行なっていたほどだった)。「ホラー・オカルト少女マンガ誌」ハロウィンに鷹魏真知子のペンネームでホラー漫画を執筆。 現在もイラストレーター、居酒屋の仕事と並行してダンプ松本の極悪同盟再結成のプロレス試合時にはダンプの片腕としてセコンド、メイク等を担当していた。現在まで師匠のダンプに可愛がられている。
矢郷 良明(やごう よしあき、1967年7月22日 - )は… 矢郷 良明(やごう よしあき、1967年7月22日 - )は、日本のプロレスラー。「日本空手道 武徳心(Asylum Gym)」最高師範、ジム代表、ソングライター、プロギタリスト、ラジオパーソナリティ。医療・都市開発・不動産コンサルタント会社経営 KAIENTAI DOJO、DDT、VKFなどを主戦場にし、アメリカインディー、全日本プロレス、DRAGON GATEに参戦しSMASHに参戦。11月SMASHのJCBホールに参戦。小路晃を相手に凝ったストーリーを展開しそのプロレス頭を高く評価される。またWNC、ユニオン、VKF東京、シアタープロレス花鳥風月では選手としてU系スタイルから転換し、アメリカンプロレス系譜をしている。
北斗 晶(ほくと あきら、1967年〈昭和42年〉7月13日… 北斗 晶(ほくと あきら、1967年〈昭和42年〉7月13日 - )は、日本のタレント、元女子プロレスラー、実業家、女優、芸能プロモーター、YouTuber。株式会社健介オフィス所属。本名、佐々木 久子(ささき ひさこ)、旧姓・旧リングネームは宇野 久子(うの ひさこ)。埼玉県北葛飾郡吉川町(現:埼玉県吉川市)出身で、2024年現在も同市在住。血液型O型。2男の母。70kg(2019年2月時点)。長男の妻は女子プロレスラーの凛。 現在は、元男子プロレスラーで、タレントの佐々木健介の妻であり、マネージャーでありセコンドであり、健介オフィス代表取締役でもある。愛称は本名の久子に由来してチャコ。リングネームの由来は『ウルトラマンA』の北斗星司と尊敬する男子レスラー前田日明から。
HANZO(ハンゾー、本名:中島一学 / なかしま かずみち… HANZO(ハンゾー、本名:中島一学 / なかしま かずみち、1967年6月10日 - )は、忍者をモチーフにした日本の覆面レスラー。 1987年、日本大学在籍中に山本小鉄が主宰する新日本プロレス学校でインストラクターを務めていた。 1992年、日本大学卒業後、ユニバーサル・プロレスリングに入門。9月4日の後楽園ホール大会において、スペイン語で黒豹を意味する覆面レスラー、レオパルド・ネグロ(Leopardo Negro)として対ダイナミック・リン戦でデビュー。 1993年6月、みちのくプロレスに移籍。10月31日、マスクを脱いでリングネームを中島一学(Kazumichi Nakajima)に変更。
タカ・クノウ(1967年5月18日 - )は、日本の男性柔術… タカ・クノウ(1967年5月18日 - )は、日本の男性柔術家、総合格闘家、プロレスラー。本名は久能 孝徳。東京都出身。オリンピックメダリストの太田章が主宰する「チーム太田章」所属。 国士舘高校までは柔道を続け、高校卒業後は自衛隊体育学校に進みグレコローマンスタイルを経験する。約1年後に除隊された後、1990年・22歳で渡米、ロサンゼルスに拠点を置いてボディビルを中心としたトレーニング理論を学ぶ。 渡米から14年間、インストラクターや指圧師として暮らしていたが、2001年にアメリカン・インターナショナル・グラップリング大会に於いてブラジリアン柔術の黒帯選手アミリカ・シピリから一本勝ちを奪い、「日本人柔道家として木村政彦以来50年ぶりに黒帯の柔術家から一本勝ちした選手」として注目された。
安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日[要出典… 安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日[要出典] - )は、日本の元男性プロレスラー・プロ格闘家、元GLORYスポークスマン。東京都杉並区出身。血液型A型。 幼稚園の年少から小学校4年生のころまでニュージーランドで過ごす。中学生のころ、初代タイガーマスクに魅了され、第1次UWFにおける高田延彦の試合を見たことでプロレスへの本格的な興味を抱いた。埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門。 1985年7月8日、広島県立体育館における星名治戦にてデビュー。同年末に第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに参戦。 1987年、新日本プロレスのヤングライオン杯に出場。 1988年の新生UWFの設立に参加。
小橋 建太(こばし けんた、1967年〈昭和42年〉3月27… 小橋 建太(こばし けんた、1967年〈昭和42年〉3月27日 - )は、日本の元男性プロレスラー。京都府福知山市出身。本名及び旧リングネームは、小橋 健太(読み同じ)。血液型B型。 1990年代後半から2000年代を代表するプロレスラーの1人で、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツMVPなど、多くの受賞経験を持つ。 現役時代は全日本プロレス及びプロレスリング・ノアで活躍。三冠ヘビー級王座を3度を獲得し、GHCヘビー級王座獲得時には、防衛13回、在位2年に渡る長期王座を築いた。 全日本プロレスの運営会社/全日本プロ・レスリングの取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの取締役、取締役副社長を歴任し、2013年に個人事務所「Fortune KK」を設立して代表取締役となった。
バイソン木村(バイソンきむら、1967年3月9日 - )は、… バイソン木村(バイソンきむら、1967年3月9日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:木村 伸子(きむら のぶこ)。 1985年に高校を卒業後、半年間OLを経験した後、全日本女子プロレスのオーディションを受け合格。同期にアジャコング・KAORU・神谷美織・工藤めぐみ・コンバット豊田・高橋美華らがおり、俗に『61年組』と呼ばれている。 1986年9月10日、茨城・古河市立体育館において、対大橋順子戦でデビュー戦を行い、その後、ダンプ松本率いる『極悪同盟』に加入、ヒールレスラーとなった。武術用具のトンファーを凶器として愛用した。 ダンプ引退後、ブル中野が結成した『獄門党』に参加。1年先輩(同じ高校・同じ部活の1年後輩)であるグリズリー岩本と共にタッグチーム『アウトサイダース』を結成し、タッグチームとしても活躍する。
石川 雄規(いしかわ ゆうき、1967年2月8日 - )は、… 石川 雄規(いしかわ ゆうき、1967年2月8日 - )は、日本のプロレスラー。本名:石川 豊彦(いしかわ とよひこ)。 外国人レスラーからは本名の豊彦(TOYOHIKO)が発音し辛いため、頭の部分をとってTOY(トーイ)と呼ばれている。 アントニオ猪木に憧れて日本大学卒業後にプロレスラーになるため、アメリカへ渡り、カール・ゴッチの紹介でボリス・マレンコが主宰しているマレンコ道場でトレーニングを積む。 1991年3月、日本に帰国してプロフェッショナルレスリング藤原組に入団。 1992年4月19日、藤原組東京体育館大会の対高橋和生戦でデビュー。 1993年1月31日、正道会館主催のグローブ空手大会「トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」に出場して3回戦(1回戦シード)で佐竹雅昭と対戦して左ハイキックでKO負けするも大会特別賞を受賞。
中西 学(なかにし まなぶ、1967年1月22日 - )は、… 中西 学(なかにし まなぶ、1967年1月22日 - )は、日本の男性プロレスラー、元アマチュアレスリング選手(バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級日本代表)。京都府京都市出身。血液型A型。新日本プロレス所属。宇治高等学校(現:立命館宇治高等学校)→専修大学卒業。
堀田 祐美子(ほった ゆみこ、1967年1月10日 - )は… 堀田 祐美子(ほった ゆみこ、1967年1月10日 - )は、日本の女子プロレスラー。身長168cm、体重69kg。兵庫県神戸市出身。
ダーティー大和(ダーティーやまと、本名:瀧本典子、1967年… ダーティー大和(ダーティーやまと、本名:瀧本典子、1967年1月4日 - )は、日本の元女子プロレスラー。神奈川県大和市出身。身長160cm、体重54kg。血液型はO型。 1986年8月17日、後楽園ホールでのvs伊藤勇気戦にてデビュー。サングラスで登場した。ジャパン女子プロレスに所属していたが怪我で長期欠場、同団体を去ったが1992年オリエンタルプロレスリングにてカムバック。ジャパン女子プロレス時代に「敗者髪切りバトルロイヤル」にて敗戦。坊主頭になったことがある。
MEN'Sテイオー(メンズ・テイオー、1966年12月16日… MEN'Sテイオー(メンズ・テイオー、1966年12月16日 - )は、日本のプロレスラー。本名:大塚 武生(おおつか たけお)。 東海大学在学中にUWF関東学生プロレス連盟でテリー・ファックとして学生プロレスを始める。 東海大学卒業後、スポーツジムのインストラクターとして働いていたが退職してユニバーサル・プロレスリングに入門。 1992年9月7日、ユニバーサル・プロレスリング伊勢崎市民体育館大会で大塚 武生(おおつか たけお)として対スペル・ティグリート戦でデビュー。10月25日、リングネームをテリー・ボーイに改名。 1993年6月、みちのくプロレスに移籍。 1994年、新日本プロレスに参戦した際に、学生プロレス及び出身者を嫌う風潮があった新日本プロレスの一部所属選手から目の敵のように扱われ、袋叩きやタッチ拒否の理不尽な扱いを受けた。
チョコボール 向井(チョコボール むかい、1966年12月1… チョコボール 向井(チョコボール むかい、1966年12月15日 - )は、日本のタレント、実業家で1990年代から2000年代にかけて活躍したAV男優、プロレスラーである。 1990年のアダルトビデオデビュー以来、1990年代を中心に6000本以上の作品に出演。日本のAV関係者としては高い知名度を誇る。 2006年からは東京でスナックバー「チョコボールファミリー」を開業し、自ら切り盛りしている。2007年いっぱいでAV男優業を引退。 群馬県渋川市出身。渋川市立渋川中学校卒業。群馬県立渋川西高等学校(現・群馬県立渋川青翠高等学校)卒業。 1990年1月に、樹まり子主演『男優さん、いらっしゃい』(クリスタル映像)の素人男優オーディションに応募した。
オスカル智(おすかるとも、1966年12月10日 - )本名… オスカル智(おすかるとも、1966年12月10日 - )本名:土屋 智子は、日本の元女子プロレスラー。プロレスを退いた後にレフェリーとして活躍する。 身長165cm、体重63kg、血液型A型。愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)出身。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
新崎 人生(しんざき じんせい、1966年12月2日 - )… 新崎 人生(しんざき じんせい、1966年12月2日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:新崎 健介(しんざき けんすけ)。徳島県徳島市出身。血液型A型。 四国八十八箇所の巡礼者をギミックとしたキャラクターで活躍し、アメリカ合衆国のメジャー団体WWFでも、白使(Hakushi)のリングネームで実績を残した。 小中学校時代には新田広一郎と一緒のチームでサッカーをしており、中学生の時にはゴールキーパーとして四国選抜にも選ばれた。徳島県立徳島東工業高等学校(現:徳島県立徳島科学技術高等学校)では柔道部に入部したつもりが、アマレス出身の顧問が赴任してきたため、柔道部はレスリング部に変更され、そのまま在籍(後輩にアレクサンダー大塚がいる)。