田村 幸一(たむら こういち、1953年8月26日 - )は… 田村 幸一(たむら こういち、1953年8月26日 - )は、日本の元裁判官、弁護士。仙台地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、東京家庭裁判所所長を経て、高松高等裁判所長官を最後に2018年8月退官し、総務省電気通信事業紛争処理委員会委員長。
宮城県:7人
田村 幸一(たむら こういち、1953年8月26日 - )は… 田村 幸一(たむら こういち、1953年8月26日 - )は、日本の元裁判官、弁護士。仙台地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、東京家庭裁判所所長を経て、高松高等裁判所長官を最後に2018年8月退官し、総務省電気通信事業紛争処理委員会委員長。
石井 彦壽(いしい ひこなが、1941年11月26日 - )… 石井 彦壽(いしい ひこなが、1941年11月26日 - )は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や、仙台地方裁判所長、仙台高等裁判所部総括判事、東北大学大学院法学研究科教授等を経て、東北大学名誉教授。宮城県仙台市出身。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1966年東北大学法学部卒業、東北大学大学院法学研究科私法学専攻修士課程進学。1967年大学院中退、司法修習生。1969年福島地方裁判所判事補。1972年大阪地方裁判所判事補。1975年鹿児島地方裁判所名瀬支部長。1976年東京高等裁判所判事職務代行。 1979年盛岡地方裁判所一関支部長。1981年最高裁判所調査官。1986年仙台高等裁判所判事。
奥山 興悦(おくやま こうえつ、1941年3月28日 - )… 奥山 興悦(おくやま こうえつ、1941年3月28日 - )は、日本の裁判官、公証人、弁護士。最高裁判所家庭裁判所調査官研修所長や、釧路地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。瑞宝重光章受章。 宮城県石巻市生まれ。宮城県石巻高等学校を経て、1964年東北大学法学部卒業。1966年東京地方裁判所判事補。1969年仙台地方裁判所判事補。1972年最高裁判所事務総局家庭局付。1975年家庭裁判所調査官研修所教官。1977年盛岡地方裁判所一関支部長。1979年最高裁判所事務総局家庭局第三課長。1983年最高裁判所事務総局家庭局第一課長。1985年東京地方裁判所判事。1988年司法研修所民事裁判教官、法務省司法試験考査委員(民事訴訟法担当)。
守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 20… 守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 2018年11月1日)は、日本の元裁判官・弁護士・法学者。専攻は、刑事訴訟法・少年法。東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学で鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞。
日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993… 日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993年4月8日)は、日本の刑法学者、裁判官、弁護士、法学博士。 三重県出身。小野清一郎らに師事、刑法学者として改正刑法準備草案、ついで改正刑法草案の作成に関わる。戦後政財界の主な汚職事件で弁護団に参加、ロッキード事件では全日空の若狭得治の主任弁護士として活動した。訳書にイェーリング著『権利のための闘争』(岩波文庫)がある。
下飯坂 潤夫(しもいいざか ますお、1894年〈明治27年〉… 下飯坂 潤夫(しもいいざか ますお、1894年〈明治27年〉1月29日 - 1971年〈昭和46年〉12月26日)は、日本の裁判官、最高裁判所判事。宮城県出身。四男はシナリオ作家の下飯坂菊馬。小説家の橘かがりは孫。 旧制宮城県立仙台第一中学校、旧制第二高等学校、東京帝国大学法科大学卒業。第二次世界大戦前は鳥取地裁所長、水戸地裁所長、新潟地裁所長、大審院判事などを務め、その後は札幌高裁長官、名古屋高裁長官、大阪高裁長官を歴任。 1956年11月に最高裁判事となる。岩松三郎裁判官の後任であり、当初は安部恕東京高裁長官が候補に上ったが、安部が辞退したため下飯坂になった。 八海事件の第二次上告審では第一小法廷裁判長として単独犯行説ではなく5人犯行説をとって1962年5月17日に無罪判決を破棄し、広島高裁に差し戻す判決を言い渡した(八海事件は1968年10月に第三次上告審で無罪判決が確定した)。
相原 祐弥(あいはら すけや、元治元年11月4日(1864年… 相原 祐弥(あいはら すけや、元治元年11月4日(1864年12月2日) - 没年不詳)は、日本の裁判官。 宮城県仙台市出身。小野祐治の二男として生まれ、相原安治の養子となった。1891年(明治24年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。秋田地方裁判所判事、前橋地方裁判所判事、東京地方裁判所、東京控訴院判事、東京控訴院部長、名古屋控訴院部長を歴任した。 大審院判事を務めた後、台湾総督府法院判官に転じ、高等法院長に就任した。