米屋 こうじ(米屋 浩二、よねや こうじ、1968年 - )… 米屋 こうじ(米屋 浩二、よねや こうじ、1968年 - )は、山形県天童市出身のフリーランスの写真家。日本写真家協会(JPS)会員。 東京工芸大学短期大学部卒業。広告写真家・安達洋次郎の助手、鉄道写真家・真島満秀のアシスタントを経て1993年よりフリーランスで活動する。 1994年よりアジア鉄道の旅を始め、インドシナ半島から東アジア諸国までの8か国を、特急や急行はなるべく使わずに、鈍行列車で各駅に停まりながら鉄道に乗り巡る。2003年、「I LOVE TRAIN アジア・レイル・ライフ」で富士フォトサロン新人賞受賞。 2010年までの著作は漢字表記の「米屋浩二」名義。
渡部 伸(わたなべ しん、1962年(昭和37年) - )は… 渡部 伸(わたなべ しん、1962年(昭和37年) - )は日本の写真家。山形県鶴岡市出身。 1962年(昭和37年)山形県鶴岡市に生まれる。鶴岡南高校、福島大学経済学部卒業。スタジオアートセンターを経て大澤則昭に師事する。1989年(平成元年)[元号要検証] フリーとなる。 1994年(平成6年)有限会社渡部伸事務所設立、代表取締役就任[要出典]。2000年(平成12年)テレビドラマ『やまとなでしこ』で美術スタッフとなり、タイトルバック写真を担当する[要出典]。
渡部 さとる(わたなべ さとる、1961年 - )は、日本の… 渡部 さとる(わたなべ さとる、1961年 - )は、日本のカメラマン、写真家。山形県米沢市出身。 日本大学芸術学部写真学科を卒後、日刊スポーツ新聞社に入社、写真部に配属。退職後、スタジオモノクロームを設立。フリーランスとして、雑誌、写真集などで活動。2003年より写真のワークショップを始める。2006年よりギャラリー冬青にて作家活動を本格的に開始。 その作品は、アテネ国立美術館(「da.gasita」)、グリフィン美術館(「da.gasita」「TokyoLandScape」)、ケ・ブランリ美術館(「traverse」)に所蔵されている。
冴木 一馬(さえき かずま、昭和32年(1957年) - )… 冴木 一馬(さえき かずま、昭和32年(1957年) - )は、日本の花火写真家、研究家。花火師の免許を取得している。 山形県鶴岡市出身。現在[いつ?]、大阪在住。専門学校卒業後、アパレル会社へ就職。その後、フリーカメラマンとして独立。写真への興味は専門学校時代に同じ寮にいた友人の影響だと語っている。 韓国の民主化運動の取材では肩から提げていたカメラバッグを銃弾が貫通したという話が残っている。 事件や事故の現場を中心に担当していた中、1987年に大阪の天神祭で花火を記録したことをきっかけとして花火への興味を持つようになった。今日では、ハナビストを自称している。ハナビストは写真家以上の活動として肩書きを考えていた当時、コラムニストやエコノミストなどの横文字職業が流行していたのを機に「ハナビスト」と自分で考えたと伝えられている。
打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本… 打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本のモーターサイクルジャーナリスト、編集者、写真家(JPS日本写真家協会、JRPA日本レース写真家協会会員)、オフロードライダーである。本名:打田 稔(うちだ みのる)。エディトリアルプロダクション有限会社シフト代表。山形県鶴岡市出身、東京都在住。1987年から1999年までの12年間、月刊ガルル(実業之日本社・刊)の編集長を務め、国内にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築いた。自らも国際ラリーレイドなどに出場し、海外のオフロードレースを紹介したオフロードバイク界の第一人者。
鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山… 鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。
太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - … 太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - )は、日本の写真家。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 20… 細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 2024年9月16日)は、日本の写真家。勲等は旭日重光章。清里フォトアートミュージアム館長(初代)、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長、文化功労者。本名は細江 敏廣(ほそえ としひろ)。 東京写真専門学校講師、東京写真大学短期大学部教授、社団法人日本写真家協会副会長、東京工芸大学芸術学部教授などを歴任した。 息子の細江賢治も写真家。 山形県米沢市に生れ、東京で育つ。 1951年に富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞する。翌年、19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は、土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目。
渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月1… 渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月18日 - 1993年(平成5年)8月8日)は、日本の写真家。 山形県酒田市生まれ。1943年、写真工房東京光画社へ入社し、写真家となる。1950年にフリーとして独立後、雑誌や写真集で作品を発表。1992年、紫綬褒章受章。1993年、死去。 茨城県水戸市千波湖のバラバラ殺人事件を捜査する刑事を撮影し、雑誌『日本』(大日本雄弁会講談社刊、1958年6月号)に掲載された写真が、2011年、写真集『A Criminal Investigation』(Éditions Xavier Barral)としてまとめられ、再度注目を集める。
土門 拳(どもん けん、1909年〈明治42年〉10月25日… 土門 拳(どもん けん、1909年〈明治42年〉10月25日 - 1990年〈平成2年〉9月15日)は昭和時代に活躍した日本の写真家。 リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の一人とされる。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。 土門は、1950年代の前半頃から「社会的リアリズム」を標榜(後年本人が告白したところでは、実質的には社会主義リアリズムであったという)、「絶対非演出の絶対スナップ」を主張し、日本の写真界に一時期を画した。当時、リアリズム系の写真家としては、木村伊兵衛と双璧をなした。