田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年… 田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1931年(昭和6年)4月18日)は、明治から昭和初期の実業家・政治家・漢詩人。衆議院議員。名・華、字・秋穀、号・碧堂。 備中国浅口郡長尾村(岡山県浅口郡長尾村、長尾町、玉島市を経て現倉敷市玉島長尾)で、庄屋・田辺新三の三男として生まれた。7歳で父を失い、母に養育され虚弱のため学校に通わず、独学で漢学、外国語学、政治経済学などを修めた。1879年(明治12年)3月、家督を相続した。 1888年(明治21年)玉島紡績会社に入社し、1896年(明治29年)同社取締役に就任。1890年(明治23年)児島郡味野村(現:倉敷市児島味野)の野﨑家の理事となり、当主野崎武吉郎の貴族院多額納税者議員としての活動を支え、同家の塩業事業の発展に寄与した。
伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(… 伊谷 以知二郎(いたに いちじろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1937年(昭和12年)3月30日)は、明治から昭和初期にかけての日本の水産学者。現在の東京海洋大学の創立に寄与した。大日本水産会や日本水産学会の会長を務め、水産界をはじめ缶詰業界の発展に貢献した。旧姓は田中。 紀州藩士田中傳の次男(第三子)として、現在の紀尾井町にあった藩邸で生まれた。15歳の時に三菱商業学校予備科に入学するが、18歳の時に廃校となったため独学となった。1884年(明治17年)9月、同藩士であった[要出典]伊谷久吉の養子となり家督を相続した。この間、父が手を出した鉱山事業に失敗し、13歳から32歳頃まで生活が困窮した。
狩野 雄一(かのう ゆういち、文久3年11月21日(1863… 狩野 雄一(かのう ゆういち、文久3年11月21日(1863年12月31日) - 大正12年(1923年)4月29日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会)。 肥前国佐賀郡赤松(現在の佐賀県佐賀市)出身。狩野玄介、タキ夫妻の長男として生まれる。西肥日報社の経営にあたった。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙で当選を果たした。
長瀬 富郎(ながせ とみろう、文久3年11月21日(1863… 長瀬 富郎(ながせ とみろう、文久3年11月21日(1863年12月31日) - 明治44年(1911年)10月26日)は実業家。花王の創業者。 美濃国恵那郡福岡村(現在の岐阜県中津川市福岡)の造り酒屋に生まれる。12歳の時に、母親の実家である加茂郡神土村(後の加茂郡東白川村神土)へ奉公に出る。17歳のとき奉公先の店主の弟が独立したのに従い店を移る。 23歳の時に、店を辞め上京する。150円の資金で米相場を張っても失敗し、無一文になる。この時の挫折を教訓とし、「堅実に生きる」事を終生の誓いとする。 出直すべく日本橋馬喰町の小物問屋に入店、経営を任されるまでになる。その後1887年、23歳で独立を果たし「長瀬商店」(のちの花王)を馬喰町2丁目に創業する。
小鷹 鋭健(おだか えいけん、1860年12月31日〈万延元… 小鷹 鋭健(おだか えいけん、1860年12月31日〈万延元年11月20日〉 - 没年不明)は、明治時代の政治家。山形県山形市長(第7代)。 小鷹勇の弟として、のちの山形県米沢市に生まれる。山形県警部、最上郡長を歴任し、1910年(明治43年)11月に退官。その後、山形市助役を経て、1917年(大正6年)前山形市長の林兎喜太郎の満期退任に伴う詮衡で、高橋貞治と争い約1ヶ月を掛けて山形市長に選出された。この頃、第一次世界大戦の好況で生まれた戦争成金により生活物資が買い占められ、特に米穀の投機的買い占めに走るものが多く、のちの米騒動に繋がった。当時の山形市では小鷹市長の指揮のもと市幹部の米穀商への説得や皇室からの御下賜金、市民有志の寄付金を加え14万円の予算で市が米を購入し、困窮市民に廉売等を行うことで騒動を回避した。
半谷 清寿(清壽、はんがい せいじゅ、1858年12月31日… 半谷 清寿(清壽、はんがい せいじゅ、1858年12月31日(安政5年11月27日)- 1932年(昭和7年)2月18日)は、明治から昭和初期の実業家、農政家、政治家。衆議院議員。 陸奥国行方郡小高郷大井村(現・南相馬市小高区大井)で相馬中村藩郷士・半谷常清の長男として生まれた。福島師範学校を卒業後、小浜、二本松の小学校で教員として義務年限まで務めた。 その後、帰郷して酒造業を経営し、1886年(明治19年)士族救済のための相馬織物社を設立。1894年(明治27年)相馬精練を設立して小高の羽二重工業の振興に尽力した。その他、磐城水電取締役を務めた。 1893年(明治26年)の日本鉄道常磐線土地買収事件を契機に政治への関心を持ち、1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福島県郡部から出馬して当選。
富田 仙助(冨田、とみた せんすけ、1855年12月31日(… 富田 仙助(冨田、とみた せんすけ、1855年12月31日(安政2年11月23日) - 1913年(大正2年)9月27日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 但馬国城崎郡豊岡内小井田町(のち兵庫県城崎郡豊岡町、現・豊岡市)に生まれる。漢学を学ぶ。酒造業と貿易業を営む。豊岡町戸長、豊岡町長を経て、城崎郡会議員となる。また、日本赤十字社終身社員に推薦された。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫9区から進歩党公認で立候補して初当選。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から出馬して再選を果たした。1902年の第7回衆議院議員総選挙では兵庫県郡部で憲政本党から立候補したが落選した。
大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(18… 大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(1850年12月31日) – 大正10年(1921年)7月5日)は、日本の新聞記者、政治家。 秋田市長(第5代)、衆議院議員(立憲政友会)、秋田県会議長、秋田県会議員などを務めた。 久保田藩士大久保盛実の長男として中谷地町(現秋田市)に生まれる。藩校明徳館で漢学を学んだ後、東京に出て1875年(明治8年)より朝野新聞の記者となった。帰郷後の1881年(明治14年)に秋田日報を創刊し、1883年(明治16年)に秋田改進党を結成した。同年、秋田県会議員に選ばれ、後に議長に就任した。後藤象二郎が大同団結運動を唱えると、これに呼応して東北九州連合の必要性を説いて、精力的に活動した。
木村 利武(きむら としたけ、嘉永3年11月28日(1850… 木村 利武(きむら としたけ、嘉永3年11月28日(1850年12月31日) - 1914年(大正3年)10月2日)は、明治時代の政治家、実業家。愛媛県松山市長。 松山城下柳井町で藩士・木村利長の長男として生まれる。1871年(明治4年)松山県庁掌、1874年(明治7年)愛媛県雇・戸長、1878年(明治11年)風早郡書記、1880年(明治13年)同郡長心得、1886年(明治19年)風早・和気・温泉・久米郡長心得を歴任。1890年(明治23年)1月に松山五十二銀行取締役に転じたが、同年2月6日、推挙され松山市長に就任した。 1896年(明治29年)2月まで市長を務めたのち、実業界に入り、松山商業銀行頭取、同行取締役、松山商業会議所会長などを歴任した。
杉本 重遠(すぎもと しげとお、弘化3年11月14日〈184… 杉本 重遠(すぎもと しげとお、弘化3年11月14日〈1846年12月31日〉 - 1921年〈大正10年〉2月24日)は、幕末の館林藩士、明治期の内務官僚・実業家。大分県知事。従四位勲四等。幼名、太郎吉。 弘化3年(1846年)、江戸浜町の館林藩中屋敷に生まれる。父は杉本重好。3歳の時に父とともに館林へ移った。館林藩主・秋元志朝が創設した藩校・求道館(のち造士書院)に学び、表小姓として出仕した。また藩外交官補助、国事外交係を務める。 明治維新後は鎮将府に召し出された。明治2年(1869年)館林藩権少参事となり、権少検事、大警部などを歴任する。1884年(明治17年)には欧米を歴訪。徳島県書記官、警視庁警務局長、新潟県書記官などを歴任する。
伴 資健(ばん すけゆき、1835年12月31日(天保6年1… 伴 資健(ばん すけゆき、1835年12月31日(天保6年11月12日) - 1913年(大正2年)1月28日)は、安芸国(現広島県)出身の政治家。広島市長を3期務めた。幼名保之丞、のちに後十郎兵衛、資知と改名。
伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(183… 伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(1830年12月31日) - 明治33年(1900年)7月15日)は、日本の男爵。志士、貴族院議員、大審院判事、錦鶏間祗候、従五位。通称、蔵人、右近大進。子に伊丹春雄、伊丹二郎。 京都(山城国)粟田(現京都市東山区)生まれ。伊丹家は代々粟田青蓮院宮に仕えた。幼き頃から神童と呼ばれ、徳川幕府が衰退するにいたって尊皇攘夷派の志士となり東奔西走する。安政5年(1858年)に橋本左内、梅田雲浜らと共に幕府に捕らわれ彦根城に幽閉される。その後、放免となり明治維新を迎える。 維新後、大阪府判事に命ぜられて同地に赴任。その後、長崎・東京府へ赴任し、大審院に入り元老院議官に転ず。
月城 かなと(つきしろ かなと、12月31日 - )は、宝塚… 月城 かなと(つきしろ かなと、12月31日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する男役スター。
DEL(デル、12月31日 - )は日本のシンガーソングライ… DEL(デル、12月31日 - )は日本のシンガーソングライターである。早稲田大学卒業。2007年ビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー。
児嶋 都(こじま みやこ、12月31日 )は、日本の漫画家、… 児嶋 都(こじま みやこ、12月31日 )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都杉並区高円寺出身。血液型はA型。主にホラー漫画で活躍している。 夫は映画字幕翻訳家/コラムニストのノーマン・イングランド 実父は映画監督・コメンテーターの山本晋也。2005年年末、ごきげんよう(フジテレビ)等の特別番組で、親子共演を果たしている。 かつては猫乃 都(ねこの みやこ)というペンネームで「ファンロード」の常連投稿者として活動し、「ジャンプ放送局」のマスコットガール(1984年12月 - 1985年12月)を務めたのち、エニックス出版局(当時)から出版された漫画雑誌やコミックスに作品を連載していた。 高校時代はバンド活動にのめり込み、バンド仲間である萩原玲二のアシスタントを務めた後、1990年、『近代麻雀』よりデビュー。
影山 由美(かげやま ゆみ、12月31日 - )は、東京都世… 影山 由美(かげやま ゆみ、12月31日 - )は、東京都世田谷区出身の脚本家、漫画原作者である。 元・幼稚園教諭。教師時代にシナリオ・センター元町教室(閉校)→青山教室に通い、本科を修了。その後、1986年に小山高生が主宰するシナリオ学校「アニメシナリオハウス」の第1期生となり、のちに小山が設立した脚本家集団「ぶらざあのっぽ」の創立メンバーとなる。アニメ脚本のほか、漫画のノベライズ、また子ども向けのミュージカル脚本、作詞なども手がけている。 元・幼稚園教諭だったことから、子ども達の描写を得意とする。また『ママレード・ボーイ』『花より男子』『ラブ☆コン』等の恋愛ものを多く手がける一方で、奇抜な発想から『キョロちゃん』第46話「侵略ロボットI-31号」のような怪作も執筆している。