スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
守澤 太志(もりさわ ふとし、1985年7月20日 - )は… 守澤 太志(もりさわ ふとし、1985年7月20日 - )は、秋田県大仙市出身の日本の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第96期生。日本競輪選手会青森支部所属(登録地は秋田県)。師匠は高橋里志(秋田・49期)。 小学4年から中学までアルペンスキーと野球をしていた。 秋田県立大曲農業高等学校を卒業し、明治大学商学部に進学。明大自転車部では長距離を得意とし、主将としてインカレのロードレースで優勝を果たすなど活躍したが、競輪選手を目指し中退した。 競輪学校の入学試験に一発合格し、2008年5月に96期生として入学。2009年4月に卒業。在校成績は10位(24勝)。同年7月18日の青森競輪でデビューした。
華王錦 武志(かおうにしき たけし、1978年9月14日 -… 華王錦 武志(かおうにしき たけし、1978年9月14日 - )は、秋田県仙北郡美郷町(旧同郡仙南村)金沢出身で東関部屋に所属した元大相撲力士。本名は村田 武志(むらた たけし)。179cm、163kg。血液型はA型。星座は乙女座。得意技は突き・押し。最高位は西十両6枚目(2011年7月場所)。 仙南中学校(現・美郷中学校)時代に相撲部に入部し、1993年(平成5年)の全国都道府県中学生相撲選手権大会、全国中学校相撲選手権大会では団体ベスト8、個人でもベスト8に入っている。秋田県立大曲農業高等学校時代には国体にも出場している。東洋大学に進学し、大学4年次には主将として全国学生選手権(インカレ)団体優勝を果たした。
有坂 直樹(ありさか なおき、1969年12月13日 - )… 有坂 直樹(ありさか なおき、1969年12月13日 - )は、秋田県大仙市出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第64期卒業。師匠は福地清(29期)。現役当時は日本競輪選手会青森支部所属(登録地は秋田県)。秋田県には競輪場が無いため、現役時代は六郷自転車競技場(美郷町)を練習拠点としていた。血液型はO型。 秋田県立大曲農業高等学校在学中における高校総体や国体などスプリント種目での数々の優勝により、競輪学校へは技能試験免除により入学を果たす。競輪学校は在校成績2位で卒業。 初出走は1989年8月5日の西武園競輪場で、初勝利も同レース。デビュー後は同期の高木隆弘、三宅伸とともに「64期三羽烏」と呼ばれ、1期後輩の吉岡稔真の対抗馬として注目された。
柳家 小平太(やなぎや こへいた、1969年3月24日 - … 柳家 小平太(やなぎや こへいた、1969年3月24日 - )は、落語家。落語協会所属の真打。紋∶三ツ柏。出囃子∶蟹がね。本名:山田 耕一郎。 秋田県仙北市生まれ。秋田県立大曲農業高等学校卒業。高校までを秋田で過ごし、卒業後に上京する。 2003年5月、柳家さん喬に入門。前座名は山田耕筰から「さん作」。2007年2月、二ツ目に昇進し「さん若」と改名する。 2018年9月、古今亭駒治、柳家勧之助、林家たこ蔵、古今亭駒子と共に真打に昇進し「小平太」と改名した。「小平太」の名は昔の役者に由来する。 2003年入門の同期、古今亭文菊、柳家小八・三遊亭ときん・鈴々舎馬るこ・桂三木助・柳亭こみち・古今亭志ん五・古今亭駒治・柳家小平太・柳家勧之助の10人で、「TEN」というユニットを組んでいた。
高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )… 高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。秋田県横手市出身、三菱商事所属。 IPC 陸上競技クラス T11 、身長 169cm 、体重 58kg 。血液型A型。 2004年、アテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。2006年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン金メダルの世界選手権者。2004年、国際盲人マラソンかすみがうら大会で当時の世界最高記録で優勝他、クラス T11 の 5000m 、 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。 農家の長男として生まれ、横手市立黒川小学校、同横手西中学校を経て秋田県立大曲農業高等学校に入学した。
白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 20… 白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 2022年2月17日)は、秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。現役引退後は死去するまで若者頭をつとめた。本名は佐藤 政敏(さとう まさとし)。182cm、110kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 本人が語るところによると、相撲をはじめたきっかけは、中学2年の夏休みに器械体操で鉄棒から落下して負傷したことであった。両手首を脱臼骨折し、二学期中も学校を早退して通院しており、帰宅後に九月場所を見て興味を持った。体操をするには身体が大きかったこともあり、相撲界に入門する夢を抱いた佐藤少年であったが、担任の妻が大曲農業高校の教員であったことから進学して相撲部部員になることを勧められたという。
佐藤 正一郎(さとう しょういちろう、1953年2月25日 … 佐藤 正一郎(さとう しょういちろう、1953年2月25日 - )は、日本の政治家。秋田県議会議員(4期)、元羽後町長(3期)、元羽後町議会議員(3期)。秋田県羽後町出身。秋田県立大曲農業高等学校卒業。 27歳で羽後町議会議員選挙に立候補し、初当選(3期11年)。三度目の町長選出馬となった42歳で、羽後町長に就任。 3期にわたって町長を務め、地域活性化や財政再建に積極的に取り組んだ。秋田県知事選挙に2度立候補するがいずれも落選(町長の3期目は知事選出馬のため途中辞職)。 2013年に行われた、秋田県議会議員の湯沢市・雄勝郡選挙区の補欠選挙に出馬し、初当選。2015年、2019年の本選挙では無投票で再選、2023年の選挙で最多得票で再選され、現在4期目となる。
北村 稔(きたむら みのる、1948年 - )は、日本の歴史… 北村 稔(きたむら みのる、1948年 - )は、日本の歴史学者。立命館大学名誉教授、日本「南京」学会会員、国家基本問題研究所客員研究員。中国近現代史専攻。法学博士。
水谷 勇(みずたに いさむ、1947年5月22日 - 201… 水谷 勇(みずたに いさむ、1947年5月22日 - 2010年?)は、秋田県出身の元プロ野球選手。 秋田県立大曲農業高等学校では、1965年夏の全国高校野球大会で甲子園に出場し準決勝まで進んだ秋田高校と1勝1敗の成績を残しており、長身からの速球を武器とする本格派。他にもカーブ、ドロップ、シュートを武器とする。1965年のドラフト会議で阪急ブレーブスに9位指名され入団したが、わずか1年間で自由契約となり、一軍の試合には1試合も出場できなかった。詳細は不明だが既に亡くなっている(2010年に死去したとの説がある)。
伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は… 伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は、秋田県を登録地としていた元競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て、法政大学在籍時代、1964年の東京オリンピック・団体追い抜きのメンバーとして出場(19位)。 1967年9月9日、日本競輪学校第25期生として、いわき平競輪場でデビューし1着。 1999年7月12日、選手登録削除。通算戦績2340戦356勝。
高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )… 高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )は、秋田県出身の元 競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第25期生。 兄、高橋耕造(競輪学校第1期生)も元 競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て日本大学に進学。同大学在籍時代の1964年、東京オリンピック・団体追抜に出場し11位。その後、競輪学校を経て日本競輪選手会東京支部所属の競輪選手となった。 1989年7月31日選手登録削除。
照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 -… 照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 十二(すずき じゅうじ)。現在の秋田県横手市出身。174cm、96kg。最高位は西十両17枚目。得意技は左四つ、寄り。 平鹿町立浅舞中学校(現在は横手市立平鹿中学校へ統合)で相撲を始めたが、平鹿郡大会で負けたので一時的に止め、野球部に転向した。ポジションは一塁手を務めた。秋田県立大曲農業高等学校に進学してからは相撲を再開し、2年生の時には青年相撲で優勝し、北海道巡業から帰る途中で立ち寄っていた5代伊勢ヶ濱から照國杯を貰った時に素質を見出されて入門した。ある年の巡業先で預かった酒を宿に忘れ、発車寸前の汽車から慌てて飛び降り、酒を取りに戻った。
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - … 御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。 自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 … 鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 - 2008年(平成12年)6月13日)は、日本の漢文学者。
根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 -… 根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 - 1990年3月19日)は、昭和期の日本の政治家。位階は正三位、勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員。秋田県大曲市(現在の大仙市)出身。 秋田県立秋田農業学校(現秋田県立大曲農業高等学校)を経て、1932年京都帝国大学農学部農林経済学科卒業。満州国に渡り、役人を経て、建国大学の助教授を務めた。終戦で日本に引き上げ、1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧秋田2区から秋田県民主党より立候補し当選する(当選同期に鈴木善幸・中曽根康弘・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・中村寅太など)。 その後民主党に所属するが、炭鉱国管問題に反対し田中角栄、幣原喜重郎、原健三郎、佐々木秀世らと民主党を脱党し、吉田茂の自由党に入党する。
大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1… 大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1965年12月18日)は、秋田県出身の歌人、農業研究家。旧姓丹波。(昭和28年、仁別務沢、植物園にて撮影) 1893年(明治26年)11月15日、仙北郡大川西根村(現・大仙市)において丹波常吉とフミの間に六男三女の末っ子として生まれる。 秋田農業学校(現・秋田県立大曲農業高等学校)を卒業後、1909年(明治45年)に鹿角郡の曙尋常高等小学校の代用教員となり、1915年(大正4年)から仙北郡花館村(現・大仙市)の農商務省農事試験場陸羽支場にて農学博士の寺尾博の助手として作物育種事業に従事する。同僚の仁部富之助らとともに冷害に強い米の品種改良に取り組み、陸羽132号、秋田1号、秋田7号などの育種に尽力した。
伊藤 稔 は、北海道出身の元騎手・調教助手。
栗林 新一郎(くりばやし しんいちろう、明治39年(1906… 栗林 新一郎(くりばやし しんいちろう、明治39年(1906年) - 昭和58年(1983年)は、昭和の教育者。秋田県仙北郡六郷町(現美郷町)の郷土史家。「栗林文書」の発掘と整理に尽力した。 栗林治郎作(栗林呉服)の縁者と言われ、六郷町馬町に栗林十蔵の長男として生まれた。大曲農業学校を卒業後に、秋田師範学校を卒業し、小学校の教師となる。1965年(昭和40年)、湯沢市立湯沢西小学校の校長を最後に退職。赴任先々では、郷土の歴史を踏まえた教育実践を展開し、ふるさと教育の先駆者といえる実績を、各地域で残した。 翌66年(昭和41年)には、町と協議し、六郷町史編纂委員会を発足し、初代会長に就任。同時に、戦後初となる六郷図書館の初代館長となり、本の整理をした。