スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中元 勇作(なかもと ゆうさく、1988年12月12日 - … 中元 勇作(なかもと ゆうさく、1988年12月12日 - )は、広島県竹原市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 近畿大学工学部に進学すると、4年秋に3完封6勝、防御率0.35の成績を残し、MVP、投手ベストナインの2冠を獲得する。大学卒業後、伯和ビクトリーズに入社。 2014年のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから5位指名を受けて入団。 2015年5月1日に一軍初昇格が予定されたが、怪我のため昇格は見送られた。また、7月7日のイースタンリーグ対楽天戦では、チーム内で怪我人等が相次ぎ、野手が不足したため投手登録ながら代走として出場している。 2016年10月1日、戦力外通告を受け引退した。
大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - … 大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - )は、日本の元ラグビー選手で、現在は住職。また、龍谷大学ラグビー部元監督。 広島県竹原市に所在する浄土真宗本願寺派 日照山 長善寺が実家。 竹原高校を経て、リコーに進む。1990年10月27日に行われた韓国戦が日本代表としての初キャップ。以後通算5キャップを獲得した。 1991年、リコーを一旦退職し実家を継ぐために必要な浄土真宗の僧侶の資格を得る目的で、龍谷大学短期大学部に入学し、龍谷大学ラグビー部に入部した。当時の同チームは関西大学リーグのAリーグに上がったばかりの頃だったが、大内の加入が刺激となり、1993年度以降、6年連続で全国大学選手権の出場を果たすことになる。
伊藤 みのり(いとう みのり、1962年9月5日 - )は、… 伊藤 みのり(いとう みのり、1962年9月5日 - )は、元広島ホームテレビのアナウンサー。広島県竹原市出身。アナウンス部長。 身長162cm。広島県立竹原高等学校を経て広島修道大学人文学部英語英文学科(9回生)卒業後、1986年広島ホームテレビ入社。 報道部や制作部の所属でアナウンサーと記者、ディレクターを兼任し、アナウンサーとしては夕方ニュースのキャスターや情報番組MC・リポーター、さまざまなイベント司会などを担当し、『HOMEフレッシュモーニング』や『あっぱれ!熟年ファイターズ』などの番組を担当した。 高校では放送部、大学では放送研究会に所属。高校の時にNHKの県内の放送コンクールにエントリーし、国語の先生から指導を受け朗読部門で入賞した。
望月 卓也(もちづき たくや、1956年5月8日 - )は、… 望月 卓也(もちづき たくや、1956年5月8日 - )は、広島県豊田郡東野町(現:同郡大崎上島町)出身の元プロ野球選手(投手)。 竹原高校では3年時の1974年、夏の広島県大会で、エースとしてチームを決勝まで導く活躍を見せた。川島日出雄(太平洋)のいた盈進高校との決勝戦では奮投したが、7回裏に勝ち越し点を許して1対3で惜敗し、高校3年間で甲子園に出場することはなかった。 1974年のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名され、入団。同期には高橋慶彦がいた。大石清投手コーチのアドバイスで、当時の巨人のエース・小林繁のフォームを参考にして右足と左足が交差する瞬間に投球モーションを停止させることで相手打者のタイミングを外しにかかり、しなやかな上体と長いリーチをフルに生かした変則フォームへ改造すると、サイドスローからくり出す速球とカーブ、スライダー、シュート、シンカーを武器に、主にリリーフとして活躍した。
桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )… 桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )は、日本の将棋棋士、投資家。升田幸三実力制第四代名人門下。棋士番号120。2007年に引退。 広島県竹原市出身。将棋棋士の門をたたこうとしていたところ、紹介により同郷の升田幸三の弟子となった。1975年に桐谷のライバルとされた沼春雄と共に四段昇段を果たしプロ棋士となった。当時まだ珍しかった、研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。棋風は居飛車党の受け将棋。相手の攻め駒を攻める、駒得を重視する戦術で、優勢になってもなお相手の攻撃の応接を継続する「マッサージ戦術」を得意として「桐谷マッサージ戦術」(青野照市)などと呼ばれた。また入玉が得意の棋士としても知られる。
長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -19… 長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -1966年6月24日)は、1950年代半ばから1960年代前半にかけて活躍したプロ野球選手(一塁手、外野手)である。広島県竹原市出身。 竹原高校を卒業後、法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは中心打者として活躍したが、優勝には届かず、1954年秋季リーグの2位が最高成績であった。大学同期に中野健一、1年下に斎田忠利・古川啓三がいる。 1956年に南海ホークスへ入団。同年は開幕直後から一塁手、五番打者に抜擢され、寺田陽介とレギュラーを争う。四番打者としても11試合に出場した。1957年のシーズン後半から中堅手に回る。1958年には122試合に出場し規定打席にも到達、打率.276(リーグ9位)、16本塁打の好成績を残した。
今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2… 今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2023年3月6日)は、日本の陶芸家。位階は従三位、勲等は文化勲章。公益社団法人日展名誉顧問、日本芸術院会員、文化功労者。国際陶芸アカデミー会員。 京都府美術工芸家協会理事、社団法人日展常務理事、財団法人京都文化財団理事などを歴任した。 苔泥彩とよばれる独特の技法を生みだし、現代陶芸界に独自の領域を開拓。 花や魚の模様を象嵌する技法の第一人者として知られ海外でも高い評価を受けている。 大阪府大阪市出身。1943年、父の郷里広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に移り住む。広島県立竹原工業学校(現・広島県立竹原高等学校)卒業後、岡山県備前市に赴き備前焼の修行を始める。