松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は… 松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。ダイハツ工業のDNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)開発を主導し、同社代表取締役会長や新興国小型車カンパニー(ECC)プレジデント等を歴任した。 1977年山口大学工学部卒業、ダイハツ工業入社。2003年ダイハツ工業製品企画部チーフ・エンジニア(部長待遇)に就任。2006年ダイハツ工業執行役員。 2011年ボルツ代表取締役社長。2016年からダイハツ工業取締役専務執行役員を務め、新興国小型車カンパニー(ECC)のChief Technical Officerも兼務して、DNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)の開発を主導した。
久芳 徹夫(くば てつお、1954年2月2日 - )は日本の… 久芳 徹夫(くば てつお、1954年2月2日 - )は日本の技術者、実業家。京セラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長等を務めた。 福岡県出身。福岡県立嘉穂高等学校を経て、1979年九州大学工学部卒業。1982年京都セラミツク(現京セラ)入社。自動車部品事業部長、ファインセラミック統括事業部長を経て、2003年執行役員に昇格。2005年執行役員常務。2007年執行役員専務。2008年取締役兼執行役員専務。 2009年から京セラ代表取締役社長を務め、太陽電池事業の黒字化などを実現した。2013年代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長、京セラサーキットソリューションズ代表取締役会長、京セラドキュメントソリューションズ代表取締役会長。
山本 正已(やまもと まさみ、1954年1月11日 - )は… 山本 正已(やまもと まさみ、1954年1月11日 - )は、日本の技術者、実業家。富士通代表取締役社長や、同社取締役会長、電子情報技術産業協会会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、キッズデザイン協議会会長等を歴任した。 山口県豊浦郡豊北町(現下関市)出身。山口県立豊北高等学校を経て、1976年九州大学工学部電気工学科卒業後、オイルショックの影響で九州電力や中国電力の採用がなかったため富士通に入社。OASYSの入出力装置開発に携わったのち、パソコン事業に移り、モバイルPC事業部長等を経て、2004年パーソナルビジネス本部副本部長。2005年経営執行役。2007年経営執行役常務。 2010年から富士通代表取締役社長 を務め、半導体事業の構造改革などを進めた。
細矢 雅弘(ほそや まさひろ、1954年-)は、日本の技術者… 細矢 雅弘(ほそや まさひろ、1954年-)は、日本の技術者。東芝研究開発センターの主席技監。2007年に「一成分非磁性現像による電子写真技術の開発」により、紫綬褒章を受章した。この技術は現在のレーザープリンターに広く活用されている。
小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者… 小川 清(おがわ きよし、1954年 - )は、日本の技術者。 1954年岐阜県生まれ。 1973年愛知県立旭丘高校普通科卒業。1981年法政大学経済学部を卒業。名古屋工業大学電気工学科編入・1986年卒業。静岡大学理工学研究科博士課程後期設計工学専攻に入学、修了、工学博士学位を取得1976年名古屋市水道局採用。 1986年名古屋市工業研究所転任。 2020年株式会社アテック入社。 国際規格、日本産業規格の制定に、情報処理学会情報規格調査会SC7幹事/WG10主査・幹事, 日本規格協会委員、JISA技術委員会標準化委員,などとして貢献した。情報処理学会情報規格調査会SC7WG10幹事は、IBMを退職した新谷勝利から引き継いだ。
清水 康夫(しみず やすお、1954年 - )は、日本の工学… 清水 康夫(しみず やすお、1954年 - )は、日本の工学者、技術者。群馬県藤岡市出身。本田技研工業の本田技術研究所主任研究員。自動車技術会会員・日本機械学会会員。電動パワーステアリング(EPS)の発明者。可変ギヤ比ステアリング(VGS)の発明者。
金花 芳則(かねはな よしのり、1954年〈昭和29年〉 -… 金花 芳則(かねはな よしのり、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の実業家、技術者。 兵庫県神戸市出身。父も川崎重工業の技術者だった。兵庫県立神戸高等学校を経て、1976年大阪大学基礎工学部電気工学科卒業後、川崎重工業入社。 2007年車両カンパニープロジェクト本部長、2009年執行役員、2011年常務執行役員、2012年常務取締役マーケティング本部長、2013年代表取締役常務車両カンパニープレジデント、2016年代表取締役副社長、2018年代表取締役社長執行役員CEO、2020年代表取締役会長。2021年取締役会長。 日本鉄道車輌工業会の会長を務め、2018年5月に一度退任したが、2020年5月に再び会長に就任している。
豊松 秀己(とよまつ ひでき、1953年12月28日 - )… 豊松 秀己(とよまつ ひでき、1953年12月28日 - )は、日本の実業家、原子力技術者、元関西電力取締役副社長、元きんでん監査役。退任後、関西電力から総額19億円を超える損害賠償請求訴訟を受けた。福井県敦賀市在住。 京都大学工学部で原子核工学を学び、1978年4月に関西電力に入社。 2003年6月、支配人、原子力事業本部副事業本部長となり、2005年7月には原子燃料サイクル室長を併任、翌2006年6月に執行役員に昇任、2009年6月に常務取締役、2011年6月に取締役副社長となった。2011年、きんでん監査役を併任。このほか、電気事業連合会原子力開発対策委員長なども務めた。 2019年6月関西電力取締役退任。
志賀 重範(しが しげのり、1953年12月13日 - )は… 志賀 重範(しが しげのり、1953年12月13日 - )は、日本の技術者、実業家。東京都出身。東芝の原子力部門を統括する地位にあり、2016年6月より2017年2月まで同社の会長。元日本電機工業会会長。 1953年(昭和28年)12月13日、東京都に生まれる。1972年3月神奈川県立湘南高等学校卒業。1979年3月に東北大学大学院工学研究科原子核工学科修士課程を修了、同年4月に東芝に入社。原子力システム設計部長などを歴任し、2006年に電力システム社WEC統括事業部長兼ウェスチングハウス(WH社)上級副社長に就任。2008年より電力システム社副社長兼WH社上級副社長、2010年より電力システム社副社長兼WH社会長、2011年より執行役常務兼電力システム社副社長兼WH社上級副社長、2014年には電力システム社社長に就任した。
柳川 久治(やながわ ひさはる、1953年〈昭和28年〉12… 柳川 久治(やながわ ひさはる、1953年〈昭和28年〉12月13日 - )は、日本の技術者。初代自動車技術総合機構理事長。 東京都出身。1978年(昭和53年)3月、東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻を修了し、同年4月、古河電気工業へ入社。 情報システム事業本部ファイテル製品事業部技術部長、ファイテル製品事業部光部品部長、研究開発本部ファイテルフォトニクス研究所長、同横浜研究所長兼横浜事業所長、執行役員経営企画室長、取締役兼執行役員常務情報通信カンパニー長、取締役兼執行役員常務研究開発本部長、執行役員常務研究開発本部長などを歴任し、縦割りだった研究開発体制の融合に尽力した。 2016年(平成28年)4月1日、自動車技術総合機構理事長に就任。
遠藤 信博(えんどう のぶひろ、1953年11月8日 - )… 遠藤 信博(えんどう のぶひろ、1953年11月8日 - )は、日本の実業家、技術者、工学博士。日本電気 (NEC)代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本経済団体連合会副会長、経済同友会副代表幹事、電子情報技術産業協会会長、情報通信ネットワーク産業協会会長等を歴任した。 神奈川県大磯町に生まれる。神奈川県立平塚江南高等学校を経て、1976年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部電子工学科卒業。末武國弘から電磁気学を、関口利男から電波工学を学んだ。1981年同大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士の学位を取得した。大学院では関口利男・後藤尚久研究室で、安藤真の指導を受けた。1年先輩に渡邉文夫元KDDI研究所代表取締役会長がいた。
永原 肇(ながはら はじめ、1953年9月25日 - )は、… 永原 肇(ながはら はじめ、1953年9月25日 - )は、日本の化学技術者。元旭化成先端エネルギー材料開発センター長。高収率なシクロヘキセン製造技術を開発した。紫綬褒章受章。文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。 1978年東京工業大学大学院総合理工学研究科電子化学専攻卒業、旭化成工業入社。2001年東京工業大学工学博士。旭化成化成品研究センター付兼技術企画室長、旭化成化成品研究センター化学技術開発研究所長を経て、2003年旭化成グループフェロー。2006年旭化成ケミカルズ執行役員(研究開発所掌)。2007年旭化成ケミカルズ取締役兼常務執行役員(研究開発所掌)。2007年旭化成執行役員兼旭化成エレクトロニクス取締役。
潟山 英清(がたやま ひできよ、1953年9月8日 - 20… 潟山 英清(がたやま ひできよ、1953年9月8日 - 2025年4月30日)は、日本の技術者、実業家。 元京葉瓦斯株式会社代表取締役社長。元一般社団法人日本ガス協会理事。 鹿児島県出身。九州大学ラグビー部出身。1976年九州大学工学部卒業、京葉ガス入社。 京葉ガス船橋支店長などを経て、2002年京葉ガスリビング営業部長。2005年京葉ガス取締役リビング営業部長。2008年京葉ガス常務取締役。2011年から京葉ガス代表取締役社長を務め、コジェネレーション販売などを進め、顧客数を伸ばした。 2017年京葉ガス相談役。市川商工会議所副会頭、市川市総合計画審議会委員、日本ガス協会理事、房総ガス協議会会長なども務めた。
奥田 隆司(おくだ たかし、1953年8月19日 - )は日… 奥田 隆司(おくだ たかし、1953年8月19日 - )は日本の技術者、実業家。シャープ代表取締役社長や、同社会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、関西大学客員教授などを務めた。 大阪府出身。1978年名古屋工業大学大学院工学研究科経営工学専攻修士課程修了、シャープ入社。2001年AVシステム事業本部映像機器事業部長。2003年AVシステム事業本部長。2003年取締役AVシステム事業本部長。2006年取締役調達本部長。2008年執行役員海外生産企画本部長。2010年執行役員海外市場開発本部長。2011年常務執行役員海外事業統轄兼海外事業本部長。2012年から代表取締役社長を務め、経営悪化に陥ったシャープの再建にあたったが、2013年に巨額の赤字を計上し会長に退いた。
草柳 俊一(くさやなぎ しゅんいち、1953年6月17日 -… 草柳 俊一(くさやなぎ しゅんいち、1953年6月17日 - )は、日本の録音エンジニア、落語研究家。 神奈川県横浜市生まれ。日本大学芸術学部卒。 落語などの録音に興味を持ったのは中学生の頃。父親がオープンリールのレコーダーで古今亭志ん生や春風亭柳橋(6代目)を録音しているのに関心を持ったのがきっかけとなった。 1977年、アオイスタジオへ入社して映画関係の仕事に従事する。1980年、音楽部門へ配置されてアシスタントに従事する。1984年7月、ハミングバード録音課へ入社する。1994年7月、マイカルハミングバードが映像音楽事業を譲渡したことからワーナーミュージック・ジャパン録音課へ移籍する。1996年8月、同社を退社してフリーランスとなる。
椎橋章夫(しいばし あきお、1953年6月9日 - )は、日… 椎橋章夫(しいばし あきお、1953年6月9日 - )は、日本の技術者(工学博士)。東日本旅客鉄道(JR東日本)IT・Suica事業本部副本部長兼企画部長などを歴任し、Suicaの開発を指揮した。2013年(平成25年)から、JR東日本の子会社であるJR東日本メカトロニクスの代表取締役社長などを務めた後、2023年よりマイナカード発行元の地方公共団体情報システム機構理事長に就任した。埼玉県出身。
酒井 万喜夫(さかい まきお、1953年4月25日 - )は… 酒井 万喜夫(さかい まきお、1953年4月25日 - )は、日本の技術者、実業家。日本特殊塗料代表取締役社長兼最高執行責任者を経て、同社取締役副会長。 福井県出身。1978年福井大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本特殊塗料入社。1997年自動車製品事業本部技術部長。1998年社自動車製品事業本部副本部長。2000年自動車製品事業本部副本部長兼愛知工場長。 2003年日本特殊塗料取締役開発センター長に昇格。2006年取締役開発本部長兼塗料事業本部副本部長。2008年取締役自動車製品事業本部長。2009年常務取締役兼ニットクシーケー代表取締役社長。 2013年から日本特殊塗料代表取締役社長兼最高執行責任者(COO)兼タカヒロ代表取締役社長を務め、原材料費の高騰や、アメリカ合衆国でのスポーツ・ユーティリティ・ビークル人気等から、業績予想の引き下げを行うなどした。
中川 和明(なかがわ かずあき、1953年〈昭和28年〉3月… 中川 和明(なかがわ かずあき、1953年〈昭和28年〉3月30日 - )は、日本の実業家、化学技術者。元東亞合成代表取締役社長。 新潟県出身。1975年(昭和50年)3月、東京工業大学(現東京科学大学)工学部卒業。1977年(昭和52年)3月、同大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程を修了。同年4月、東亞合成化学工業(現・東亞合成)に入社した。 入社後は事業部門を歩み、2006年(平成18年)に東亞合成接着剤事業部長、2007年(平成19年)に執行役員機能樹脂事業部長、2010年(平成22年)に執行役員アクリル事業部長を歴任。 2012年(平成24年)3月に東亞合成取締役に就任し、業務本部長、管理本部長を歴任。
佐藤 正美(さとう まさみ、男性、1953年 - )は日本の… 佐藤 正美(さとう まさみ、男性、1953年 - )は日本の情報システムコンサルタント、データベースエンジニア。株式会社エス・ディ・アイ代表。日本に リレーショナル・データベースを初めて導入普及したエンジニアの一人とされる。 1977年、早稲田大学商学部を卒業。1979年、早稲田大学大学院商学研究科博士前期課程(財務会計論専攻)を修了した。 その後、アーサー・アンダーセン、等松青木監査法人および株式会社アシストに勤務する。 1991年1月、株式会社エス・ディ・アイを設立する。 2000年-2016年、早稲田大学 エクステンションセンター講座「(事業の実態がわかる データベース の作りかた)」 講師を務める。
増子 敦(ますこ あつし、1953年または1954年 - )… 増子 敦(ますこ あつし、1953年または1954年 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。東京都水道局長、東京水道サービス社長を経て日本オゾン協会会長。瑞宝小綬章受章。 1977年(昭和52年)早稲田大学理工学部土木工学科卒業。2012年(平成24年)首都大学東京(現東京都立大学)大学院都市環境科学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。 1978年(昭和53年)東京都庁入庁。以来、その大半を水道局で過ごし、計画・浄水・給水・建設と多様な部門を経験。オゾンと活性炭を利用した高度浄水処理にも携わった。給水部長時代の2010年(平成22年)12月には「局の漏水防止作業は、漏水音を的確に人間の耳で聴き分け、漏水の有無や位置などを判定することで水資源の有効活用に寄与した」という理由で日本オーディオ協会から「音の匠」として顕彰された。
寺西 信一(てらにし のぶかず、1953年 - )は、日本の… 寺西 信一(てらにし のぶかず、1953年 - )は、日本のエンジニア、工学者。 イメージセンサ(撮像デバイス)の研究を行い、デジタルカメラの撮像デバイスの主流となっている埋込フォトダイオード(英: Pinned Photodiode)を発明したことで知られる。2017年のエリザベス女王工学賞の受賞者の一人である。 2017年現在、兵庫県立大学および静岡大学の特任教授を務める。 兵庫県生まれ。三重県立津高等学校を経て、東京大学の理学系大学院物理学専攻修士課程を修了した後、1978年、日本電気(NEC)に入り、1980年に埋込フォトダイオードを発明した。このデバイスは1984年に名付けられた。埋込フォトダイオードは、CCD(電荷結合素子)を発展させた固体撮像素子の一つで、CCDと比較して効率が向上したことで画素サイズが小さくなり画像解像度が向上した。
宮近 幸逸(みやちか こういつ、1953年 - 2014年1… 宮近 幸逸(みやちか こういつ、1953年 - 2014年11月17日) は、日本の機械工学者、自動車技術者。トヨタ自動車工業技師を経て、鳥取大学教授を務めた。第92期日本機械学会機素潤滑設計部門長。 兵庫県生まれ。1975年鳥取大学工学部機械工学科卒業。同年日本機械学会畠山賞受賞。1977年鳥取大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業入社、車体設計部門配属。同社技師を経て、恩師から誘いを受け1982年に母校鳥取大学講師着任。1990年鳥取大学助教授。1998年鳥取大学科学研究業績表彰受賞。2000年鳥取大学教授。2003年日本機械学会機素潤滑設計部門優秀講演表彰受賞。歯車の曲げ強度に関する研究などを行い、先駆的研究の推進が評価され、2010年には日本機械学会機素潤滑設計部門功績賞を受賞した。
大田 弘(おおた ひろし、1952年12月30日 - )は、… 大田 弘(おおた ひろし、1952年12月30日 - )は、日本の土木技術者、実業家。熊谷組代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本土木工業協会副会長、日本建設機械施工協会副会長などを務めた。 富山県下新川郡宇奈月町(現・黒部市)出身。富山県立魚津高等学校を経て、1975年北海道大学工学部土木工学科卒業、熊谷組入社。経営企画部長、土木事業本部副本部長、経営企画本部長等を経て、2002年執行役員。2003年常務取締役。2005年代表取締役社長。2009年日本土木工業協会副会長。2012年日本建設機械施工協会副会長。2013年代表取締役会長。2015年相談役。 2025年(令和7年)春の叙勲で旭日中綬章を受章した。
佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉1… 佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉12月22日 - )は、日本の政治家、技術者。 衆議院議員(9期)、第1次安倍内閣の内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、総務副大臣(第1次小泉内閣)、郵政政務次官(第2次森内閣)、文部政務次官(第2次橋本内閣)、大蔵政務次官(村山改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第66・74代)、衆議院総務委員長などを歴任。 父は元佐田建設社長の佐田武夫。祖父は元参議院議員の佐田一郎。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、北海道大学工学部卒業。大学では流体工学や材料力学などを学んだ。 1980年、鉄建建設に入社。同社ではシールド工法の技術者として、新幹線や地下鉄のトンネル工事などに携わった。
佐相 秀幸(さそう ひでゆき、1952年12月18日 - )… 佐相 秀幸(さそう ひでゆき、1952年12月18日 - )は、日本の技術者、工学博士。富士通代表取締役副社長最高技術責任者、富士通研究所代表取締役社長、戦略的イノベーション創造プログラムフィジカル空間デジタルデータ処理基盤プログラムディレクター等を歴任。 1976年に東京工業大学工学部制御工学科を卒業後、富士通に入社し、ICTの研究開発に携わった。2003年富士通モバイルフォン事業本部先行開発統括部長。2006年富士通モバイルフォン事業本部代理。2007年富士通経営執行役兼モバイルフォン事業本部長。2009年富士通執行役員役常務兼ユビキタスプロダクトビジネスグループ長。 2010年富士通執行役員副社長(主としてプロダクトビジネス担当)兼次世代テクニカルコンピューティング開発本部担当兼富士通アドバンストエンジニアリング取締役。
堤 孝信(つつみ たかのぶ、1952年12月17日- )は、… 堤 孝信(つつみ たかのぶ、1952年12月17日- )は、岡山県出身の日本の技術者。中電工代表取締役副社長。大阪工業大学電気クラブ中国ブロック幹事。 1975年 大阪工業大学工学部電気工学科(現在の電気電子システム工学科)卒業、中電工入社。2002年 岡山支店 工事部 電気工事担当課長。2005年 電気技術部 第二工事担当課長。2009年 広島東部支社長。2012年 執行役員 技術本部副本部長 兼 技術本部 電気技術部長。2014年 取締役 兼 執行役員 技術本部副本部長 兼 技術本部 電気技術部長。2016年 取締役 常務執行役員 技術本部副本部長 兼 技術本部 電気技術部長。2017年 取締役 専務執行役員 技術本部長。
浜島 裕英(はましま ひろひで、1952年12月13日 - … 浜島 裕英(はましま ひろひで、1952年12月13日 - )は、日本のタイヤ技術者、モータースポーツ解説者。東京都出身。東京農工大学工学部卒業。同大学院工学研究科修士課程修了。 ブリヂストンにて長年モータースポーツ用タイヤの開発を手がけ、開発本部長としてF1参戦の総指揮を務めたことで知られる。後には、スクーデリア・フェラーリの開発スタッフも務めた。F1関係者の間での愛称はハミー。 1977年 ブリヂストン入社後、基礎技術研究、乗用車タイヤ開発を経て、モータースポーツ用タイヤの開発を担当。インディカー、F2等のタイヤ開発に携わる。特に1997年から2010年にかけて行われたブリヂストンのF1参戦において、参戦全期間である14年に渡って総指揮を執ったことで一般に名前を知られるようになる。
伊部 菊雄(いべ きくお、1952年11月15日 - )は、… 伊部 菊雄(いべ きくお、1952年11月15日 - )は、日本の技術者。新潟県柏崎市出身。カシオ計算機株式会社の技術者。G-SHOCKの開発で知られる。 1952年(昭和27年)11月15日、 新潟県柏崎市で生まれる 。幼稚園の時に東京都の池袋の椎名町に引っ越す。もともと医師を目指していたが、血を見るのが好きではなかったことなどもあり断念する。その後、東京都立練馬高等学校に進学する。1976年(昭和51年)に上智大学理工学部機械工学科を卒業。同年にカシオ計算機株式会社に入社し、時計設計部でデジタル時計の構造開発を担当する。 1981年(昭和56年)、自身の腕時計が壊れた経験から、「落としても壊れない時計」というテーマを掲げ、2年をかけ「G-SHOCK」として商品化に成功。
玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )… 玉井 光一(たまい こういち、1952年10月21日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長を経て、富士フイルムビジネスイノベーション代表取締役会長、ビジネス機械・情報システム産業協会筆頭副会長。 大分県出身。1972年大分県立大分工業高等学校卒業、東芝入社。東芝生産技術研究所(現生産技術センター)メカトロニクス開発センター主任研究員などを務め、2002年には「高精細液晶ディスプレイにおける実装技術と実装システムの開発」により東京大学博士(工学)の学位を取得。 2003年富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。医療機器などの設計を担当し、2011年富士フイルムホールディングス取締役に昇格。
真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2… 真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2022年1月19日)は、日本の実業家、カメラ技術者。キヤノン代表取締役社長や、ビジネス機械・情報システム産業協会副会長を務めた。 宮崎県延岡市出身。延岡市立岡富小学校、延岡市立西小学校、延岡市立恒富中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1975年九州大学工学部卒業後、キヤノン入社。本流のカメラ技術者として活躍し、2007年から取締役イメージコミュニケーション事業本部長としてデジタルカメラ事業の急成長を牽引した。 2010年キヤノン常務取締役に昇格。2014年専務取締役。2016年御手洗冨士夫の後任としてキヤノン代表取締役社長兼最高執行責任者に就任。
栁川 欽也(やながわ きんや、1952年(昭和27年)10月… 栁川 欽也(やながわ きんや、1952年(昭和27年)10月3日 - )は、日本の技術者、実業家。日本製鉄顧問。元日鉄日新製鋼代表取締役社長最高経営責任者。元日本鉄鋼協会副会長。 茨城県出身。1978年東北大学大学院工学研究科修了、住友金属工業入社。2005年住友金属工業鹿島製鉄所副所長。2007年住友金属工業常務執行役員。2011年住友金属工業専務執行役員。2012年住友金属工業取締役専務執行役員に昇格。同年新日鐵住金(現日本製鉄)常務取締役。2014年新日鐵住金代表取締役副社長、日本鉄鋼協会副会長。2016年新日鐵住金取締役兼日新製鋼取締役副社長。2017年から日新製鋼代表取締役社長、CEO(最高経営責任者)を務め、新日鐵住金の完全子会社化にあたり、相乗効果創出などを進めた。
渡邉 義章(わたなべ よしあき、1952年9月5日 - )は… 渡邉 義章(わたなべ よしあき、1952年9月5日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。日産車体代表取締役社長や、同社取締役会長、日本自動車車体工業会会長などを務めた。 長崎県出身。1977年同志社大学工学部機械システム工学科卒業、日産自動車入社。1998年日産自動車追浜工場工務部次長。2000年英国日産自動車製造出向。2004年日産自動車理事追浜工場長。2006年日産自動車常務執行役員(生産事業本部、国内各工場、海外部品物流管理部担当)。2009年から日産車体代表取締役社長を務め、工場再編などを行った。2015年日本自動車車体工業会会長。2016年日産車体取締役会長。
岩瀬 隆広(いわせ たかひろ、1952年5月28日 - )は… 岩瀬 隆広(いわせ たかひろ、1952年5月28日 - )は、日本の技術者・実業家。トヨタ車体代表取締役社長、愛知製鋼代表取締役会長を経て、愛知県公安委員会委員長。 愛知県出身。1975年名古屋大学工学部卒業。1977年名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。2005年常務役員。2009年専務取締役。2011年専務役員、トヨタモーターアジアパシフィック取締役副会長。2013年トヨタ車体副社長執行役員。2014年からトヨタ車体代表取締役社長を務め、新興国での事業展開などにあたった。2016年愛知製鋼代表取締役会長。2017年中央発條監査役。2018年愛知県公安委員会委員。
小松 敏秀(こまつ としひで、1952年4月18日 - )は… 小松 敏秀(こまつ としひで、1952年4月18日 - )は、日本の情報技術者、実業家。日立製作所最高情報責任者や、日立ソリューションズ取締役副社長を経て、日本郵政代表執行役副社長・最高情報責任者。 1975年東北大学工学部通信工学科卒業、日立製作所入社、ソフトウェア工場配属。アプリケーション開発部門を担当し、1996年日立製作所情報システム事業部アプリケーションソフトウェア本部第一アプリケーションソフトウェア設計部長に就任。1999年日立製作所情報・通信グループ情報システム事業部金融第一システム本部副本部長。 2000年日立製作所金融・流通システムグループ金融システム事業部金融第二システム本部長。
垣見 吉彦(かきみ よしひこ、1952年3月22日 - )は… 垣見 吉彦(かきみ よしひこ、1952年3月22日 - )は、日本の技術者、実業家。サントリープロダクツ代表取締役社長、サントリー食品インターナショナル取締役副社長、サントリー生命科学財団理事長、日本プラントメンテナンス協会会長などを歴任した。 岐阜県岐阜市柳ヶ瀬出身。家業は酒屋。1970年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1975年広島大学工学部醗酵工学科卒業、サントリー入社。 品質保証を担当したのち、1978年から京都のビール工場に異動し、以降ビールの技師としてビール製造に携わった。桂ビール工場醸造技師長等を経て、2002年サントリービール生産部長。2003年サントリー取締役生産副本部長、ビール生産部長。
橋本 和洋(はしもと かずひろ、1952年3月1日 - )は… 橋本 和洋(はしもと かずひろ、1952年3月1日 - )は、日本の実業家、技術者である。株式会社長府製作所元代表取締役社長。 1952年3月1日に山口県に生まれる。九州工業大学工学部を卒業後、1975年に長府製作所に入社。製造部長や取締役滋賀工場長、取締役製造本部長を歴任し、2012年3月23日に代表取締役社長に就任した。社長在任中には、給湯機器大手ノーリツとの資本・業務提携の締結や大阪テクノクラートの子会社化を行った。2019年3月22日付で取締役顧問に退き、2021年3月26日に退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小縣 方樹(おがた まさき、1952年2月16日 - )は、… 小縣 方樹(おがた まさき、1952年2月16日 - )は、日本の実業家・技術者。JR東日本代表取締役副社長、同社取締役副会長、東北観光推進機構会長、企業情報化協会会長などを歴任した。 埼玉大学教育学部附属中学校、開成高等学校を経て、1974年東京大学工学部卒業、日本国有鉄道入社。1987年東日本旅客鉄道入社。1998年東日本旅客鉄道鉄道事業本部安全対策部長。2000年東日本旅客鉄道広報部長。2002年東日本旅客鉄道取締役鉄道事業本部運輸車両部長。2004年東日本旅客鉄道常務取締役鉄道事業本部副本部長。2006年東日本旅客鉄道常務取締役IT事業本部長、鉄道事業本部副本部長。2007年東日本旅客鉄道常務取締役IT・Suica事業本部長、鉄道事業本部副本部長。
水野 和敏(みずの かずとし、1952年1月 - )は日本の… 水野 和敏(みずの かずとし、1952年1月 - )は日本の自動車エンジニア。日産自動車の元エンジニア、GT-Rの開発で知られる。プロジェクト・カーズ合同会社 代表 長野県千曲市出身。長野工業高等専門学校を卒業後、1972年に日産自動車に入社。1980年代には901運動に車体設計の面で関わり、その成果となるP10型プリメーラやR32型スカイラインの開発では車両のパッケージング設計を担当した。1989年にはNISMOに出向し、グループCカーの耐久レースのチーム監督兼チーフエンジニアに就任しデイトナ24時間レースやル・マン24時間レースなどを戦い、特に1992年にはR91CPでデイトナ24時間レースを優勝、R92CPで出場したJSPCと鈴鹿1000kmで全戦優勝(クラス優勝も含む)している。
石塚 忠(いしづか ただし、1951年10月3日 - )は日… 石塚 忠(いしづか ただし、1951年10月3日 - )は日本の技術者、実業家。元日揮株式会社代表取締役社長。 宮城県仙台市出身。1972年宮城工業高等専門学校(現仙台高等専門学校名取キャンパス)機械工学科卒業、日揮入社。プロジェクトマネージャーの森本省治(のちに代表取締役社長)を師と仰ぎ、東南アジアや中東の建設工事の指揮などで活躍した。2008年常務取締役に昇格。2010年専務取締役。2011年から取締役副社長を務め、2013年のアルジェリア人質事件では責任者として部下の遺体の引き取りをし、セキュリティ体制の整備にあたった。2015年家庭の事情で退任。2017年に上席副社長として日揮に復帰。同年代表取締役社長COO(Chief Operating Officer)に昇格し、リスク管理強化を進め、2018年には黒字転換を実現した。
児玉 敏雄(こだま としお、1951年9月24日 - )は、… 児玉 敏雄(こだま としお、1951年9月24日 - )は、日本の技術者・実業家。三菱重工業代表取締役最高技術責任者や、同社代表取締役副社長を経て、日本原子力研究開発機構理事長。 京都府出身。1974年名古屋大学工学部機械工学科卒業。1976年名古屋大学大学院工学研究科機械工学専攻修了、三菱重工業入社、技術本部高砂研究所配属。2005年技術本部高砂研究所長。2006年技術本部広島研究所長。2007年技術本部副本部長兼広島研究所長。2008年技術本部副本部長。2009年執行役員技術本部副本部長。2011年執行役員技術統括本部副本部長。2013年代表取締役常務執行役員技術統括本部長。 2014年三菱重工業代表取締役常務執行役員CTO、技術統括本部長兼ICTソリューション本部長。
大塚 周一(おおつか しゅういち、1951年9月3日 - )… 大塚 周一(おおつか しゅういち、1951年9月3日 - )は、日本の技術者、実業家。エルピーダメモリ最高執行責任者を経て、初代ジャパンディスプレイ社長兼最高経営責任者を務めた。 福岡県出身。福岡県立嘉穂東高等学校を経て、1973年に佐賀大学理工学部物理学科卒業後、進工業入社。1980年日本テキサス・インスツルメンツ入社。1998年ソニー入社。2001年ソニーセミコンダクタネットワークカンパニーシステムデバイスカンパニープレジデント。2002年エルピーダメモリ入社。2004年エルピーダメモリ取締役COO。2011年ジャパンディスプレイ統合準備会社代表取締役。2013年からジャパンディスプレイ代表取締役社長CEOを務め、売上高1兆円を目標に掲げ、事業統合にあたる。
吉川 直利(よしかわ なおとし、1951年8月23日 - )… 吉川 直利(よしかわ なおとし、1951年8月23日 - )は、日本の鉄道技術者・実業家。JR東海代表取締役副社長や、ジェイアールセントラルビル代表取締役社長、ジェイアール東海関西開発代表取締役社長を務めた。 新潟県生まれ、東京都を経て、1975年東北大学工学部卒業、日本国有鉄道入社。1986年名古屋鉄道管理局運転車両部運用車両課長。国鉄分割民営化時にたまたま名古屋鉄道管理局に所属していたことから、分割後は東海旅客鉄道に入社した。 1988年東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部運輸部運用課長。1989年同社新幹線鉄道事業本部運輸部輸送課長。1992年同社新幹線鉄道事業本部運輸営業部管理課長。 1993年同社関西支社運輸営業部長。
高峰 和宏(たかみね かずひろ、1951年8月2日 - )は… 高峰 和宏(たかみね かずひろ、1951年8月2日 - )は、日本の技術者、実業家。鳥越製粉株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役副会長。 熊本県出身。1976年九州大学農学部卒業、鳥越製粉入社。1998年鳥越製粉研究開発第二部長。2002年鳥越製粉取締役研究開発部長。2004年鳥越製粉執行役員研究開発部付部長。2006年鳥越製粉常務執行役員。2011年鳥越製粉取締役常務執行役員。2012年から鳥越製粉代表取締役社長執行役員を務め、麩等新分野の拡大や、アベノミクスへの対応を進めた。2016年鳥越製粉取締役副会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は… 内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長だった。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年宇都宮大学工学部工業化学科卒業。部活動では自動車部に所属した。1977年宇都宮大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本ケミカルコンデンサー入社。1997年KDK新潟工場長。2001年日本ケミコン取締役。2002年日本ケミコン材料事業部本部長。2003年から日本ケミコン代表取締役社長を務め、研究開発への投資を進めるなどした。2019年日本ケミコン代表取締役会長。2021年6月、退任。
横山 裕行(よこやま ひろゆき、1951年5月16日 - )… 横山 裕行(よこやま ひろゆき、1951年5月16日 - )は、日本の自動車技術者。ダイハツ工業代表取締役副社長を経て、トヨタ東京自動車大学校理事長、トヨタ名古屋自動車大学校理事長、トヨタ神戸自動車大学校理事長。 1974年名古屋工業大学金属工学科卒業、トヨタ自動車工業(のちのトヨタ自動車)入社。2000年品質保証部主査。同年トヨタモーターヨーロッパ マニュファクチャリング出向。2003年品質保証部部長。2005年お客様品質部部長。2008年から常務役員お客様品質部部長兼中央可鍛工業取締役を務め、トヨタ・プリウスやトヨタ・SAI などのリコール対応などにあたった。2011年常務役員、品質保証本部本部長。
今井 光雄(いまい みつお、1951年5月15日 - )は、… 今井 光雄(いまい みつお、1951年5月15日 - )は、日本の情報技術者、実業家。日立電線取締役代表執行役社長や、同社特別顧問、ネットワンシステムズ取締役、国際超電導産業技術研究センター理事などを務めた。 京都府出身。1974年東京工業大学工学部電子物理工学科卒業、日立電線入社。1995年日立電線情報システム事業部情報ネットワーク部長。1997年日立電線エンジニアリング代表取締役社長。2000年日立電線情報システム事業本部製品企画室長。2001年日立電線情報システム事業本部次長。2003年日立電線情報システム事業本部次長兼高砂工場長。2005年日立電線執行役兼経営企画室長兼IT業革推進本部長兼CIO。
山科 忠(やましな ただし、1951年5月8日 - )は、日… 山科 忠(やましな ただし、1951年5月8日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。千葉県出身。早稲田大学大学院理工学研究科修了。 トヨタF1のチーム代表、トヨタ自動車専務取締役、トヨタホーム代表取締役社長等を歴任した。 1977年トヨタ自動車に入社。トヨタでは第2実験部部長、トヨタ・テクニカルセンターUSA社長などを歴任し、2003年にトヨタ本社に戻り常務となる。 2006年に異動でモータースポーツ担当、トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)副会長となり、フォーミュラ1(F1)へ関わり始める。翌2007年にはTMG会長に昇格したほか、前任の冨田務からトヨタF1のチーム代表を引き継ぎ、トヨタのF1参戦の総指揮を執った。
中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、… 中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、日本の繊維技術者、実業家。元富士紡ホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長。元日本紡績協会会長。 福島県田村郡小野町出身。1973年山形大学工学部繊維工学科卒業、富士紡績入社。1998年富士紡績機能資材部長。2002年富士紡績機能品事業部長兼機能品部長。 2004年富士紡績取締役機能品事業部長。2005年柳井化学工業代表取締役社長。2006年富士紡ホールディングス代表取締役社長。2011年日本紡績協会会長。2017年富士紡ホールディングス代表取締役会長兼社長。2019年日本紡績協会会長。同年山形大学学長選考会議代理として、相澤益男議長の下、玉手英利の学長選出にあたった。
野澤 英之助(のざわ えいのすけ、1951年<昭和26年>2… 野澤 英之助(のざわ えいのすけ、1951年<昭和26年>2月22日 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。元新潟県土木部長。瑞宝小綬章受章。 新潟市出身。法政大学工学部土木工学科卒業後、1974年 新潟県庁入庁。主に砂防畑を歩み、2004年 (平成16年) 4月 村上地域整備部長、2005年4月 砂防課長、2007年4月 道路管理課長、2008年4月 土木部長。就任時に防災へのこだわり、公共事業費が右肩下がりの中ハード対策だけで生命・財産を守るには限界がありソフト対策が大切であること、次代の担い手づくりの重要性を説いた。県庁退職後、株式会社興和。
山口 博(やまぐち ひろし、1951年2月15日 - )は、… 山口 博(やまぐち ひろし、1951年2月15日 - )は、日本の電気技術者。東京電力ホールディングス代表執行役副社長技監や、関東電気保安協会理事長、電気学会会長を務めた。 神奈川県出身。1973年横浜国立大学工学部電気工学科卒業。1975年横浜国立大学大学院工学研究科修士課程修了、東京電力入社。1993年工務部変電課長。1996年千葉支店工務部長。1998年東京電設サービス出向。2000年企画部東京支店設立準備グループ。2001年東京支店副支店長兼東京支店(安全担当)兼設備部長兼島嶼業務センター所長。2003年工務部長。2005年執行役員工務部長。2006年執行役員電力流通本部副本部長。2007年常務取締役電力流通本部副本部長。