五代目 岩井粂三郎(ごだいめ いわい くめさぶろう、明治15… 五代目 岩井粂三郎(ごだいめ いわい くめさぶろう、明治15年(1882年)6月28日 - 昭和20年(1945年)4月13日)は歌舞伎役者。本名は岩井 久次郎(いわい ひさじろう)。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に燕子がある。 四代目岩井粂三郎の子として東京浅草の花川戸に生まれる。明治20年(1887年)8月に岩井紀の丸で初舞台。明治28年(1895年)4月または29年(1896年)3月、明治座で四代目岩井久次郎を襲名。明治39年(1906年)10月東京座『異風行列』の濃姫で五代目岩井粂三郎を襲名、名題昇進。市村座から後に四谷の大国座に出る。その後関西に住み着き活躍。晩年は再び東京に戻っている。
八代目 市川 團蔵(いちかわ だんぞう、1882年(明治15… 八代目 市川 團蔵(いちかわ だんぞう、1882年(明治15年)5月15日 - 1966年(昭和41年)6月4日)は歌舞伎役者。本名、市川銀蔵。屋号は三河屋。俳名に寿猿、三猿、市紅。東京生まれ。七代目市川團蔵の次男。 実母のはつが早くに家を出て他家に嫁いだため母親を知らずに育つ。父親の七代團蔵は芸の修業に厳しく、息子がうまくできないと冬でも庭の木に縛り付けて頭から水をかけることもあったという。1885年(明治18年)、本名の市川銀蔵の名で初舞台。芸修業のため小学校3年生までで退学する。1896年(明治29年)市川茂々太郎を襲名。主として子供芝居に活躍。1908年(明治41年)歌舞伎座『御存鈴ヶ森』の白井権八で、四代目市川九蔵を襲名。
尾上 幸三郎(おのえ こうさぶろう、1882年1月11日 -… 尾上 幸三郎(おのえ こうさぶろう、1882年1月11日 - 1947年1月4日)は、歌舞伎役者。本名:鈴木 僖重(すずき きじゅう) 1882年(明治15年)1月11日鈴木喜右エ門(江戸時代から有名な日本橋・料亭小倉亭~[江戸時代:本所小梅小倉庵]どちらも震災大火のため焼落)の長男として東京市京橋区中橋和泉町1番地に生まれる(現在の中央区築地2丁目)。六代目尾上菊五郎を師匠とし、尾上家の舞台では番頭もしていた。舞台では玉乗りを得意としていた。 幼い頃から歌舞伎座が身近にあったことから歌舞伎の世界に憧れる。当時銀座にあった料亭三浦(現在「新三浦」とし築地に移転)にて菊五郎と話し合い、菊五郎の元で歌舞伎を演じたい僖重と、番頭を欲しがっていた菊五郎の希望が合致し、菊五郎の初めての付き人になった。
遠藤 為春(えんどう いしゅん、明治14年(1881年)10… 遠藤 為春(えんどう いしゅん、明治14年(1881年)10月26日 - 昭和44年(1969年)2月6日)は、日本の歌舞伎研究家。 東京市日本橋馬喰町出身。東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業。1908年三菱銀行入行。1911年歌舞伎座入社。 1914年には自宅の庭にあった演舞館を三渓園の入口に移築し、横浜演舞館とした。 家業の柏木運送店専務を務めた他、1915年松竹理事。1937年松竹取締役。 第二次世界大戦後は、松竹演劇部相談役や新橋演舞場常務などを務めた。また、評論、随筆などを執筆した。 1964年藍綬褒章受章。1968年勲四等瑞宝章受章。1969年死去。一乗寺で葬儀が行われた。本名は弥市。
二代目 河原崎 権十郎(かわらざき ごんじゅうろう、1880… 二代目 河原崎 権十郎(かわらざき ごんじゅうろう、1880年(明治13年)8月6日 - 1955年(昭和30年)1月11日)は、歌舞伎役者。本名は長谷 幸太郎。屋号は山崎屋。俳名に紫扇。 東京・日本橋の芝居茶屋の子として生まれる。九代目市川團十郎門人となり、明治18年(1885年)市川薫の名で新富座の『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の菅秀才で初舞台。その後十一代目片岡仁左衛門門人となり下阪。明治38年(1905年)大阪弁天座で二代目市川権三郎を襲名する。 大阪での修業ののち帰京、大正8年(1919年)4月歌舞伎座で師匠の九代目團十郎の前名をおそって二代目河原崎権十郎を襲名。浅草の宮戸座、常盤座などの小芝居で活躍、『源平布引滝・実盛物語』の実盛や『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)の辰五郎など、十五代目市村羽左衛門の当たり役を好んで演じ、しかも容貌や芸風までもが似ていたので「浅草の羽左衛門」と呼ばれ人気があった。
嵐 冠三郎(あらし かんざぶろう、1878年 - 没年不詳)… 嵐 冠三郎(あらし かんざぶろう、1878年 - 没年不詳)は、日本の俳優、元歌舞伎役者、元子役、元女形である。本名は北岡 力松(きたおか りきまつ)。関西歌舞伎から初期のサイレント映画に転向して牧野省三の映画製作を支えた、マキノ最古参俳優である。 1878年(明治11年)、京都府京都市上京区西陣の織物屋の家庭に生まれる。本名については、最初期の資料である『花形活動俳優内証話』(1918年)には「北國力松」とあるが、『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』などによれば、本名の姓は「北岡」である。『花形活動俳優内証話』には、芝居好きの両親が四代目實川延三郎(1864年 - 1905年)、片岡柳蔵(1870年 - 1923年)の贔屓であったため、幼児から日本舞踊を習得し、数え年8歳の年に、牧野省三(1878年 - 1929年)の経営する千本座の子役となり、同劇場で初舞台を踏んだ、という旨の記述がなされている。
嵐 璃徳(あらし りとく、1875年〈明治8年〉12月31日… 嵐 璃徳(あらし りとく、1875年〈明治8年〉12月31日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。本名は井上 徳太郎(いのうえ とくたろう)。関西歌舞伎に始まり、牧野省三が監督した日本初の時代劇映画、日本初の剣戟映画に出演、サイレント映画の時代に映画俳優として活躍した。 1875年(明治8年)12月31日、大阪府大阪市北堀江町(現在の同市西区北堀江)の花柳街の料亭を生家に、「井上徳太郎」として生まれる。その環境から、幼少より芸事を覚える。 満4歳にして1880年(明治13年)、先代・嵐璃徳に入門、2年後の1882年(明治15年)に大阪・角座で初舞台を踏んだ。
尾上 松之助(おのえ まつのすけ、1875年(明治8年)9月… 尾上 松之助(おのえ まつのすけ、1875年(明治8年)9月12日 - 1926年(大正15年)9月11日)は、日本の歌舞伎役者、映画俳優、映画監督。本名は中村 鶴三(なかむら かくぞう)。 日本映画草創期に活躍した時代劇スターであり、日本初の映画スターといわれる。旅役者から牧野省三に認められて映画界に入り、『碁盤忠信 源氏礎』でデビュー。牧野とのコンビで横田商会、日活の2社で1,000本以上の映画に出演、大きな目玉を向いて見得を切る演技が評判を呼び「目玉の松ちゃん」の愛称で大衆に親しまれた。立川文庫や講談でおなじみの英雄・豪傑・義人・侠客のほとんどに扮しており、トリック撮影を駆使した忍術映画では年少ファンのアイドル的存在となった。
嵐 橘楽(あらし きらく、1874年7月18日 - 1922… 嵐 橘楽(あらし きらく、1874年7月18日 - 1922年3月)は、日本の俳優、元歌舞伎役者、元子役である。嵐 橘樂と表記されることもある。また、芸名の読みは「あらし きつらく」と表記されることもある。本名は永田 長治郎(ながた ちょうじろう)。幼名は中村 成子(なかむら なるこ)、旧芸名は中村 鳥次郎(なかむら ちょうじろう)、嵐 喜樂(あらし きらく)。三代目中村翫雀、四代目嵐橘三郎門下の歌舞伎役者から横田商会、日活京都撮影所の旧劇俳優に転じ、子供芝居時代からの幼馴染みである尾上松之助を支える名脇役として活躍したが、志半ばで病没した。 1874年(明治7年)7月18日、大阪府大阪市南区久左衛門町(現在の同市中央区西心斎橋2丁目及び心斎橋筋2丁目辺り)に生まれる。
市川 莚十郎(いちかわ えんじゅうろう、旧暦 明治元年12月… 市川 莚十郎(いちかわ えんじゅうろう、旧暦 明治元年12月10日 / グレゴリオ暦 1869年1月22日 - 1943年3月2日)は、日本の歌舞伎役者、俳優である。本名は生田 宮吉(いくた みやきち)。幼名及び旧芸名は市川 左伊次(いちかわ さいじ、市川 左い次とも)、市川 榮升(いちかわ えいしょう)。映画草創期に主演俳優として活躍した一人であり、5代目澤村四郎五郎との名コンビとして知られる。 1869年1月22日(旧暦 明治元年12月10日)、武蔵国(後の東京府東京市浅草馬道3丁目、現在の東京都台東区)に生まれる、とされている。1923年(大正12年)に発行された『現代俳優名鑑』(揚幕社)には、生年月日は「明治三年十二月十日」(グレゴリオ暦 1871年1月30日)、生地は東京市浅草区馬道町1丁目(現在の台東区浅草1丁目)である旨が記されている。
五代目 坂東 蓑助(ごだいめ ばんどう みのすけ、1865年… 五代目 坂東 蓑助(ごだいめ ばんどう みのすけ、1865年1月11日〈元治元年12月14日〉 - 1910年〈明治43年〉9月10日)は、日本の歌舞伎役者。養父は十二代目守田勘彌。 元治元年12月14日(1865年1月11日)、三河国の東海道にある池鯉鮒宿の旅籠、巴屋こと林寅吉の次男として生まれた。本名は鉄三郎。母は碧海郡東境村の泉正寺の生まれである。 理由は定かでないが、母親とともに巴屋を出て旅役者となり、女優の中村仲吉に預けられた。10歳の時に東京に向かい、坂東喜知六を頼って坂東利喜松(りきまつ)と名乗った。新富座で踏んだ初舞台が認められて坂東喜知六の養子となった。 1889年(明治22年)に京都の祇園座がこけら落としを行った際、九代目市川團十郎一座に招かれて出演し、非凡な才能を見せつけた。
二代目 中村 翫右衛門(なかむら かんえもん、嘉永4年10月… 二代目 中村 翫右衛門(なかむら かんえもん、嘉永4年10月14日〈1851年11月7日〉 - 1919年〈大正8年〉4月27日)は歌舞伎俳優。本名、三井 梅之助。初名、初代中村梅之助、梅雀から1913年中村翫右衛門と改名。4代目市川門之助、4代目中村芝翫の門弟。三代目中村翫右衛門は次男金次郎。屋号、駒村屋。 故郷は本庄で、長兄の中村芝三郎、次兄の梅三郎とともに深谷で地方歌舞伎の劇団「児桜座」を組み、旅回りなどをしていた。明治初期に20代で一座を離れて上京し、浅草の小芝居小屋「柳盛座」の役者となり、中村梅雀を名乗る。人気役者として柳盛座座長を務め、39歳のときに、東京市下谷区竹町で小間物の行商していた三井鋳三郎の娘婿となった。