蝉丸P(せみまるぴー、別名は齋藤仁鐵(さいとうじんてつ)、1… 蝉丸P(せみまるぴー、別名は齋藤仁鐵(さいとうじんてつ)、1973年10月14日 - )とは、日本の住職。宗派は高野山真言宗。テキストサイト「坊主めくり」や、ニコニコ動画への動画投稿などで注目され、ネット上で一番注目されるお坊さん、とされる。 1973年、神奈川県生まれ。 生家は精密機械の工場を営む一般家庭。高校1年の終わりに出家を決意し、高校2年から高野山高校に編入する。 その後、岡山県の寺に後任住職候補として赴任するが1年半で辞めることとなり、役僧として全国を放浪。 2000年には高野山に戻り、別格本山の法印随行兼執事を務め、2001年11月に四国地方の現寺院の後任住職候補として赴任、2002年普山。
木下 明水(きのした めいすい、1971年9月26日 - )… 木下 明水(きのした めいすい、1971年9月26日 - )は、日本の住職、俳優、タレント。熊本県八代市出身、天秤座、血液型はO型。既婚。父は浄土真宗本願寺派宗会議長などを歴任した木下慶心。
大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - … 大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - )は、日本の元ラグビー選手で、現在は住職。また、龍谷大学ラグビー部元監督。 広島県竹原市に所在する浄土真宗本願寺派 日照山 長善寺が実家。 竹原高校を経て、リコーに進む。1990年10月27日に行われた韓国戦が日本代表としての初キャップ。以後通算5キャップを獲得した。 1991年、リコーを一旦退職し実家を継ぐために必要な浄土真宗の僧侶の資格を得る目的で、龍谷大学短期大学部に入学し、龍谷大学ラグビー部に入部した。当時の同チームは関西大学リーグのAリーグに上がったばかりの頃だったが、大内の加入が刺激となり、1993年度以降、6年連続で全国大学選手権の出場を果たすことになる。
酒井 圓弘(さかい えんこう、1963年3月15日 - )は… 酒井 圓弘(さかい えんこう、1963年3月15日 - )は、天台宗愛知県妙乗院の住職である。 1963年、愛知県蒲郡市で生まれる。 小学校1年の時両親が離婚、兄とともに母親に引き取られる。 小学校6年の頃から新聞や牛乳配達をして家計を助けていた。 1981年、愛知県立三谷高校を卒業し、マグロ漁船を体験。 1981年4月、食料品会社に就職。 1985年、僧侶だった母方の祖父について浄土宗の京都の寺にて出家し、祖父からお経や戒律を厳しく叩き込まれた。 1988年、西山短期大学を卒業。 1990年、天台宗の総本山比叡山延暦寺に入山。 1991年、比叡山学院を修了。 1992年、妙乗院に入る。 1993年、佛教大学を卒業。
奈良 修一(なら しゅういち、1961年12月8日 - )は… 奈良 修一(なら しゅういち、1961年12月8日 - )は、日本の歴史学者、曹洞宗の僧侶、公益財団法人中村元東方研究所研究員、法清寺住職。 東京都生まれ。父は奈良康明。1980年慶應義塾大学文学部史学科東洋史専攻を卒業。1983年同大学院修士課程修了。ライデン大学研究員。現在公益財団法人中村元東方研究所研究員。
松谷 宗悦(まつたに そうえつ、1960年10月1日[要出典… 松谷 宗悦(まつたに そうえつ、1960年10月1日[要出典] - )は、奈良県奈良市出身[要出典]の浄土宗鎮西派の僧侶、大和郡山市の浄土宗寺院・称名山専念寺の27代目住職、お坊さんの窓口株式会社代表である。 奈良市北にある浄土宗寺院「浄國院」の次男として生まれた。 葬式のあり方に疑問を感じ、2021年12月に非営利の葬儀仲介会社の設立を計画し、クラウドファンディングを経て、2022年8月にお坊さんの窓口株式会社を設立した。 2023年より2024年まで、滝本仏光堂のYouTubeチャンネル「お仏壇ちゃんねる」に出演した。
秋津 智承(あきつ ちしょう、1958年2月21日 - )は… 秋津 智承(あきつ ちしょう、1958年2月21日 - )は、日本のチェリスト、浄土真宗本願寺派「願船坊」住職。 旧名、秋津 智。広島県出身。浄土真宗本願寺派「願船坊」に生まれる。8歳のころ、桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室広島教室にて斎藤秀雄によりチェロの手ほどきを受ける。1980年に桐朋学園大学、1982年にニューイングランド音楽院を卒業、また、僧籍に入る。 僧侶でチェリストとして、広島を本拠にコンサートやセミナーの主宰を多く手がけ、定期的にソロ、室内楽のコンサートを開く。また、自宅のお寺・願船坊では8月初旬に平和コンサート、大晦日にゆく年くる年コンサートを開催している。 これまでに仙台フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団の首席チェリストを歴任。
山下良道(やましたりょうどう、1956年 - )は、鎌倉一法… 山下良道(やましたりょうどう、1956年 - )は、鎌倉一法庵(One Dharma Forum, ワンダルマの会)住職。ワンダルマ仏教僧。元テーラワーダ仏教僧侶(比丘名はスダンマチャーラ, Sudhammacara)。元曹洞宗の僧侶・開教使。法名は一法良道。東京都出身。 自身の遍歴や日本の仏教の歴史に基づき、日本に伝統的に伝わる大乗仏教の現状を仏教1.0とし、1990年代後半から顕著に日本に入って来たテーラワーダ仏教(上座部仏教、南方仏教)を仏教2.0とし、それら両者の資産を活かしつつも両者の問題点を克服した仏教のあり方としての仏教3.0を提唱し、仏教界の改革に向けて活動している。 1956年、東京都に生まれる。
藤田 隆乗(ふじた りゅうじょう)(1955年 3月24日 … 藤田 隆乗(ふじた りゅうじょう)(1955年 3月24日 生 )は真言宗の僧侶で川崎大師平間寺の45代目住職。大僧正。 1985年(昭和60年)大正大学大学院博士後期課程修了、同年、ハワイ大学に留学。 大正大学講師、川崎大師執事などを歴任。 先代高橋隆天遷化により、2006年(平成18年)10月10日付けにて平間寺住職となる。 2016年密教教化賞受賞。
藏内 秀樹(、1954年〈昭和29年〉1月9日 - )は、オ… 藏内 秀樹(、1954年〈昭和29年〉1月9日 - )は、オフィスたま所属の俳優、住職。福岡県出身。芝浦工業大学卒業。 特技はモダンダンス・殺陣。築地本願寺内の東京仏教学院を卒業し、2020年6月30日付で浄土真宗本願寺派の覺法寺(静岡県沼津市)の住職を務めている。住職としては藏内 秀樹()を名乗っている。
千厩 ともゑ(せんまや ともえ、本名:松山 朝江〈まつやま … 千厩 ともゑ(せんまや ともえ、本名:松山 朝江〈まつやま ともえ〉、1952年〈昭和27年〉 - )は、日本の旅行作家、編集者、曹洞宗の住職(方丈)。岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)出身。明治大学文学部史学地理学科卒業。 日伊協会や朝日カルチャーセンターでアグリツーリズモ講座の講師を務めており、取材で渡伊した際に出会ったアグリツーリズムの魅力を紹介している。 1952年、岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)の常楽寺に長女として生まれる。千厩町立南小梨小学校、千厩町立小梨中学校、岩手県立千厩高等学校を経て明治大学文学部史学地理学科に入学。塩野七生の本『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』に感銘を受け、西洋史学を専攻した。
香川 敬(かがわ けい、1951年10月18日)は、浄土真宗… 香川 敬(かがわ けい、1951年10月18日)は、浄土真宗本願寺派の僧侶、明覚寺 (防府市)住職。学校法人敬陽学園理事長(鞠生幼稚園)。 1974年、国立音楽大学教育学部卒業。同年4月、学校法人敬陽学園鞠生幼稚園副園長に就任。のち同学園理事長、同園園長。防府青年会議所・日本青年会議所の要職、山口県の各種審議会の委員を歴任。2003年9月4日、防府市教育委員会委員に選任される。2021年3月8日、山口県公安委員を一身上の都合を理由に辞職する。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。
山崎 祥琳(やまざき しょうりん 1951年〈昭和26年〉 … 山崎 祥琳(やまざき しょうりん 1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の仏師、新潟県長岡市の浄覚寺の住職。 京都の大谷大学・大学院時代に仏像彫刻の修養を積む。 新潟県新潟市で新潟仏像美術展を定期的に開催している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
廣中 邦充(ひろなか くにみつ、1950年8月28日 - 2… 廣中 邦充(ひろなか くにみつ、1950年8月28日 - 2019年4月16日)は、浄土宗西居院第二十一代目住職。教育評論家。愛称は「やんちゃ和尚」。愛知県岡崎市出身。 愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれる。少年時代は、地元ではかなりのワルで何度も警察の世話になっていた。高校時代の恩師の支えによって徐々に更生。 大正大学へ入学。大正大学仏教学部卒業後、ソニーに入社。販売会社へ出向し、そこで全国トップの営業成績を記録した。退職後は独立して複数の企業を経営した。 1990年に、二十代目住職であった父が病気で倒れ、邦充が二十一代目住職に就任した。1996年から10年以上にわたり自らが営む寺で、非行や引きこもり、援助交際等の心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになった。
高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は… 高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は、日本の臨済宗の僧侶、神宮寺住職(1974-2018)。 長野県東筑摩郡本郷村(現松本市)生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、龍谷大学文学部を卒業。同大学院東洋史学研究科中退。 海清寺専門道場で修行し、山田無文老師に従って、太平洋戦争の南方戦地跡での戦没者遺骨収集事業に携わる。 その後、1976年に神宮寺に入る。1981年、筑摩工芸研究所、1991年、日本チェルノブイリ連帯基金の設立に参加。1991年から1997年にかけて、チェルノブイリで医療支援活動を行う。 2018年5月、神宮寺を離れ、フリーランスの僧侶として活動する。 長野県NPOセンター代表、ライフデザインセンター代表、ケアタウン浅間温泉代表理事、アクセス21代表。
御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は… 御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は、元・毎日放送プロデューサーで、現在は光明寺住職、光明寺會舘オーナー。 広島県尾道市出身。実家は清浄山光明寺こと浄土宗西山禅林寺派光明寺。広島大学附属福山高等学校を経て、早稲田大学卒業後の1971年に毎日放送へ入社。同期にはアナウンサーの野村啓司(元専任局長チーフパーソナリティ、フリーアナウンサー)、平松邦夫(元大阪市長)、大学の同期生でもある近藤光史(現在はフリーアナウンサー)、アナウンサー以外の局員では河内一友(現在はMBSメディアホールディングス相談役最高顧問で、毎日放送元代表取締役社長・会長)、山田厚史(元ディレクター、後に朝日新聞社を経て、現在はジャーナリスト)がいる。
川口 高風 (かわぐち こうふう、1948年3月 - )は、… 川口 高風 (かわぐち こうふう、1948年3月 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、法持寺住職。愛知学院大学教授。専門は日本禅宗史。博士(仏教学)。
多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 -… 多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 - )は、日本の法相宗の僧侶で、現在、法相宗大本山興福寺寺務老院(責任役員)、同寺菩提院住職、帝塚山大学特別客員教授。 奈良県奈良市出身。帝塚山小学校、帝塚山中学校・高等学校を経て、1969年に立命館大学文学部哲学科心理学専攻を卒業。その後、入寺。執事や副住職を務め、1989年からは興福寺貫首(代表役員)に就任、2019年に退任した。貫首在任中は法相宗管長を務め、また中金堂再建など、伽藍の復興に精力的に取り組んだ。貫首退任後も責任役員を務め、引き続き境内整備や伽藍復興などの事業に取り組んでいる。 また、 法相宗の理論である唯識の研究や仏教文化論の研究を行い、執筆活動や講演活動なども積極的に行なっている。
丸山 劫外(まるやま こうがい、女性、1946年12月8日 … 丸山 劫外(まるやま こうがい、女性、1946年12月8日 - )は、群馬県出身の日本の曹洞宗の尼僧、埼玉県吉祥院住職。和歌の研究者。元脚本家(ペンネームは丸山文櫻)。詩人。 早稲田大学教育学部に入学。映画研究会に所属し、才賀明に師事。「仮面ライダー」の96話ほか、「ケンちゃんシリーズ」などの脚本を執筆。5年ほど脚本家として活動。 その後、デザイン会社経営の後、1982年に曹洞宗で出家。愛知専門尼僧堂で修行の後、最乗寺塔頭正寿庵住職となる。大雄山最乗寺第十八世余語翠巖老師に嗣法。師の遷化後駒澤大学大学院入学、博士後期課程を満期退学の後、曹洞宗総合研究センター宗学研究部門研究員となり、道元の和歌を研究する。
永井 政之(ながい まさし、1946年10月5日 - )は、… 永井 政之(ながい まさし、1946年10月5日 - )は、日本の仏教学者(仏教学博士)、曹洞宗良珊寺住職。駒澤大学名誉教授。専門は禅学、禅宗を中心とした中国仏教。群馬県渋川市出身。 駒澤大学総長、同大 禅文化歴史博物館館長などを務める。 群馬県渋川市生まれ。群馬県立渋川高等学校、1969年、駒澤大学仏教学部禅学科卒業。同大学院修士課程修了。博士課程満期退学。1998年に『中国仏教の文化史的研究 -中国禅宗教団と民衆』で駒澤大学より博士(仏教学)の学位を取得。 1984年に駒澤大学講師就任。1988年に助教授、1994年に教授。2017年に名誉教授。その他、曹洞宗総合研究センター主任研究員、仏教学部長、大学評議員・理事、禅文化歴史博物館館長など歴任。
松平 實胤(まつだいら じついん、1946年7月28日 - … 松平 實胤(まつだいら じついん、1946年7月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の真言宗智山派の僧侶で愛知県犬山市犬山寂光院の住職。
上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )… 上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )は、日本の僧侶、劇作家、福神研究所所長、日蓮宗興統法縁会・成就山本國寺(静岡県富士市今泉)住職。 静岡県富士市の日蓮宗・本國寺に生まれる。立正大学仏教学部に在学中の1967年、瓜生良介主宰のアングラ劇団「発見の会」による内田栄一脚本の舞台を観て同会に入団。役者、脚本執筆などの活動を行う。1972年、荒戸源次郎がたちあげたアングラ劇団「天象儀館」に参加。座付作者となり、脚本を担当。平岡正明と出会い、山下洋輔、筒井康隆らの「全日本冷し中華愛好会」にも参加。末井昭編集の「ウィークエンド・スーパー」、「写真時代」などにも寄稿した。 1981年には、南伸坊提唱のパフォーマンス集団「HAND-JOE」(命名は糸井重里)に、末井昭ともに参加。
加藤 智見(かとう ちけん、1943年8月15日 - 201… 加藤 智見(かとう ちけん、1943年8月15日 - 2017年8月30日)は、日本の宗教学者、浄土真宗大谷派光専寺住職、東京工芸大学名誉教授。 1943年、愛知県中島郡朝日村(現・一宮市)の浄土真宗大谷派光専寺に生まれる。1966年、早稲田大学文学部哲学科卒業。1973年、同大学院博士課程中退。 東京工芸大学助教授、教授。2009年に退任し名誉教授。 2017年8月30日、膵臓癌のため死去。享年74歳。
佐々木 邦世(ささき ほうせい、1942年 - )は、天台宗… 佐々木 邦世(ささき ほうせい、1942年 - )は、天台宗僧侶、中尊寺円乗院住職。岩手県生まれ。1972年大正大学文学研究科仏教学博士課程満期退学。中尊寺仏教文化研究所長。大正大学講師。平泉文化会議所副理事長。
森 清範(もり せいはん、1940年〈昭和15年〉7月8日 … 森 清範(もり せいはん、1940年〈昭和15年〉7月8日 - )は、清水寺の貫主(住職)。また、1995年(平成7年)より始まった公益財団法人日本漢字能力検定協会が主催する「今年の漢字」において、公募で選ばれたその年を表す一文字の漢字を清水寺の舞台で揮毫していることでも知られている。
小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - … 小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - 2004年8月29日)は、日本の俳優・住職。福岡県山門郡柳川町出身。本名:釈 通麿(とき みちまろ)、別名:小田部 道磨。 柳川町の寺の息子として生まれ、18歳で太平洋戦争に応召する。復員後は拓殖大学専門部司政科)に通い、1948年に卒業。終戦後に町で戦災孤児たちが盗みを働いて少年院に送られる姿に同情し、これらの少年たちのために何かしてやりたいと考え、大阪府茨木市の「浪速少年院」や福岡県の「福岡少年院」で教官を務めた。 少年院での仕事に行き詰まりを感じていた1955年、たまたま訪れた東映京都撮影所にて面構えが強面だったことで俳優への道を勧められ東映京都撮影所に入社する。
平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 20… 平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 2008年1月9日)は、禅僧、元臨済宗天龍寺派管長・天龍寺住職、花園大学名誉教授。 京都府生まれ。京都大学文学部哲学科卒。本田義英にインド哲学、久松真一に仏教学を学ぶ。1950年天龍僧堂に掛錫、関牧翁に参じる。71年天龍僧堂師家、花園大学教授、92年退任、名誉教授。89年禅文化研究所理事長・所長。91年2月牧翁老死去により天龍寺派管長・天龍寺住職。平成20(2008)年1月9日死去。83歳。
佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、… 佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、日本の僧侶、浄土真宗本願寺派長昌寺住職、高校教諭。 宮崎県宮崎市の寺の家に生まれる。9歳で得度し仏門に入る。龍谷大学に入学するが、在学中に学徒出陣。陸軍少尉で終戦を迎える。終戦後龍谷大へ復学。1951年同大学大学院修了。 宮崎県立宮崎大宮高等学校・宮崎県立宮崎南高等学校・宮崎県立宮崎東高等学校などで教鞭をとる。定年後は宮崎女子短期大学講師を務める。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 201… 飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 2016年9月30日)は、浄土真宗の僧、仏教音楽研究家、元飛鳥山善興寺住職。近代日本の仏教音楽を体系化した人物である。 浄土真宗本願寺派善興寺(富山県高岡市)に生まれる。父は、同寺第17代住職で、浄土真宗本願寺派の監正局長をつとめた飛鳥寛徹。1939年龍谷大学文学部仏教学科卒業。学校法人清光学園清光女子高等学校(現高岡龍谷高校)初代常務理事、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター顧問をはじめ、財団法人国際仏教文化協会顧問や社会福祉法人中田保育園理事長などを歴任。仏教音楽コレクション・A主宰(現在は相愛大学の図書館に寄贈)。東洋音楽学会会員。善興寺第18代住職。
他阿 一雲(たあ いちうん、本名:河野 憲善〈こうの けんぜ… 他阿 一雲(たあ いちうん、本名:河野 憲善〈こうの けんぜん〉、1910年〈明治43年〉6月 - 2004年〈平成16年〉8月26日)は、兵庫県神戸市生まれの時宗の73世法主(遊行上人)、藤沢市清浄光寺56世住職(藤沢上人)。島根大学名誉教授(専門は日本思想史)。 時宗の遊行上人は終身制であるため途中で病にかかって長期入院してしまっても代務者を立てることができなかった。このような制度により遊行上人が遷化(死亡)した後、前任に代わり法主候補者が新たに遊行上人となるのが従来の事務処理上手続きであった。 ただし、この制度には不都合な面があり、それは病などにより任務が遂行できなくなるような状態であっても遊行上人は任務を継続しなければならず、周囲の僧侶が運営する行事に停滞が発生することが問題としてあった。
藤音 得忍(ふじおと とくにん、1894年(明治27年)6月… 藤音 得忍(ふじおと とくにん、1894年(明治27年)6月19日 - 1972年(昭和47年)2月29日)は、第30代浄土真宗本願寺派総長、同派教尊寺11代住職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1… 桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1968年5月2日)は、日本の心理学者、僧侶、第十四代浄楽寺住職。 広島県安佐郡八木村(現・広島市安佐南区)の浄土真宗本願寺派浄楽寺住職桐原慈見の長男として誕生する。八木尋常小学校(現広島市立八木小学校)、高宮高等小学校、第四仏教中学(現崇徳高等学校)、旧制第三高等学校を経て1919年に東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修を卒業した。東京帝国大学では日本心理学会の草分けである松本亦太郎に師事して心理学を専攻した。卒業の年に実父が他界し、浄楽寺第14世住職を継ぐが引き続き大学院へ進学する。大学院在院中より倉敷労働科学研究所(現・公益財団法人大原記念労働科学研究所)の設立に貢献した。
亀谷 凌雲(かめがい りょううん、1888年4月9日 - 1… 亀谷 凌雲(かめがい りょううん、1888年4月9日 - 1973年3月16日)は、元浄土真宗の僧侶(住職)で、後にキリスト教(プロテスタント)に改宗して牧師になった人物。日本基督教団富山新庄教会を設立した。 1888年(明治21年)富山県新庄町(現、富山市荒川)の浄土真宗大谷派正願寺の住職の息子として生まれた。親鸞の直系である蓮如から、18代の末裔である。 十七代目住職である父が2歳の時、山崩れのため大水が出て、家族は助かったが、寺は流され無一文になった。父は無理をして新庄町に寺を再建したが、借金を負い、檀家も少なくなって生活は貧しかった。 僧侶となる教育を受けて、富山中学校卒業後、第四高等学校 (旧制)で、倫理の時間に西田幾多郎よりキリスト教の説明を聞いたが、その時はよくわからず仏教の信仰を熱心に求めていた。
谷 信讃(たに しんさん、1878年(明治11年)1月11日… 谷 信讃(たに しんさん、1878年(明治11年)1月11日 - 1962年(昭和37年)3月5日)は、高野寺第4世住職。高野山真言宗宿老・宗機顧問。板垣会館設立発起人。 明治11年(1878年)1月11日、徳島県板野郡鳴門村(現・鳴門市)に生まれる。明治28年(1895年)、高野中学校に入学。明治31年(1898年)、同校卒業後、高野山大学へ進学。さらに京都東寺専修学校に学ぶ。同校卒業後、郷里に戻り、徳島県麻植郡・重楽寺の住職となる。のち、同県板野郡瀬戸町・吉祥寺の住職に転任。さらに同県里浦村師跡・宝珠寺の住職に転じ、鳴門村・潮明寺と兼務した。大正11年(1922年)、高知県高知市・高野寺の第4世住職に就任。
西山 禾山(にしやま かさん、1838年1月19日(天保8年… 西山 禾山(にしやま かさん、1838年1月19日(天保8年12月24日) - 1917年(大正6年)4月3日)は江西山大法寺の18代住職。臨済宗の師家。現在の愛媛県八幡浜市穴井出身。 父は須賀吟助、母は徳子という。12歳の時に八幡浜市の江西山大法寺の徒弟となり、20歳頃から約10年間、宇和島市の金剛山大隆寺の晦巌について修行する。さらに久留米市の梅林寺や、岐阜県伊深の正眼寺などで座禅を習った。その後、京都の相国寺で越渓老師に参禅しようとしたがその時は相国寺を去っていたために、後継者となっていた独園につく。越渓が妙心寺の天授庵で僧堂を開いたので、同じ妙心寺の大嶺院に住み、明治元年から越渓の猛烈な指導のもと修行に励む。
春日 了(かすが りょう)は、東京都葛飾区立石にある仏教寺院… 春日 了(かすが りょう)は、東京都葛飾区立石にある仏教寺院、證願寺(しょうがんじ、単立)の住職。また、声楽家、アマチュア天文家、奇術師としても知られるほか、一時期、テレビ朝日CNNデイウォッチで「宇宙時代のお坊さん」をキャッチフレーズにキャスターを務めたり、その他各局の番組でコメンテーターとして1988年から1995年までマスコミ活動をした。 東京都葛飾区に生まれる。東京都立墨田川高等学校を卒業後、2つの大学でインド哲学と仏教を学んだが、その後、将来を巡って声明と仏教儀式の専門家であった父親と対立し、一端、寺を離れてサラリーマンやレストラン支配人、レストランの歌手や、東欧文化協会・音楽監督などを経て、イタリアとドイツに留学して声楽を学び、帰国後は声楽家、CNNデイウォッチのニュースキャスターや各種の番組でコメンテーターとして1995年まで活動。