赤﨑 優花(あかさき ゆうか、旧姓:鈴木〈すずき〉、1999… 赤﨑 優花(あかさき ゆうか、旧姓:鈴木〈すずき〉、1999年9月14日 - )は、日本の陸上競技選手、長距離走。2019年夏季ユニバーシアードハーフマラソン個人・団体金メダリスト。マラソン女子日本学生記録保持者。 秋田県仙北郡中仙町長野(現在の大仙市)出身。大仙市立中仙中学校時代に陸上競技とバスケットボールの二刀流でスポーツに打ち込む。また中学校時代には東北電力主催の中学生作文コンクールで佳作入選を果たした経歴を持つ。 秋田県立大曲高等学校に進学後に本格的に競技に打ち込む。高校時代は3年時の平成29年度全国高等学校総合体育大会(山形県総合運動公園陸上競技場)女子3000m予選に出場、同組で走った田中希実(兵庫県立西脇工業高等学校)、大西ひかり(須磨学園高等学校)らに大きく水をあけられて12位で予選落ちした。
松宮 隆行(まつみや たかゆき、1980年2月21日 - )… 松宮 隆行(まつみや たかゆき、1980年2月21日 - )は日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。コニカミノルタ陸上競技部⇒愛知製鋼陸上競技部所属。秋田県鹿角市出身、秋田県立花輪高等学校卒業。2008年北京オリンピック男子長距離トラック日本代表。男子5000mの元日本記録保持者。30km競走の前世界記録保持者である。
松宮 祐行(まつみや ゆうこう、1980年2月21日 - )… 松宮 祐行(まつみや ゆうこう、1980年2月21日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。コニカミノルタ陸上競技部⇒日立物流陸上部⇒セキノ興産陸上部所属。秋田県鹿角市出身、秋田県立花輪高等学校卒業。
北島 良子(きたじま りょうこ、1976年6月12日 - )… 北島 良子(きたじま りょうこ、1976年6月12日 - )は、秋田県秋田市出身の女子陸上競技(長距離走・マラソン)選手・指導者・トレイルランナー。 秋田県立秋田北高等学校、城西短期大学卒業。 短大卒業後、みずほ銀行(入社当時は富士銀行)へ入社し陸上競技部に所属するも、2004年に陸上競技部が廃部。その後ヤマダ電機女子陸上部へ移籍。 初マラソンは1998年のベルリンマラソンで2時間36分55秒で8位。4年後の2002年大阪国際女子マラソンで2時間29分20秒で6位。2年後の2004年大阪国際女子マラソンは2時間31分18秒で再び6位。 2004年2月に結婚し、姓名登録を北島から「江田(えだ)良子」へ変更。
浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭… 浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭和44年)9月22日 - )は、1990年代に活躍した秋田県鹿角市出身の元女子マラソン選手。現在三児の母。
高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )… 高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。秋田県横手市出身、三菱商事所属。 IPC 陸上競技クラス T11 、身長 169cm 、体重 58kg 。血液型A型。 2004年、アテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。2006年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン金メダルの世界選手権者。2004年、国際盲人マラソンかすみがうら大会で当時の世界最高記録で優勝他、クラス T11 の 5000m 、 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。 農家の長男として生まれ、横手市立黒川小学校、同横手西中学校を経て秋田県立大曲農業高等学校に入学した。
遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、… 遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手・指導者。 秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身。小学校の卒業文集に「オリンピックに出たい」と記したという。秋田県立横手工業高等学校在学中、全国高等学校総合体育大会で男子800メートル走に出場、1分50秒9で優勝。高校3年生の時に早稲田大学競走部の中村清監督と出会い、早稲田大学を目指す。高校3年生の入試の結果発表前に行ったニュージーランド合宿中に中村から、不合格であることを伝えられたが、その時に聖書の言葉を引用して「『成功する道は、狭くて険しい』。これから成功する道を選んだのだから、頑張りなさい」と言われ、一浪の末合格した。
山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月3… 山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。 秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。 第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。