住吉 中(すみよし あたる、1958年12月28日 - )は… 住吉 中(すみよし あたる、1958年12月28日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。東京都世田谷区出身。本名は、金田一 中(きんだいち あたる)。 4才からクラシックピアノを始め、13才の頃からロックに傾倒しギターを始めるが16歳のときにベースギターに転向してプロミュージシャンへの道を目指し始める。東京都立千歳丘高等学校に進学し、その後20才の時にシンガーソングライターである高橋研のツアーメンバーオーディションに合格し、プロデビューを果たした。 プロデビュー後は、安部恭弘、麗美などのツアーに参加していた。1997年から1999年までは久保こーじ率いるバンド「No! Galers」のベース担当として活動した。
石津谷 治法(いしづや はるのり、1958年12月28日 -… 石津谷 治法(いしづや はるのり、1958年12月28日 - )は、日本の吹奏楽指導者、教育者。一般財団法人全日本吹奏楽連盟理事長。 京都市生まれ。法政大学第二高等学校を経て、法政大学文学部卒業。学生時代は交響楽団に所属していた。 吹奏楽の指導者を志し、教師の道へ進む。習志野市立東習志野小学校、習志野市立第四中学校へ赴任。担当科目は社会科。中学校で吹奏楽部顧問を任され同部を全日本吹奏楽コンクール金賞へと導く。この頃、NHK交響楽団クラリネット奏者の内山洋(東京音楽大学教授)に師事。その後、習志野市立第五中学校を経て2000年より習志野市立習志野高等学校に赴任。高校教員としての担当科目は地理歴史科。
飯島 千鶴(いいじま ちづる、1958年12月25日 - )… 飯島 千鶴(いいじま ちづる、1958年12月25日 - )は日本のヴァイオリニスト。長野県においてヴァイオリンによる慈善活動、情操教育を行う第一人者。 長野県長野市稲里町出身。3歳からヴァイオリンを始める。東邦音楽大学音楽部音楽学科を首席で卒業後、ロシアサンクトベテルブルグ音楽院マスターコース修了。 音楽は人を幸せにするという信念を元に全国北海道から沖縄まで、学校や施設で演奏する慈善活動と情操教育に力を注いでいる。行った学校、施設は数知れない。名声を得ることよりも人の心の薬としてヴァイオリンを弾き続けるヴァイオリニストとして長野市民新聞、信濃毎日新聞、長野市教育委員会学校だよりなどでも多く取り上げられている。
水川 寿也(みずかわ としや、1958年12月11日 - )… 水川 寿也(みずかわ としや、1958年12月11日 - )は尺八奏者、作曲家。昭和音楽大学非常勤講師。 香川大学邦楽部で尺八を始める。都山流尺八を岡田諦山に師事。1981年日本音楽集団入団、1982年NHK邦楽技能者育成会28期卒。2001年に作品集CD『碧の伝説』を発表。現代邦楽作曲家連盟会員。 2012年に『千本桜』を和楽器にアレンジし杵家七三社中で演奏した『和楽千本桜』を発表したところ動画サイトで60万再生を、また小林幸子と共演した『ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた【幸子】』は100万再生を突破した。
北川 潔(きたがわ きよし、1958年12月5日 - 202… 北川 潔(きたがわ きよし、1958年12月5日 - 2026年4月28日)は、日本の大阪府出身、アメリカのニューヨークを拠点に活動したジャズ・ベーシスト。 高校時代にロックバンドでエレクトリックベースを始める。関西学院大学在学中にウッドベースに転向し、1980年代には藤井貞泰や古谷充と共演した。1988年10月に渡米し、ニューヨークに拠点を移す。 1980年代後半から1990年代にかけて、ザ・ハーパー・ブラザーズ(フィリップ・ハーパーとウィナード・ハーパーを中心としたバンド)に加入したほか、ケニー・バロン、アンディ・ベイ、ジョン・ファディス、ケニー・ギャレット、ジミー・ヒース、スザンナ・マッコークル、小曽根真、ベン・ライリー、テレル・スタッフォードらと共演した。
沼田 園子(ぬまた そのこ、1958年10月19日 - )は… 沼田 園子(ぬまた そのこ、1958年10月19日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 東京都出身。東京藝術大学音楽学部付属音楽高校を経て、1981年東京芸術大学音楽学部弦楽科を首席で卒業。そのまま大学院に進学し、修士課程修了、1984年に博士課程単位習得。これまでに、兎束龍夫、海野義雄、久保陽子らに師事。 1990年より水戸室内管弦楽団のメンバーとして活躍。これまでに、ソリストとして主要オーケストラと共演するほか、各地の音楽祭にそれぞれ演奏家、講師として招待される。ヨーロッパ各国で演奏し、2002年にはルーマニア国立ジョルジュ・エネスコフィルハーモニーのソリストとして招待され、2003年には文化庁国際交流支援事業としてポーランドの各都市にて演奏し好評を博しており、そのほか内外の一流演奏家と共演するなど室内楽においても活発な活動を行っている。
和泉 宏隆(いずみ ひろたか、1958年9月28日 - 20… 和泉 宏隆(いずみ ひろたか、1958年9月28日 - 2021年4月26日)は、日本のジャズ・フュージョンピアニスト。フュージョンバンドT-SQUAREの元キーボーディスト。 東京都出身。慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。血液型はB型。在学中はジャズサークルライトミュージックソサエティに所属していた。 1982年にフュージョンバンドTHE SQUARE(現T-SQUARE)にキーボーディストとして加入、アルバム『脚線美の誘惑』で本格的にレコードデビューを果たした。1998年の退団まで16年間、ピアノ、シンセサイザー、作曲、編曲、ホーン・アレンジ、ストリングス・アレンジを担当、バンドサウンドの中核を担った。
KUUBO(クーボ、1958年〈昭和33年〉9月 - )は、… KUUBO(クーボ、1958年〈昭和33年〉9月 - )は、日本のレゲエミュージシャン・ベーシスト。本名は大久保晋。 岩手県釜石市出身。KUUBOとは、レゲエの本場ジャマイカのミュージシャン達の間で親しまれる愛称。 1988年、ジャマイカのゲットーエリア「トレンチタウン」に居住し、日本人レゲエミュージシャンとして初めて現地で活動して、数多くのライブ・レコーディングを行う。また、ボブ・マーリー・ファミリーのバンド「ノウリッジ」にスカウトされ1年ほどボブ・マーリーが住んでいた部屋に居候していた。 日本に帰国してからは、FIRE BALL 、PANG、MEGARYU、leccaなど多くのジャパニーズレゲエミュージシャンとバンドマスター・ベーシストとして共演している。
西村 麻聡(にしむら まさとし、1958年8月30日 - )… 西村 麻聡(にしむら まさとし、1958年8月30日 - )は、日本のベーシスト、ミュージシャン、シンガーソングライター、サウンド・プロデューサー。佐賀県生まれ。血液型はA型。本名は、西村 昌敏(読み同じ)。1977年にプロデビューし、1985年まで本名で活動していた。 DUSTRAX RECORDS(インディーズレーベル)より DUSTRAX RECORDS(インディーズレーベル)より matCは、テクノ・クラブ系の音楽を制作、リリースする時等に現れる西村の別姿。またDJ GOOとのユニットR.A.Mとしても活動していた。
長谷川 智樹(はせがわ ともき、1958年7月19日 - )… 長谷川 智樹(はせがわ ともき、1958年7月19日 - )は、日本のキーボーディスト、ギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。ベリーグー所属。 大阪府池田市出身。ピアノ、ヴァイオリンの演奏から始まり、本格的な音楽活動を行う。キーボーディスト、ギタリストとして数々のバンド活動を経験する。作曲家としては、コマーシャルソングを数百本の作品を制作する。また、多くのアーティストの作品に作詞家、編曲家、コンピューター・プログラマー、音楽プロデューサーとして携わる。その後、映画音楽やテレビドラマ、アニメーション、テレビ番組、舞台音楽へと活動を広げ、独特なオーケストレーション、編曲感覚で精力的に作品を提供している。
田澤 明子(たざわ あきこ、1958年〈昭和33年〉6月7日… 田澤 明子(たざわ あきこ、1958年〈昭和33年〉6月7日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 東京都出身。4歳だった1963年(昭和48年)から、村山信吉にヴァイオリンを習い始める。1968年(昭和43年)からは江藤俊哉と、その妻である江藤アンジェラに師事。練馬区立豊玉第二小学校の6年生だった1970年(昭和45年)、全日本学生音楽コンクールのヴァイオリン部門で1位となる。 桐朋女子高等学校音楽科に入学し、1975年(昭和50年)には第44回・日本音楽コンクールのヴァイオリンの部で入選。 1977年(昭和52年)、桐朋学園大学音楽学部に入学し、大学在学中の1979年(昭和54年)には第48回・日本音楽コンクールで第2位に入賞。
松尾 泰伸(まつお やすのぶ、Yasunobu Matsuo… 松尾 泰伸(まつお やすのぶ、Yasunobu Matsuo、1958年5月27日 - )は、日本の作曲家、ヒーリング・ミュージックの音楽家(ピアニスト、シンセサイザー奏者)。和歌山県出身、02MA RECORDS (おつまレコード) 所属。 1982年、大阪芸術大学音楽学科作曲専攻卒業。舞踏グループ「白虎社」のインドネシアツアーの音楽を担当。「ドビュッシー/印象派」に影響を与えたガムランミュージックとの共演日本人初のピアニストに。その後、日本、東アジア・東南アジア・中近東・ヨーロッパのワールドツアー公演での音楽を担当。 1988年 mar-paでメジャー・デビュー。1stアルバム『finale』・2ndアルバム『RIMLAND』をポニーキャニオンより発表。
水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )… 水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )は、日本の作曲家、ボーカリスト。トライエックスミュージック社所属。北海道函館市弁天町出身。代表曲に、髙橋真梨子の最大のヒット曲となった「ごめんね…」などがある。 同じ作曲家の水島康貴と間違えられると、本人がコメントしている。薬剤師の資格を持ち、作曲活動の傍ら病院薬剤師としても勤務していた。 北海道函館中部高等学校、東京理科大学薬学部卒業。 1980年に東芝EMIより、バンド・Northern Litesのボーカル、ギター、作曲家としてデビュー。 1982年、バンド解散後、男性デュオグループHorizonを結成。その後、ライブ、レコーディングにコーラスとして参加しつつ、作曲家としてアーティストに楽曲を提供している。
柴田 直人(しばた なおと、1958年5月10日 - )は、… 柴田 直人(しばた なおと、1958年5月10日 - )は、日本の音楽家、ソングライター、ベーシスト。北海道北見市出身。ヘヴィメタルバンド『ANTHEM』のリーダー。あだ名は「怒りのナオト」「カレー番長」「大山の父」「ミスター・アンセム」「柴サタン」(ちなみに、「柴サタン」は以前メンバーに「柴田さん」を言い間違えられたもの)。大の巨人ファン。札幌第一高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒。 グレン・ヒューズ、ジョン・ウェットン、グレッグ・レイク、マーティン・ターナー(ウィッシュボーン・アッシュ)等の1970年代のブリティッシュロック系ミュージシャンの名を挙げている。 エレクトリックベース(エンドース) アンプ(ヒュースアンドケトナーのみエンドース) ANTHEMの楽曲を除く
岩本 正樹(いわもと まさき、1958年4月26日 - )は… 岩本 正樹(いわもと まさき、1958年4月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。東京都練馬区中村橋生まれ。立教大学卒業。妻は歌手で作詞家の国分友里恵。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
矢口 博康(やぐち ひろやす、1958年4月23日 - )は… 矢口 博康(やぐち ひろやす、1958年4月23日 - )は、日本のサックスプレーヤー。エスパー矢口の異名をとる。栃木県下都賀郡藤岡町(現・栃木市)出身。 1980年代には、サザンオールスターズや立花ハジメなどのアルバムに参加。
賈 鵬芳(ジャー・パンファン、Jia Peng fang、 … 賈 鵬芳(ジャー・パンファン、Jia Peng fang、 (1958-04-08) 1958年4月8日(68歳)- )は、中国・黒龍江省ジャムス市出身の二胡奏者。東京芸術大学修士課程修了、中国音楽家協会会員、中国二胡学会理事。兄は二胡演奏家の賈 鵬新(ジャー・パンシン、Jia Pengxin)。 「中国中央民族楽団」のソリスト、コンサートマスターとして活動後、1988年に来日した。来日後は服部克久のアルバム制作やコンサートに参加、日本での活動を本格的に始めた。映画『LOVERS』『もののけ姫』や、テレビ『故宮』『漢詩紀行』などの音楽制作に参加する傍ら、パシフィックムーン・レコードでオリジナル・アルバムを制作。
板東 久美(ばんどう くみ、1958年(昭和33年)3月12… 板東 久美(ばんどう くみ、1958年(昭和33年)3月12日 - 2022年(令和4年)1月17日)は、日本のフルート奏者。徳島文理大学音楽学部教授。国立音楽大学音楽学部器楽科フルート専攻卒業。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。国立音楽大学音楽学部器楽科フルート専攻卒業。フルートを川人伸二、木下芳丸、西田直孝に師事。 草津国際音楽アカデミー第二回から参加し、吉田雅夫、金昌国、アンドレ・ジョネのマスタークラスを受講。草津音楽祭・フェスティバル・オーケストラのメンバーとしてコンサートにも出演。1985年、デビューリサイタルにて徳島県芸術祭準大賞を受賞。また、これまでにブルガリアのトルブーヒン室内楽団やヴァイオリンのベッティーナ・シュミット等、世界的な演奏家と共演。
加賀 八郎(かが はちろう、1958年2月28日 - 201… 加賀 八郎(かが はちろう、1958年2月28日 - 2013年7月2日)は、日本のベーシスト・元アイドル。THE GOOD-BYEのベース・ボーカル。血液型はB型。 妻は漫画家の池沢理美。愛称は「ハチ」、「ぱっつぁん」、「スヌーキー」など。 1958年(昭和33年)2月28日、東京都に生まれる。実家は東京都目黒区祐天寺で墓石・石材販売店を営む。 1982年(昭和57年)4月に行われたTHE GOOD-BYEのメンバーを募集するオーディションで、バックバンドを務めた。しかし、オーディションでいいメンバーが見付からず、メインの野村義男と曾我泰久が、「こいつでいいや」と決めたメンバーである[要出典]。
森 英治(もり ひではる、1958年2月26日 - )は、日… 森 英治(もり ひではる、1958年2月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。大阪府出身。大泉学園中学校、慶應義塾大学商学部卒業。 三人組のバンド「ピカソ」のキーボード担当。現在はテレビドラマ・映画・アニメなどの音楽を手掛ける他、編曲家としても活動している。兄は、作詞家の森雪之丞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 1.本気!トリッキーレディ - 2.TIDE - 3.シ・ネ・マ - 4.ファンタジー - 5.サヨナラの素描 - 6.ビギン・ザ・ナイト - 7.ON THE ROAD - 8.太陽だけが知っていた - 9.SHOUT - 10.シネマ '90 - 11.月夜にダンス - 12.僕の瞳のマーチ - 13.マイ・バック・ペイジ - 14.明日の風 - 15.Breakfast Newspaper - 16.パレード〜Breakfast Newspaper 2 バップ - ユニバーサルミュージック (日本)
秋津 智承(あきつ ちしょう、1958年2月21日 - )は… 秋津 智承(あきつ ちしょう、1958年2月21日 - )は、日本のチェリスト、浄土真宗本願寺派「願船坊」住職。 旧名、秋津 智。広島県出身。浄土真宗本願寺派「願船坊」に生まれる。8歳のころ、桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室広島教室にて斎藤秀雄によりチェロの手ほどきを受ける。1980年に桐朋学園大学、1982年にニューイングランド音楽院を卒業、また、僧籍に入る。 僧侶でチェリストとして、広島を本拠にコンサートやセミナーの主宰を多く手がけ、定期的にソロ、室内楽のコンサートを開く。また、自宅のお寺・願船坊では8月初旬に平和コンサート、大晦日にゆく年くる年コンサートを開催している。 これまでに仙台フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団の首席チェリストを歴任。
須藤 賢一(すどう けんいち、1958年2月14日 - )は… 須藤 賢一(すどう けんいち、1958年2月14日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。宮城県塩竈市出身。 17歳でプロデビュー。1982年、影山ヒロノブのオリジナルアルバムに参加。以降、影山の作品に数多く関わる。1990年、影山が「LAZY」の元メンバーと結成したバンド「AIRBLANCA」にキーボード担当として参加。2000年に影山を中心に結成された「JAM Project」のサポートメンバーとして楽曲の作曲・編曲を手掛け、『裏JAM』と呼ばれるJAMを裏で支えるユニット、「TRY FORCE」のメンバーとしても活動している。 またアニメ作品への楽曲提供のほか、野川さくら、遠藤正明、茅原実里などの声優アーティスト、アニメソング歌手のサポートも務め、主にアニメソングを中心に活動している。
西平 彰(にしひら あきら、1958年2月13日 - )は、… 西平 彰(にしひら あきら、1958年2月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽大学講師。東京都出身。慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。 1980年代に沢田研二のバックバンド(正確にはユニット)、エキゾティクスのキーボーディスト、作曲家として活動。その後、吉川晃司や氷室京介の編曲家、キーボーディストとして活動、洗足学園音楽大学のキーボード講師も務める。 エキゾティクスのなかでは、寡黙な存在で縁の下の力持ち的存在である。 エキゾティクスのサブリーダー、編曲家、として1980年代前半の沢田研二の音楽活動に大きな貢献を果たした。具体的には歌謡曲の面影を引きずる沢田研二の音楽性(1970年代の井上堯之バンド時代は「勝手にしやがれ」のように楽曲にオーケストラが使われることが多かった)を、ロックバンドスタイルに変換し、これを確立させている。
三宅 純(みやけ じゅん、英語: Jun Miyake、 1… 三宅 純(みやけ じゅん、英語: Jun Miyake、 1958年1月7日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、トランペット奏者。 ニューヨークで活動しているジャズ・サックス奏者ジュン・ミヤケ(三宅准)は同名異人。 1958年京都府に生まれ、鎌倉で育つ。神奈川県立光陵高等学校在学中より新宿ピット・イン等でプロとしてライヴ活動を始める。大学受験期を目前にして尊敬する日野皓正を訪ねる。 1976年、日野の推薦で高校卒業後、バークリー音楽大学へ入学する。在米中は自己のグループを率いて、ボストン、ニューヨークで演奏活動。 1981年、マサチューセッツ州のアーティスト・ファウンデーション主催の作曲コンクール・ジャズ部門で優勝する。
紫園 香(しおん かおり、1958年 - )は、日本のフルー… 紫園 香(しおん かおり、1958年 - )は、日本のフルート奏者。世界24ヶ国から招聘を受けている。東京藝術大学首席卒業。同大学院修了。藝術学修士。天皇から招聘され皇居桃花楽堂にて御前演奏。第7回「万里の長城杯」国際コンクール入賞ほか、受賞多数。NHK洋楽オーディション入選。クラシック「音楽之友」誌で年間コンサートベスト1位、日本時事通信特選CDに推奨。NHK、スイス、アメリカ、韓国、ハワイ、ブラジルなど、世界中のTV、ラジオ、メディアでその多彩な演奏活動が取り上げられている。 (2025年1月現在)
深沢いさ子(ふかざわ いさこ、1958年 - )は、日本のヴ… 深沢いさ子(ふかざわ いさこ、1958年 - )は、日本のヴァイオリン奏者。 長野県松本市出身。1976年(昭和51年) 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1980年(昭和55年) 東京芸術大学音楽学部卒業。 鈴木鎮一のスズキ・メソードにてヴァイオリンをはじめる。1964年(昭和39年)、金子典与、舘ゆかり、早野龍五、大谷康子、川名啓文、畑麻子、田村千春、福田啓子、粕谷ひとみ 等とともに、第1回「スズキ・メソード・テン・チルドレン・ツアー」(アメリカ)に参加した。 第1回「スズキ・メソード・テン・チルドレン・ツアー」から10年後の1974年(昭和49年)3月、カリフォルニア州アナハイムで全米弦楽指導者大会が開催されたが、1964年の第1回ツアーの模様に感銘を受けた全米指導者協会のクロットマン会長は、当時のメンバーである粕谷ひとみ氏(現スズキ・メソード関東地区ヴァイオリン科指導者)、深沢いさ子二人の10年後の成長を見届けようと、鈴木鎮一氏とともにこの大会に招待した。
田中 宏幸(たなか ひろゆき、1958年 - )は、日本の吹… 田中 宏幸(たなか ひろゆき、1958年 - )は、日本の吹奏楽指導者、吹奏楽プランナーである。元高等学校音楽教員。大阪府池田市出身。 1968年、池田市立呉服小学校在学時の10歳より、小学校の吹奏楽団でトランペット(コルネット)を始める。田中の歯並びと体型だけで先生からラッパをあてがわれたものだった。小学生のときには日本万国博覧会開会式での演奏も経験し、「一生続けていこう」とその後の人生を決めた大きな出来事になったという。ただし、田中が進学した中学校と高校には吹奏楽部がなく、リコーダー部に所属していた。 大学は大阪音楽大学音楽学部器楽学科トランペット専攻に進学。在学時はトランペットを斉藤広義、加藤隆功に師事し、指揮法を宮本政雄に学ぶ。
佐原 一哉(さはら かずや、1958年 - )は日本の音楽プ… 佐原 一哉(さはら かずや、1958年 - )は日本の音楽プロデューサー、キーボーディスト、作曲家、編曲家。妻は沖縄民謡歌手の古謝美佐子。 福岡県門司市(現北九州市門司区)生まれ。小学生時代にピアノを始めるが、音楽はほとんど独学という。同志社大学在学中にスカ・ニュー・ウェイヴバンド『ザ・ノーコメンツ』結成、リーダーを務め、同時期に黒人に憧れている京都在住の若手音楽家の寄り合いサークル『京都黒人会』の発起人となり会長に就任。『会長』のニックネームは1970年代後半に由来する。同志社大学卒業。1980年、『ザ・ノーコメンツ』でビクター音楽産業からメジャー・デビュー。3枚のアルバムとシングル2枚を同バンドで残し、このバンドは『スカバンドのパイオニア』と呼ばれる。
川口 慧耀(かわぐち けいよう、1958年 - )は、日本の… 川口 慧耀(かわぐち けいよう、1958年 - )は、日本の箏奏者。 大阪市出身。立命館大学産業社会学部卒業。1978年より箏をはじめ、中華絃耀に師事。生田流箏曲・野川流三絃・地歌教授。古流地歌保存会理事。国立文楽劇場にて古典地歌と箏曲を広めるための演奏会を行うほか、消滅寸前の古典地歌「三絃組歌」の独奏会をするなど古典文化の保護活動にも勤しむ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅原 潤 (すがわら じゅん、1958年 - ) は、日本の… 菅原 潤 (すがわら じゅん、1958年 - ) は、日本の秋田県出身のフルート、ピッコロ奏者。 1958年秋田市生まれ。秋田市立中通小学校、秋田市立秋田南中学校、秋田高校を経て、国立音楽大学卒業後、 フルートを木下芳丸、斉藤匠、中谷望、小野安広、畠山久雄に師事。 1982年、新星日本交響楽団に入団。現在、NHK交響楽団団員。国立音楽大学講師。洗足学園音楽大学講師。
渡辺 亮(わたなべ りょう、1958年 - )は、日本のパー… 渡辺 亮(わたなべ りょう、1958年 - )は、日本のパーカッショニスト、画家。東京学芸大学非常勤講師。 神戸市生まれ。武蔵野美術大学卒業。同大学在学中に音楽活動を開始。ブラジルの格闘技、カポエイラにおいて使われる4つの楽器のひとつである「ビリンバウ」の使い手として知られる。ボサ・ド・マーゴのメンバーとしても活躍していたが、同グループは2007年7月1日をもって活動を休止していた。 近年は、美術と音楽が共存できるプログラム「音と妖怪」「美術と音楽」を主催し、精力的な活動を展開。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
佐藤 達哉(さとう たつや 1957年12月23日-)は、日… 佐藤 達哉(さとう たつや 1957年12月23日-)は、日本のサクソフォーン奏者。東京都出身。 キャノンボール・アダレイやジョン・コルトレーンに憧れ大学時代に独学でサックス演奏を始め、在学中からプロ活動を開始。 佐藤允彦、日野元彦、日野皓正、松本英彦、ジョージ川口、池田芳夫、鈴木良雄らのジャズ・コンボ、原信夫とシャープスアンドフラッツ、高橋達也、角田健一等のビッグバンドに参加。現在は、浜田均とのデュオMETALUTIONを中心に、多くのジャズ・コンボ、ビッグバンドで演奏。テナー・サクソフォーンの教則本等、ジャズに関する執筆を行なう。洗足学園音楽大学ジャズコースで演奏家を目指す生徒を指導する教員。
四方 恭子(しかた きょうこ、1957年〈昭和32年〉12月… 四方 恭子(しかた きょうこ、1957年〈昭和32年〉12月22日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 1957年(昭和32年)12月22日、兵庫県神戸市で生まれ、芦屋市で育つ。 向かいの家のお姉さんがスズキ・メソードの教室に通っており、その母親が習わないかと誘った事で、引っ込み思案な子供だった四方にも、楽器をやれば友達ができるかもしれないと考えた四方の母により、4歳からヴァイオリンを始めた。小学2年生の頃に、2つのヴァイオリンのための協奏曲を弾いたのが、とても楽しかった。小学3年生でスズキ・メソードを離れてからは、高校時代まで個人の先生に習う。小学校高学年の頃、相愛音楽教室のオーケストラに参加した際、年上の男女がスッと立ってチューニングのAを弾いているのを目にし「かっこいい。
堀米 ゆず子(ほりごめ ゆずこ、1957年12月4日 - )… 堀米 ゆず子(ほりごめ ゆずこ、1957年12月4日 - )は、日本のバイオリニスト。ブリュッセル王立音楽院客員教授。
高田あずみ(たかだ あずみ、Azumi Takada、195… 高田あずみ(たかだ あずみ、Azumi Takada、1957年11月24日 - )は、長野県出身のヴァイオリニスト、ヴィオリストである。 3歳からスズキ・メソードでヴァイオリンを始めた。1973年、桐朋女子高等学校音楽科に入学し、鷲見三郎に師事する。1976年、桐朋学園大学音楽学部に進み、海野義雄に師事した。1980年、同大学を卒業し、同大学の研究生課程に進み、1982年、同課程を修了した。1983年12月、第2回日本国際音楽コンクールで第4位を受賞。1985年9月、第41回ジュネーヴ国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で1位なしの第2位を受賞した。 大学卒業後の1981年に古楽アンサンブル「オトテール・アンサンブル」に参加。
櫻井 哲夫(桜井 哲夫、さくらい てつお、1957年11月… 櫻井 哲夫(桜井 哲夫、さくらい てつお、1957年11月13日 - )は、東京都出身の、日本のベーシスト。慶應義塾大学商学部卒業。血液型A型。フュージョンバンド、カシオペアにかつて在籍していたオリジナルメンバー。脱退後は、シャンバラやジンサクを経て、現在はソロ・アーティストとフュージョンバンドのかつしかトリオと並行して活動している。 千代田区立番町小学校、千代田区立麹町中学校卒業。4歳でクラシック・ピアノを始め、小学校~中学校には柔道部に所属。中学生の時にベースを始めて、バンド活動も開始。慶應義塾志木高等学校在籍時における校内でのバンド活動はハードロックを趣向としていた。また、学校以外の演奏活動の場として、後にプリズムを結成する和田アキラ、久米大作ら同年代の者たちもいた都内のロック演奏のコミュニティにも所属。
安部 王子(あべ おうじ、1957年10月31日 - )は日… 安部 王子(あべ おうじ、1957年10月31日 - )は日本のベーシスト、音楽プロデューサー、編曲家である。 広島県尾道市出身、東京都立青山高等学校卒業。うじきつよしらの子供ばんどに参加、全国ツアーを前にスタジオワークに専念するため脱退。ボーイズ・クラブを経て、いまみちともたからのBARBEE BOYSに参加、メジャー・デビューを前にプロデュースワークに専念するため脱退。 以後、ベーシスト、音楽プロデューサー、編曲家として上田浩恵、大澤誉志幸、川村カオリ、Saeko、ZELDA、ZABADAK、PSY・S、THE 東南西北、プリンセス プリンセス、細川ふみえ、宮村優子などの作品を手がけ特にPSY・Sのライブバンド、Live PSY・Sとしての活動が注目を集めた。
鈴木 秀美(すずき ひでみ、男性、1957年10月29日 -… 鈴木 秀美(すずき ひでみ、男性、1957年10月29日 - )は、日本のバロック・チェリスト、指揮者。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
加藤 知子(かとう ともこ、1957年9月6日 - )は、日… 加藤 知子(かとう ともこ、1957年9月6日 - )は、日本のヴァイオリニストである。東京都生まれ。桐朋学園大学教授。
若林 暢(わかばやし のぶ、1957年8月30日 - 201… 若林 暢(わかばやし のぶ、1957年8月30日 - 2016年6月8日)は、日本のヴァイオリン奏者。 東京芸術大学附属高等学校、東京芸術大学、同大学大学院を経てジュリアード音楽院博士課程に奨学金を得て留学。1995年、博士号を得る。ニューヨークを中心にアメリカ各地で演奏活動を行うと共に、ポーランド、イタリア、スペインなどヨーロッパでも度々演奏旅行を行う。1996年、帰国しリサイタルや室内楽を中心に演奏活動を行う。2016年6月8日、乳がんのため死去。58歳で没。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
毛利友美(もうり ゆみ、1957年8月30日 - )は、東京… 毛利友美(もうり ゆみ、1957年8月30日 - )は、東京都出身のヴァイオリニストである。 4歳からヴァイオリンを始めた。1965年、桐朋学園子供のための音楽教室に入り、1968年から江藤俊哉、江藤アンジェラ夫妻に師事し、小学生6年生の時、1969年の第23回全日本学生音楽コンクール東京大会小学生の部で第2位を受賞した。 1973年、桐朋女子高等学校音楽科に入学、1974年、第43回日本音楽コンクールで第2位を受賞した。1976年、桐朋学園大学に進み、この年の第45回日本音楽コンクールで第1位、レウカディア賞を受賞し、さらに海外派遣コンクールで特別表彰を受けた。1977年、パガニーニ国際コンクールに出場し第3位を獲得した。
若松夏美(わかまつ なつみ、1957年8月19日 - )は日… 若松夏美(わかまつ なつみ、1957年8月19日 - )は日本のヴァイオリニスト、コンサートマスター。オーケストラ・リベラ・クラシカ、バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートマスター、18世紀オーケストラのメンバー。東京芸術大学非常勤講師。 宮城県仙台市に生まれる。3歳の誕生日に両親からヴァイオリンをプレゼントされてヴァイオリンを習い始め、桐朋学園高校を経て桐朋学園大学音楽学部ヴァイオリン科に進みヴァイオリンを鷲見三郎、江藤俊哉に師事。桐朋に在学中より古楽演奏に関心を持ち、卒業後バロック・ヴァイオリンの演奏を始め、1982年にオランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学、バロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケンに師事し、1985年に演奏家ディプロマを得て卒業。
武久 源造(たけひさ げんぞう、1957年7月27日 - )… 武久 源造(たけひさ げんぞう、1957年7月27日 - )は、日本の鍵盤楽器奏者、チェンバロ奏者、フォルテピアノ奏者、オルガン奏者、古楽器奏者、クラヴィコード奏者、即興演奏家、バッハ研究家、作曲家、指揮者。愛媛県松山市出身。 国立音楽大学客員講師。フェリス女学院大学音楽学部器楽科及び同大学院元講師(1998 - 2010年)。 1歳で全盲となり、2歳で音楽教師であった父親に音楽の才能を見出される。1966年4月26日、ベルリン・フィル松山市民会館の公演でヘルベルト・フォン・カラヤンが演奏したチェンバロの音色に魅せられ、研究を始める。小学生でチェンバロを習うために寝台列車で東京へ通い続け[リンク切れ]、チェンバロ、オルガン、ピアノ、クラビコードなど様々な鍵盤楽器を弾きこなす。
久米 大作(くめ だいさく、1957年7月23日 - )は、… 久米 大作(くめ だいさく、1957年7月23日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。愛称は大ちゃん。
カルロス 菅野(カルロス かんの、1957年7月21日 - … カルロス 菅野(カルロス かんの、1957年7月21日 - )は、フュージョンプレイヤー、パーカッショニスト、音楽プロデューサーである。本名は菅野 真吾()。東京都出身。 幼少時代を東京、浜松および横浜で過ごした後、高校時代を広島県広島市で過ごし、大学は大阪工業大学工学部に進学。1979年卒業後関西で音楽活動を行う。1984年に上京。高橋ゲタ夫の紹介で松岡直也グループのオーディションを受け、メンバーに加入(当時は本名の菅野真吾で活動。現在の名前になったのは1987年から)。1980年代後半には音楽ユニット「トニーズ・ショウ」にも参加していた。また「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に結成メンバーとして参加。
荻野 昇(おぎの のぼる、1957年7月19日 - )は、日… 荻野 昇(おぎの のぼる、1957年7月19日 - )は、日本のトロンボーン奏者。埼玉県出身。武蔵野音楽大学卒業。現在東京交響楽団首席奏者。東海大学講師。使用楽器はクルトワ。 所属事務所はハラヤミュージックエンタープライズ 1985年より、8回のリサイタルを東京(東京文化会館 等)にて行っている。 東京交響楽団第45回定期演奏会において武満徹の「ジェモー」(オーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための)を邦人初演する。 スウィート・ファンタジア・オーケストラの2枚のCDに参加している。 日本を代表する指揮者の岩城宏之よりオーケストラ・アンサンブル金沢のトロンボーン奏者としてエキストラを指名されたこともある。
山上 進(やまがみ すすむ、1957年7月11日 - )は、… 山上 進(やまがみ すすむ、1957年7月11日 - )は、青森県青森市出身の三味線奏者。 高校時代はロックバンドを結成。ヤマハポピュラーソングコンテストにも出場経験がある。1970年代には矢野顕子の作品(『JAPANESE GIRL』『長月 神無月』)に参加。 津軽を代表する津軽三味線、尺八、横笛奏者として活動。 最近では、伊奈かっぺいのライブにおいて津軽三味線、ギターを担当している。 近年[いつ?]は、古典楽器やシンセサイザーなどの他楽器とのセッションも積極的に行い、津軽三味線の伝統を守りながらも意欲的な音楽活動を展開している。
古村 敏比古(ふるむら としひこ、1957年6月23日 - … 古村 敏比古(ふるむら としひこ、1957年6月23日 - )は、東京都出身のサクソフォーン奏者。血液型はB型。 中学・高校時代はベースを弾いていたが、 友人の影響でサックスをプレイしはじめる。明治学院大学に進学しフュージョン系のバンドでプレイしながら織田哲郎らと出会う。 同大学在学中にYAMAHAのコンテスト「EastWest」に出場し、審査員をしていた鳴瀬喜博に誘われ、バックスバニーに参加、レコードデビューもバックスバニーのホーンアレンジとして果たす事になる。 金子マリ&バックスバニーのサポート、大学時代からの友人である織田哲郎や北島健二らとのユニット「織田哲郎 & 9th IMAGE」などを経て、1982年より浜田省吾の不動のライブメンバーとなる。
青木 智仁(あおき ともひと、Aoki Tomohito、1… 青木 智仁(あおき ともひと、Aoki Tomohito、1957年6月12日 - 2006年6月12日)は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、スタジオミュージシャン。神奈川県藤沢市出身。血液型O型 14歳でギター、16歳でベースを手にする。美術学校在学中の19歳の時にYAMAHAベイエリアスペシャルコンテストでベストベーシスト賞を受賞。その後プロとして活動を始める。様々なアーティストのサポート、またスタジオミュージシャンとして多くのレコーディングに参加。 角松敏生のプロジェクトでは、1982年からツアーとほとんどのアルバムに参加。1993年から5年間、渡辺貞夫グループに参加。全米、カナダ、東南アジア、ブラジルなどのツアーに同行。
大平 まゆみ(おおひら まゆみ、1957年5月27日 - )… 大平 まゆみ(おおひら まゆみ、1957年5月27日 - )は、日本のヴァイオリニスト。宮城県仙台市出身。 4歳からヴァイオリンを始める。きっかけは、お隣のお姉さんが弾いていたことから。 1998年、札幌交響楽団コンサートマスターに就任し、札幌市に移住。以降、札幌を拠点に道内各地で活動。2009年、さっぽろホワイトイルミネーションミュージックアンバサダーに任命される。