瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩… 瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。ポジションはGK。ソニー仙台FC在籍の瀬田貴仁、横河武蔵野FC在籍の瀬田達弘はともに息子。
岩手県:56人
瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩… 瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。ポジションはGK。ソニー仙台FC在籍の瀬田貴仁、横河武蔵野FC在籍の瀬田達弘はともに息子。
古前田 充(こまえだ みつる、1950年4月14日 - )は… 古前田 充(こまえだ みつる、1950年4月14日 - )は、岩手県盛岡市出身の元サッカー選手(MF)・サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 遠野高校、大阪商業大学を経て、1973年にJSLの藤和不動産へ入部。今井敬三と共にフジタの守備の中心選手で、JSLベストイレブンに5度(1976年-1977年, 1979年-1981年)も選出され、1977年にはセイハン比嘉と共に7アシストでJSLアシスト王を獲得。3度のJSL1部優勝(1977年, 1979年, 1981年)と2度の天皇杯制覇(1977年, 1979年)に貢献したほか、日本代表にも選出。ムルデカ大会・キリンカップ・ヨーロッパ遠征に出場し、国際Aマッチでは2試合2得点を記録。
斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は… 斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は、岩手県盛岡市出身のサッカー指導者。岩手県立盛岡商業高校や岩手県立大船渡高校のサッカー部監督として、両校を全国の強豪校に育て上げ、多くの選手を指導した。第85回全国高等学校サッカー選手権大会の優勝監督。 1947年5月6日生まれ。岩手県盛岡市で生まれ育ち、盛岡市立厨川中学校から盛岡商業高校に進学する。この間、中学校時代は休み時間のサッカーに加わるくらいであったが、高校で先輩から「入れ」といわれたことがきっかけでサッカー部に入部し、新潟国体に出場した。 高校卒業後の1966年、順天堂大学に入学し、1年生の時から試合に出場した。大学の同期に、のちに流通経済大学付属柏高校などの監督を務める本田裕一郎がいる。
八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月2… 八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月24日 - 2011年5月2日)は、岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)出身(朝鮮・大田生まれ)の元サッカー選手(FW、MF)・監督。 大田中学1年時に太平洋戦争が終結し、一家は岩手に引き揚げ、転校した盛岡中学でサッカーに出合う。盛岡一高では郷里の先輩である工藤孝一の指導を受け、3年次の1951年には高校選手権に東北代表として出場。FWでプレーしたが1回戦で高知農業に敗退し、同年5月の天皇杯では盛岡サッカークラブのメンバーとして参加するが、こちらも1回戦で敗退。 高校卒業後の1952年に中央大学へ進学し、同年の関東大学リーグで新人王を獲得。3年次の1954年に工藤が監督を務める早稲田大学へ編入し、関東大学リーグ優勝3回・東西学生王座決定戦2回・大学選手権優勝1回に貢献。
工藤 孝一(くどう こういち、1909年2月4日 - 197… 工藤 孝一(くどう こういち、1909年2月4日 - 1971年9月21日)は、岩手県岩手郡川口村(現:岩手町)出身のサッカー選手、サッカー指導者。ベルリンオリンピックのサッカー日本代表コーチを務めた。 旧制・岩手県立盛岡中学校(現:岩手県立盛岡第一高等学校)から1927年に第一早稲田高等学院へ進学。ゴールキーパーとして全国高等学校ア式蹴球大会に出場、1929年の第6回大会の優勝に貢献した。1930年に早稲田大学商学部に入学し、ア式蹴球部に入部。一時はフォワードに転向して競技を続けたが、体格に劣ることから選手生活に見切りを付け、マネージャーとして活動するようになった。 1933年に大学を卒業後、一時大同生命保険に就職したが、後に同盟通信社に転職。
菊池 洋二(きくち ようじ、)は、岩手県遠野市出身の元サッカ… 菊池 洋二(きくち ようじ、)は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手。 遠野高校から中央大学へ進学。 1972年読売クラブへ入団。1973年からはチームの主将も務めた。 引退後は地元に戻り饅頭屋を経営(2025年5月まで)。読売クラブOB会『CLUB1969』の会長も務めている。