佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。
田下 啓子(たおり けいこ、1947年4月26日 - )は、… 田下 啓子(たおり けいこ、1947年4月26日 - )は、日本の著作家、映画プロデューサー、産業カウンセラー。 夫はマーケティングリサーチャー、経営者の田下憲雄。 福岡県北九州市出身。国立音楽大学卒。
藤田 浩一(ふじた こういち、1947年3月21日 - 20… 藤田 浩一(ふじた こういち、1947年3月21日 - 2009年10月11日)は、日本のギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、実業家。トライアングルプロダクション、バミューダ音楽出版の社長を務めた。
丸谷 嘉彦(まるたに よしひこ、1947年2月22日 - )… 丸谷 嘉彦(まるたに よしひこ、1947年2月22日 - )は、毎日放送 (MBS) の元プロデューサー。 大阪府出身。横浜市戸塚区在住(自身のXより)。 1970年に関西学院大学社会学部卒業後、毎日放送に入社。1972年、東京支社へ異動し、テレビ編成部・テレビ制作部・テレビ営業部・ラジオ編成制作部長などを歴任した。 その後は同局制作の多くのテレビアニメ、テレビドラマ、ドキュメンタリーを担当し、代表作には『銀河漂流バイファム』シリーズ、平成『ウルトラマン』シリーズ(4作品)、『ゾイド -ZOIDS-』、『ゾイド新世紀スラッシュゼロ』などがある。 同局のアニメ担当プロデューサーである竹田青滋や丸山博雄は、彼の後輩プロデューサーである。
布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左… 布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左記と同一)、1947年2月11日 - 2022年12月25日)は、日本のアニメーター、アニメ演出家、アニメーションプロデューサー、実業家。株式会社スタジオぴえろ創業者・取締役最高顧問、元東北芸術工科大学大学院仙台スクール教授、元日本動画協会理事長。ペンネームに坂田ゆう。 山形県酒田市で生まれ、実家は紳士服の仕立て屋だった。子供の頃から絵を描くこと、芝居・映画を鑑賞することが好きで、高校時代に所属していた美術部の顧問の推薦で宣伝美術を経験し、デザインの仕事に就くことを志望し上京する。昼間にアルバイトをしながら、夜間に日本デザインスクールで学び1967年に卒業。
S-KEN(エスケン、1947年1月17日 - )は、日本の… S-KEN(エスケン、1947年1月17日 - )は、日本の音楽プロデューサー、歌手、作家、レーベル&サウンドプロデューサー、イベントプロデューサー、DJ。 東京都大田区大森生まれ。本名 田中 唯士(たなか ただし)ワールドアパート取締役会長。 71年、作曲者としてポーランド音楽祭に参加。世界放浪後、音楽雑誌の編集者として75年ヤマハ音楽振興会の海外特派員として渡米。ニューヨークに滞在中、CBGBなどのニューヨークパンクロックシーンに刺激を受けて東京に帰国後、伝説のパンクムーブメント『東京ロッカーズ』を牽引。アーティストとしてはデビュー·アルバム『魔都』(81年)、セカンドアルバム『ギャングバスターズ』 (83年)を経て、パンク、ファンク、ブガルー、レゲエなどをハイブリッドさせた自身のバンドs-ken & hot bombomsを結成、80年代のクラブシーンを代表するエポックなイベント『Tokyo Soy Source』に参加しつつ4枚のアルバムを発表。
青園宴(あおぞのうたげ、1947年1月6日-)は兵庫県神戸市… 青園宴(あおぞのうたげ、1947年1月6日-)は兵庫県神戸市出身のプロデューサー・俳優。宝塚歌劇団52期生。1967年宝塚歌劇団入団。1971年退団。1972年に浜田光夫と結婚。娘婿に加藤和也。
中井 猛(なかい たけし、1947年1月3日 - )は、日本… 中井 猛(なかい たけし、1947年1月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー。音楽事務所・ヒップランドミュージックの創業者で現在は同社取締役会長。 大阪府大阪市出身。大阪市立西天満小学校、菅南中学校、同志社香里高を経て 昭和44年同志社大学商学部卒業。同志社大学在学中からギターの演奏者として活動。。 1969年(昭和44年)、渡辺プロダクション(ナベプロ)入社。同期にアミューズ創業者で現会長の大里洋吉などがいる。 制作部で番組制作、マネージャー、プロデューサーを務めた。1976年渡辺プロダクション内にロックセクションであるNONSTOPを立ち上げ、スターキングデリシャス、ゴンチチ、アン・ルイス、太田裕美、山下久美子、大沢誉志幸、PINK等を輩出。
加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、… 加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、日本のラジオ番組・テレビ番組制作ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家。 滋賀県出身。別名 弟子 吉治郎(でし きちじろう)。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。 生家は米原市でまんじゅう店を営んでいた。彦根東高校、関西学院大学卒業。中部日本放送 (CBC) 入社後、ラジオ番組のディレクターなどとして活動。1974年、自身がディレクターを担当していた番組『ばつぐんジョッキー』の企画より、地元名古屋市を本拠地とするプロ野球球団・中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』(作詞・作曲:山本正之。
三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリ… 三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリスト、スポーツコンサルタント、プロデューサー。元産経新聞社記者、元法政大学教授、元株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役、女性スポーツ財団日本支部設立者、元公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事。専門はスポーツビジネス、スポーツジャーナリズム、女性とスポーツ、スポーツとまちづくり。 1947年:東京都で生まれる。 1970年:慶應義塾大学法学部政治学科卒業 1970年:産経新聞社入社、社会部記者を経て、サンケイスポーツ運動部記者となる。 1973年:同社退社後、フリーランスのスポーツジャーナリストとして、オリンピックなどの国内外のスポーツ事情を取材し、原稿執筆などを開始する。
林 俊明(はやし としあき、1947年(昭和22年)- )は… 林 俊明(はやし としあき、1947年(昭和22年)- )は、日本のプロデューサーである。日本人初のハリウッド映画「兜KABUTO」を製作(1990年)したエグゼクティブ・プロデューサー。 日経ジャーナルの記者を経て、24歳で渡米。オークランドカレッジに留学、ロサンゼルスでビジネス誌を創刊。L.A200年際に日本国技大相撲を江崎真澄副総理の協力で招請。1980年(昭和55年)に大成功を収める。経団連の依頼により、カリフォルニア州務税制ユニタリータックスの廃止運動をSONYの盛田昭夫会長と展開。カリフォルニア州州務長官マーチ・フォン・ユーからカリフォルニア輸出推進委員会の委員に任命される。オレンジ・牛肉などの自由化について、日本政府と会談する。
田中 佑季明(たなか ゆきあき、本名 行明、1947年 - … 田中 佑季明(たなか ゆきあき、本名 行明、1947年 - )は、作家・詩人・エッセイスト・写真家・プロデューサー・舞台監督。 東京都世田谷区に生まれ、新宿区に43年在住。現在、福島県いわき市在住。 日本文藝家協会会員・日本ペンクラブ会員・日本現代詩人会会員・日本詩人クラブ会員・日本出版美術家連盟賛助会員・いわきアート集団所属。東経大「葵俳壇」会員。福島県現代詩人会員。 東京経済大学経済学部経済学科卒業、明治大学教職課程修了。記者・教員を経て三菱マテリアル(株)30年勤務。 東京:三菱フォットギャラリー・三越・デザインフェスタギャラリー原宿で個展 安田生命ホール(新宿)舞台監督。 新宿歴史博物館 田中佐知生誕65年追悼展 朗読会企画 オノマトペ コレクション展 朗読会企画 銀座グループ展 「美術の祭典 東京展」東京都美術館 日本詩人クラブ主催 今井館聖書講堂で自作詩朗読 所沢:所沢図書館家族展 新所沢コミュニティセンター 朗読会 大阪:ギャレ・カサレス 写真展 いわき市:NHK・草野心平記念文学館・ギャラリーI(アイ)・平サロン・創芸工房・ラトブ・いわき市勿来関文学歴史館 いわき市文化センター・いわき市暮らしの伝承郷 パリ:エスパス・ジャポン「親子三人展」志津・佐知・佑季明 講演・朗読・写真・絵 中国:山東省・山東大学 国際シンポジウム「多文化研究と学際教育」講演 いわき市大國魂神社 「母子文学碑 」田中志津・佐知・佑季明 歌碑と詩碑 建立 NHK・ニッポン・FMいわき出演 椿山荘講演 月刊誌 随筆6か月執筆 朝日・讀賣・毎日・産経・新潟日報・福島民報・福島民友・FLASH・日本カメラ・東京中日新聞・アサヒ芸能等に掲載。
川瀬 泰雄(かわせ やすお、1947年 - )は、日本の音楽… 川瀬 泰雄(かわせ やすお、1947年 - )は、日本の音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト。神奈川県横浜市出身。これまでに井上陽水、山口百恵、浜田省吾、和田アキ子など数多くの歌手の楽曲制作に携わるほか、ビートルズの研究家としても知られる。 武蔵工業大学付属高等学校(現・東京都市大学付属中学校・高等学校)から武蔵工業大学(現・東京都市大学)へと進学。ザ・ベンチャーズを聴いてギターを弾き始め、ビートルズの影響を受け曲をコピーするようになり、バンドを結成する。ベトナム戦争の最中アメリカ兵を相手に、横浜中華街に存在する日本で最初のディスコと云われる ″レッド・シューズ″ や米軍キャンプなどで演奏を始める。
原田 保(はらだ たもつ、1947年 - )は、日本のコンテ… 原田 保(はらだ たもつ、1947年 - )は、日本のコンテクストデザイナー、戦略プロデューサー。多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、メイ・ウシヤマ学園理事長補佐、ハリウッド大学院大学特任教授、文化学園大学特任教授、メイ・ウシヤマ総合研究所副所長、明治大学ビジネス・イノベーション研究所客員研究員。薬樹顧問、日本能率協会総合研究所観光マーケティング研究所客員研究員、日本ペンクラブ会員など[要出典]。専門は戦略研究、文化評論[要出典]。 神奈川県出身。1971年に早稲田大学政治経済学部卒業後、西武百貨店に入社。1980年に米国シアーズローバック研修出向。1990年に西武百貨店取締役として企画室長、情報システム部長、商品管理部長、関東地区担当、国際業務担当、業革推進担当を歴任。
国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍… 国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍編集者、プロデューサー。 1947年(昭和22年)長野県松本市生まれ。1965年(昭和40年) 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1969年(昭和44年) 成蹊大学文学部卒業、徳間書店に入社。徳間書店編集課長。三浦しをん、森村誠一などの編集を担当する。日本ペンクラブ委員。 1975年(昭和50年)国田が28歳の時、同い歳の映画監督手塚正己がはじめて撮った自主製作映画『M子』の主演を務めた。また、三浦しをん氏の原作『神去なあなあ日常』を映画化した『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常』(2014年5月10日公開、配給:東宝、監督:矢口史靖、主演:染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明)のDVDでは、三浦しをん(原作)×細谷まどか(プロデューサー)×国田昌子(徳間書店編集担当)による、“女子会オーディオコメンタリ―”が収録されている。
太田 英昭(おおた ひであき、1946年(昭和21年)12月… 太田 英昭(おおた ひであき、1946年(昭和21年)12月22日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。フジ・メディア・ホールディングス社長、産経新聞社会長を務めた。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構代表理事。勉強会「立志塾」主宰。 北海道千歳市出身。中央大学法学部卒業後、フジテレビジョン入社。社会教養部に配属される。同期に山田良明(共同テレビジョン社長)、久保田榮一(扶桑社・育鵬社社長)。吉田填一郎(日本テレビアナウンサー)は大学の同期。 『小川宏ショー』(アシスタントディレクター)、『おはよう!ナイスディ』(チーフディレクター)、『なんてったって好奇心』(チーフプロデューサー)、『ザ・ノンフィクション』(立ち上げ)など情報番組の制作に携わる。
山田 良明(やまだ よしあき、1946年12月18日 - )… 山田 良明(やまだ よしあき、1946年12月18日 - )は、ドラマを手がけるテレビプロデューサー。共同テレビジョン取締役相談役、フジクリエイティブコーポレーション(FCC)取締役、バスク取締役。
中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 202… 中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 2021年12月6日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。テレパック所属、元C.A.L代表取締役社長、社団法人全日本テレビ番組製作社連盟理事長。
王 東順(おう とうじゅん、中国語拼音: Wáng Dōng… 王 東順(おう とうじゅん、中国語拼音: Wáng Dōngshùn、1946年(昭和21年)11月30日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。 フジテレビにてプロデューサーを務めた後、イーピー放送(現・SCサテライト放送)編成局長、ドリームワン代表取締役社長、東京テレビランド非常勤取締役を歴任した。 通称ワンちゃん。東京都出身。 1964年、高校卒業後、フジテレビに入社。働きながら中央大学商学部(夜学)に通い卒業。1969年に当初の人事部から制作部に異動し、『ゴールデン歌謡速報』『リブ・ヤング!』のADを経て、1975年には29歳で『クイズ・ドレミファドン!』のプロデューサーとなった。
中村幻児(なかむら げんじ、1946年11月21日 - )は… 中村幻児(なかむら げんじ、1946年11月21日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサーである。栃木県大田原市出身。 1968年、慶應義塾大学文学部中退。東京綜合写真専門学校在学中よりフリーの助監督として活動し、1972年「完全なる同性愛」で監督デビューした。以降多数のピンク映画を手がけ、その青春映画・ニューシネマ的作風によって高橋伴明、渡辺護らとともに、ピンク映画界を代表する監督となった。中村は、日活の下請けプロダクションであるプリマ企画などで約83本のピンク映画を撮影した。また1982年、筒井康隆原作の作品『ウィークエンド・シャッフル』にて一般映画にも進出した。 。その後テレビドラマ・Vシネマなども手がけている。
森本 太郎(もりもと たろう、1946年11月18日 - )… 森本 太郎(もりもと たろう、1946年11月18日 - )は、日本のギタリストで日本の音楽プロデューサーである。元ザ・タイガースのメンバーでもある。 京都府京都市出身。立命館高等学校卒業。 1967年2月5日、ザ・タイガースのギタリストとしてシングル「僕のマリー/こっちを向いて」でデビュー。愛称は『タロー』。ザ・タイガースの8枚目のシングルおよびアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」に収録された『青い鳥』の作詞作曲を担当し、メンバー内でいち早くそのソング・ライティング能力を開花させ、後年プロデューサーとして活躍する才能の片鱗を既に見せていた。 1969年、メンバーの加橋かつみの脱退を受け、ベーシストの岸部一徳の弟、岸部四郎を新メンバーとして加入させる。
加藤 俊三(かとう しゅんぞう、1946年11月9日 - )… 加藤 俊三(かとう しゅんぞう、1946年11月9日 - )は創通代表取締役社長、映画プロデューサー。山口県小野田市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )… 牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー。昭和音楽大学講師。 東京都渋谷区出身。早稲田大学法学部在学中の1968年、音楽サークル“グリー・クラブ”の先輩三浦光紀のキングレコード就職に伴い、私設アシスタントとして音楽業界に身を投じる。無給だったため、1970年頃、小室等の事務所に預けられ、六文銭のマネージメントを担当する。 1970年、「中津川フォークジャンボリー」の実行委員となり、東京のアーティストのブッキングを担当する。 1971年、後藤由多加に誘われ、ユイ音楽工房の設立に参加する。同事務所では、かぐや姫を担当する。『神田川』がディレクターとして最初に成功した楽曲となる。
荒戸 源次郎(あらと げんじろう、1946年10月10日 -… 荒戸 源次郎(あらと げんじろう、1946年10月10日 - 2016年11月7日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、俳優である。劇団天象儀館主宰。本名は吉村敏夫(よしむら としお)。 1946年10月10日、長崎県に生まれる。船乗りだった父方の祖父は隠れキリシタンで、ポルトガル系ともいわれる外国人の血を引いていた。生後間もなく福岡市に転居し、九州大学入学時まで福岡に住む。高校時代はラグビー部に所属し、熊本のヤクザの家に寝泊りし、パチンコ屋で用心棒まがいの仕事をしていたこともある。 学生運動に身を投じ、九州大学建築科を数か月で中退して上京。唐十郎主宰の劇団状況劇場と出合い、演劇の道に進む。
福井 昌平(ふくい しょうへい、1946年10月1日 - )… 福井 昌平(ふくい しょうへい、1946年10月1日 - )は、日本のCIプランナー、イベントプロデューサー。株式会社コミュニケーション・デザイニング研究所代表取締役社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
楠田 泰之(くすだ やすゆき、1946年9月16日 - )は… 楠田 泰之(くすだ やすゆき、1946年9月16日 - )は、テレビプロデューサー・演出家。アベクカンパニー所属の後、現在フリー。父は木下惠介映画のカメラマンも務めた撮影技師の楠田浩之、母は木下惠介および作曲家の木下忠司の妹で脚本家の楠田芳子である。立教大学卒業。 1946年9月 神奈川県に生まれる。 1969年、立教大学文学部を卒業。 1970年、木下恵介プロダクション(ドリマックス・テレビジョンの前身)に入社し、1975年 TBSテレビ「木下恵介・人間の歌シリーズ」『旅への誘い』にて監督デビュー。後、数々のテレビドラマを演出する。 1988年に同じ木下プロに所属していた阿部祐三・赤羽博らと共に映像制作会社アベクカンパニー(AVEC)の設立に参画する。
久保田 榮一(くぼた えいいち、1946年〈昭和21年〉8月… 久保田 榮一(くぼた えいいち、1946年〈昭和21年〉8月5日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。株式会社扶桑社相談役。 フジテレビでプロデューサーを務めた後、フジテレビ及び持株会社であるフジ・メディア・ホールディングス取締役を歴任し、扶桑社・育鵬社の社長を務めた。立教大学卒。代表作に『サザエさん』、ドラマ『いじわるばあさん』ほか。 1969年(昭和44年)にフジテレビ入社後、アニメーション、ファミリードラマ番組の企画・プロデューサーを務める。 フジテレビでは、1990年代から編成部デスク担当部長、番組広報部長、編成局第二制作部長を経て、管理部門の役職である人事局長となり、2006年(平成18年)に取締役に昇任した。
木幡 和枝(こばた かずえ、1946年7月26日 - 201… 木幡 和枝(こばた かずえ、1946年7月26日 - 2019年4月15日)は、日本の芸術評論家、アートプロデューサー、翻訳家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科名誉教授。新潟市民芸術文化会館アドバイザリー・プロデューサー。舞踊資源研究所管理責任者。 東京都生まれ。1965年、雙葉高等学校卒業。1969年、上智大学文学部新聞学科卒業。 同年から1973年まで、TBSブリタニカの編集者で、百科事典「世界子ども百科」編集長。工作舎+フォーラム・インターナショナルの編集者も務めた。後に、1978年に独立。 1970年代より美術、音楽、ダンスのプロデューサー。1981年、東京都中野区にある地下の先駆的パフォーマンススペースplan-Bの設立メンバー、実行委員。
高橋 信之(たかはし のぶゆき、1946年(昭和21年)7月… 高橋 信之(たかはし のぶゆき、1946年(昭和21年)7月15日 - )は、日本の音楽プロデューサーである。男性。ミュージシャンの高橋幸宏は実弟、ファッションデザイナーの伊藤美恵は実姉。 東京都出身。トキワ松学園小学校卒業。 慶應義塾普通部では中学3年の謝恩会に成毛滋らとバンドを組み、慶應義塾高等学校(日吉)に進学後の1962年にザ・フィンガーズを結成し、慶應義塾大学在学中の1966年に「勝ち抜きエレキ合戦」でグランドチャンピオンになりプロデビュー。 1969年にバンドを解散した後はプロデューサー業となる。 1972年にヒットしたバズ(BUZZ)の日産スカイラインのCM曲『ケンとメリー〜愛と風のように〜』や、NHK「みんなのうた」で放送されたガロの『そして君は』、山口百恵のグリコアーモンドチョコレートのCM曲など数多くの楽曲を作曲・プロデュースした。
和田 省一(わだ しょういち、1946年7月1日 - )は朝… 和田 省一(わだ しょういち、1946年7月1日 - )は朝日放送の役員(取締役相談役)で、同局の元テレビプロデューサー。 京都大学法学部卒業後、1970年に朝日放送へ入社後、テレビ編成局編成部長、テレビ編成局長を務めた後、取締役、常務取締役をへて2015年より現職。その他にテレビ朝日へ出向し、取締役も務めた。 ラジオ制作部時代にはディレクターとして朝のトークショウ番組、プロ野球団・阪神タイガースが勝利した翌朝は必ずタイガースの応援歌「六甲おろし」を熱唱し京阪神の人々を一気に阪神ファンにしてしまった伝説のラジオ番組「おはようパーソナリティ中村鋭一です」のパーソナリティー/メインキャスター中村鋭一を支え、テレビ編成部時代には、プロデューサーとしてテレビ朝日との共同制作日曜朝の看板番組「サンデープロジェクト」田原総一朗のブレーンとして絶大な信頼を得る。
萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、… 萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。静岡県出身。血液型A型。 疎開先の福島県信夫郡信夫村(現在の福島市)で生まれた。戦後、そこから一家は東京に戻ろうとしたが、まだ焼け野原だったため、埼玉県浦和に引っ越す。 両親はともに静岡の生まれで、家業は電子部品を作る会社の経営で、家は東京の大森にあった。 父は音楽には興味はなかったが、母は琴を弾き、11才年の離れた兄は、自分で電蓄を作り、ベートーヴェンやモーツァルトのレコードを聴いていた。上の姉はピアノを習っていたので、自宅にはピアノがあったが、幼少期の音楽体験はなかった。 中学校に入りブラスバンドの応援で打楽器を担当し、その後正式部員となり3年に進級する際、先生から「(管楽器の)トランペットとホルンとチューバの欠員が出たので、どれかやってみないか」と言われ、チューバだけ音が出せたので、担当した。
設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日… 設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日本の作曲家・編曲家、音楽プロデューサーであり、元俳優、元子役俳優である。本名同じ。 1946年(昭和21年)6月4日、山形県酒田市に生まれる。父は設楽幸聖(日本正統運命学研究会会長)、母は一楽庵宗美(石州流茶道)、作曲家の武満徹は叔父にあたる。 父の幸聖が松竹の洋画宣伝部に在籍していた1951年(昭和26年)、『夢と知りせば』に出演する子役を探していた同作の監督の中村登に見いだされ、木暮実千代演じる「阿久津絹代」の息子「光久」役で同作に出演、同作は1952年(昭和27年)1月3日に公開されて映画界にデビューした。1953年(昭和28年)には東宝に貸し出され、千葉泰樹監督の『愛情について』、熊谷久虎監督の『白魚』、杉江敏男監督の『サラリーマンの歌』、および南旺映画製作、新東宝配給、斎藤達雄監督の『純情社員』にも出演した。
木村 政雄(きむら まさお、1946年5月30日 - )は、… 木村 政雄(きむら まさお、1946年5月30日 - )は、日本のフリープロデューサー。京都府京都市伏見区生まれ。東京都港区および大阪府枚方市在住。
松井 久子(まつい ひさこ、1946年5月21日 - )は、… 松井 久子(まつい ひさこ、1946年5月21日 - )は、日本の映画監督、映画プロデューサー。 岐阜県生まれ。東京・深川育ち。東京都立小松川高等学校を経て、[要出典]早稲田大学文学部演劇科を卒業。雑誌のフリーライターを経て、1985年、39歳でTV番組制作会社エッセン・コミュニケーションズを設立。TV番組の制作などを経て、1993年から映画のプロデュースにも進出。1993年の「She's Rain」を皮切りに、1996年には、「薔薇ホテル」、「菜の花配達便」を手がける。 1998年、吉目木晴彦の芥川賞受賞作(1993年)『寂寥郊野』を原作に、新藤兼人が脚本を担当した、戦争花嫁として国際結婚をしてアメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュに在住、アルツハイマー症を発症した日本人女性を描いた「ユキエ」で監督デビューし、同年の新藤兼人賞を受賞した。
新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 -… 新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 - 2021年〈令和3年〉12月3日)は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ。本名:滿(みつる)。母は助産婦。 新潟市立寄居中学校、新潟明訓高等学校、上智大学法学部卒業。子供時代に新潟地方を襲った大地震で危うく命を落としかけた。また、幼少時から病弱だった。上智大学グリークラブ(男声合唱団)に所属するも、重病を患い生死の境目を彷徨ったため入院退部。何とか治癒して生きる喜びを強く実感する。以降、美しいものを発見して伝えることをライフワークとして生きていきたいと誓う。 卒業後、電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、小説・歌などの創作活動に入る。
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5… 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ 、広島県広島市育ち。 竹田企画(事務所)、avex trax(レコードレーベル)に所属。フォーライフ・レコードの第2代社長を務めた。楽曲提供者としては入江剣のペンネームを用いることがある。 妻は森下愛子(1986年結婚)。元妻は四角佳子(1972年 - 1975年)→浅田美代子(1977年 - 1984年)。 日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。
高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 202… 高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 2024年5月28日)は、日本の音楽ディレクター、音楽プロデューサー、経営者。血液型B型。 東京都大田区出身。祖父は実業家、父はマンドリン奏者の高久肇という家に育つ。明治学院大学経済学部卒業後、日本コロムビアに入社し、エイプリル・フールなどをプロデュース。1971年に、CBS・ソニーのEPIC班に移り、音楽ディレクターとして、ミッシェル・ポルナレフ、矢沢永吉、プロデューサーとして、南佳孝などを、次々にヒットさせる。その後、キティMME、ユニバーサル インターナショナル、ドリーミュージックなどの社長兼CEOを経て相談役。日本レコード協会監事。 2024年5月28日、夕暮れ前に78歳で永眠。
菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )… 菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、実業家。 テレビ番組制作会社・ハウフルス代表取締役社長、フルハウス取締役。 東京都大田区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部卒業。 大学時代、アルバイトで『11PM』(日本テレビ)のアシスタントディレクターを務める。卒業後は就職せず、放送作家として企画構成や知人の広告代理店を手伝っていたが、1973年5月にPR代理店フルハウスを関口晃弘、原伸次とともに設立した。1978年にはフルハウスの番組制作部門として「フルハウステレビプロデュース(フルハウスTVP、1991年にハウフルスに社名変更)」を分社設立し、菅原は社長業と並行してテレビディレクターとして活動した。
菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、… 菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、日本の音楽プロデューサー。 (株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役会長。 (株)ハッピーチャイルド代表取締役社長。 (株)幽玄屋代表取締役社長 早稲田大学理工学部電気通信学科卒業。早稲田大学応援部出身。 渡辺プロダクション時代、沢田研二、木の実ナナなどを担当し、天地真理をデビューさせたことで知られる。 1979年、渡辺プロダクションから独立、株式会社ポケットパーク(現:株式会社ハッピーチャイルド)を設立。松原みき、遠藤賢司をマネージメント。 1980年、株式会社ハンズ(現:株式会社ハンズオン・エンタテインメント)代表取締役に就任。
芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日… 芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、舞踏家、詩人、音楽プロデューサー。劇団ホモフィクタス主宰者。本名、斎藤正彦。学生時代、東大全共闘随一の論客と呼ばれていた。 東京都に生まれる。埼玉県立浦和高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て1965年に東京大学文科III類に入学。在学中に全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーとして活躍する傍ら、劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導。在学中、東大美学科4年の女子学生と結婚。 「彗星のように(寺山修司)」、「危険な男(土方巽)」、「砂漠の住人(三島由紀夫)」と言われる。 《パフォーマンスの時代》を築く。
金森 美弥子(かなもり みやこ、1946年(昭和21年) -… 金森 美弥子(かなもり みやこ、1946年(昭和21年) - )は、日本の演劇プロデューサー。東京都出身。学習院大学仏文科卒業。 父は元陸軍大尉で陸将補の野副直行。学習院大学仏文科卒業後、某出版社に就職。その半年後、劇団四季に就職。
後藤 陽次郎(ごとう ようじろう、1946年(昭和21年)-… 後藤 陽次郎(ごとう ようじろう、1946年(昭和21年)- )は、日本のデザインプロデューサー。株式会社デザインインデックス代表取締役。愛媛県生まれ。 1946年愛媛県生まれ。後に東京都へ転居し、旧・永田町小学校(現麹町小学校)卒業。 1969年慶應義塾大学商学部卒業、同年博報堂入社。入社後はCMプロデューサーとして活躍。カネボウやシェル石油、味の素ゼネラルフーヅなど、多くの商品を手掛けた。 1981年博報堂を退社し、同年シンクタンク博報堂生活総合研究所創設に参加。CMプロデュースを手がける一方で、商品開発から店舗プロデュースへと仕事の幅を広げていった。1983年にはインテリア小物・雑貨のセレクトショップ、株式会社デザインインデックスを創業。
緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディ… 緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディレクター、プロデューサー、文筆家。 熊本県生まれ。中央大学卒、文化放送記者・ディレクター、プロデューサーを経て1999年より沖縄大学教授。早稲田大学講師など、東アジア共同体研究所理事。
木崎 賢治(きさき けんじ、1946年 - )は、日本の音楽… 木崎 賢治(きさき けんじ、1946年 - )は、日本の音楽プロデューサー。(株)ブリッジ代表取締役。 東京都出身。東京外国語大学フランス語学科卒業。渡辺音楽出版出身で沢田研二や吉川晃司のプロデュースを手がけた。1986年よりフリー。1988年に個人事務所キーカンパニー、1994年に音楽出版社ブリッジを設立。今ではウソツキ、アイラブミーなどを手がげている。
林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編… 林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編集者、イベント・プロデューサー。 「21世紀ディレクターズユニオン」代表。「日本コナモン協会」理事。 大学在学中の1971年、「プレイガイドジャーナル」に参加。1972年に同志社大学文学部国文学科卒業。同年に二代目編集長となり、1976年までつとめる。 主に演芸欄を担当。香川登志緒に目をかけられて「同時代芸人」という連載を行い、まだ無名の笑福亭鶴瓶にインタビューするなどした。 また、劇団黒テント、つかこうへい劇団、東京ヴォードヴィルショーなどの演劇公演、映画『ガキ帝国』(井筒和幸監督)『唐獅子株式会社』(監督曽根中生)のプロデューサーとしても活動。
森下 次郎(もりした じろう、1946年ないし1947年 -… 森下 次郎(もりした じろう、1946年ないし1947年 - )は、日本のラジオ番組プロデューサー、フォークシンガー(第2次ジローズのメンバー)。ラジオ関西の専務取締役を務める。本名は森下 悦伸(もりした よしのぶ)。愛称はジンタン(森下仁丹より)。同志社大学卒業。 杉田二郎に誘われ、1970年に第2次「ジローズ」を結成。3人が名前に「ジロー」がついている初代「ジローズ」とは違い、「森下次郎」の芸名は半ば強引につけられた。また当初から、半年間の活動後は大学に戻るという条件付きだった。その後翌年発売した「戦争を知らない子供たち」がヒットし、半年の予定が2年間に延びて1972年ジローズは解散した。杉田二郎はソロとなり、森下は芸能活動を引退し大学卒業後ラジオ関西に入社。
岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオ… 岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオディレクター、プロデューサー。音楽評論家(ジャズを中心に評論)。本名、近衛 正通(このえ まさみち)。かつてニッポン放送に在籍していた。 東京都生まれ。公爵で元内閣総理大臣の近衛文麿の孫。親にトランジスタラジオを買ってもらった時がラジオや音楽との出会いであり、本人曰く「どこにでもいるようなポップス小僧」だったとのこと。特に当時洋楽に強かったラジオ関東(現、アール・エフ・ラジオ日本)を良く聴いていたという。高校生になった頃からジャズ喫茶に足繁く通って色々なジャズを聴いており、特に夢中になったミュージシャンとしてトリオ・ロス・パンチョス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーンを挙げている。
柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月… 柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月31日)は、日本のジャズ・プロデューサー。専門はジャズ、イベント企画・構成、ラジオ番組構成。横浜ジャズプロムナードのディレクター。NHKよこはまFM「FMサウンドクルーズ」:水曜パーソナリティ。横浜JAZZ協会常任理事。 横浜市西区出身。1946年、鉄工所経営者の長男として生まれる。横浜市立平沼小学校、日本大学中学校、日本大学高等学校を経て日本大学法学部経営法学科を卒業。 中学時代にジャズと出逢い、高校生になってジャズ・コンサートに通いつめる。1964年、初来日のデューク・エリントンのコンサートに行き衝撃を受けて以来、エリントンの研究及びレコード収集を続け、現在は日本有数のエリントンのコレクターでもある。
増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プ… 増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プロデューサー。東京都出身。 早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に石原裕次郎と出会い、大学卒業後石原プロモーションで映画製作に携わる。その後、石原プロの映画製作中止に伴い退社しフリーランスの映画プロデューサーとして活動を開始する。 1976年、ドキュメンタリー映画「永遠なる武道」製作のために、自身の会社「プルミエ・インターナショナル」を設立する。その後、次々と話題作を手がける。 映画プロデュースの傍ら、「北原陽一」のペンネームで脚本を書いたり、小説・舞台の英訳・プロデュースも行う。 石原プロとの交流は依然続いており、1997年には石原まき子からの奨めで、「石原裕次郎への私信のつもりで書きためた手紙を公開する」形での回顧録『太平洋の果実』(パルコ出版刊)を上梓した。
黒澤 久雄(くろさわ ひさお、1945年12月20日 - )… 黒澤 久雄(くろさわ ひさお、1945年12月20日 - )は、日本のタレント、俳優、歌手、映画プロデューサー、実業家。黒澤プロダクション・黒澤フィルムスタジオ代表取締役社長。黒澤明文化振興財団理事長。デザインエクスチェンジ社外取締役。 愛称はクロパンであるが、由来は「黒パン」ではなく「黒澤の女パンツ」。小学生の時にブリーフを穿いていたことからという。血液型はAB型。成城大学中退。 父親は「世界のクロサワ」こと映画監督の黒澤明、母親は元映画女優の矢口陽子、妹は映画衣装デザイナーの黒澤和子。 成城大学在学中の1966年にフォークバンドザ・ブロードサイド・フォーを結成。『若者たち』が大ヒットしたが、黒澤の留学によりバンドは解散、その後、DJやタレントとして活動する他、映画プロデューサーとして『乱』以降、父の作品にかかわっている。