高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(… 高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(慶応3年11月3日) - 1943年(昭和18年)4月28日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 日向国、のちの宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)出身。日高源蔵の長男として生まれ、1895年(明治28年)1月に先代曽一の養子となり翌1896年(明治29年)8月に家督を相続する。 1897年(明治30年)宮崎県会議員、同参事会員、南那珂郡会議員、飫肥町会議員のほか、飫肥銀行、宮崎農工銀行各取締役、宮崎県飫肥鉄道評議員、同県地方森林会議員、日州貯蓄銀行、日州銀行各取締役などを歴任した。 1918年(大正7年)宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から、研究会に所属し1932年(昭和7年)9月28日まで2期在任した。
藤本 閑作(ふじもと かんさく、1867年11月26日(慶応… 藤本 閑作(ふじもと かんさく、1867年11月26日(慶応3年11月1日)- 1936年(昭和11年)12月12日)は、明治から昭和初期の政治家、実業家、銀行家。宇部銀行頭取。貴族院多額納税者議員。族籍は山口県士族。 藤本蔓平の長男として後の長門国厚狭郡宇部村(現在の山口県宇部市)に生まれた。岩国の東沢瀉塾で学んだ。漢学を修めた。1877年(明治10年)7月に家督を相続する。 1896年(明治29年)以降、石炭鉱業を経営し、宇部電気、宇部銀行、宇部鉄工所各取締役、宇部村信用購買販売組合理事のほか、宇部商工会議所議員、防長林業、宇部セメント(後の宇部興産、現在のUBE/UBE三菱セメント)各取締役、大和護謨栽培監査役などを務める。
高山 長幸(たかやま ながゆき/ながよし、1867年8月7日… 高山 長幸(たかやま ながゆき/ながよし、1867年8月7日(慶応3年7月8日) - 1937年(昭和12年)1月19日)は、明治から昭和にかけての衆議院議員(6期)、銀行家、帝国商業銀行取締役会長、東洋拓殖総裁等を歴任。号は孤竹。勲四等瑞宝章。 伊予国喜多郡大洲城下中村(喜多村、大洲村、大洲町を経て現大洲市)出身。大洲藩士・高山文兵衛の長男。上京して慶應義塾に入り一時東京英語学校に遊学し、明治23年(1890年)に慶應義塾大学部を卒業。 1893年(明治26年)三井銀行に入り、大阪支店を経て函館・長崎などの要所の支店長を歴任し、三井銀行本店副支配人に就任する。また、明治石油、大日本製糖、朝鮮産業鉄道、蓬莱相互生命保険、東邦炭鉱、三井物産、雨龍炭鉱、第一火災海上保険、名古屋製糖などで重役を歴任。
池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6… 池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6月15日)- 1934年(昭和9年)3月8日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・万年、俳号歌号・伸穂。 出羽国仙北郡、のちの秋田県仙北郡新刈和野村(刈和野村、刈和野町、西仙北町を経て現大仙市)で、豪農・池田勘左衛門の長男として生まれる。根本通明に師事し勉学に励んだ。 刈和野町会議員となる。1898年(明治31年)秋田県会議員に選出され、同参事会員、仙北郡会議員、所得調査委員にも在任した。1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
森 正(もり ただし、1867年5月9日(慶應3年4月6日)… 森 正(もり ただし、1867年5月9日(慶應3年4月6日)- 1943年(昭和18年)1月14日)は、明治から昭和前期の実業家、銀行家、政治家。衆議院議員。 大和国式上郡、のちの奈良県式上郡三輪村(式上郡三輪町、磯城郡三輪町、大三輪町を経て現桜井市)で、森五郎の長男として生れた。1886年(明治19年)上京して政治経済学を学んだ。1892年(明治25年)4月、アメリカ合衆国に留学し商業学を学び、さらにイギリスに留学して1899年(明治32年)に帰国した。 帰国後、実業界に入り、中央商業銀行頭取、工商貯蓄銀行取締役、日本製糸取締役、大和電気取締役、三輪素麺同業組合長などを務めた。また、郷土の将来有望な青年の育成に尽力し援助を行った。
三島 彌太郎(みしま やたろう、慶応3年4月1日(1867年… 三島 彌太郎(みしま やたろう、慶応3年4月1日(1867年5月4日) - 1919年(大正8年)3月7日)は、日本の銀行家。子爵。三島通庸の長男であり、徳富蘆花の小説『不如帰』の登場人物、川島武夫のモデルでもある。
志村 源太郎(しむら げんたろう、慶応3年3月1日(1867… 志村 源太郎(しむら げんたろう、慶応3年3月1日(1867年4月5日)- 昭和5年(1930年)8月23日)は、明治から昭和にかけての日本の官僚、銀行家。日本勧業銀行総裁。貴族院議員。 甲斐国(現・山梨県)出身。明治22年(1889年)に東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。東京農林学校(現東京大学農学部)教授等を経て、その後農商務省に入り参事官・秘書官を歴任する。その後法制局に移動し参事官を務め、農商務省に戻り工務局長に就任。退官し日本勧業銀行に相談役として入行。一旦横浜正金銀行に移り検査役・外国課長を歴任したが、その後日本勧業銀行に戻り副総裁を経て明治44年(1911年)総裁に就任し長きにわたり総裁を務める。
二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年… 二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年1月28日(慶応2年12月23日) - 1944年(昭和19年)4月16日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。前名は熊七郎。 安芸広島藩領佐伯郡大竹村(現・大竹市)出身。望戸清四郎の長男として生まれ、先代二階堂三郎左衛門寿光の養嗣子となり、襲名する。1890年(明治23年)25歳にして大竹郵便局長となる。ついで大竹町油見村組合会議員、大竹貯蓄銀行頭取、芸防抄紙社長、広島県農工銀行、日本紙業各取締役などを経て、広島県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1918年(大正7年)5月3日から1925年(大正14年)9月28日まで務めた。
岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2… 岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2年6月1日) - 1928年(昭和3年)5月7日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 伊予国新居郡大町村(西条町を経て現西条市)で、素封家・岡本文吾の第四子として生まれる。西条育英館を卒業する。1905年(明治38年)家督を相続。1908年(明治41年)大町村会議員に当選。議員を務める傍ら西条水力電気設立に参画し、西条銀行頭取などを務めた。ほか、相続税審査、所得税調査各委員などを務めた。 1918年(大正7年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
尾高 次郎(おだか じろう、1866年4月2日〈慶応2年2月… 尾高 次郎(おだか じろう、1866年4月2日〈慶応2年2月17日〉 - 1920年〈大正9年〉2月4日)は、日本の実業家、銀行家。武州銀行(現埼玉りそな銀行)の初代頭取。岳父は渋沢栄一。族籍は埼玉県平民。 武蔵国榛沢郡下手計村(のちの八基村、現埼玉県深谷市下手計)出身。尾高惇忠の次男。数え3歳の頃、親族の尾高幸五郎の養子になる。1882年、幸五郎から家督を相続する。 1891年、高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、第一銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。名古屋支店長、四日市支店長、釜山支店長、仁川支店長、監査役を歴任し、釜山・仁川で日本人商業会議所会頭、居留民会議長も務めた。 1904年、韓国興業専務取締役。
角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1… 角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1月〉 - )は、日本の農家、政治家、銀行家。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられているため、角替 九郎平とも表記される。 静岡県小笠郡土方村会議員、静岡県小笠郡土方村長、株式会社内田銀行頭取などを歴任した。 静岡県小笠郡土方村で農業を営んでいたが、政治家に転身し土方村会の議員に就任した。さらに土方村の村長に就任するなど、公職を歴任した。その後、内田銀行の頭取に就任するなど、銀行家としても活動した。 1866年(旧暦慶応2年1月)に角替九郞次の長男として生まれた。静岡県小笠郡土方村で農業を手広く手掛けており、角替家は豪農として知られていた。
小塩 八郎右衛門(こしお はちろうえもん、1865年12月2… 小塩 八郎右衛門(こしお はちろうえもん、1865年12月27日(慶応元年11月10日) - 1947年(昭和22年)1月17日)は、明治時代から昭和時代初期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。前名は堅作。 小塩八郎右衛門寛蔵利殖の長男として、相模国大住郡戸田村(神奈川県中郡相川村を経て現・厚木市)に生まれる。1883年(明治16年)10月、家督を相続し前名を改め八郎右衛門を襲名した。小笠原東洋に漢学を学ぶ。農業を営み、相川村収入役、同村長、神奈川県会議員、地方森林会議員、県農会副会長、徴兵参事員、所得調査委員を歴任する。ほか、神奈川県農工銀行頭取、産業組合中央会支部長を務めた。
神津 邦太郎(こうづ くにたろう、1865年12月11日(慶… 神津 邦太郎(こうづ くにたろう、1865年12月11日(慶応元年10月24日) - 1930年(昭和5年)12月2日)は、日本の酪農家、銀行家、政治家。日本で最初の西洋式牧場の開設者。長野県平民。牧畜業。神津宗家20代。子孫には東京税理士会会長の神津信一税理士がいる。 信濃国佐久郡志賀村(現在の長野県佐久市志賀)の豪農の家に生まれた。信州で指折りの豪農であった神津家は、代々九郎兵衛を名乗る「黒壁家」と、17世紀後半に分かれた「赤壁家」がある。邦太郎は「黒壁家」の出身である。神津家は先代九郎兵衛より家道大に振るう。 邦太郎は村の小学校である志仁学校を卒業すると、1881年東京へ出て慶應義塾に入った。
山内 範造(やまうち はんぞう、1865年5月6日(慶応元年… 山内 範造(やまうち はんぞう、1865年5月6日(慶応元年4月12日)- 1945年(昭和20年)3月17日)は、明治から昭和前期の農業経営者、銀行家、政治家。衆議院議員、福岡県筑紫郡筑紫村長。曾孫は元衆議院議員山内康一。 筑前国御笠郡、のちの福岡県筑紫郡筑紫村(筑紫野町を経て現筑紫野市)で、山内伊七郎、タヨの長男として生まれる。漢学を修めた。1894年(明治27年)3月に家督を相続し農業を営む。筑紫郡農会特別議員、福岡県農会特別議員、同評議員、帝国農会議員、同評議員、地方森林会議員などを務めた。 1897年(明治30年)筑紫村長に就任。1904年(明治37年)筑紫郡会議員となり同参事会員も務めた。
江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(… 江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(元治元年11月18日)- 1934年(昭和9年)6月19日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・楽所、有所。 出雲国出雲郡坂田村(島根県出雲郡坂田村、出東村、簸川郡出東村、斐川村、斐川町を経て現出雲市)で、大地主・江角権蔵、すい の長男として生まれる。普通学を学び、黒田龍二から漢学を、雨森精斎から和漢の歴史を学んだ。 村会議員、町村組合会議員、簸川郡会議員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(島根県第3区)で初当選し、その後、第9回総選挙まで3回再選され、最後は大同倶楽部に所属し衆議院議員に連続4期在任した。
寺田 駒蔵(てらだ こまぞう、1864年10月19日〈元治元… 寺田 駒蔵(てらだ こまぞう、1864年10月19日〈元治元年9月19日〉 - 1929年〈昭和4年〉8月2日)は、日本の銀行家、政治家。大阪府中河内郡布忍村長。更池銀行専務取締役。族籍は大阪府平民。 河内国丹北郡向井村(のち大阪府中河内郡布忍村大字向井、現・松原市北新町)出身。寺田定太郎の長男。戸長、初代村長、郡会議員、村会議員、学務委員、常設委員等を歴任する。 住所は大阪府中河内郡布忍村大字向井(現・松原市北新町)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年… 添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年9月15日) - 昭和4年(1929年)7月4日)は、明治・大正期の財政家(大蔵官僚)・銀行家・実業家・経済学者・官庁エコノミスト。法学博士(1899年)。貴族院議員。筑前(現在の福岡県)の出身。日本法律学校(現日本大学)の設立に加わった。 近代日本における財政確立の功労者の一人であるとともに、経済学の教育・普及に尽力した「官庁エコノミスト」の先駆け的人物として知られている。 1864年、筑前国遠賀郡広渡村(現・福岡県遠賀郡遠賀町)の職人・添田新三郎の三男として生まれる。出生当時は添田家は相当の資産家であったが、父新三郎が私欲が無く慈善を好んだため資産を使い果たし、家族と共に7歳から諸国を流浪することとなる。
岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年… 岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年4月4日) - 1965年(昭和40年)6月6日)は、日本の銀行家。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)出身。静岡県多額納税者。スルガ銀行創設者。沼津市名誉市民。静岡県屈指の実業家であった。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)に名主の長男として生まれた。岡野弥平太の長男。1879年(明治12年)に集成舎(後の静岡県立沼津中学校、現在の静岡県立沼津東高等学校)に入学。1885年(明治18年)には静岡県立豆陽中学校(現・静岡県立下田高等学校)に入学したが、故郷は1884年(明治17年)9月の暴風による飢饉にあえいでおり、結局師範科を中退して故郷で農業に専念した。
青盛 常太郎(あおもり つねたろう、1864年3月27日〈元… 青盛 常太郎(あおもり つねたろう、1864年3月27日〈元治元年2月20日〉 - 没年不明)は、日本の商人、銀行家、広島県多額納税者、家主。呉銀行取締役。族籍は広島県平民。 広島県呉市出身。青盛喜一郎の弟。高等小学校を出て、若いときはタバコの行商をしたり、商売をしていた。また借家を建て、借家の収入で生活をした。分家して一家を創立する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 趣味は建築。住所は呉市元町。本籍は呉市和庄町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
坂野 兼通(ばんの かねみち、文久3年12月12日〈1864… 坂野 兼通(ばんの かねみち、文久3年12月12日〈1864年1月20日〉 - 昭和6年〈1931年〉8月12日)は、日本の銀行家。元山口合資会社理事長。 尾張国名古屋出身。1888年高等商業学校(現一橋大学)卒業、三菱合資会社銀行部入行。三菱合資会社銀行部大阪支店長を経て、1910年に町田忠治の後任として山口銀行上席理事に就任。1914年日本生命保険監査役。1918年大阪貯蓄銀行取締役。山口銀行の近代化を進めた。1924年には山口銀行筆頭常務を退任し、以降山口合資会社理事に専念し、山口合資会社理事長も務めた。1929年共同火災海上保険取締役会長。 ファミリア創業者の坂野惇子は、七男通夫の妻。長女の芳子は、衆議院議員横井時雄四男柳瀨存の妻。
黒田 重兵衛(くろだ じゅうべえ、1863年10月27日(文… 黒田 重兵衛(くろだ じゅうべえ、1863年10月27日(文久3年9月15日) - 1952年(昭和27年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。前名は孝造。 伊豆国田方郡、のちの静岡県田方郡上狩野村(天城湯ケ島町を経て現伊豆市)に生まれ、のち静岡県賀茂郡下河津村(現河津町)に住む。足立清次郎の三男として生まれ、先代重兵衛の養子となり、1895年(明治28年)家督を相続し前名を改めた。下河津村農会長、同村会議員、賀茂郡会議員、静岡地方森林会議員、静岡県会議員を歴任したほか、静岡農工銀行監査役、下田銀行頭取、下田自動車会社取締役を務めた。 1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では静岡県第10区から憲政会所属で出馬し当選。
池田 猪三次(いけだ いさんじ、1863年9月25日(文久3… 池田 猪三次(いけだ いさんじ、1863年9月25日(文久3年8月13日) - 1942年(昭和17年)11月26日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。衆議院議員(2期)。旧姓は矢部。 遠江国豊田郡浦川村(静岡県豊田郡浦川村、磐田郡浦川村、浦川町、佐久間町を経て現浜松市天竜区)の矢部家に生まれ、1879年(明治12年)引佐郡伊平村(引佐町を経て現浜松市浜名区)の池田徳治郎の長女さわと結婚し養子となる。1886年(明治19年)伊平戸長役場の用係に出仕し、同村会議員を経て、1893年(明治26年)同村長に就任した。養蚕、学校建設、道路整備に尽力した。引佐郡会議員を経て、1903年(明治36年)静岡県会議員となり、1911年(明治44年)同議長を務めた。
早川 周造(はやかわ しゅうぞう、1863年9月20日〈文久… 早川 周造(はやかわ しゅうぞう、1863年9月20日〈文久3年8月8日〉 - 1916年〈大正5年〉4月17日)は、明治時代の政治家・実業家・銀行家。貴族院多額納税者議員。 美濃国安八郡、のちの岐阜県海津郡今尾町(平田町を経て現海津市)出身。早川理右衛門の長男として生まれ、1883年(明治16年)10月、家督を相続する。 1890年(明治23年)の岐阜県会議員選挙に安八郡選挙区から立候補して初当選を果たしたが、任期途中で辞職した。そのほか、南濃銀行頭取、土地家屋貸付会社社長、七十六銀行、真宗生命保険、大垣銀行、美濃商業銀行、竹鼻銀行、岐阜市貯蓄銀行、濃飛農工銀行、治水共同社、福寿生命保険取締役、美濃貯蓄銀行、高須貯蓄銀行各重役などを歴任した。
池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文… 池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文久2年12月23日) - 1911年(明治44年)7月7日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。山形県飽海郡酒田町長。幼名は辰三郎、別名に光礼。 本間光貞の二男として出羽鶴岡藩領飽海郡、のちの酒井新田村天王下(山形県飽海郡西荒瀬村を経て現酒田市)に生まれる。1879年(明治12年)上京し同人社に入り碩学中村敬宇のもとで漢学や英学を修めたのち帰郷する。1882年(明治15年)飽海郡の中学校教員となり、1885年(明治18年)24歳の時、酒田本町の池田家の養子に入り名を藤八郎に改めた。1889年(明治22年)酒田町会議員に当選し、酒田町長、飽海郡会議員、同議長を経て、1902年(明治35年)山形県会議員に当選する。
伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8… 伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8月10日) - 1923年(大正12年)12月31日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(1期)。 伊藤長重郎の子。遠江国麁玉郡宮口村(現・静岡県浜松市浜名区宮口)出身。1881年(明治14年)7月、浜松中学校を卒業後上京し同人社に入るが1883年(明治16年)7月、退学する。東京専門学校に転じ1886年(明治19年)7月、卒業をもって帰郷し1888年(明治21年)2月、静岡県茶業組合連合会議員となり、1890年(明治23年)2月には静岡県会議員に当選した。ほか同副議長、同参事会員、中央茶業組合会議所議員、関東茶業会本部主事、宮口銀行頭取、宮口委託監査役などを歴任した。
広野 織蔵(ひろの おりぞう、1862年8月3日〈文久2年7… 広野 織蔵(ひろの おりぞう、1862年8月3日〈文久2年7月18日〉 - 1940年〈昭和15年〉7月24日)は、日本の銀行家、実業家。百三十三銀行(滋賀銀行の前身)の「育ての親」と評される。衆議院議員を務めた広野規矩太郎は子息。 第百三十三国立銀行の創始者の一人である廣野古矩の二男として、彦根に生まれる。廣野家は彦根藩士の家系で、1915年時点で織蔵も滋賀県の士族であったと『人事興信録』に記されている。兄は源太郞で、織蔵がのちにその跡を継いだ。 幼少時は彦根藩の藩校に学んだ後、彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を卒業した。その後京都に出て儒学者の谷鉄臣・草場船山らに漢籍の指導を受けた。
宇尾野 藤八(うおの とうはち、1862年3月8日〈文久2年… 宇尾野 藤八(うおの とうはち、1862年3月8日〈文久2年2月8日〉 - 1928年〈昭和3年〉4月2日)は、日本の銀行家・会社役員、新潟県の大地主、篤農家、新潟県多額納税者。族籍は新潟県平民。 新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)・宇尾野友太郞の長男。1887年、東京高等商業学校を卒業する。新潟商業学校長となる。1893年、家督を相続する。 新発田倉庫、新潟貯蓄銀行各監査役、第四銀行取締役・同専務取締役をつとめる。 宇尾野家は古着商で、平凡な一庶民階級であったが、藤八は極めて堅実な人で、よく産を為した。第四国立銀行創設当時、支配人の白勢彦次郎に知られ同行に入り、累進して専務取締役となった。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。
飯尾 麒太郎(いいお きたろう、1862年3月5日(文久2年… 飯尾 麒太郎(いいお きたろう、1862年3月5日(文久2年2月5日) - 1908年(明治41年)2月6日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 小松藩郷士・飯尾才右衛門、武川氏の長男として伊予国新居郡萩生村(中萩村、中萩町を経て現愛媛県新居浜市)に生まれる。尾埼山人について漢学を修めた。1888年(明治21年)新居郡会議員に当選したのを皮切りに、愛媛県会議員を務めた。1898年(明治31年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月8日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。 1888年(明治21年)5月、飯尾製糸場を設けて機械製糸を開始し、県内屈指の製糸工場となった。
宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日(18… 宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日(1862年3月3日) - 没年不詳)は、明治期日本の外交官、銀行家。在広東副領事、在香港副領事、在ニューヨーク一等総領などを歴任した。 東京府出身。高等商業学校(現一橋大学)卒業後、外務省入省。森有礼文部大臣による上申により、1888年に交際官試補と兼任して母校高等商業学校教諭に任じられ、統計を講じた。1889年広東副領事。同年汕頭副領事及び瓊州副領事を兼務。1890年香港副領事。1895年ニューヨーク一等領事。1897年に非職となり、のち横浜正金銀行副支配人などを務めた。1900年叙正六位。1908年の申酉事件では、成瀬隆蔵、図師民嘉、村瀬春雄、八十島親徳と大学問題実行委員に就任。
3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文… 3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文久元年12月28日) - 1929年(昭和4年)8月22日)は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。大地主。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(3期)。 造酒屋「沢成 (さわなり、屋号・沢屋)」の2代・加藤成之助の長男として、陸奥黒石藩領津軽郡黒石上町(青森県南津軽郡黒石町を経て現黒石市)に生まれる。1890年(明治23年)から青森県会議員に5回、1902年(明治35年)から衆議院議員に3回当選する。さらに1906年(明治39年)には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、翌年1月18日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安… 2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安政6年1月17日) - 1920年(大正9年)8月26日)は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 越中国礪波郡福岡町(富山県西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれ、高広彦八の長男彦造の婿養子となり、のち襲名する。福岡町会議員を経て、1889年(明治22年)初代福岡町長に就任する。1895年(明治28年)福岡同盟銀行を創業し頭取に就任。ほか、北陸海上保険社長、広通、高岡共立銀行、中越鉄道各取締役などを歴任した。 1900年(明治33年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年6月13日から1903年(明治36年)2月6日まで在任した。
6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6… 6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6年3月) - 1900年(明治33年)10月10日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。本名は友次郎。 のちの富山県高岡市木舟町に生まれる。1889年(明治22年)、正村五平と共に高岡銀行を設立。1893年(明治26年)には高岡紡績を創立した。さらに翌年、高岡経済会を組織し、1896年(明治29年)高岡商業会議所初代会頭に就任した。ほか、高岡市参事会員、同学務委員、富山県会議員などを歴任した。 1897年(明治30年)には富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1900年(明治33年)3月19日まで在任した。
三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政… 三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政5年1月2日) - 1906年(明治39年)3月16日)は、日本の政治家、官僚、銀行家。衆議院議員、貴族院議員、横浜正金銀行副頭取。 1858年(安政5年1月2日)2月15日、讃岐国丸亀に生まれる。東京大学法科を卒業し、忠愛社に入り、『明治日報』記者となる。1884年(明治17年)に外務省御用掛となり、外務省書記官として米国公使館駐在、さらに公使館書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官を務める。 その後、京都で『中外電報』で論説を執筆、弁護士業などを経て、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙で香川県から出馬し、衆議院議員に当選する(以後4回連続当選)。
佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4… 佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4年10月4日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 陸奥国津軽郡畑中村(現在の南津軽郡田舎館村)に生まれる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を持つ大地主 佐藤治郎左衛門の長男。 その後、1889年(明治22年)の 町村制施行とともに田舎館村収入役に就任し、2期務める。1905年(明治38年)佐藤、田沢周助(田沢吉郎の父)、宮舘貞吉の提唱により信用組合を創立し、組合長に就任。衆議院議員の加藤宇兵衛や宇野清左衛門と共に、黒石銀行取締役や津軽銀行取締役などを歴任し、県内での銀行の普及に努めた。
武政 藤太郎(たけまさ とうたろう、1857年10月12日(… 武政 藤太郎(たけまさ とうたろう、1857年10月12日(安政4年8月25日) - 没年不明)は、日本の政治家、銀行家。埼玉県大里郡榛沢村長。深谷銀行取締役。族籍は埼玉県平民。 埼玉県大里郡榛沢村(のち岡部町、現・深谷市)出身。兵助の嫡男。寺子屋に学び、私塾等にて漢学を研修する。農業を営む。戸長連合村副戸長を歴任する。 榛沢村助役に推され、10数年に亘り勤続して村長を補佐する。1894年4月に榛沢村長に就任し、1902年10月に退職する。榛沢村会議員を4期つとめる。 村政の元老で、多年自治開発に努力精進して名望が高かった。 武政家は旧幕時代、組頭をつとめた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
芦田 鹿之助(あしだ しかのすけ、1857年8月7日(安政4… 芦田 鹿之助(あしだ しかのすけ、1857年8月7日(安政4年6月18日)- 1928年(昭和3年)4月30日)は、明治期の地主・銀行家・政治家。衆議院議員、京都府天田郡初代中六人部村長。号・光月。元首相の芦田均の父。 丹波国天田郡宮村(京都府天田郡中六人部村字宮を経て現福知山市)で、大地主、大庄屋・芦田治左衛門の長男として生まれる。綾部藩の近藤寡斎、沢井広重などに師事し、綾部藩郷学校・広畔堂で修学。その後、京阪に遊学した。 1875年(明治8年)3月、豊岡県の天田郡宮村用掛に就任し、さらに同県第十七大区四小区副戸長を務めた。1876年(明治9年)天田郡が京都府に編入され、同年10月、天田郡第一区副区長兼学区取締となる。
影山 秀樹(かげやま ひでき、1857年5月11日(安政4年… 影山 秀樹(かげやま ひでき、1857年5月11日(安政4年4月18日) - 1913年(大正2年)10月15日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。大地主。衆議院議員(3期)。 駿河国富士郡岩本村(静岡県富士郡岩松村岩本を経て現富士市)の農家に生まれる。1872年(明治5年)沼津兵学校附属小学校を卒業し、山梨県の近藤漢学塾で漢籍を修めたのち上京・遊学し、1877年(明治10年)帰郷し、岩松村および富士郡の地主惣代となった。1880年(明治13年)富士勧業を創立して社長となり養蚕、製糸、製茶などの事業に傾倒する。1883年(明治16年)には県庁に要請し、養蚕伝習所を設け静岡県内に蚕の温度飼育法を広めた。
平田 二郎(ひらた じろう、1857年4月24日(安政4年4… 平田 二郎(ひらた じろう、1857年4月24日(安政4年4月1日)- 1910年(明治43年)3月31日)は、明治期の政治家、銀行家。衆議院議員、鹿児島県会議長。 大隅国囎唹郡国分郷(鹿児島県西囎唹郡国分村、姶良郡国分村、国分町、国分市を経て現霧島市)で、平田祐拙、みよ の長男として生まれる。 折田兼至、長谷場純孝らと共に自由民権運動に参加した。1882年(明治15年)九州改進党の結成に加わり、その後、鹿児島同志会が組織され委員となった。国分村会議員に就任。1886年(明治19年)10月、鹿児島県会議員に選出された。同常置委員となり、1892年(明治25年)3月に副議長、1898年(明治31年)11月に第11代県会議長に就任。
今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年… 今村 千代太(いまむら ちよた、1857年2月7日(安政4年1月13日)- 1916年(大正5年)1月15日)は、明治期の教育者・銀行家・政治家。衆議院議員。 肥前国彼杵郡大村(長崎県東彼杵郡西大村、大村町を経て現大村市)の農家に生まれる。小学校卒業後、長崎県師範学校を卒業した。 小学校訓導、小学校長、中学校教員、学務委員、戸長、郡書記などを歴任した。 政界では長崎県会議員に選出された。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、進歩党)で当選し、同年8月の第6回総選挙(長崎県第2区、憲政本党でも再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に連続2期在任した。 その他、玖島銀行頭取を務めた。
浅野 長太郎(あさの ちょうたろう、1856年9月7日(安政… 浅野 長太郎(あさの ちょうたろう、1856年9月7日(安政3年8月9日) - 1932年(昭和7年)3月18日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 越中富山藩領婦負郡笹倉村(富山県婦負郡速星村、婦中町を経て現富山市)で、大地主・浅野為都(ためと)の長男として生まれる。 1884年(明治17年)以降、笹倉村会議員、同議長、速星村会議員、同村長、富山県会議員(3期)、婦負郡会議員、同議長代理、速星村農会長、同学務委員などを歴任した。 1906年(明治39年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月13日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7… 二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7月4日〈1856年8月4日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月12日)は、日本の政治家、銀行家、名望家、群馬県多額納税者、地主。群馬県新田郡太田町長(初代)。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)出身。質店を営んだ初代澁澤金蔵の長男で、1887年に父から家政を譲られた。前名を直次郎と呼び1889年、家督を相続して二代目金蔵を襲名した。 商業、金銭貸付業を営んだ。上毛実業銀行顧問、上野銀行、新田銀行各取締役、群馬商業銀行監査役などをつとめた。 町村制実施と同時に太田町初代町長となり、太田消防組第一回の組頭として以来町政に貢献し、また町議として活動した。
市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日… 市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日(安政3年3月25日) - 1914年(大正3年)5月29日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(2期)。 陸奥弘前藩領津軽郡木作新田(青森県西津軽郡木造町を経て現つがる市)に生まれる。近江国神崎郡市田村(滋賀県神崎郡竜田村、北五個荘村、五個荘町を経て現東近江市)を本拠とした市田家の子孫。1885年(明治18年)西津軽郡会議員に当選し、議長代行者を務める。1891年(明治24年)には青森県会議員となり、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙では工藤行幹の急死に伴う補欠選挙で当選した。第10回総選挙でも憲政本党の非公認で出馬し当選。
山本 達雄(やまもと たつお、1856年4月7日〈安政3年3… 山本 達雄(やまもと たつお、1856年4月7日〈安政3年3月3日〉- 1947年〈昭和22年〉11月12日)は、明治後期から戦前昭和期の日本の銀行家・政治家。43歳で第5代日本銀行総裁に就任後、政界に転じて貴族院議員、日本勧業銀行総裁、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣・立憲民政党の最高顧問を歴任した。政界の長老的存在。 位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。号は竹渓。 豊後国臼杵藩士・山本確の次男として現在の大分県臼杵市に生まれる。藩校学古館に学び文武に秀で13歳で宗家の養嗣子となるが、実家・養家ともに貧しく、内職で家計を支えた。更に廃藩置県が追い討ちをかけることとなる。17歳で大阪に出て3年間小学校教師をしながら学資を稼ぎ、東京に出て慶應義塾で福澤諭吉に学ぶが、月謝を払うことが出来なかったため慶應義塾で学んだ期間は短かった。
長尾 四郎右衛門(ながお しろうえもん、1856年1月19日… 長尾 四郎右衛門(ながお しろうえもん、1856年1月19日(安政2年12月12日)- 1916年(大正5年)1月31日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(2期)。貴族院多額納税者議員。 のちの岐阜県武儀郡菅田村(現下呂市)出身。漢学を修める。長尾信七郎の長男として生まれ、1876年(明治9年)5月に家督を相続する。家業の製糸業を発展させ濃武会社を設立し同社長を務めた。菅田町会議員、武儀郡会議員、岐阜県会議員、同常置委員、相続税審査委員、所得税調査委員、地方森林会議員などを歴任したほか、濃飛農工銀行発起人に名を連ね同頭取を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選。
沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月… 沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月11日(安政2年11月3日) - 1934年(昭和9年)3月21日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 肥前大村藩士・沢山熊右衛門の長男として生まれる。長崎広運館にて英学を修める。1899年(明治32年)家督を相続した。島原水電、沢山汽船、沢山兄弟商会、遠洋漁業、九州汽船各社長、長崎銀行頭取、長崎製鉄所取締役などを歴任した。ほか、長崎市名誉参事会員、同市会議員、長崎商業会議所副会頭などを務めた。 1925年(大正14年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した。
池田 謙三(いけだ けんぞう、1855年1月20日(安政元年… 池田 謙三(いけだ けんぞう、1855年1月20日(安政元年12月3日)- 1923年(大正12年)11月29日)は、日本の銀行家である。 現在の兵庫県豊岡市(旧・出石郡日高町宵田)に池田澄治の息子として生まれる。東京府庁勤務の傍ら漢学塾に通い内務省などを経て、1880年に生糸貿易に従事。1883年に原六郎に勧められ、第百銀行に入り取締役兼支配人に就任し、1912年に頭取となる。東京貯蔵銀行の頭取をかね、日本興業銀行、台湾銀行設立委員会、東京交換所委員長、第一生命保険、東京商業会議所特別委員、日進銀行各重役などを歴任した。墓所は品川区北品川の東海寺。 矢野恒太記念会は、池田の顕彰を目的とした「池田謙三翁記念奨学金」を1957年に設立し、出身地の出石にある兵庫県立出石高等学校の生徒10人を対象に支給している。
永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月… 永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月)- 1906年(明治39年)6月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市古川)に生まれる。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した。 1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。
清末 新郎治(きよすえ しんろうじ、1855年(安政2年5月… 清末 新郎治(きよすえ しんろうじ、1855年(安政2年5月) - 1928年(昭和3年)9月17日)は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 肥前島原藩領国東郡高田村(大分県西国東郡高田町、豊後高田町を経て現豊後高田市)に生まれる。1880年(明治13年)高田村会議員に就任したのを皮切りに、西国東郡会議員、同参事会員、同高田郵便電信局長、大分県木蝋業組合長、西国東郡農会長などを歴任する。ほか、実業家として共立高田銀行頭取、豊州製蝋社長、宇佐参宮鉄道取締役などを務めた。 1918年(大正7年)大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年7月20日から同年9月28日まで在任した。
広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月2… 広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月22日(安政元年11月3日)- 1929年(昭和4年)1月29日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。5代二三郎。北前船主。 広海常信(4代二三郎)の長男として、加賀国江沼郡瀬越村(石川県江沼郡大聖寺町瀬越を経て、加賀市大聖寺瀬越町)に生まれる。生家は加賀大聖寺藩の海運界の旧家。家訓により16歳から5年間手船に乗って船乗りと商売の基礎を学んだ。1887年(明治20年)1月、常信の死亡により家督を相続する。 1884年(明治17年)大阪に進出し、広海商店と屋号を掲げ、船舶業および海産物業を経営し、1889年(明治22年)には北海道小樽に「広海倉庫」を設立した。
佐々木 勇之助(ささき ゆうのすけ、1854年9月29日(嘉… 佐々木 勇之助(ささき ゆうのすけ、1854年9月29日(嘉永7年8月8日) - 1943年(昭和18年)12月28日)は、東京(江戸)出身の銀行家、実業家。号は茗香。 嘉永7年8月8日、武蔵国江戸本所六間堀(現 江東区新大橋)で生まれる。幼名清松。父は旗本浅野伊賀守の家臣佐々木直右衛門。 幼くして藤沢次謙に算術の手ほどきを受け、のち幕府講武所傘下で築地にあった軍艦操練所で数学始め西洋実学を修得。さらに青木松次郎福軒の塾で漢学を習い、余暇に剣術を学ぶといった当時の武士の子弟の教育を受けて育つ。 明治維新後、三井小野組の為替方に入り1873年(明治6年)に三井小野組を中心とする第一国立銀行が創立されると、それに伴い同行へ移籍。