石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は… 石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は、日本の篤農家・発明家・実業家・工芸家。株式会社石井製作所創業者。酒田市局惣田に石井梅蔵記念館がある。 1896年(明治29年)石井梅蔵は石井家5代目として酒田市に生れる。農機具の発明家・事業家で、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機を作り、農民の重労働と危険を解消。人・動力兼用のフライホイル式カッターとして1928年(昭和3年)に特許を取得。世界最初のバインダー(稲麦刈取収束機)を1958年(昭和33年)に特許申請(1960年(昭和35年)に登録)。酒田発明協会長などを務める。1949年(昭和24年)、籾が目にささり負傷。角膜移植を受けるが、1958年(昭和33年)全盲を宣告される。
石川 磐彦(1879年(明治12年)4月 - ?)は、日本の… 石川 磐彦(1879年(明治12年)4月 - ?)は、日本の発明家。 山形県鶴岡市出身。慶應義塾で学び、アメリカ合衆国に留学した。1912年(大正元年)に大阪市に石川商会を創立し、製造工業諸材料品の輸出入業を経営した。 昭和10年(1935年)の5月9日から5月29日までジャパン・ツーリスト・ビューロー主催の鮮満視察団に参加し、朝鮮及び満洲を視察し、『鮮満視察旅行』を著した。
佐伯 美津留(さえき みつる、1871年4月21日(明治4年… 佐伯 美津留(さえき みつる、1871年4月21日(明治4年3月2日) - 1948年7月16日)は、日本の発明家。 山形県山形市出身。海軍兵学校に入るが、近眼となり、退学し、1894年(明治27年)に逓信省に入った。逓信省では、無線電信電話の研究、船舶無線電信局、海岸電信局、長距離大電力無線電信局などの設計・施設に従事した。1923年(大正12年)に勅任官に任ぜられた。1925年(大正14年)に日本無線電信会社が創立されると、技師長となった。 正四位勲四等。墓所は多磨霊園。
斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1… 斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1926年(大正15年)1月31日)は、日本の発明家、実業家、政治家(鶴岡町町議会議員)、鶴岡ガス株式会社初代社長。 出羽国田川郡長沼村上新田(後の藤島町、現在の鶴岡市)出身。 主に軍用機器と織機(織物機械)の発明に取り組み、「発明は俺の命だ。俺のひとつの病気だ」と豪語し、数多くの発明を残した。現在でもその発明は高く評価されている。 トヨタグループの創業者の豊田佐吉と共に、織機の発明王と呼ばれ、絹の斎藤外市、綿の豊田佐吉と言われていた。1912年(明治45年)には、これまでの数々の発明の功績によりトヨタの創業者・豊田佐吉と共に藍綬褒章を受章している。
阿部 彦吉(あべ ひこきち、元治元年9月2日(1864年10… 阿部 彦吉(あべ ひこきち、元治元年9月2日(1864年10月2日) - 昭和6年(1931年)10月9日)は、日本の発明家である。 現在の山形市六日町生まれ。生家は草履表商だったが、類焼で経営が悪化。幼少期に苦労するも、時計に興味を持ち18歳で上京。京橋の小林時計店に勤務し、技術体得の後20歳で帰郷した。山形市七日町に自ら時計店を開業。そのかたわら電気時計の研究発明に志した。まず単独式電気時計から発電機付きの無電池式電気時計に進み、その後、有電池式連絡時計となって完成を見た。特許は内外12件に及ぶ。 1915年に自動発電無電池阿部式親子時計を開発し特許を取得。県庁舎(現・文翔館)新築に際し時計工事を請け負い、1918年、時計塔の大時計を親に、無電池で庁内50余りの子時計を完成した。