梁瀬峰史(やなせ たかふみ、1987年12月23日 - )は… 梁瀬峰史(やなせ たかふみ、1987年12月23日 - )は、山形県真室川町出身の元陸上競技選手(長距離種目)、弁護士。 子供の頃に地元山形であった法律問題をきっかけに弁護士を目指すようになった。中学から陸上を始めた。 2003年、駅伝の強豪校である仙台育英学園高等学校に入学、才能を開花し1年生から全国高等学校駅伝競走大会(通称都大路)を駆け、チームは優勝。2年時には、5000mで学年別としては歴代上位である14.12.08秒を記録し、都大路では区間賞を獲得、チームの総合記録樹立と優勝に貢献した。3年時も、5000mにおいてインターハイ日本人トップの4位、10000mでは世代2番目の29.18.66秒を記録するものの、3度目の都大路では3区区間27位と不本意な結果に沈んだ。
村上 康聡(むらかみ やすとし、1960年〈昭和35年〉2月… 村上 康聡(むらかみ やすとし、1960年〈昭和35年〉2月29日 - )は、日本の元検察官、弁護士。東高円寺法律事務所代表。 山形県山形市生まれ。山形県立山形東高等学校を経て1978年に中央大学法学部法律学科へ進学。1982年に司法試験合格。1985年、第37期司法修習修了後、検事任官。 東京地方検察庁、那覇地方検察庁、那覇地検沖縄支部、長崎地検佐世保支部などで勤務。1992年から1993年、米国証券取引委員会(SEC)および米国司法省刑事局Fraud Sectionに派遣され、株価操縦事件の調査研究に従事。 帰国後、外務省総合外交政策局付き検事、東京地方検察庁検事、千葉地方検察庁検事、内閣官房副長官補付き内閣参事官(森喜朗・小泉純一郎両内閣期)を務め、東京地方検察庁検事、東京地方検察庁総務部副部長、東京地方検察庁刑事部副部長、福岡地検刑事部長などを経て2006年12月に退官。
五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - … 五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - )は、日本の弁護士、都市政策学者、立法学者。法政大学法学部政治学科名誉教授(都市政策)。菅直人再改造内閣で内閣官房参与を務めた。 山形県河北町出身、早稲田大学法学部卒業。大学在学中の21歳時に司法試験に合格、司法修習(20期)を経て、弁護士となった。不当な建築や都市計画による被害者の弁護活動に携わるとともに、従来の公共事業を批判、「美の条例」(神奈川県真鶴町)の制定を支援するなど、美しい都市創りを訴えている。また、日本において「日照権」という権利を生み出したことで知られている。 1981年(昭和56年)には、早川書房が徳間書店および作家の堀晃を訴えた『太陽風交点事件』で早川書房側の弁護士を務め、敗訴した。
水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月2… 水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月20日 - 1960年(昭和35年)5月4日)は、日本の検事、弁護士。朝鮮総督府官僚。 山形県鶴岡市出身。水野重慎の息子として生まれる。荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)、第四高等学校を経て、1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。統監府判事を経て、朝鮮総督府判事となった。平壌地方裁判所判事、京城地方法院判事、同検事、京城覆審法院検事、京城地方法院検事、大邱地方法院検事、京城覆審法院検事、高等法院検事、朝鮮総督府法務局刑事課長、同法務課長、高等法院検事を歴任し、1930年(昭和5年)に欧米諸国を視察した。帰国後、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1943年(昭和18年)に高等法院検事長に就任した。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
加藤 幹雄(かとう みきお、明治2年(1869年) - 大正… 加藤 幹雄(かとう みきお、明治2年(1869年) - 大正5年(1916年))は、日本の弁護士。 明治2年、庄内藩に生まれる。旧制山形中学校、共立中学校、司法省正則法学校、第一高等中学校を経て、帝国大学法科大学に入学し、首席で卒業後、同大学院で国際法を研究し、弁護士となる。仙台で活躍した後、山形に戻り、鶴岡で生涯を送った。
山下 千代雄(やました ちよお、1857年10月27日〈安政… 山下 千代雄(やました ちよお、1857年10月27日〈安政4年9月10日〉 - 1929年〈昭和4年〉2月4日)は、衆議院議員(自由党→立憲政友会)、弁護士。 出羽国米沢出身。藩校興譲館で学んだ後、司法省法学校(現・東京大学法学部)を卒業。明道館を創立し、自由民権を主張した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙は大同倶楽部から、1892年(明治25年)の第2回総選挙は立憲自由党から山形県第2区で立候補したが、いずれも落選している。 1894年(明治27年)、第3回総選挙に出馬し、当選。同年9月の第4回総選挙でも再選された。1898年(明治31年)、第1次大隈内閣が成立すると内務省地方局長に任命されたが、内閣の崩壊とともに野に下り弁護士業務に従事した。