所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 202… 所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 2020年1月30日)は、日本の法学者。立教大学名誉教授。東亜大学教授。元日本犯罪社会学会会長・日本刑法学会理事・日本学術会議第16期会員(第3常置委員会委員長)。刑事法専攻。刑法の法社会学で業績を残す。北海道函館市出身。 1959年の立教大学法学部創設の際、刑事学(刑事政策)の担当教員に当時学士助手だった所を推薦したのが団藤重光である。ところが、東京大学の学士助手制度は3年で助手論文を仕上げるというものであるから、2年しか在籍していない所は助手論文が出来上がらずに講師になることになる。所自身が団藤に在籍年数を間違えたのではと尋ねたが、団藤は否定している。
寺西 博(てらにし ひろし、1935年2月8日 - )は、日… 寺西 博(てらにし ひろし、1935年2月8日 - )は、日本の元・ラグビー選手及び指導者。 北見北斗高校を経て、明治大学(以下、明大)へ進み、1956年度シーズンには明大の主将を務めた。また同年、オーストラリア学生代表戦でラグビー日本代表デビューを果たし、通算キャップ数5を獲得した。 明大卒業後は日本鉱業に入社。 その後、明大ラグビー部のコーチを経て、ヘッドコーチに就任。明大ラグビー部の象徴である北島忠治監督を長年に亘って補佐し、北島が体調不良のため、1991年度シーズンより試合会場へ姿を見せなくなると、自身が指揮を執った。 1996年、北島が死去したため、二代目の明大ラグビー部監督に就任。同年度の大学選手権で明大は優勝した。
内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 -… 内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 - 2022年2月2日)は、読売新聞グループ本社顧問、同社元代表取締役社長、日本新聞協会会長、第13代横綱審議委員会委員長。位階は正三位。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学文学部社会学科卒業。1957年4月、読売新聞社入社。地方部を中心に記者として活動する。制作局を担当していた当時、印刷拠点の分散化を経営トップに進言して功績が認められる。のちに渡邉恒雄から後継者指名を受ける。 2022年2月2日21時48分、心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。同日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を受章した。
高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の… 高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の推理小説家。元新聞記者。北海道札幌市在住。本名は乳井洋一(にゅうい よういち)。北海道函館市出身。 1935年、北海道函館市に生まれる。5歳の時に、英語教師だった父の転勤で宮城県仙台市に移住。第二次世界大戦中は父の故郷である秋田県北秋田郡比内町(現大館市の一部)に疎開。終戦後に仙台に戻り、進駐軍の兵士が古本屋に売ったペーパーバックや、英語教師だった父と交流があった米軍人から手に入れたハードボイルド小説を読み始めたという。 1955年、東北大学文学部英文科在学中、『宝石』の短編懸賞に「X橋附近」を応募し、1位を受賞した。この小説は江戸川乱歩に絶賛され、現在では日本のハードボイルド小説の嚆矢とされる。
笠谷 昌生(かさや あきお、 1935年1月14日 - 2… 笠谷 昌生(かさや あきお、 1935年1月14日 - 2009年2月18日 )は、北海道後志支庁岩内郡岩内町出身のスキージャンプ選手。北海道余市高等学校卒業後明治大学に進学、4回生のときスキー部主将を務める。実弟に札幌オリンピック金メダリストの笠谷幸生がいる。 ジャンプを始めたのが高校入学直前と非常に遅かったが、それからわずか2年で大人達を打ち負かす活躍を見せ「神童」と呼ばれた。当時は余市高校スキー部黄金時代でインターハイでは同僚久蔵が優勝し早稲田大学へ、笠谷は明治へ、青山選手は日本大学へとそれぞれ進学し、各大学のスキー部主将に就き、ライバルの関係は大学入学後も続いた。主将時には自衛隊員から大学生へ進路変更した距離の年配の小西がいたが、部内では統率力を発揮し、ノルデックの部は完全優勝を果たし、インカレ総合優勝に導いた。
三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不… 三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は戸田 護(とだ まもる)。現在の北海道三笠市出身。170cm、83kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続6場所務めた。1958年9月場所に23歳で廃業した。
霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本… 霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本のフランス文学者。埼玉大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学、特にオノレ・ド・バルザック。 北海道旭川市出身。東京外国語大学フランス科卒業。東京大学大学院人文科学研究科仏文科博士課程満期退学。1967年埼玉大学教養学部専任講師、同助教授、同教授。2000年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
豊国 孝(とよくに たかし、1935年 - )は、日本の文学… 豊国 孝(とよくに たかし、1935年 - )は、日本の文学研究者・イギリス文学者。小樽商科大学名誉教授。主な研究対象はイギリス文学(D・H・ローレンス)。 北海道出身。1958年北海道大学文学部英米文学科卒業。1962年旭川工業高等専門学校講師。1967年室蘭工業大学講師、1970年同大学助教授を経て、1979年小樽商科大学商学部助教授。1981年小樽商科大学商学部教授に就任。1991年に同大学言語センター教授。1999年に小樽商科大学名誉教授の称号を授与される。なお、1999年から札幌大学外国語学部教授、現在札幌大学外国語学部研究科非常勤講師。2008年3月退職。2015年11月瑞宝中綬章を受章。
手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日… 手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日本の版画家、絵本作家。主な作品に『きたきつねのゆめ』『しまふくろうのみずうみ』『おおはくちょうのそら』がある。北海道紋別市出身。江別市在住。 父が鉄道員で転勤が多く、主にオホーツク海沿いの農漁村を転々として育った。1957年、北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌校卒業。20年にわたって中学校教師を務めた後に木版画家として独立する。 1981年に日本版画協会展に出展したシマフクロウの版画が福武書店の編集者の目にとまり、絵本作家としてデビュー。シマフクロウ、キタキツネ、ヒグマなど北海道の動物を題材とした作品を発表し、藤村久和と組んでアイヌのユカラを絵本化したシリーズでも知られる。
水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、… 水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、1935年〈昭和10年〉 - 2009年〈平成21年〉6月4日)は、日本の経済評論家・作家・出版社代表取締役。 北海道函館市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。山一證券入社。山一證券従業員労働組合執行委員を経て、社会福祉法人函館共愛会病院事務長となる。同会退会後、経済評論家・作家に転身。1989年、小説『巨大証券の犯罪』(健友館)がベストセラーとなる。 以後、経済小説やノンフィクション、医療問題、官僚腐敗、酒や食品に関する著書を多く手がける。 その傍ら東京都中野区野方にあった出版社健友館の代表取締役兼編集長となり、自身の著書のほかは主に医学専門書やアマチュア作家の自費出版作品を多く扱ったが、2004年6月、負債1億7000万円を抱えて倒産した。
小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7… 小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7月25日)は、北海道(アイヌモシリ)浦河町生まれのアイヌ民族運動家。アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長、北海道教育大学非常勤講師を務めた。妻はアイヌ文様刺繍家の小川早苗。 日高地方浦河町のコタンに生まれる。父は戦時下に渡日しタコ部屋の強制労働から脱走した朝鮮人李秀夫、母は浦河のコタンに住むアイヌ民族の夏子。幼い頃に父秀夫は朝鮮へ戻り、以来音信不通となる。その後9歳で母も失い、兄弟と支えあいながら青春期を送る。幼くして両親を亡くした後の生活は貧困を窮め、学校への通学も断念せねばならなかった。 職を転々とした後、25歳で定職に就くが就学機会を奪われたため、漢字もろくに読めなかったという。
上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、… 上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、日本の政治家。元北海道登別市長(5期)。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1957年北海道大学農学部卒業。1957年北海道庁に入庁。根室支庁産業課に勤務。1980年同庁後志支庁経済部長。1983年同庁農務部農政課長。その後、同庁胆振支庁長。 1988年7月21日、登別市長の中浜元三郎が、市役所で発生した汚職事件の責任をとるとして辞職。これに伴って8月28日に行われた登別市長選挙に選に立候補し初当選した。以後連続5期。 北海道市長会副会長や北海道市長会会長を歴任。2008年市の医療費助成事業で、市が委任払いした高額療養費約4500万円が回収困難となっている問題について、責任を取ること等を理由に引退した。
木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 20… 木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 2004年11月12日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道帯広市出身。1957年に小樽商科大学を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1991年1月に取締役、1995年1月に常務、1997年11月に専務を経て、1998年6月に北海道文化放送社長に就任。2004年6月に会長に就任。 2004年11月12日に胃癌のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上武 やす子(うえたけ やすこ、旧姓:室村〈むろむら〉、19… 上武 やす子(うえたけ やすこ、旧姓:室村〈むろむら〉、1934年〈昭和9年〉11月26日 - 2024年〈令和6年〉3月16日)は、日本のアイヌ文化伝承者、刺繡作家。 北海道室蘭市元室蘭(現:崎守町)出身。同道登別市において、北海道ウタリ協会登別支部支部、市民勉強会「知里真志保を語る会」、アイヌの女性文化の学習と継承のための団体「アイヌ文化を学び継承する女性の会」などでの活動で、アイヌ文化の伝承普及活動を行った。また、独学でのアイヌの民族衣装や刺繍製作、アイヌ紋様刺繡の学習会による後進の指導、古式舞踊の指導などを通じて、アイヌ伝統文化の復興、アイヌ文化の保存などに貢献した。 北海道室蘭市元室蘭(現:崎守町)で誕生する。
升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-200… 升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-2001年10月5日)は、日本の政治家・教育者。北海道島牧郡島牧村出身。北海道寿都町町長(1996年-2001年、2期)。位階は正六位。勲五等瑞宝章受章。 漁師の家に生まれる。北海道小樽水産高等学校卒業。1952年、島牧村の小学校助教諭に就く。日本大学文理学部通信教育課程卒業。日本大学で教員免許を取得し、歌棄中学校や寿都中学校などで教諭を務めた。寿都中学校長を経て、1992年寿都町教育委員会勤務。1994年寿都町教育長。1996年寿都町町長選挙に出馬し、同じ新人の岡部武を破って初当選。2000年も無投票で再選したが、2001年10月 在職中に逝去。
北村 昌男(きたむら まさお、1934年10月30日 - 2… 北村 昌男(きたむら まさお、1934年10月30日 - 2023年7月9日)は、将棋棋士。1994年、引退。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は60。北海道函館市出身。 渡辺東一名誉九段門下で1953年、プロデビュー。初参加の順位戦(第8期C級2組順位戦)において7勝3敗で2位となり、1期でC級1組に昇級。 2年後、第10期(1955年度)C級1組順位戦で11勝2敗の1位で、B級2組へ昇級。このとき、2位で同時に昇級した‘神武以来の天才’こと加藤一二三から白星を挙げた。 さらに2年後の第13期(1958年度)B級2組順位戦では9勝4敗の1位でB級1組へ昇級。以降17年間B級1組に在籍し続けたが、A級昇級には手が届かなかった。
大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 … 大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 - 没年不明 )は、高砂部屋に所属した元力士。本名は笊畑 勝成。現在の北海道芦別市出身。178cm、93kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1960年7月場所で十両昇進。1962年7月場所には自己最高位となる十両筆頭まで番付を上げたが、3勝12敗と大きく負け越し幕内昇進はならなかった。この場所は部屋での感情の行き違いがあって自ら髷を切ってしまったために大銀杏を結えず、丁髷で土俵に上がった。17場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年5月場所限りで廃業した。
北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 20… 北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 2006年)は、レスラー。ローマオリンピックライト級グレコローマン5位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。
中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9… 中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9年)9月15日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家。位階は従四位。衆議院議員を4期務めた。 北海道夕張市に生まれる。夕張市立若葉小学校、夕張市立千代田中学校を経て、1953年、北海道夕張北高等学校卒業。夕張市職員労働組合書記長より全日本自治団体労働組合道本部書記長、同副委員長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に岡田春夫の後継として日本社会党公認で旧北海道第4区から立候補し初当選(同じ区の社会党現職池端清一や田中派新人鳩山由紀夫も当選)。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選(同じ区の民社党新人小平忠正も当選)。
木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、… 木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、日本のドイツ文学者、上智大学名誉教授。専攻はゲーテ研究。 札幌市出身。北海道札幌北高等学校卒、1959年上智大学文学部ドイツ文学科卒業、西ドイツに学び、1963年ミュンヘン大学で博士号。 1963年上智大学文学部専任講師、68年助教授、75年教授、2000年定年退職、名誉教授、レーゲンスブルク大学客員教授。1982年ジーボルト賞を受賞した。 ドイツ文芸アカデミー通信会員、日本ゲーテ協会副会長、ウィーン文化科学研究所 (INST) 副会長、元レーゲンスブルク独日協会副会長。
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 202… 佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 2023年10月18日)は、日本の政治家。元北海道別海町長、別海町名誉町民。 国後島の泊村東沸出身。1950年に別海村役場に入り、公務員の傍ら北海道西別高等学校を卒業。その後農林課長、経済部長、議会事務局長を歴任。 1987年に当時の町長の推薦を受けて別海町長に当選し2007年まで連続5期20年務め、酪農・漁業など産業基盤の強化や矢臼別演習場へのアメリカ海兵隊実弾演習移転の受け入れなどといった施策を行った。2005年から2年間根室管内町村会長を担当。 町長退任後は2008年に旭日小綬章受章、2023年10月18日、老衰のため、別海町内の病院で死去した。
小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月1… 小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月13日 - 2013年 <平成25年> 12月28日)は、北海道出身の日本の刑事法学者。弁護士。元裁判官。位階は正三位。 専門は、刑法及び刑事訴訟法。元東洋大学及び元北海学園大学教授。北海道生まれ。 古希祝賀刑事裁判論集刊行会編『刑事裁判論集 上巻』(判例タイムズ社、2006年)
佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は… 佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:9171)。元衆議院議員(5期)。 北海道旭川市出身。父・佐々木秀世は自由民主党・宏池会所属の衆議院議員であり、第1次田中角栄内閣の運輸大臣を務めた。 旭川市立日章国民学校、旭川市立常盤中学校卒。旭川西高校3年時にサッカー部の主将を務め、旭川市・上川支庁地区大会で優勝し全道大会出場。1957年早稲田大学法学部を卒業。1961年に26歳で司法試験に合格し、翌1962年に早稲田大学大学院を修了する。司法修習16期(同期に日野市朗)経て1964年、弁護士登録。1969年、青年法律家協会(青法協)議長となり、社会派弁護士として活躍する傍ら、石田和外最高裁判所長官による青法協会員裁判官の排除に抵抗する。
宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - … 宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - 2024年8月28日)は、日本の小説家、官能小説家、推理作家。 北海道札幌市出身。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「ウノコウチョウ」をもじったペンネームであり、同人誌時代には「宇野興長」の筆名も用いていた。嵯峨島 昭(さがしま あきら)名義で推理小説も執筆している。 東京府士族の鵜野二弥と、佐賀県士族の綾(旧姓:徳久)の間に長男として出生。軍事会社の工場の副所長 であった父の転勤に従い各地を転々とし、奉天から敗戦で引き揚げた。満州時代、小学校5〜6年のころ、盗みを働いて捕まり、ロシアの司令官の邸宅で全裸のまま給仕をさせられたことがある、という。
たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - … たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - 2015年6月18日)は、日本の俳優、声優、芸能プロモーター。本名は立壁 和也(読みは同じ)で、1970年代までは本名で活動していた。血液型はA型。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 20… 吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。 北海道室蘭市出身。父親は鉄鋼会社の重役であり、裕福な家庭に育つ。小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志す。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 NHK国際局の嘱託を経て、朝日放送にアナウンサーとして勤務。1961年、フルブライト交換留学生として渡米し、オハイオ州立大学とコロンビア大学で学び、フォトジャーナリズム専攻で1964年にコロンビア大学より修士号を取得した。 コロンビア大学在学中に、リベラルの白人男性と結婚。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、… 高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、日本語学者、神奈川大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。上智大学大学院博士課程満期退学。1976年神奈川大学外国語学部助教授、教授、2005年定年、名誉教授。
厚谷 襄児(あつや じょうじ、1934年(昭和9年)6月6日… 厚谷 襄児(あつや じょうじ、1934年(昭和9年)6月6日 - )は、日本の官僚、法学者。北海道大学名誉教授。弁護士。専門は経済法・独占禁止法。函館市生まれ。
加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023… 加藤 多一(かとう たいち、1934年6月1日 - 2023年3月18日)は、日本の児童文学作家。 北海道紋別郡滝上町生まれ。北海道大学教育学部卒業。在学中に砂沢喜代次、斎藤秋男が顧問を務める北大童話会「童話研究」創刊に参加する。 札幌市役所に入庁し、広報課長、市民文化室長などを歴任。札幌芸術の森オープンの実務責任者となる。1986年に市役所を退職し、稚内北星学園短期大学教授に就任(1992年に退任)する。 1976年に『白いエプロン白いヤギ』が日本童話会賞A賞、『ふぶきだ走れ』が第10回北海道新聞文学賞佳作を受賞し、童話作家としてデビュー。以後、主に北海道農村部を舞台とした児童小説を多く手がける。
茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日… 茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日本の工学者。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。2007年時点で地球環境産業技術研究機構副理事長および研究所長。元ローマクラブ本部会員。IPCC国内連絡会座長。
中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999… 中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999年5月6日)は、日本の彫刻家。 北海道上川郡愛別町出身。1958年東京藝術大学彫刻科卒業。多摩美術大学助教授、教授を歴任。1991年より彫刻科長。 1999年、肝臓癌のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 20… 本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 2020年7月28日)は、日本の時事評論家、元朝日新聞記者、研修所長。 北海道室蘭市生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒。朝日新聞入社。同期には本多勝一や筑紫哲也がいる。社会部や整理部などを経て、研修所長を務めた。1994年(平成6年)の退社後は執筆活動を行う。 日本文化チャンネル桜に出演し、マスメディアの問題点や朝日新聞に関する問題について論じている。 2020年7月28日、神奈川県鎌倉市にて死去。86歳没。 2007年に第1次安倍内閣への朝日新聞の報道姿勢に対して として批判している。
東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日… 東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日 - 2015年(平成27年)8月18日)は、日本の政治家。北海道千歳市市長(1991年-2003年)。位階は従五位。旭日小綬章。 北海道苫小牧市出身。北海道千歳高等学校卒。1950年(昭和25年)に千歳町役場(現在の千歳市役所)に、事業生として入り、1954年(昭和29年)には千歳町役場を退職し、北海道自治講習所に入所し、1年間通い、翌1955年(昭和30年)の4月1日に再び千歳町役場に入り、税務課町民税係へ配属される。その後、企画調整課企画係長や環境部環境課長、経済部長等を経て、1987年(昭和62年)の12月6日に千歳市収入役となる。
三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、19… 三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、1934年(昭和9年)3月25日 - 2025年(令和7年)11月30日)は、長唄唄方、人間国宝。本名は宮田 哲男(みやた てつお)。長らく東音宮田哲男(とうおん みやた てつお)を名乗っていたが、2009年に「貴音三郎助」の名跡を三代目として襲名した。
笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25… 笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25日 - 2022年〈令和4年〉7月11日)は、日本の実業家、トカプチアイヌ協会代表、北海道ウタリ協会理事長、アイヌ文化振興・研究推進機構副理事長。帯広市議会議員。 1934年、北海道帯広市生まれ。和人の父とアイヌ人の母を持つ。 1961年に建設業「笹村組」を開業し、1972年に法人化し社長に就任。 帯広市にあった古戦場のチョマトー埋め立て問題で、1975年ごろより、北海道ウタリ協会の活動に関わる。 1996年、北海道ウタリ協会の理事長に就任する。「日本国政府による補償も必要だが、アイヌ民族の自立が重要である」との姿勢をとる。 アイヌ文化振興法の1997年の制定に、理事長として動き回る。
北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉… 北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日 - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)。北海道小樽市出身。 日本大学芸術学部中退。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。
竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 202… 竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 2020年9月24日)は、日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員。 北海道札幌市出身。フルブライト奨学金で留学したハーバード大学大学院修士課程を修了後、ホセ・ルイ・セルトや、イサム・ノグチの事務所に勤務し、その後、1962年、デンマークに渡る。デンマークでは、ヨーン・ウツソン、アルネ・ヤコブセン、フィン・ユール、ヘニング・ラーセンの事務所に勤務、また、1963年から一年間、教師としてデンマーク王立アカデミー建築科に勤めた。 1964年に帰国し、竹山実建築綜合研究所を設立。
鴨下 重彦(かもした しげひこ、1934年 <昭和9年> 3… 鴨下 重彦(かもした しげひこ、1934年 <昭和9年> 3月13日 - 2011年 <平成23年> 11月10日)は、日本の医学者。専門は小児科学。学位は、医学博士。東京大学名誉教授。国立国際医療センター名誉総長。北海道室蘭市出身。位階は正五位。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月… 深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本の写真家。北海道中川郡美深町生まれ。写真表現を通して「私性」と「遊戯」を追求した写真家として知られる。 1908年に祖父・庸光が美深町に創設した深瀬写真館の長男として誕生したため、3代目跡継ぎとして期待された。6歳になるとプリント水洗の仕事を手伝わされ、外に遊びにいきたい気持ちをじっと我慢しながら従事したという。深瀬はのちに「私の写真への怨恨はたぶんこのころ芽生えたものであろう」と記すほどであった。日本大学芸術学部写真学科に入学するために上京し、その後は東京の広告会社である第一宣伝社に就職。これをきっかけに写真家としての道を歩むこととなり、深瀬写真館は後に弟の了暉が継ぐことになる。
井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2… 井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。光合金製作所代表取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柴川 林也(しばかわ りんや、1934年2月15日 - 20… 柴川 林也(しばかわ りんや、1934年2月15日 - 2022年2月24日 )は、日本の経営学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 一橋大学名誉教授。専門は金融工学。日本経営財務研究学会会長、日本経営学会常務理事、経済学会連合理事等を歴任した。日経・経済図書文化賞受賞。 北海道常呂郡野付牛町(現北見市)生まれ。1952年、北海道北見柏陽高等学校卒業。1956年、小樽商科大学商学部卒業。1958年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。古川栄一の弟子。1980年、九州大学より経済学博士の学位を取得。 1958年、東京経済大学経済学部助手。コロンビア大学経営大学院留学を経て、1961年、東京経済大経済学部講師。
有賀 秀子(ありが ひでこ、1934年2月9日 - 2024… 有賀 秀子(ありが ひでこ、1934年2月9日 - 2024年12月7日)は、日本の女性農芸化学者。専門は、応用生物化学、栄養化学、酪農食品科学。農学博士。 1934年2月9日に北海道帯広市で誕生。1946年帯広市立明星小学校卒業。1946年北海道庁立帯広高等女学校入学、1947年に教育改革により北海道立帯広高等女学校へ、1950年に教育改革により北海道帯広三条高等学校へ改称。1949年に同高等学校併置中学校卒業。1952年北海道帯広三条高等学校卒業。1952年に帯広畜産大学畜産学部酪農学科入学。1956年帯広畜産大学畜産学部酪農学科卒業。1956年に北海道幕別高等学校、1959年に北海道旭川北高等学校の教諭となり、家庭科を教える。
及能 正男(きゅうのまさお、1934年1月27日 -2021… 及能 正男(きゅうのまさお、1934年1月27日 -2021年11月13日 )は日本の経済学者(金融学)、元西南学院大学教授。 北海道函館市出身。東北大学経済学部経済学科卒。1957年三井銀行に入行。調査部、外国部、ニューヨーク支店、デュッセルドルフ支店、国際部を経て、本店業務推進役人事部開発人事室担当に。1987年3月退職し、同年から2004年まで西南学院大学教授。この間、貿易研修センター客員研究員・教授を務めた。 2021年(令和3年)11月13日、病気のため、東京都世田谷区の自宅で死去した。87歳。葬儀・告別式は近親者で行い、喪主は長女の雅子が務めた。
合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5… 合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5日 - )は、日本のノンフィクション作家。北海道上砂川町生まれ。佛教大学文学部卒業後、長く北海道新聞社に勤務、編集委員を務めた。退職後は札幌大学講師に着任。『定山坊行方不明の謎』で第1回北海道ノンフィクション賞(月刊クォリティ主催)大賞受賞。日本放送作家協会北海道支部長。北海道ノンフィクション集団代表。札幌市にてノンフィクション作家の養成講座「一道塾」を主宰。息子は歌手・音楽プロデューサー・ノンフィクション作家の合田道人。
佐藤 和生(さとう かずお、1934年 - )は、フランス文… 佐藤 和生(さとう かずお、1934年 - )は、フランス文学者、翻訳家、詩人。同志社大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、北海道大学文学部卒業。京都大学仏文科博士課程修了。フランス文学の研究、翻訳を手がける傍ら、詩作も行い、2001年より詩集も発表している。
古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993… 古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993年)は、日本の電子工学者。東京工業大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1956年東京工業大学理工学部電気学科卒業。1961年東京工業大学理工学部博士課程修了、工学博士、東京工業大学精密工学研究所助手。1963年東京工業大学精密工学研究所助教授。1973年東京工業大学精密工学研究所教授。1975年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。1991年日本工学アカデミー会員。1993年急逝。1994年東京工業大学名誉教授。指導学生に石原宏東京工業大学名誉教授など。